第20話

「ところで、真太、今夜どうすんの? もう、電車とか無いわよ。そもそもさあ、あんたどこに住んでんの? 私は世田谷だけど」いきなり、真理亜が話を変えてきた。

「俺は厚木」

「えーっ厚木なの! 車で通ってんの」

「そうだよ。落ち着いたら遊びに来てねー。でも、今日はここに泊めてもらうつもりだけどね」

「そうだったんだ」

「俺さあ、実はハーフなんだ。国籍は日本国籍を取得してるけどね。親父は米軍に勤務してるし、母親はアメリカに住んでる。今は一人暮らしさ」

「へえー、知らなかった。何だかあんまり外人ぽい顔立ちじゃないけどね」

「失礼だなあ。それって偏見だぞ。そもそも、ハーフったって、父親は日系三世なんだけどね。父方の祖母がアメリカ人。実際にはクオーターってとこかな」

「米軍ねえ……」

「何だよ、米軍に何かあんのか?」

「ううん、別に」


 翌朝、東西新聞には、須磨子が昨日話した一部始終のことがスクープ記事として掲載された。首相官邸では、官房長官が首相のところに飛び込んできた。

「首相! これ……、これ、本当のことですか?」

「根も葉もない嘘だ!」既に記事を読んでいた矢島が言った。

「でも、たぶん予算委員会でも国会でもたたかれますよ」

「そんなもんに、いちいち答える必要もない!」

「そうですか……。じゃ、分かりました。でも、記者とのやりとりは、総理の方でお願いしますよ」

 官房長官は首相の部屋から出て行った。官邸のまわりでは、大勢の記者たちが押し寄せていた。

「これで、首相が何で大戸島にこだわっていたのか、やっと分かったぜ」そんな彼らのひそひそ話が聞こえている。

 彼らは、官房長官を目にとめると、マイクを片手にどっと押し寄せてきて取り囲んだ。

 官房長官が去った後、矢島は一人になった部屋の中で、大いに荒れた。

「ちっくしょー! 三島須磨子。何回俺の邪魔をすれば気が済むんだ!」悔しさに声が震えていた。

 彼は、机の上にあった書類を投げ散らかし、床に花瓶を投げつけた。

「くっそー、処分してやる。抹殺してやるからな。待ってろよー、三島須磨子」そう言うと、矢島はどこかに電話をした。

「……ああ、そうだ。三島須磨子。テレビに出てるやつだ。東西新聞社のビルにかくまわれているようだ。……そうだ。頼む」

 そこへ、矢島の妻が入って来た。不安とも怒りともとれない顔をしている。言葉を選んでいるようだった。そうして、少し矢島を見た後、やっと声を出した。

「あなた、政権は大丈夫なんですの? ……私、しばらく実家の方にでも身を寄せておきましょうか?」

 しかし、彼女にしてみれば、それは「私、しばらく実家に帰らせていただきます」という意味を柔らかく言ったまでだった。

「ああ、好きにしろ」矢島は、吐き捨てるように妻にそう言った。


 テレビでは、朝から東西新聞社の記事でもちきりになっていた。矢島総理のスキャンダルの話題を筆頭に、御神乱が今どこに潜んでいるのか、都心部の避難の状況はどこまですすんでいるのか、大河原弘はどこに身を隠しているのか、都民のインタビューを交えながらすすむ。また、大戸島の現在の状況がヘリコプターからの撮影で流された。一連の政府の不祥事により、円と株価も暴落し続けていた。東西新聞の記事が流されてからの二、三日というもの、テレビのニュースは、毎日ほぼこんな感じだった。


 二十三区に非常事態宣言が出されたせいで、多くの企業ではリモートワークになり、学校でもリモートとなった。都心部の昼には、いつもよりは幾分かも静かさが訪れていた。

 そんな人も車もまばらで閑散とした外堀通り沿いにある市ヶ谷の釣り堀。ここには、避難指示を無視し続けて遊びに来ている人たちがいた。沿線住民ではないので非難する必要はないという考えだったのだ。

 しかし、市ヶ谷の緑色のため池の中にピンク色の点滅が出現した。ピンク色の点滅は、市ヶ谷駅横にある橋をくぐると一気にその姿を現した。そこから上陸した笑子は、隣にいた釣り堀にいた人たちを襲う。腰を抜かしたようにしてはえずりまわって逃げる人々。その何人かは笑子に食われた。

 今回は、目撃者の情報により、すぐに隣の市ヶ谷駐屯地から自衛隊が出動してきた。戦車による一個師団隊が投入され、上空には、自衛隊の大型ヘリコプターが待っていた。四ツ谷三丁目から御茶ノ水までの区間は道路、鉄道とも封鎖された。

 バズーカ砲が笑子に向けて数発発射された。すると、笑子はすかさず緑の池へと潜る。彼女のピンクの点滅は緑の池の奥深くに消えた。確認するように池を除き込む自衛隊員。

 すると、笑子は、急にそこから姿を現して、自衛隊員を池の中に引きずり込んだ。まわりの自衛隊員が笑子に発砲する。笑子は隊員を加えたまま市ヶ谷の防衛省に向かった。不意を突かれた自衛隊は、防衛省に取って返す。

 戦車部隊が防衛省に戻った頃、笑子は既に防衛省の門を突破していて、防衛省の建物に入っていた。建物の中では阿鼻叫喚の地獄が生まれていた。


 首相官邸の執務室。

「総理、御神乱に防衛省がやられました。省内にいた多くの職員がやられました。現在、市ヶ谷の防衛省は救急車と警察車両でごった返しています。とりあえず、防衛省から五百メートル圏内には非常線を張っています」

