第22話
首相官邸で矢島首相と官房長官が話していた。
「首相、巨大御神乱は、東京湾に消えたようです」
「つまりは取り逃がした。排除に失敗した。……そういうことだろう? これだけの被害を出して!」
「はあ……、しかし」
「今回の失敗は、政権に大打撃になるぞ」
「いかがします? その……、今後の対策ですが……」
「二十三区内を封鎖し、山手線内の住民に避難勧告を出せ。二日以内に避難させろ!」
「はい、分かりました」
「内閣報道官を呼べ、細かな段取りを打ち合わせろ」
東西新聞社の編集室、須磨子が言った。
「修二はまた現れる。奴もまた、笑子と同じく大河原を探している。そして、同時に笑子を探している」
「ねえ、須磨子さん、どうして修二さんは新宿なんかに?」
「ま、奴は東京について良く調べもせずにやって来た。笑子と違ってな。おそらくは、一番東京のイメージに近い場所に行こうとしただけだろう。大方、そこに大河原も笑子もいると思うたんだろう。相変わらず、どんくさい奴じゃ」
その日の夜、テレビが浜松町から新宿の惨状を伝えていた。
「本日、午後、浜松町に身長三十メートルを超えると思われる巨大な御神乱が上陸し、浜松町界隈を破壊。そのため大火災が発生しました。その後、この背中を青白く光らせる御神乱は、住宅街を破壊しながら北西方面に進み、渋谷の街から原宿、代々木方面を破壊。街は火の海となりました。新宿で自衛隊によるミサイル攻撃が行われましたが、御神乱は、その後、火の中に消え、夕方頃、大井町方面から再び東京湾に入る姿が目撃されております」「この一連の出来事によって、浜松町から新宿までの一体は火の海となり、現在も火災は鎮火されておりません。また、多くの人々が御神乱の犠牲になったとの目撃証言があり、その他、建造物の崩落および火災による死者も含めると、その被害者の実態は甚大なものになると考えられます」「尚、先日来の銀座、秋葉原や、本日午前中に市ヶ谷に現れた背中の赤く光る御神乱と、今回のものとは別の個体であると思われます」
「えー、ここで、政府の記者会見が行われる模様です」
画面は、記者会見場に切り替わった。官房長官が政府からのお知らせを読み上げる。
「明後日以降を持って、東京都二十三区内は封鎖します。明後日の深夜一二時以降の二十三区内への出入りを原則禁止といたします。特に、山手線内の住民に対しては、緊急避難指示を出しますので、山手線内にお住いの方々は、二日以内に避難指示に従い、速やかに避難して下さい」「続きまして、内閣府の広報部の飯島広報官から、避難に際しての細かな注意事項です」
真太がテレビ画面に現れた。
矢島首相の指示により、さっそく翌朝から、東京の日常の崩壊が始まっていた。都民の一部には大移動がはじまった。首都高、鉄道、地下鉄は非難する人々で、大混雑を引き起こしていた。ただし、浜松町駅、渋谷駅、新宿駅は機能不全に陥っており、当然のことながら、山手線、中央線、総武線などの東京の生活に欠かせない大動脈は失われた。
昼過ぎには、鉄道各社は翌日からの運休を決めていた。最終日の電車や地下鉄に乗り込むために、大きな荷物を手にした人々は駅へと押しかけてた。駅舎内ははちきれんばかりの人の塊を抱え込んでいた。
幹線道路と高速道路には、かつてないほどの渋滞が発生していた。都心上空には光化学スモッグが発生していたが、もはや誰もそんなことを気に留めるものなどいなかった。
企業およびそのオフィスは、もぬけの殻となり、商店街のシャッターは降りしきってゴーストタウン化していた。学校はグレーの廃墟のようでなり、子どものいなくなった運動場には風が吹いて砂塵を巻き上げていた。見慣れた日常風景の中にあった美容院、病院、デパート、コンビニ、ファーストフード店、ダイソー、ニトリ、無印、ユニクロ、牛丼チェーン店、大型複合商業施設、コインランドリー、サウナ、レストラン、居酒屋、歓楽街などは、全てその機能を停止していた。
都心と中央線沿線には、もはや誰も洗濯物を干す風景も、買い物をする風景も見られなくなった。もちろん、路上からは、配送業者、ピザの宅配の姿も消えた。
そんな都内の大混乱をよそに、その日も国会だけは開かれていた。しかも、その日の国会は大もめにもめることになった。まず、朝からの予算員会において、自衛隊が出動したことが問題になった。首相と防衛大臣が野党に厳しく責められていた。
「国民を守るべき自衛隊が国民に対して発砲した」というものだった。
これに対して矢島首相は、
「御神乱が人間なのかどうか、日本人なのかどうかさえ確証はない」と言い放った。
この日、国会の審議は、夜までもつれ込みそうだった。
真太は、官邸や国会がすぐそばの内閣広報室で仕事をしていた。お昼前のことだったろうか、ふと窓の外を見ると、官邸から一人の女性が出てきた。カジュアルな服装をしている。官邸に住んでいる職員なのだろうかと最初は思った。しかし、それはどこかで見たことのある女性だった。そのとき、真太は、それが大河原の妻の美佐子であることを思い出した。
「もしかして、大河原夫妻は、首相官邸にかくまわれているのか」真太はそう思った。そうして、「よし、それじゃあ、いっちょ今夜あたり潜り込んでみるかな」と思い立ったのだった。
昼休みに入り、真理亜に電話する真太。
「あのさあ、今、官邸の門のところを見てたんだけどさあ。大河原夫人が出入りしているみたいなんだよな」
「ええーっ、官邸に住んでるってこと?」
「うん、それで俺、今夜あたりちょっと調べてみるわ」
