第14話
大戸島の娘 第一部「笑う島民」(後編)
陽光を受けて、キラキラと太平洋の大海原が輝いていた。
笑子が太平洋に入るおよそ一年前のこと、その大海原を一艘の大型船が北に向かっていた。その船は日本政府が調達したもので、大戸島から横浜港に向かってた。
水平線の向こうに横浜港が見え始めた。大型船はゆっくりと桟橋に近づいていく。その桟橋には、多くの群衆に混じって、ある女性が船の到着を今か今かと待ちかねていた。女性の名前は矢島美佐子。矢島総理の一人娘である。もちろん彼女のまわりでは、多くの政府関係者や船に乗っている人たちの家族もまた、同じように彼らの帰りを待っていた。
船が桟橋に接岸し、船から大戸島に派遣されていた職員たちが出てきた。弘の姿が現れた。
「弘さーん!」桟橋で大きく手を振っている女性が弘の眼に入った。
弘の後方から出てきた真太の眼にも、その姿をとらえることができた。
船から降りて美佐子のところへ直行する弘。その姿を、真太は無言のまま目で追っていた。まわりでは、待ち受けていた家族やカップルが二年ぶりの再会を喜び、肩をたたき合ったり抱き合ったりしていた。
「おかえりなさい、弘さん。お疲れ様でした」弘に駆け寄っていった美佐子が声をかける。
「ずいぶん待たせたね。寂しかった?」
「もうー、二年間も待ってたのよ。弘さん、体調とか大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ。ところで、式の準備の方は順調にいってるかい?」
「それならうまくいってるわ。首相の娘の結婚式として、恥ずかしくないようなものになるはずよ」
「そうか」
美佐子は、浩のスーツケースの取っ手に手をかけると、二人でスーツケースを転がしながら群衆の中に消えていった。
それからほどなくして、浩と美佐子の結婚式が目白の某豪華結婚式場で大々的に行われた。三百名を超える出席者の中には、当然のことながら、新婦の父親である矢島首相をはじめ、主要な閣僚の面々もこれに出席していた。首相の腕を組んで会場に登場する美佐子。彼女はこの日のヒロインであり、勝ち誇ったような表情をその顔にたたえていた。
首相の挨拶があった。
「新郎の大河原弘君ですが、長年私の秘書を務めておりましたが、二年ほど前から、例の大戸島の高エネルギー放射性物質廃棄施設建設の責任者という、大変な重責を負う責務を任せられることになりました。この度、その仕事もひと段落いたしまして、東京に帰郷して参りました。このプロジェクトの成功は、ひとえに彼の人徳および指導力によるところが大きいと思っております。今後、彼は更なる重職に就く人間です。今後は政治家としての私の弟子というのみならず、私の娘婿として、私の後継者として、大いに活躍してくれることと、私も彼のことを期待していますので、ご来席の皆様も、どうか温かい目で二人を見守ってあげてください。どうか、どうか、よろしくお願いいたします」
会場からは、割れんばかりの拍手が起こった。深々と頭を下げる新郎新婦。
その結婚式から二か月が経った頃だった。弘と美佐子は、新婚旅行で行っていたイタリアのから帰って来たばかりで、白金にある4LDKの新居もまだ片付いていない頃のことだった。
「実はねー、浩さん。今日私産婦人科に行ってきたの」突然、美佐子が切り出した。
「えっ!」驚く浩。
「何か、ここんところ吐き気とかしてたし、酸っぱいものも欲しくなってきたからね。もしかしたらと思って」
「で、どうだったんだ?」
「二か月だって」
「やったじゃないか!」喜ぶ弘。「首相にもついに初孫ができたってわけだな。きっとお義父さん喜ぶぞーっ」
それからさらに数か月が過ぎた日曜日の昼下がり、二人は部屋の片づけを行っていた。一休みして二人でお茶の時間にしていた時のこと、SNSをチェックしてた美佐子があるサイトに注目した。
「美佐子、君は妊婦なんだから、無理しなくてもいいからな」
「ありがとう」
美佐子のお腹は日増しに大きくなり、誰が見ても彼女が妊婦であることが分かるくらいになっていた。
「弘さん、大戸島のことがまた出てるわよ」
「ええーっ、何?」
「大戸島に残っている湖のことを調査している科学者たちがSNSで発信してるの。瓢箪湖はカルデラ湖じゃなくって、二つの小惑星の衝突によってできたんだってよ。あと、この一帯ではこの島の風土病になっている特殊なウイルスが存在していて、島の人々の風土病になっているんだって。ウイルスだって。怖いわ。弘さん、この島にいたんでしょ、大丈夫?」
「何だって!」弘も、慌ててPCでこの情報をチェックしてみた。
「美佐子、心配ないさ。大丈夫さ」弘は、とりあえず平静な表情をとりつくろいながら答えた。
しばらくすると、首相官邸から電話が入った。矢島からだった。
「大河原君、一体どういうことだね! 調査隊の科学者たちは、とっくに東京に帰らせたんじゃなかったのかね」
「はあ、私も、彼らはてっきり一緒に帰っていたものだと思っていたのですが……」しどろもどろになる弘。
「とにかく、すぐ官邸に来なさい。いいね」
「分かりました。すぐそちらに向かいますので」しぶしぶ官邸に向かう弘だった。
