第18話

 秋葉原は、その日も若い人達でいっぱいだった。その秋葉原に、御神乱は神田川から上陸した。

「キャー! キャー!」「助けてくれー!」あちこちで悲鳴が聞こえ始めている。神田方面から秋葉原駅に向かう大通りをちりぢりに逃げ惑う人々。サラリーマン、オタクの男性たち。ゴスロリ、コスプレの恰好をしている若い女性たち、それぞれが思い思いの方向にバラバラに逃げ惑っている。笑子が次にどちらの道にやって来るのか、誰も想像がつかなかった。ここでも逃げ遅れた人間が食われはじめる。メイドカフェで働いていたであろう女性の脚が御神乱の口にくわえられていた。笑子の身体は二メートルほどになっていたが、動きは素早く、すぐに追いつかれてしまう。ビルの隙間に逃げ込む人々、裏通りへ裏通りへと逃げる人々。ビル陰に息をひそめてやりすごそうとする三十代くらいのオタクの男。しかし、ほっとして逆の道に出た瞬間、そこには御神乱が待ち構えていた。

 秋葉原のあちらこちらに大きな血だまりができている。それらからしたたる血のりはあちらこちらの側溝まで流れ込んでいた。そして、笑子の動いた後には、身体の一部や頭や腕、下半身、上半身などの食い散らかされたものが、その血の海に浮かんでいた。

 笑子は、次に駅の方へ向かい、今度は駅の構内を地獄絵図に変えた。中央・総武線のホームに出る階段と山手線のホームに出る階段、この構内はこれらが複雑に交差している。一階から侵入してきた笑子。自分に近い方の階段をとりあえずかけ登る人々、御神乱はどちらのホームに向かうか分からないのだ。ホームへ駆け上がって来たある男性は、恐怖のあまり、勢いづいて線路内に転落した。しかし、ちょうどそこへ、快速電車が入って来た。

 この騒乱の最中に、機動隊が駅に到着した。駅は封鎖され、機動隊は構内へ入って行く。笑子を線路に封じ込めようというのだ。追い込まれた笑子は、そこで中央線の線路に降りた後、しばらく走ったかと思うと、地上へ飛び降りて再び神田川に入ってしまった。笑子の飛び込んだ川の跡には、円錐状に赤い血が拡がった。その上空には、マスコミのヘリコプターが数機舞っていた。


「秋葉です! 秋葉原に御神乱が出現しました! 既に、銀座のときと同じように血の海だそうです」東西新聞社に秋葉原の一方が入った。

「後藤君、行くよ!」真理亜が言った。

「今後は私も連れて行って下さらんか」須磨子が真理亜に頼み込んだ。

「分かったわ。いっしょに行きましょう」


 真理亜たちが現地に到着したとき、御神乱は既に神田川に消えた後であり、警察が総出で神田川を捜査してした。

「ああ、笑子、笑子……」落胆した表情の須磨子が川にかけよる。

「あっ、あなたは、確か東西新聞の……」警察の一人が真理亜に気付いた。

「私たちも、一緒に探させてください」真理亜がそう言った。

 須磨子、真理亜、そして警察は神田川を捜査した。しかし、笑子の姿を見つけることはできなかった。

「笑子の目的は、大河原弘じゃ。大河原の自宅がやられる。早くそこを守らにゃならん」須磨子が助言した。

「分かりました。上の方に言っておきます」警官が言った。

「それから、大河原の仕事の関係する場所は、全て注意が必要じゃ」

 真理亜は、真太にラインを送ってみた。

「お疲れ。大河原弘の自宅が危ないって須磨子さんが言ってるけど、そっちで自宅の情報とか分からない?」

 すると、真太から速攻で返信が来た。

「分かるよ。政府関係者の自宅情報は持ってる。極秘情報だけどね」

「真太、お願いよー」ラインで懇願する真理亜。

「分かったよ。でも、笑子さんて、大河原さんの自宅がどこにあるのか知ってるのかな。笑子さんの部屋の中に広げてあった地図は、主に官邸とか国会議事堂あたりだったし……」

「確かに、それはそうね」

「とにかく、今日おれ、大河原さんの自宅に行ってみるわ」

「お願いね、真太。よろしく」

「了解」

 秋葉原の駅と周辺の大通りは、かけつけた救急車と警察車両であふれかえっていた。


 テレビのニュース速報で、秋葉原の事件が流れた。

「本日昼過ぎ、秋葉原に御神乱が出現しました。これは、先日銀座で現れたのと同じものと同一の個体ではないかと思われます。現地では多くの犠牲者が出ている模様です」「その後、御神乱は神田川に入って逃走したとみられておりますが、依然、その行方は分かっておりません」


 官邸では、閣僚たちが非常招集されていた。

「もはやこれは、警察ではどうしようもない。自衛隊に攻撃させるしかないと思うがな」矢島が言った。

「しかし首相、あれは人間だと言うではありませんか。もしも、自衛隊が国民を殺すなどと言うことにでもなれば、世論が黙ってないのではないでしょうか」

「馬鹿を言え! あんなのが人間なものか。マスコミが垂れ流してる変な都市伝説にまどわされるな。一番大事なのは、国民を守ること。これ以上の犠牲者を出さないことだ」

「おっしゃることは、ごもっともなんですが……」

「とりあえず、東京二十三区に非常事態宣言を発令する。それから、御神乱が潜んでいると思われる神田川、善福寺川、石神井川周辺住民、それから中央線沿線住民への都外への避難勧告を行う。今のところは、こんなもんで良いだろう」

