第21話
修二は、西麻布から目黒の住宅街を歩いていた。彼の通った後には、ことごとく火災が発生していた。修二の進む進行方法にある小学校と幼稚園、保育園では、急遽集団下校が開始され、明日からの休校が決定した。中学校、高校でも休校になり、病院の入院患者および老人ホームの入居者は、成す術もなく、修二の通り過ぎるのを、息を潜めて待つしかなかった。
住宅街および商店街の人々が、なるべく遠くへ遠くへと逃げていた。
次第に地響きが大きくなってくる商店街。その揺れの中、ペットショップにいる犬や猫たちが怯えて鳴いていた。店員たちは、動物たちを置いて逃げるべきかどうか迷っていた。
「私たちで持てる数だけ持って逃げましょう。紙袋でも、バッグでも何でも良いから、どんどん詰めて! あと、大きな子たちはここから逃がして、彼らの生きる力に託しましょう」店長が店員に指示をした」
「分かりました!」
修二は、住宅街も商店街も破壊しながら渋谷へ出た。彼の動いた後方には、火災が発生していて、黒煙がもうもうと天を覆っており、彼は黒煙と炎を背にして立っていた。
青山通りと明治通りは、逃げる車と人の波で大混乱が起きていた。
渋谷駅辺りに林立する高層ビル、その間から深緑色の不気味な顔がのぞいた。次いで、そのビルの間の空間に青白く光る修二の背びれが動くのが見えた。
「キャー! こっち来るわ!」「逃げろー!」
修二は渋谷駅のホームに手を入れて人々をつかみ、それを口の中にいれた。口からは赤い血が流れていた。
そのまま、駅のホームを踏んで破壊。多くの電車がからまったロープのようになった。渋谷の駅界隈は、修二の体重によって、あちこちが大きく陥没した。そして、そこに張り巡らされていた電車の架線から生じた火花によって火災が生じた。その火災は、やがて渋谷全体を大火の中に包み込んでいった。焦げたまま立ちつくすいくつもの高層ビルだけだが、炎の中にそびえる煙突の様であった。
修二は、明治通りを北へ向かった。その後ろ姿は、遠く道玄坂や東急ハンズ方面にからくも逃れた人たちから見えた。修二の頭のまわりを、ハエがたかっているように報道ヘリが飛びまわっていた。
その報道ヘリの一つに、真理亜と後藤の乗ったものもあった。
「修二さん、どこに行くつもりなのかしら」ヘリの中、真理亜が言った。
修二が表参道から原宿に出たとき、その報道ヘリの前方に、三機の自衛隊の攻撃ヘリが現れた。
自衛隊機から、無線で報道ヘリに警告が入って来た。
「各社報道ヘリに告ぐ、御神乱周辺の空域からすぐに出て行きなさい。繰り返す、御神乱のそばから離れなさい。こちらは、これから攻撃態勢に入る」
「攻撃するつもりなのね」
「ええ、矢島首相の指示ですね」
「仕方ないわね。少し遠巻きに見守るしかないか」
明治神宮の森が燃え始めていた。
修二は、今度は頭上を自衛隊の攻撃ヘリに取り囲まれながら、原宿から代々木に向かった。
首相官邸で事の次第を見守っていた矢島が不満げに言った。
「防衛大臣、なぜすぐに攻撃できない! それに、怪獣映画みたいに戦闘機が飛んできてミサイルで排除しない」
「総理、戦闘機はもっと上空の広い範囲で使用するものです。市街地付近の低空では、戦闘機は使えません。それに、下には、まだ市民が生活しています。現状でミサイル攻撃を行えば、市街地にも被害が出ますし、それによって市民の中にも犠牲者が出ます」
「じゃあ、何か、あの怪獣映画は嘘だっていうのか?」
「ええ、そうなります」
新宿駅の新南口、タカシマヤ・タイムズスクエアのある大きな広場、人々がチリジリとなって北へ北へと逃げている。広場の南方面、代々木駅のある辺りには、既に巨大な御神乱が背中を青白く光らせながら、こちらに向かってきていたのだ。上空に攻撃ヘリ三機を引き連れていた。
バスタ新宿、タカシマヤデパート、東急ハンズから人々が飛び出して来た。
しかし、新宿南口の駅前では御神乱への攻撃・排除に反対する人権団体のデモ隊がシュプレヒコールを上げていた。彼らは、デモに夢中で、御神乱の出現に気がついていなかった。
「御神乱は人だー!」「御神乱を守れー!」「御神乱を殺す矢島政権は人殺しだー!」
こぶしを天に付き上げながら、大声で叫んでいる人々。
修二は代々木方面から新南口に踏み込んできた。ホームは割れて、地下へ崩落した。
彼は停車していた車両をつかみ、口にくわえた。そうして、その状態のまま、バスタ新宿の南側から甲州街道に出た。
「うわーっ! 何だ、これ!」「これ、御神乱かー!」
このとき、はじめて御神乱の出現に気がついたデモ隊は、腰を抜かして駅構内の改札口の方へ後ずさって行った。
新宿駅のホーム北方から南口にあたるルミネ方面を見上げたとき、湘南新宿ラインの車両を口にくわえた巨大な修二の頭が姿を現した。
「キャー! 何あれ」「御神乱だ!」「こっちに向かって来る!」
全ての電車は緊急停止し、人々が電車から出てきた。ホームに到達できなかった電車からも人々が降りて線路の上を北へと歩き出した。
ホームは人々でごった返した。その群衆の塊が、ホームから階下へとつながる階段に殺到した。
階下の迷路のようになっているコンコースもまた、JR、小田急、京王ともに大混乱が起きていた。乗客、買い物客、デパートガール、商店街の店員、駅に勤務している社員などの人々は、我先にと人々を押しのけ、踏み倒し、改札口を乗り越えた。
東口アルタ前の広場では、まだ事件に気がついてない人々がいた。そこに、駅の中からおびただしい人々が急に飛び出して来た。ミニティッシュを配っている若い女の子やイベント広場でコンサートをやっていた連中が、まず異変に気付いた。目の前にあるルミネの向こう側に、修二の黒っぽい頭がうごめいているのを目に留めたのだ。
修二は、ルミネを破壊し、車両をくわえたままホームに侵入した。修二の体重によって、新宿駅のホームは、地下街まで崩落し、階下にいて逃げ惑っていた多くの人々が圧死した。
西口にある新宿ハローワークの窓からは、新宿駅から立ち上る埃が見て取れた。その中を、修二がゆっくりと南口から北方面に歩いていた。目を凝らして見ると、ロータリーやモザイク通りからは、たくさんの人々が湧いて出てきていた。
東口から歌舞伎町にかけて、そして西武新宿線のビル、東側に続く新宿伊勢丹から世界堂にかけては、パニックが起きていた。全ての人たちが逃げていた。風俗嬢も客引きもサウナにいた客も逃げた。
そうして、マイシティのビルを破壊して、ついに修二は東口広場に出てきた。しかし、彼は、そこで地下街に足を取られた。修二の咆哮が空を突いた。彼の後方では、ホームの架線から出火した炎が立ち昇り始めていた。
そのとき、ヘリから群衆に向けてアナウンスがあった。
「市民の皆さん! これより自衛隊による攻撃が行われます。市民の皆さんは、なるべく広い場所、新宿中央公園方面に退避して下さい! 繰り返します! これより自衛隊は、御神乱に対して攻撃を行います。市民の皆さんは……」
群衆は、西の方角、新宿中央公園を目指して一目散に移動し始めた。
「修二さん、東口にいるみたいですね。人々が中央公園の方角に走ってます」後藤が言った。
「攻撃が始まるんだわ」真理亜が言った。
「おそらく、そうでしょうね」
人払いが終わった頃、攻撃ヘリによる修二への攻撃が始まった。歌舞伎町方面にホバリングしたヘリから新宿駅方面に向け、パトリオットミサイルが修二の身体のあちこちに打ち込まれた。その痛みに咆哮をあげる修二。胸や腕、肩口に着弾し、そこから血しぶきが霧となって新宿東口の町に降り注ぎ、あちこちの雑居ビルを染めた。
血まみれになった修二は、必死になって地下街から足を引っこ抜き、西の方角に向かって歩き始めた。
新宿のドヤ街を踏み荒らして西口に出た修二は、そのまま高層ビルの方面へ歩いていった。その後ろから、容赦ないミサイル攻撃が修二を襲った。
「修二さん、血を流してます。随分とやられるみたいです」
「可愛そうに……」
「でも、修二さんだって、随分と人を喰っちゃってるみたいですよ。あ、修二さん、高層ビルに向かってるみたいです」
「ビルを人質に身を守るつもりね」
高層ビル群の間に入り込んだ修二。建造物で攻撃から身を守ろうとしていた。
「ビルが邪魔していて攻撃できません。まだ、ビルの中にも人影が見えるみたいで……」攻撃ヘリの中にいる自衛隊員が言った。
「ホバリングを保った状態で取り囲んで、しばらく見守るか」
「了解」
攻撃ヘリは、高層ビル群をぐるりと包囲した状態でホバリングしていた。
高層ビル群に隣接している新宿中央公園では、非難していた人々がわらわらと四方八方に逃げ出していた。
それを目に留めた修二、公園にひる人々をつかむと、口に放り込み始めた。
「うわっ! 大変だ! 避難している群衆を食べ始めた」
「うかつに攻撃すると、群衆に被害が出る」
すると、その自衛隊の虚を突いて、修二はその傷ついた身体を南の方へ向けた。西口ヨドバシカメラから再び甲州街道に抜けた修二は、あえて燃え盛る代々木方面の噴煙の中へと消えて行った。
ヘリは、それ以上、黒煙の中へ突入することができなかった。
「修二さん、南の方角に消えました。火災に紛れて東京湾に逃れるつもりなんでしょう」後藤が言った。
東京の新宿駅から南方面、渋谷、目黒、浜松町は大きな火災が発生しており、黒煙が空を覆っていた。
夕焼けが噴煙を照らし始めた頃、自衛隊の攻撃ヘリによりミサイル攻撃を受けた血みどろの修二は、再び噴煙の中から品川に現れた。赤い夕陽に照らされた赤く染まった身体は、同じように赤く燃える炎を背にしていた。その中で、彼の背中だけが美しい青色に怒りの鼓動に呼応するように点滅していた。
そして、彼はそのまま東京湾に入っていった。彼が飛び込んだ辺りの海は、円心状に赤く血に染まった。しかし、それは赤い夕陽に照らされて、それが血に染まったものなのか、夕焼けに染まったものなのか、判別することは難しかった。
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