浩は、その日の夜まで、首相からこってり絞られた。そして、科学者たちは、早急に東京へ帰らせるように念を押された。しかし、科学者たちは言うことを聞かず、その後も島に居続けていた。
SNSの反響は大きく、「なぜあのように科学的に重要なものの存在している島に核廃棄物処理場などつくったのか」「本来は、世界自然遺産に登録すべきような島だったんではないか」「ぜひ、もっと詳しく調査したい」などの批判、意見、要望が政府に寄せられるようになっていた。このついて、政府は閉口していた。そのようなこともあり、首相の機嫌は悪くなるばかりだった。
そんなある日のこと、矢島のスマホに美佐子から電話があった。
「パパ、あんまり弘さんを怒らないでよ! おなかの赤ちゃんだって、やっと安定期に入ったところなの。私たちにストレスがかかれば、おなかの赤ちゃんにも影響が出るのよ」
「ああ、そうか、すまなかったね、美佐子。弘君は、なるべく矢面にたたせないようにするよ。ただ、この電話のことは、浩君には黙っていてくれないか」娘の言うことには、さすがの首相も反論できないのだった。
「もちろんよ。じゃ、お願いね。私だって、浩さんのいないすきを見て。この電話をかけてるんだから」
さらにそれから数日後のことだ。弘と美佐子は、彼らの新居で夕飯を食べていた。リビングに置いた大型テレビでは、フィリピン沖に発生した観測史上最大の猛烈な台風のニュースを報じていた。
「すごい台風になりそうね。このコースだと、浩さんがいた大戸島を直撃しそうじゃない」
「そうだな」まるで他人事のように弘は応えた。
「でも、ちょうど良いタイミングで東京に帰って来れて良かったじゃない。弘さんが無事で良かったわー」
しかし、このとき、浩には一抹の不安がよぎった。本当に各廃棄物の埋没作業はうまくいっているのだろうか? 責任者および政府の職員が不在のまま、はたして落札した業者だけでうまく作業がやれているのだろうか? 考え込み無口になっていく弘。
「弘さん、大丈夫? 何か心配なことでもあるの? 何かあるなら遠慮せずに言ってね。私はあなたの妻なんだから。お父さんに言ってあげれることとか……、私にできることがあれば、何でも言ってね」
「うん、ありがとう。美佐子」
しかし、次の日の朝、大戸島の悲劇がテレビで大きく報じられることとなった。朝の食卓、呆然とテレビを見つめていた弘。
「弘さん……」美佐子が声をかけるが、それも耳に入らない浩。
そして、案の定、その報道の直後、首相から電話が入った。
「何だ、これは! 工事は一向に進んでいなかったんじゃないか! こんなことになって、世界中から非難されることになるぞ」矢島は怒り心頭といった感じだ。
「申し訳ございません。すぐに、これから官邸に」平身低頭する気持ちを込めて矢島に詫びる弘。
ところが、その言葉をさえぎるように矢島は言った。
「いや、今回君は来なくてよい。閣僚だけで対策を考えるから」
「はあ、ですが……、私が責任者ですし」
「だからこそだよ。今後、君はマスコミなどの良いターゲットになって、奴らにつけまわされることになるんだぞ。なるべく家で待機していなさい。私が官邸に来てほしい時は、そちらにこっそり使いを出すから。いいね」
狐につままれたような気持ちだったが、それからの浩は、なるべく外に出歩かないようにした。
美佐子が言った。
「大戸島の人たちって、被爆してるのかしら。早くあの放射性物質を何とかした方が良いんじゃないかしらね」何気無く言った一言だったが、この言葉は浩を激甚させた。
「お前は黙ってろ! 関係ないだろ」
驚く美佐子。このような言い方をする弘を今まで一度も見たことが無かったからだ。
「あ、あ、ごめんなさい」涙ぐむ美佐子。そして黙りこくってしまった。
美佐子が大戸島のことについて喋ることは、それからしばらくなくなった。
矢島が言ったように、しばらくすると弘の家の周辺にはマスコミらしき人間たちが出没するようになった。
「気味が悪いわ」美佐子は心配そうに言う。
その美佐子もまた、外出中につけまわされているようだった。
「君もなるべく外に出ない方がいいかもしれないよ」弘が忠告する。
それでも、どうしても本人が出向かないといけない手続きというものもある。ある日、浩は免許の更新のために新宿の都庁にある免許センターに出かけた。その帰り、あともう少しで自宅というところをマスコミにつかまってしまった。彼らは自宅周辺で張ってたのだ。
「大河原さん! 大河原さんですよね? 大戸島プロジェクトの責任者の」
あっという間にマスコミたちに取り囲まれる弘。弘は急ぎ足で自宅を目指す。そんなとき、あるマスコミの一人が言った。
「大河原さん、あなた、首相の娘さんと結婚されていて、まもなくお子さんもお生まれになるそうですが、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます。でも、うちの妻や子供たちは、この事件には関係ありませんから」
つい、そうしゃべってしまった弘だった。
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