「御神乱の対策はいかがしますか?」

「自衛隊への攻撃命令を発令する」

「分かりました。すぐに手配いたします」

「あっ、それからな。海上自衛隊を大戸島へ向かわせろ」続けて矢島が言った。

「何の為にですか?」

「島民の殲滅だ。一掃しろ」矢島は、決意した表情ではっきりと言い放った。

「えっ!」閣議の場が凍り付いた。

「彼らは全員被爆しているようだ。しかも御神乱ウイルスの罹患者でもある。何かあったら世界に示しがつかないからな。もしもだ……。もしも仮に御神乱ウイルスの罹患者が、あの化け物になるのだとしても、それは人間じゃなくてってるわけだ。ならば、殺してもかまわんだろ?」

 閣僚は全員黙っていた。その首相の決定には、皆、戦慄さえ覚えた。

「防衛大臣、いいな」

「ええ……。分かりました」

 閣議のあと、帰りしなに閣僚たちが話していた。

「どうします? 大戸島のこと」

「動かせないよ。とりあえず海上自衛隊には伝えるが、なんだかんだ理由つけて動かさないよ」

「そりゃ、そうですよ。一体どうして、総理はあんなに大戸島を目の敵にするんでしょうね。何か恨みでもあるんでしょうかね」

「さあな……」

 矢島は一人になった部屋で、思い出したように言った。

「そうだ、大河原君だ! 急いで手を打たないと」


 夜、修二は、自宅の居間で、昼間青井社から掘り出してきた指輪を母の久子の前に差し出していた。

「母さん、これ父さんの結婚指輪だよね」

「……」久子はうつむいて何も答えようとしない。

「父さんは、海で死んだんじゃないよね」

「……」

「父さんは、御神乱様になって、おかくれになった、いや、島の人たちに殺されたんだよね」

 それを聞くと、久子の眼から、つーっと涙が落ち始めた。

「母さん! 何か言ってよ」修二としては、珍しく強い口調で問い詰めた。

「……だって、……だって、しょうがなかったのよ。みんなあの女が悪いのよ」ついに久子は口を開いた。

「あの女?」修二が聞き返した。

「父さんはね、別の女と島を出ようとしたの」

「何だって!」

「母さんはね、あの女に負けたのよ。女は島の外に逃げたわ。父さんが逃がしたのよ。そして、父さんの背中が光り始めたわ。島に対する憎しみね。私だって憎かったわ。でも、我慢した。それが、この島の掟だものね」

「それで……、それで、父さんは殺されたのか」

「そうよ。そのとき、既に父さんの身体はオオトカゲみたいになっていた。それをみんなでなぶり殺したのよ……」そう言うと、久子はどっと泣き崩れた。

そして、久子の背中がほんのりとピンク色に点滅しはじめていた。

「……」予想はしていたものの、絶句する修二であった。「……誰? 誰が父さんを殺したの?」

「当時の島の青年団の人たちよ」

「うわーーーっ!」

 激甚する修二。その修二の背中も薄青色にゆっくりと点滅し始めた。


 そのとき、須磨子のスマホが鳴った。村長からの電話だった。

「おばばさま。修二がある程度過去の事実をつかんでまして、母親の久子さんを問い詰めたらしいんです。もはや隠し通すことができません。いかがいたしましょう?」

「もうよい。全部話せ」

「えっ、いいんですか?」

「もう隠し通せるもんじゃない。こちらも全部話した。あきらめることも、光らぬ方法の一つだ」

「分かりました。では、そうします」


「ねえ、本当は何があったの お願いだから、黙ってないで本当のこと言ってよ」大河原宅では、ヒステリックに美佐子が弘を問い詰めていた。

「……」しかし、弘は無言のままだ。

 ここのところ、二人の関係はずっとこんな風なのだ。

 そこに、首相からの電話が入る。

「大河原君、今、遣いの車をよこした。すぐに荷物をまとめてそれに乗りなさい。美佐子もいっしょにだ」

「どういうことです? お義父さん」

「分かってるだろう? 君たちが危ないんだ。安全なところに隔離するんだよ。おとなしく言うことを聞いて車に乗りなさい。いいね」

「お義父さんからだ。すぐに荷物をまとめて迎えに来る車に乗れって」

 しばらく経つと、矢島が手配した車が大河原家の玄関前に静かに到着した。玄関から荷物をまとめて出てきた大河原弘と美佐子は、いそいそとその車に乗り込んだ。


 東京および大戸島がこんな状態になっていても、山根たちは、まだ研究を続けていた。

「赤井社と青井社の二つの石棺から持ち帰ったサンプルなんだけど、これ似ているようで別のものだな」

「やっぱり、俺もそうじゃないかと思ったんだよね」山根と緒方が話している。

「ただし、両方とも罹患させた細胞に、ある種の刺激を加えてやると発光がはじまる。赤井社のサンプルはピンクに、そして青井社のサンプルは青に……」

「だから、赤井社とか青井社って言うのか?」

「山根、俺、思い出したんだよね」

「思い出したって、何を?」

「例の御神乱神楽。赤い箱と青い箱が置いてあったろ」

「ああ、確かそうだったな」

「で、赤い箱から出てきた御神乱は赤い御幣で踊りまくってたよな」

「うん」

「ところが、青い箱は何も出てこずにそのままにしてあった。あれって、中には青い御幣の御神乱が入ってるってことなんじゃないかと思うんだよな」

「なるほど。……でも、どうして箱から出てこないんだ」

「箱から出してはいけない何かの事情があるんじゃないか」

「ふーん……」

「じゃあ、罹患させた赤い細胞と青い細胞を、何らかの方法で反応させてみっか」

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