第13話
本社に電話をした後、真理亜は島の中心部を見て回った。砂塵を含んだ海風が、防護服を着て歩く真理亜の身体を吹き抜け、白い防護服が海風にあおられる。相変わらず南の島は晴れており、太陽が照り付けている。防護服を着ている真理亜は、町の中では浮いているが、すれ違う何人かの人々は見てみぬふりをしようとしているのか、皆一瞥するだけで、彼女に声をかけるものは誰もいない。しかし、どことはなしに、島には、昔のような元気が無いように思えた。疲弊している? もしくは老朽化して忘れ去られた場所? 真理亜には、大戸島がそのように思えた。
ふと気がつけば、島で見かけた何人かの人々の背中は、ほのかに光りはじめていた。おそらくは、政府のこの島に対するひどい対応が引き金になっているのだろう。商店や漁協で働いている者もいる。一見すると昔と変わらない日常がそこにあるように見えるのだが、島の人たちをよく観察していると、皆、ほぼ一様に鼻を押さえていたり、ティッシュを鼻に詰めていたりしている。おそらくは鼻血が出ているのだろう。「カフェモモコ」は閉まっていた。これらの光景を、真理亜はスマホのカメラで撮影した後、瓢箪湖のバラック建ての研究室に戻って行った。
土曜日の昼下がり、東西テレビのワイドショーのコーナーで大戸島からの独占生中継がはじまった。
「こちらは、大戸島瓢箪湖の畔にあります研究室です」防護服を着てマイクを持った真理亜の姿が映った。
「政府の発表によりますと、この島での放射能被害の可能性は低いと言われていますが、実際には、この島は封鎖された状態にあり、この島への渡航は禁止されています。私が先ほど街の様子を見に行きましたところ、実際に、この島に住んでおられる方の多くに、現在鼻血が止まらないなどの症状が出ています。この瓢箪湖の研究室に留まっておられる方々にも同様の症状が出始めています」
「彼らが勝手に留まっただけじゃないか」総理官邸で、これを見ていた矢島がそう吐き捨てた。
「なぜ、政府は、この平和な南の島に高エネルギー核廃棄物処理施設などというものを建設しようとしたのでしょう。そして、台風による事故と被爆の状況について、なぜ正確な発表を行おうとしないのでしょう」
真理亜による島と島民の状況についての説明、それからスタジオとの質疑がくりかえされた。
次いで、緒方と山根から、この島の風土病についての説明がはじまった。
「それでは続きまして、地質学者の緒方博士、細菌学者の山根博士から御神乱ウイルスについて、最新の結果を発表していただきます」真理亜が番組を進める。
「かつて大戸島には二つの小惑星が衝突し、そのとき二つの大きなクレーターができました。この小惑星には、有機物が付着しており、それが御神乱ウイルスでした。大戸島の多くの人たちは、現在もなお御神乱ウイルスのキャリアとなっています」
「さて、その結果、何が起きたかですが……。かつて、激しい怒りに見舞われた島民たちはトカゲ状に変身しました。そして、島民たちは、トカゲに変身した島民を殺し、赤井社の森に葬りました。この罹患した島民殺しの行いは現在、この島では『おかくれ』と呼ばれています」
「ああ……」この放送を見ていた須磨子が憔悴した感じで言った。
説明は続いている。
「そして、その原因となっている小惑星の破片は石棺に入れて、それ以上ウイルスが広がらないように封印したのです。これが瓢箪湖に鎮座している神社に祀られている御神体だと考えられます」「この島の人々は常に笑っていて笑顔を絶やしませんが、島民たちがいつも笑っていなければならない理由、島民たちが怒りをあらわにしてはいけない理由は、ウイルスの発病を抑えるためだったのです」
真理亜の説明をここまで聞いていたスタジオが、質問をはさんできた。
「ということは、中島さん、その御神乱ウイルスで人間がオオトカゲになるということですか?」テレビのアナウンサーが聞いてきた。
「そうです」真理亜が返す。
「そんな……。そんなこと、いくらなんでも信じられると思いますか!」
「でも、これは事実なんです! あ、そうだ。写真があります。後藤君、昨日摂ったあの写真出せる?」
後藤は、自分のデジタルカメラに収録している笑子の写真をテレビカメラに向けた。そこには、オオトカゲになり背中が光って苦しんでいる昨日の笑子の姿があった。
「あのう……、失礼ですけど、合成とかCGとかじゃありませんよね?」
