第25話

 そろそろ東京には夕闇が迫りかけていた。コバルトアワーだ。東京にはほとんど人気は無くなっていたが、放置されたままになっている電飾や室内の電灯がところどころで光っていた。笑子の背中もまたピンク色に光を放っていたが、それはコバルト色の空によく映えていた。

 霞が関から大手町にかけて、ついに自衛隊と笑子の交戦状態となった。ヘリ部隊から数発のミサイルが笑子の背中に向けて発射された。着弾。夜空を仰いで大きく鳴き声をあげる笑子。威嚇し、尻尾を大きくヘリコプターに向けて振り上げる。すると、一機のヘリコプターのローターにそれが当たった。空中で爆発を起こすヘリコプター。それは炎を上げながら、有楽町に墜落し、炎上した。その後も笑子に対して執拗に攻撃を繰り返す自衛隊。御神乱の身体は傷つき、身体のあちこちから血が流れ始めている。泣きながら、銀座四丁目の通りを晴海の方へ逃げる笑子。しだいに動きが鈍くなっていく。東京湾へ逃げたいのだ。笑子の巨体が暴れるごとに銀座の街が破壊されていく。自衛隊のミサイル攻撃もまた、銀座を破壊していった。銀座のあちこちで噴煙があがり、そして、その後に火の手が上がっていった。マリオン、デパート、イトーヤ、服部時計店、全てが燃えはじまた。もはや手の施しようがなくなっていた。


 テレビを見ていた大戸島の住民たちの背中が光り始めていた。

 村長は須磨子に何度も電話をかけようとするが、電話はいっこうにつながらなくなっていた。その村長の背中も青白く光り始めた。


 山根たちは、希望からもらった画像を開けてみていた。そこには、芹澤が研究していた御神乱ウイルスについてのことが詳細に書き記されていた。希望は、芹沢博士のノートを一ページごとにスマホで撮影しており、それをUSBに落としていたのだった。

「ここにも書いてある通り、あのとき起きた爆発は、やはり核融合反応だったんだ。つまり、二種類の御神乱ウイルスは、常温核融合反応を導く……」

「まさか、だって、ウイルスは有機物だぞ」緒方が言った。

「だけど、考えてもみろよ。生物の体内で起きているおびただしい種類の酵素やホルモンの反応、それによって引き起こされている脳内や筋肉の運動だって、酵素とか水素イオンなんかが電子をやりとりして行っているんだぞ。いわば、有機物であるたんぱく質の一種なんかが電子やイオンをやりとりして成立してるんだぞ。植物の葉緑体の中にあるルビスコっていう酵素だってそうだ。カルビン・ベンソン回路によって、電子とか水素をやりとりしている。有機物が核融合を引き起こしたって、何も不思議じゃないさ」山根は自信ありげに自説をとなえた。

「じゃあ、何か、赤井社と青井社にある二種類の御神乱ウイルスの激突は、常温核融合を引き起こすってわけか?」緒方は、まだ半信半疑である。「常温核融合ってのは、いわば夢のエネルギー、人類の夢だぞ」

「ああ、それが証拠に、あの瓢箪湖にある三つめの小さなくぼみだが、あれは、かつて誰か島の者が激突してできたものなんじゃないかって思うんだ」

「うーん……。しかし、核融合反応には重水素が必要だ。重水素は一体どこから出てくるんだ?」

「それは海の水の中にだって少しは含まれているさ。……そうだ。落下した隕石に付着してたって言うのはどうだ。それが湖に溶け出して……。つまりは、御神乱ウイルスは重水素を媒介しているのかもしれないぞ」

「なるほどな」

「それにしても、あの子はなぜこれを俺たちに渡したかったんだろう?」

「さあな……」

 しかし、このとき、島民の怒りの矛先は、研究者たちにも向けられていた。島の秘密を探り出し、世間に公表することにより、安穏に暮らしていた島の住民の生活が脅かされたからに他ならない。彼ら御神乱化した島民たちは、じわりじわりとバラックの方へと向かっていた。


 須磨子と東西新聞社の真理亜たちは、お台場に避難しており、対岸の戦闘を見守っていた。ふいに須磨子が思い出したように言った。

「御神乱様になった場合、発病する際の症状として、激しい怒り、血圧の上昇、頭痛が見られるのじゃが、吐き気はないはずじゃ。しかし、笑子は吐き気をもよおしていた」

「えっ、どういうことです?」真理亜が須磨子に聞き返した。

「つまり、吐き気は、ウイルスが原因ではないのではないということですよね」そう、後藤が言った。

「……」黙りこんだまま、何か考えはじめる須磨子。


 陽が沈み、夜が訪れた頃のことだった。厚木の米軍基地から一機のオスプレイが飛び立った。中には、真太と村田が搭乗していた。オスプレイは、夜の空を南へ飛行し、米軍の横須賀海軍基地に停泊中の最新鋭空母ドナルド・トランプの上に降り立った。

「いやー、助かるよ」そう、真太は言った。

「いや、どのみち、我々も首都圏から離れなくてはならなくなるだろうしな。早いにこしたことは無いさ」

「……で、いつ出港するんだい?」

「今からすぐだよ」

「えーっ! そうだったのか」

 空母の艦橋には、いくつもの明るい照明が輝いており、それは、星空に負けないぞといわんばかりに漆黒の夜空を焦がしていた。


 笑子は、銀座からレインボーブリッジ方面に向けて移動中に、突然かがみこんでしまった。しかし、自衛隊は、さらに笑子に対して執拗な攻撃をかけた。既に銀座は、笑子の身体から流れる血によって、血の海となっていて、銀座より東の東京は火の海となっている、

