葬儀を終えて

かきはらともえ

やらなきゃいけないこと


 母が死んだのは十年前になる。

 古い家を処分しないといけないと思ったら、どうにもお金がかかる。

 葬式で莫大なお金がかかり、実家の処分でお金がかかる。解体にもかかるし、洗濯機などの家電用品の処分にも大金がかかる。

 しばらく放置していたが、私の兄弟が死んだ。

 三人兄弟の一番下、弟が死んだ。

 全身にがんが転移して、何度も何度も治療してきたが、とうとう死んだ。「あと半年です」と医師に言われてから三年は生きたので、随分と頑張ったものだと思う。

 死の直前に会ったときには顔は真っ青で、腐った木みたいな色をしていた。

 喋っていて表情こそ動いているが、左右は非対称な表情で、呂律ろれつはほとんど回っておらず、唾液だえきも呑み込めず、泡立った唾液が口の周辺に溢れていた。それを枕元にあったタオルで拭ってあげた。

 やがてモルヒネが効いてきて、そのまま眠った。

 その面会から二週間後に死んだ。

 葬儀は身内だけ慎ましやかに行った。火葬後に見た骨を見て衝撃的だった。

 母の火葬後に見た骨とは違っていた。

 骨はすかすかだった。割れている骨はまるで麩菓子のように脆く、その内側から黄緑と水色の繊維が見えた。

 箸で掴んだとき、少し力を入れるとその骨は砂のように崩れ落ちた。

 残骸としか言いようがなかった。

 これが薬剤による治療との対価なのかとぞっとした。

「こんなになるまでがんばったんだな」と妹は言って、涙声になっていた。

 私と妹は自分たちの命もそんなに長くないかもしれないと悟った。

 いつ死んでもおかしくない。

 自分の子供たちに迷惑をかけないためにも実家を処理することにした。これは子供の代に引き継ぐものではない。まるで樹海のようになっていた実家の草木を伐採して、着手した。

 私も妹もお金はない。なんたって弟の葬儀から身辺の物を処分し、マンションから撤去してもらうための手続きでかなりの費用がかかった。生きていてもお金はかかるし、死んでもこれほどまでにお金はかかるものなのか……。

 主人と、妹の旦那、娘の旦那の三人が軽トラを借りてきて、家具を運び出した。それは夜のうちに行われていた。

 隣の町にある川はとにかく汚い。かみのほうに行けば、工業地帯が立ち並んでいて、あまり人が近寄らない場所になっている。

 そこへの不法投棄はあとを絶たない。

 下流は私たちの町にまで流れていて、臭くて水質だってよくない。私が子供の頃はこの川で泳いでいたというのに。

 そんな気持ちもあった。

 だけど、そんな気持ちひとつではどうにもならない。

 私たちは不法投棄を行った。幸いながら未だに見つかっていない。実家は自治体が行っている支援金と身内で出し合ってどうにか解体した。

 近くのコンビニに煙草を買いに行くとき、かつて実家のあった場所の前を通る。普段はあまり通りたくなくて少し遠回りの道を通っている。煙草を買った帰りに見に行ってみることにした。

 雑草がちらほらと生えているだけの、ただの空き地になっていた。

 倫理観の問われる行動をしたのは理解している。だけど、私たちが問われているのは明日からの生活であって、子供たちの将来のことだ。

 そこでお線香の匂いがしたような気がした。

 私は煙草に火を点けた。



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葬儀を終えて かきはらともえ @rakud

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