「違います! これは、大戸島で友達になった私の親友の現在の姿なんです」
「うーん、信じられないな……」それから、一瞬テレビ局に沈黙が訪れた。
御神乱ウイルスについての衝撃的な発表がつづく。
「ここまでは、これまで私たちが発表してきたことのまとめです。さて、そしてこれから発表するのは、今回この番組ではじめて発表することです。それは、このウイルスが今回の放射性物質による被爆により、いかに変異したかということなのです。驚くべき事実が分かりました。それは、御神乱ウイルスに感染している人間が、ある量の放射性物質を浴びた場合、体が巨大化していく可能性もあるということなのです。この場合、体を巨大化させるために、多くの有機物、主に大量のたんぱく質を摂取する必要があり、このような状況になっている人間は、目の前にある生物、つまり動物性の有機物を無性に食べたいと思う衝動に見舞われるようになることが考えられます。例えば、激しい怒りの対象となる人間が目の前にいる場合、その人を食べたくなるということもあるということになるのです」
「すなわち、島民の多くが被爆した大戸島の島民たちは、今後、恨みを伴う怒りに見舞われた場合、いつでも巨大なトカゲに変身する可能性があるのです」
この、放射能によってさらに巨大化する可能性があるということを聞いたとき、真理亜は、昨夜の須磨子の言葉を思い出した。須磨子は、御神乱様があの納屋を出ることはないと言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか、ふと、そう思った。
「話を進めてもよろしいですか?」真理亜がスタジオに確認する。
「はい。中島さん、どうぞ」
「最後に、この島には、御神乱神楽という伝統芸能と御神乱伝説というものが存在します。その内容について、少し紹介しておきたいと思います」
真理亜による御神乱神楽の説明がはじまった。
修二、須磨子、矢島、浩、そして弘の家族、それぞれがそれぞれの想いでこの放送を聞いていた。
その日の夜のニュース、政府からの緊急会見がなされた。
「ええ……、一部報道にありましたような、大戸島の人々が巨大トカゲ化するようなことは、ありえないというのが政府の見解であります。ええ、その理由としまして、事故による放射能の拡散自体が認められないのでありますから、当然、大戸島の人たちが巨大化することはあり得ないと考えられるからです」
しかし実際には、大戸島は政府によって隔離されていた。
その日の夜は、皆バラックで雑魚寝した。弘が東京へ帰ってから、既に一年が過ぎようとしていた。
翌日、日曜日の明け方。須磨子は家で寝ていた。修二は相変わらず浜辺の松の木のたもとに陣取っているが、さすがにこの時間は、彼もそこで寝ていた。
まだ暗い西の空には淡い満月が残っていたが、空は夜明けの日差しを受けて、薄いピンクと淡い青に染まって美しい朝を迎えようとしていた。笑子の家の前に広がる島の北側の大海原。その太平洋の大海原は、今まさに、朝日を受けてきらきらと輝きはじめようとしていた。海岸に朝の冷たい潮風がわたっていた。
納屋に閉じ込められている笑子。彼女から嘔吐感は消えていたが、身体は既に大きめのトカゲのようになっていた。背中の光は骨盤から首筋に、脊髄に沿って淡いピンクに走っている。
ふと、彼女は何かを思い立ったように立ち上がった。
「ドガーン! グァラグァラ」突然、大きな音が浜辺に響き渡った。
その音に須磨子は跳ね起きた。末のたもとで寝ていた修二も目を覚ました。見れば、納屋は粉々に崩れ落ちており、笑子は閂のかけてある納屋の鉄扉を破壊し、歩いて海の方へ向かっていた。その淡い朝の光に照らされた海の向こうには、東京があるはずだった。背中をピンク色に光らせながら、ゆっくりと砂浜を歩き、海に入っていく笑子。それを、浜の松の木の木陰から呆然と見ている修二。
「笑子!」
須磨子が玄関の扉を開けて出てきたときには、既に笑子は海に腰のほどまで浸かっており、さらに海に入ろうとしていた。そして、彼女はついに海に潜り、うねうねと尻尾をくゆらせながら海中を泳ぎ始めた。弘のいる東京へ。安穏として家族と暮らしている弘の住む東京へ。
彼女のピンク色の尻尾の光は、海中では、まるでクラゲのように末端から頭にかけてゆらゆらと美しく光っていた。
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