「了解。でも、気を付けてよね」
「うん、真理亜もな。お前さあ、避難指示出てるんだろ。非難しなくて良いのか?」
「私たちは、ギリギリまで社にいて報道を続けるつもりよ。何かあったらヘリで逃げるから大丈夫よ」
「須磨子さんもいっしょか?」
「うん、そうよ。心配しなくても大丈夫よ」
「うん、分かった。でも、お互いに気を付けて行動しような」
数日後、道路に人はまばらで、既に高速道路の渋滞も解消されていた。
国会の周辺では、避難指示が出されているにもかかわらず、どこからわき出したのか「御神乱を殺すな」「御神乱を殺せ」の二つの相反するデモがぶつかっていた。機動隊が出動してきた。そして、二つのデモ隊に向けて催涙弾が投入された。
瓢箪湖にある研究所にいる山根たちは、赤井社と青井社のウイルスにそれぞれ感染した細胞についての実験を行っていた。
そのとき、ひょんなことから、助手が二つのシャーレに入ったサンプルを床に落としてしまった。
「ズガーーーーーン!」
大きな爆発がおこり、その助手のいた周辺一メートル四方に大きな穴が開いてしまった。
「おい、大丈夫か?」緒方が叫んだ。助手は爆死してしまっていた。
「何だ、今のこの反応は!」
矢島は、突然思い出したかのように防衛大臣を呼びつける。
「大戸島はどうした? もう自衛隊は派遣してるんだろ?」大臣に尋ねる矢島。
「いやあ、それがまだでして……」答えに窮する防衛大臣。
「馬鹿もん! 早くせんと手遅れになるぞ! 既に甚大な被害で出とるだろうが! 四の五の言ってないで、すぐに手を打ちなさい」
矢島は、大戸島の島民を皆殺しにするため、密かに自衛隊を大戸島に向かわせた。
その日の夕方、仕事帰りに真太は、首相官邸に立ち寄った。証明証を見せて中に入る真太。
「ご苦労様です。内閣広報部の飯島真太です」
「あ、ご苦労様です。どうぞ」
彼は、簡単に中に入ることができた。
国会の真っ最中であり、大荒れに荒れているその国会は、たぶん深夜までかかりそうだったため、官邸の中は静まり返っていた。今は首相の奥さんも里帰りして避難しており、警備の者がいるだけだった。しかし、この建物のどこかに大河原弘と美佐子夫妻がかくまわれていると思われた。
一通り、中を見てまわったとき、既に日は沈んでおり、外には夜のとばりが降りていた。すると、二階の奥の方に足音が聞こえる。真太は足音を立てないようにして二階に上がっていった。
二階にも人っ子一人いないようだったが、奥の部屋から足音が聞こえていた。おそらくは、そこに大河原たちはいるのだろう。
「このウイルス、特殊な酵素が作用しているみたいだな」
大戸島の研究室、山根がそう言った。
「どんな?」
「重水素をプラズマ化してやりとりしている」
「ええ! じゃあ、その重水素はどこから調達してるんだ?」
「それが分からん」
夜、もう九時をまわった頃だった。発砲音がした。官邸の門番のいる方だ。続いて「ぎゃー! 助けてくれー」という悲鳴があがった。笑子が首相官邸に現れたのだ。
すかさず真太は隅の方にあった大きな調度品と壁の間に身を潜ませた。
「ドガーン!」
玄関が勢いよく壊される音がした。二階の奥に通じていると思われるロッカーの扉が開いた。そこから慌てた様子で奥の方から弘が飛び出してきた。おろおろしてまわりを見まわしている。
しばしの沈黙があった。ややあって、ほっとした弘が帰ろうとしてロッカーの方に体を向けたその時だった。エレベーターのドアが開いた。
そこには御神乱となった笑子の姿があった。
慄然とする真太。身を硬直させて柱の陰に身を隠す。
「真理亜のやつ、よく笑子さんの前に平気で立って、彼女をかばおうとしたな」そう思った真太だった。
しかし、浩の眼には、笑子の姿はそのように映っていなかった。そこには笑子が赤裸の状態で立っていて、既に御神乱ではなく笑子の姿に戻っていた。笑子の身体は美しいピンク色に包まれていた。
「あっ、笑子……。ごめん……、ごめんよ。本当に申し訳ない。この通りだ」土下座をして謝る弘。
弘に対して何かを差し出している様子の笑子。
「すまなかった、笑子。俺が悪かったんだ」
その弘の言葉に、静かに笑子と弘のいる方向を覗き見る真太。すると、真太の眼にも赤裸の笑子の姿が映った。
「そんな……。笑子さん……」隠れている真太が驚いてつぶやく。
土下座して床にくっぷしていた弘の頭がゆっくりと持ち上がる。そのとき、浩の眼に笑子の下腹部の状態が目に入った。笑子の下腹部を見て狼狽する弘。
「……いや、……違う。これは違う。それは俺じゃない」そう口にしながら首を左右に振る弘。
すると、またたく間に笑子は再び御神乱の姿に戻り、大きな口を空けて弘に食いついた。頭から体半分を加えられた状態の弘は、上半身を笑子に飲み込まれた状態で足をばたつかせている。足が官邸の高い天井の方に向いた状態で、ひとしきり笑子に振り回されている。
「あなた!」ロッカーの中から美佐子が出てきた。
「キャー!」笑子に食われている浩を見て腰から崩れ落ちた美佐子。
笑子は、浩を食いちぎった後、腹違いの姉妹である美佐子に喰らいついた。官邸の二階フロアは血の海になった。
その一部始終の有様を、息をひそめて真太は見ていた。笑子は、帰りしな、真太の気配に気付いていたようだったが、ギロリと一瞥しただけで官邸から出て行った。
「お、おっかねー……! 大河原さんたち喰われちまった」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます