第15話

 しばらくすると、またしても大戸島からのSNSが発信された。今度は、大戸島の風土病は、島民をオオトカゲにメタモルフォーゼさせるというものだった。

「いくらなんでもバカげている! 誰がそんなことを信じるものか」矢島達閣僚はそう言った。

 野党でさえも、そんな話を真に受けるものはいなかった。

 浩が帰京してから、およそ一年が経とうとしていた。美佐子の胎児は順調に成長しているようで、もうあと二か月もすれば出産の運びとなる模様だった。

 そんな中、ある土曜日の午後に、東西テレビが大戸島からの独占生中継を放送した。

「チャンネル変えようか?」弘が美佐子に気を利かせた。しかし、美佐子は、

「ううん、このままでいいわ」と言った。

 映し出されたのは、変わり果ててオオトカゲ化している笑子の姿だったが、それが笑子であることを、この時点で、浩は知る由もなかった。山根や真理亜が、テレビの向こうでしきりに説明している。最後に真理亜が御神乱神楽との共通点を説明した。神楽は、弘も直接見たものだった。弘は、何かを頭の中で整理しているようだった。否定したくても否定しきれない何かが、浩の頭の中で首をもたげてくるのだった。


 首相官邸では、矢島がまたしても激怒していた。

「大戸島は渡航禁止のはずだぞ! 誰が行って良いと言った? 被爆しても知らんからな」

 これを聞いていた閣僚の一人が言った。

「大戸島は、被爆の危険は無いのでは?」

 そう言われ、歯ぎしりをする矢島首相。

 その二日後、月曜日のテレビで、築地から銀座を襲ったオオトカゲのことが報じられることになるのだった。


 日曜日の朝、笑子が海に入って行ったあと、大戸島の北の海岸に呆然と立ち尽くす修二とひざまずいている須磨子の姿があった。

 しばらくすると、そこへ真理亜たちがやって来た。破壊された納屋を見て驚きを隠せない一同。

「どうしたんです!」真理亜が言った。

「笑子が! 笑子が!」泣き崩れる須磨子。

「笑子はどうしたんです?」

「さっき、海に入って行った。きっと大変なことになる」泣きながら答える須磨子。

「納屋の中だと大丈夫ってことだったけど、やはりかなり大きくなったんだな。山根さんの言うように、放射能が原因かな……」後藤が独り言のように言った。

「笑子さん、どうするつもりなんだろう」真太が言った。

「とりあえず、笑子の部屋を見せてもらえますか? 何か手掛かりがあるかもしれないから」

 笑子の部屋に案内された一同。

「光る前の日のままにしてある」須磨子が言う。

 見ると、机の上には東京の地図、それも千代田区周辺のページが拡げられており、首相官邸や国会議事堂にマーカーで印がつけられていた。

「東京へ行くつもりなんだわ。たぶん、大河原さんに会いに」真理亜が推理する。

「会いに? 御神乱様になったもんの所業は、そんなもんじゃねえ。怒りの調本人を食らうまで暴れまくる。邪魔立てする人間もみんな取って食らうんだぞ。……ああ、大変なことになる!」

「急いで東京へ戻ろう!」

「私も連れて行って下さらんか? 笑子を止めねばならん」須磨子が懇願してきた。

「分かりました。では、私たちといっしょに来てください」

 その後、須磨子は村長に電話を入れて、ことの次第を話し、あとのことをよろしく頼むと伝えていた。

「修二、お前はここに残れ。島のみんなを頼む」須磨子は修二に言った。

 修二もいっしょに行きたそうだったが、ここは須磨子の言うことを聞いた。

 修二を浜辺に残し、ヘリコプターに乗り込む五人。ローターの強風が五人をあおっている。その強い風にあおられて真理亜のブラウスの襟元がはだけた。そこには例のペンダントが下がっていた。それを須磨子ははじめて目にとめ、驚いた様子で凝視した。

「須磨子さん、早く」真理亜が須磨子に声をかける。

 ヘリコプターは、大戸島の浜辺を離陸し、またたく間に北の空のかなたに消えていった。

 砂浜では、空に消えて行くヘリコプターの姿を、修二が一人見送っていた。


 その日の午後、既にヘリコプターは東京に着いていた。

笑子が上陸した気配がないか、東京湾の沿岸を、上空から一通り確認した後、ヘリは東西新聞社のヘリポートに着陸した。

「笑子、まだ東京には上陸してないみたいね」真理亜が言った。「須磨子さん、どうします? ホテルとかお取りすることもできますが、この新聞社にある仮眠室でとりあえず生活することはできますが……」

「あんた方と行動をともにせにゃならんことも多いと思うし、世の中の人たちに伝えにゃならんこともある、できればここにしばらく置いてくれんか」

「分かりました。では、仮眠室をある程度快適に暮らせるように準備しておきますね」

「俺も今日一日はいっしょに動けるぜ。明日からはまた霞が関だけれどもな。あ、でも、何かあったら言ってくれよな」真太が言った。

「うん、ありがとうね、真太」


 その日の夜、東京湾の入り口付近、海中を淡いピンク色の光が点滅しながら進行している。その付近を通過していた一艘の漁船。一人の船員が、それを夜光虫かクラゲか何かと思い、その海中の光をぼんやりと見ていた。

 すると、その光を放つ生物は、やおら船に乗り込んできた。

「うあー! 助けてくれー」「やめろー!」

 その声を聞いた船員たちが、飛び起きて甲板に出てきた。

「どうした!」「うわっ! 何だこいつは?」「ギャー!」「来るな! こっちへ来るな!」

 漁船の中に複数の船員の悲鳴があがった。


 月曜日の朝、築地の沿岸に奇妙な船が流れ着いた。それは、ゆらゆらと揺れながらコンクリートの岸壁に接岸しているが、錨ももやい綱も無い。

 付近の派出所にいた警官と発見者の男が船の中に入っていく。

「誰かいませんかー?」

「うわー!」

 船に入るや、警官はすべって転んでしまった。見るとあたりは一面血の海だった。警官は血のりに足をとられて転んだのだった。

「何だ? これは!」

 見れば、食い散らかされたような船員と思しき人たちの遺体がそこかしこに横たわっていた。首の無いもの、上半身がちぎれているもの、腰から足だけが残された者……。

「ひぃーー!」「助けてくれー!」腰を抜かして船からはいずり出てくる警官と発見者の男。

 この事件は、午前中にはニュースになって日本中の知ることとなった。


 朝の大戸島では、須磨子の自宅前の海岸に村長たちがやってきていて、大騒ぎになっていた。修二が連れて来たのだ。

 その砂浜には御神乱の足跡があって、それは、海の方へと続いていた。

「御神乱様が島を出られた……」

「大変なことになってしまう」

 島民たちは、口々に不安を口にしていた。

「村長、どうします?」島民の一人が村長に聞いた。

「とにかく、おばばさまと連絡を取ってみる」


 昼過ぎ、笑子は築地から銀座に上陸していた。

「キャー! キャー!」「逃げろー!」「人が喰われてる」「こっちへ来るぞー」銀座に通じる本願寺のある通り、通行人たちが銀座方面へと必死に走っている。その人々の走って来ている奥の方、笑子が通行人に襲いかかっていて、その周りの舗装道路は、あちこちに血溜まりができていた。

 ショップ店員の女性、魚河岸で働いている風の男性、どちらとも分からない遺体などが彼女のまわりに散らばっているのが見えた。しかし、これはまだ、これから始まる地獄絵図の、ほんの序章にしか過ぎなかった。

 その後、地下鉄の入り口に入って行く笑子。地獄は、地下へと移動していった。

 銀座から有楽町にかけての地下鉄の中は、上下四方が迷路のようになっている。

「キャー!」「人が食べられてるー」「キャー!」「何これー!」「助けてくれ―!」

 地上に出る階段の上の方から悲鳴とともに人が雪崩のようにかけ降りてくる。階段の上の方から、階下の方へ、次第に血のりが落ちてきた。それに足を取られて転ぶ老人、後ろを振り向き恐怖に顔をゆがめる女性、踏みつけられて泣き叫ぶ子ども、中には腰が抜けていて、それでもはえずりながら階段を降りてくる者もいる。地上に出る折れ曲がった階段の上方から笑子の上半身が現れた。口には誰とも分からない人の脚をくわえている。その脚は血まみれだが、ストッキングがかぶされているようで、それが若い女性のものと分かる。足先にはハイヒールがひっかかっている。おそらくは、ハイヒールを履いていたことから逃げ遅れたか転んだかしたのだろう。

 地下鉄の構内を四方八方へと逃げ惑う人々。

 笑子は、ひとしきり地下鉄の構内を血の海にした後、それから、銀座のデパートの地下の方に入って行った。

 デパートの地下商店街。そこには、大戸島からは考えられ無いようなきらびやかなショーウインドーとそこに盛られた様々な食料品があった。購買意欲をそそる電光や広告が上からも横からもそこかしこに飾られていた。

 しかし、その日、その幸福感にあふれる日常は、完全に崩壊していた。

「キャー!」「キャー!」「人が喰われてるー!」

 その地下商店街の中を、人々が我先に逃げ惑っている。

 高齢者や子どもなどの逃げ遅れた人に追いつき、かたっぱしから食い散らかす笑子。彼女の歯茎の間からは、白い脂肪のついた肉片がぶら下がっていた。

 きらびやかなショーウインドーは、あちこちで破損したりひっくり返されたりしていて、床にはガラスの破片が展示されていた食品、それと血のりといっしょになって散らばっていた。天井にも血のりがついていて、あちこちで、それは下にしたたり落ちていた。

 デパートの責任者らしき人間がモップを持って笑子に対抗しようとするが、その抵抗もむなしく、彼は頭から笑子に食われた。頭は笑子の大きな口にずっぽりと上半身まで飲み込まれており、天を向いた脚はばたばたと宙を切っている。笑子は首を大きく左右に振りながら、これを飲み込んだ。これを遠巻きに見ていた客たちは絶望した。

 エスカレーターに向かう笑子。悲劇は地階から一階、二階へと広がっていった。エスカレーターは、もはや上りも下りも関係無く、皆散り散りになって階上の方へと逃げていた。

 エレベーターで上の階に逃げる者。エレベーターの扉が開くと、そこには笑子が口を大きく空けて待っていた。

 笑子の動きは想像以上に大きかった。非常階段に逃げる者がいた。見ると、笑子も非常階段の下の階に出てきた。上へ上へと逃げる。しかし、この男も逃げおおせるものではなかった。屋上に出たところで、待ち構えていた笑子に食われた。

 このシーンは、上空を飛行していたマスコミのカメラにとらえられた。

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