キス


 隣を歩くときいつもふっと風に乗って、柑橘系のかすかに甘いコロンの香りがする。多分、彼女はこの香水が気に入っている。

 あるいは、僕のために初めて買った香水なんだろう。

 でも、その答えを知ってる。知っているからこそ何度でも、それを感じたいと思う。

「きょうは暑いね、ムシムシする、なんかこもってるよね空気がー」

 ハタハタと制服の首元から風を入れようとする君に、目のやり場を奪われてふっと視線をそらす。

 華奢な首筋から制服の中を覗かせる白い肌が目に入りそうだったからだ。こんなことで頬を赤らめている自分に情けなさを感じつつ

「まだ六月なのにね、梅雨も重なってしんどいね最近。」

 そう平然と返した。

「それな。私なんてクーラー我慢できずにつけたわ」

 強い口調が彼女の性格を反映している。僕は好きだ。変に飾らない性格も、口調も、全て。

「僕はまだだなー。窓開けてしのいでる」

 あはは。と相づちのように笑った。

「偉すぎじゃん、わたしは絶対無理だわ」

 暑さにやられたのか、少しうつむきながら君が言う。

 うなだれる君の右手までの距離、数十センチ。踏み込めない。今日こそはっていつも思ってる。

 初めて君の手に触れたのは、中学生の時。

 ドジな僕は、体育の授業のドッジボールでボールがお腹にクリーンヒットした。うずくまっていた僕に手を差し伸べて、肩を貸して保健室まで連れて行ってくれたのは他でもない志帆ちゃんだった。志帆ちゃんはバスケ部のエースで運動神経抜群。男子にも引けを取らないかっこいい女の子だった。“だった”訳じゃなくて今もだけど。

 でも今は少し、見え方も違っている気がする。

 でも僕は、変わってないな。意気地なしな所も。踏み出せないところも。

 …と

「ちか?おーい。」

 ぼーっとしていた僕をのぞき込んで立ち止まった、彼女にびっくりした。

「うわあっ、ごめん。」

 まぬけで大きな声を出した。

「大丈夫?なんかぼーっとしてたけど」

 心配げな顔で言う彼女に、

「ごめんね、考え事してて」

 恥じらいを感じつつ。髪をさわりながら、そう言い訳した。

「マジで心配だわ。手か顔赤くない?熱でもあるんじゃ」

 ヒヤッと冷たくて細い指が、手のひらが両頬に触れる。

「熱はない、か?…」

 長いまつげが、白い肌が、薄ピンクの飾らない唇が直ぐそこにある。実感をした。だけじゃなくて

 夕日に映えた

「良かった」っていう君の柔らかい微笑がたまらなく

「え、なに、どうした。」

 愛おしいと思って、僕の頬に触れた君の右手首を優しく掴んで、左手はゆっくりおろさせた。

 一瞬君を見つめて確認して。

 その唇に僕のそれで触れた。冷たい肌と、触れて、直ぐに離れた。

「ご、ごめ」

 謝ろうとしたその先にいる君が、腕で隠しきれない顔をのぞかせていた。

「…」

 顔を僕より赤らめて、声も出せなくなるくらい悶えていて。とても

 かわいかった。

 余裕ぶって腕の隙間からみえるくちびるを右の親指でなぞると、

「やめろ、ばか」

 そう反射で言ったけど。右手は確かに僕の制服の裾を掴んで、真っ赤な顔をしてうつむいていたのを知っている。

 そして、

「すき…」

 そう小さく呟いていた。

 こんな君を知っているのは僕だけでいい。

 ねえ、志帆ちゃん。

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