 笑子は、よろよろと歩きながら、海岸沿いを西の方へ進路を変えた。既に夜となっていた。少しづつ、何とか歩いていた笑子だったが、レインボーブリッジを目前にした場所まで来たところで、ついにかがみ込んでしまった。すると突然、下腹部から大量の血液と羊水が銀座方面の道へ流れ出た。彼女は妊娠していたのだ。人の形をした血まみれのものが彼女の足元に落ちていた。涙を流している笑子。それから笑子はうずくまり、動きを止めてしまった。しかし、まだ息はあるのだろう。背中のピンク色の光が弱弱しく点滅している。


「妊娠ですか?」後藤が須磨子に聞いた。

「そうじゃ、おそらく笑子は妊娠していたんじゃろう」須磨子が言いきった。

「かわいそうに! 男にだまされて……、捨てられて……、妊娠させられて……、あんなひどい姿にまでなって……」悔しくて涙をかみしめる真理亜。

「あんたたちも、これで分かったろう。あの時、笑子に対しておかくれを施してさえいれば、こんな大惨事にはならんかった。なかでも、一番苦しんだのは笑子じゃ。我々島民がどうしておかくれを行ってきたのか、そして、どうして島民を外の世界に出さなかったのか、これで分かったはずじゃ」

「……」皆は、須磨子に返す言葉が見つからなかった。


 ヘリコプターの無線機がガ―ガーと応答を要求してきた。本社からだ。

「はい」

「おい、お前らテレビをつけてみろ。面白いのをやってるから」デスクが言った。

「あっ、はい。東西テレビですよね」

「そうだ」

 ヘリに付いている小型のテレビをつけてみると、大戸島にいる緒方、山根らの研究チームから驚きの発表がなされていた。発表は、ネットによりライブ配信されたものらしいのだが、東京ではネットをはじめとする通信手段が途切れているため、地方で受信したものをテレビ放送しているものだった。

「今回ご覧いただきますこの映像は、当社大阪支社の社員が受信した動画を大阪のテレビ局から放送しているものです」アナウンサーが言っている。


「えーっ、皆さん。いや、全世界の皆さん。御神乱ウイルスには、対となるウイルスが存在しております。一つは大戸島の赤井社で採取されたウイルスです。そして、もう一つは青井社で採取されたウイルスです。この二つのウイルスは、激しくぶつかり合いますと核融合反応を引き起こします。核融合反応。すなわち、太陽や星が燃えている仕組み、そして、水爆と同じ仕組みです。核融合は、莫大なエネルギーを生みます。本来、核融合反応というものは、とても大きな高温高圧状態にすることにより、はじめて引き起こされる反応です。ところが、この二つのウイルスには、そのような高温高圧状態にしなくても、常温の状態で核融合を引き起こす作用があることが分かったのです。これは、我々科学者の夢だったもの、常温核融合です!」

 山根の顔は少し紅潮しており、興奮が冷めやらぬといった口調である。

「すなわち、御神乱ウイルスを用いると、簡単に常温核融合が引き起こすことができ、ものすごいエネルギーを得ることができるのです!」

 次いで、まだ少し落ち着いている緒方が説明を続けた。

「えー、一般に、地球上の生物は、異化において水素イオンと電子を媒介としてエネルギーを得ています。ところが、この宇宙から飛来した大戸島の御神体とされている小惑星には重水素が付着しており、御神乱ウイルスは、重水素を媒介としてエネルギーを生み出す酵素を生成しているのだと思われます。そして、重水素を持つ有機物どうしが激しくぶつかり合うと、理論上、核融合反応が引き起こされることになるのです。つまり、人類が夢にまで見た『常温核融合』の可能性です。ちなみに、大戸島瓢箪湖にある一個の小さいクレーターは、かつて、赤井社と青井社の二つの種類のウイルスにそれぞれ罹患し、そして発症した島民どうしが激突したことによってできたものであろうと、私どもは推理しております」

 興奮気味の研究チームの姿は、喜々としているようでもあり、狂気じみているようにさえ見えた。

「あと、二つ私どもからお知らせがあります。これは、とても危険なことです。」緒方が続ける。

「大戸島の人々のように、御神乱ウイルスに罹患した人が放射能にも被爆している場合、御神乱ウイルスの体積は、通常の三乗倍になります。したがいまして、もしもですが、巨大化した青タイプと赤タイプの二種の御神乱どうしが東京都内で激突しようものなら、東京二十三区が吹き飛ぶくらいの威力になります」

「あー、あと、これが最後のご報告になります。我々の研究所は、既に御神乱となった島民たちから包囲されており、既に食われるのは時間の問題かと思っております」腹をくくった感じで、最後に山根がそう言った。

 この放送が流れたことに、世界がざわついた。アメリカ海軍の第七艦隊と中国海軍は、すぐに大戸島の周辺海域に展開し始めた。日本国内は、青御神乱の出現と赤御神乱への接触に神経をとがらせた。


 対となるウイルスは、大戸島の青井社から既に採取されており、禁断とされていた青井社も捜査されていたのだ。

 これを聞いて激怒する須磨子。

「あれほど、青井社を調べてはならんと言っておったのに……。これは、天罰じゃ!」

 そして、対岸にうずくまる笑子を見て言った。

「あれは、赤御神乱」

「赤御神乱?」

「そうじゃ。御神乱様には二種ござってな。一つが赤御神乱様。もう一つは青御神乱様じゃ」

「青御神乱」

「青御神乱様の場合はな、発病の速さが赤御神乱様とは比べもんにならんほど早くてな、さらに大きく大きくなられる」

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