「防衛省が機能していないというのか?」

「いえ、そこまでではありませんが……。暫定措置として、防衛省の本部機能を練馬に移します」

「ああ、それしかないだろう。それから、米軍にも緊急要請しておいてくれ」

「分かりました」

「うん、頼む」

「二十三区内の非常事態宣言だけで大丈夫でしょうか?」

 矢島は指示を出し続ける。

「そうだな、山手線内には非常線を張るか」

「分かりました。皇居および赤坂御所などにお住いの皇室の方々はどうします?」

「とりあえずは、那須の方に避難していただくように」

「では、すぐに関係各省には、そのように伝えます」


 防衛省を襲った笑子は、再び四ツ谷方面に向かい、迎賓館辺りを通過した後、千駄ヶ谷の森で再び姿をくらましていた。


 東西新聞社のオフィス、テレビで防衛省が御神乱に攻撃された事件が報道されていた。

「本日、昼前、市ヶ谷駅のそばを流れる神田川から姿を現した御神乱は、釣り堀客を襲った後、駆けつけた自衛隊を襲撃、そのまま防衛省へと向かいました。防衛省では、多くの職員が襲われた模様で、現在、防衛省の周辺には非常線が張られており、現場は救急車と自衛隊の車両で埋め尽くされています」

「何なのこれ! もう事件が終わった後じゃないの! 出遅れたわ」

「笑子は、大河原氏を探しているんじゃろう」須磨子が言った。

「そうですね。だんだんと中央政府の役所の集まっている方角に動いている」真理亜が言った。「笑子は、今どの辺なのかしら……」


 笑子の姿を見失って数時間後、浜松町の南、東京湾の海面に青い色の光が出現した。周囲にいた観光船の客たちは、何だろうと興味深げにそれを眺めていた。

すると、そこから白い泡沫が沸き上がり、次第に大きく海が盛り上がった。

そして、巨大な御神乱となった修二の姿が現れた。

「うわーっ! バケモンだ!」「御神乱じゃないか! デカぞ!」

 船上で逃げ惑う人々。

 その巨大性津物の姿は、近くの日の出桟橋や竹芝桟橋にいた観光客の目にも留まった。

「キャー!」「キャー!」「喰われる―!」「逃げろー!」「御神乱が出たー!」

 必死になって東京の内陸部へ一目散に逃げる人々。

 竹芝桟橋に上陸した修二は、舗装道路を割って陥没させながら、浜離宮を尻目に貿易センタービルへ向かい、そこで、新橋方面から浜松町へと入って来た山手線の車両をつかんだ。

「ヒャーッ!」「キャー!」

 持ち上げられ、傾けられた車両内からは、きらびやかに着飾った都会人の、ファッショバブルに着こなしている都会の若者たちの、ハイソな生活を吹聴しているであろう若い母子の、恐怖に顔を歪めた人々の顔の張り裂けそうな悲鳴が聞こえた。

修二にとっては、笑子を変えてしまい、笑子を自分から奪ってしまった「東京」というものの全てが憎かった。

 修二は、手に握った車両の一つを折ると、そこから投げ出された人々を口の中に放り入れた。口からこぼれ落ちた人は、地面に叩きつけられて絶命した。そうして、修二は、残りの車両はモノレールの高架に叩きつけて投げ捨てた。

 傍らにある浜松町のモノレールに、轟音とともに列車が激突し、モノレールの高架が崩壊して、コンクリートがあたりに降り注いだ。同時に、山手線の架線があちこちで切れ、それは巨大な大蛇のようにのたうちながら線路に落ちてショートし、それが大きな火花となって、ホームで逃げ惑う人々の衣服を襲った。

 浜松町のホームや駅の周辺では、人々がパニックになって逃げ惑っていた。それは、隣接する東京モノレールの駅舎でも同じことだった。

 その様子を一瞥した修二は、芝の増上寺へと向かった。しかし、彼の長い尻尾は、JRとモノレールの浜松町駅を破壊するのに充分だった。

 修二の進む東京の内陸部の方角の空から、いくつもの報道ヘリが姿を現した。

 やがて、彼の後方、浜松町駅からは火の手が上がりだした。


 東西新聞社の報道室、後藤が情報を持って部屋に飛び込んできた。

「大変です! 今度は背中が青白く光る巨大な御神乱が竹芝桟橋から上陸。大きさは、ゆうに三〇メートルは超えているようです。現在、浜松町は火の海! 御神乱は東京タワーの下をくぐり、建造物や高速道路を破壊しながら北西方面に進行中だそうです!」

「修二じゃな。奴が来たんだ」須磨子がそう言った。

「修二さん? 巨大化してるんですか?」真理亜が尋ねた。

「あの学者たちの予想を信じるならば、そういうことになりますよね」後藤が言った。

「とにかく、修二さんのところに行きましょう! ヘリ出せる?」

「ええ」

 東西出版社の屋上にあるヘリポートから、真理亜と後藤を乗せた報道ヘリが飛び立った。


 首相官邸にも巨大御神乱の情報がもたらされた。

「首相、浜松町より巨大御神乱が東京に上陸! 浜松町、新橋、田町周辺は、現在火の海! 渋谷、原宿、代々木方面に向かって進行中とのことです!」

「自衛隊は? すぐ出撃させろ!」

「はい、現在、練馬、朝霞両駐屯地から攻撃ヘリが向かっています」

「人じゃないんだ。排除しろよ」

「分かりました!」

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