第11話
翌日から、修二は役場に出勤するようになった。
テレビでは、連日、大戸島のニュースが流れていた。最近では、弘が出ていることもあるようになった。首相のはからいでも、さすがにメディアの追求から逃れ通すことは不可能だったのだ。報道陣が東京の大河原の自宅前に陣取っている。大きな邸宅だ。
「一部の週刊誌で報道されております、大戸島核廃棄物処理施設のプロジェクトリーダーであります大河原弘氏ですが、責任者であるにもかかわらず、未だ雲隠れした状態になっています」
「弘さんちって大きな家ね」テレビでこれを見ていた笑子がつぶやいた。
そのとき、ちょうど勝手口から三十歳を少し超えたくらいの女性が出てきた。その女性をリポーターたちが追い回す。
「あー、ちょっと。奥様でいらっしゃいますか? ちょっと良いですか?」逃げるように家に引っ込む女性。女性のお腹は大きく、妊婦のようだった。
「馬鹿ねぇ。奥さんがいるわけないじゃないの」笑子がテレビに向かってつぶやく。
そんなある日のお昼のニュースのことだった。大戸島の役場でも、みんなニュースを見ながらお昼を食べていた。記者につけまわされている弘の場面が流れる。笑子もたまたま職場でこのシーンを目にした。笑子は「弘さん大変そう」とつぶやいた。
「大河原さん、あなた、首相の娘さんと結婚されていて、まもなくお子さんもお生まれになるそうですが、おめでとうございます」追いかけるレポーターが弘に向かって言う。
笑子は、心の中で「全く嘘ばっかり」とつぶやいた。しかし、次の瞬間、耳を疑うような弘のコメントがテレビから流れてきた。
「うちの妻や子供たちは、この事件には関係ありませんから」
確かに、浩は「うちの妻や子供」という言葉を口にした。弘は妻帯者であったのだ。
「う・ち・の・つ・ま……、こ・ど・も……。……うそ……」笑子が小さな声で復唱する。
この瞬間、笑子は、生まれて初めての激しい怒りに見舞われた。それまで何とか自身で崩れることを抑え込んでいた堤防が、そのとき一気に崩れ落ちた。はげしい頭痛とめまいに襲われ、机に崩れ落ちる笑子。過呼吸になり息遣いが激しくなる。苦しそうだ。
そして、それだけではなかった。もう一つ別の現象が笑子に発現した。何と、このとき、笑子の背中がピンク色に光り始めたのだ。それは、最初はほのかにゆっくりと、脊髄の真ん中あたりが点滅するだけだった。そのうち、クラゲのように、美しく、骨盤のあたりから脊髄に沿って頭の付け根に向かい、ゆらゆらと光彩を放ち始めた。
観光課の同僚たちが笑子にかけよる。
「どうしたの! 大丈夫? 笑子」
「どうしたんだ?」課長がかけよる。
「笑子が……、笑子が光だしました!」悲鳴にも似た声で同僚が答えた。
蒼ざめる一同。
「須磨子さん。とりあえず、須磨子さんを呼んで、みんなで家に運ぼう」課長が指示する。
「分かりました。誰か車を出せる者はいるか?」
この騒動の間、修二はかたわらでずっと笑子の名を呼んでいた。
笑子を乗せた車が笑子の自宅に到着した。観光課の職員の人たちによって自宅に送り届けられた笑子。須磨子が一報を聞いて飛び出して来た。
「笑子。笑子」その光る背中を見た須磨子は、驚きを隠しきれない。
「そこの納屋の中に運んでください」須磨子が観光課の職員たちに支持する。
笑子は納屋の中に寝床を敷かれ、須磨子によってそこに隔離されてしまう。心配そうに見守る修二。みんなが引き揚げた後も、その日夜遅くまで、修二は納屋の前を動こうとはしなかった。
大戸島調査団からのSNSが再び世界に発信された。山根が発表する。
「私たち調査団は、先日より瓢箪湖にあります赤井社および青井社と呼ばれている地元の神社の調査を行いました。そこにありました祠からは、オオトカゲのような形状の古い骨が見つかりました。我々は、そのトカゲのような骨を持ち帰り、そのDNAを調べた結果、それが人のDNAであることが判明しました。また、そのDNAは、ほぼ大戸島の人のものであると推定されます」
「さて、前に我々が発表した大戸島のウイルスについてなんですが、もしもこれに感染している人間が恨みを伴う激しい怒りに見舞われた場合、体内のたんぱく質に影響し、体をトカゲのような恐ろしい形状に変身させることが分かりました。これは一種のメタモルフォーゼとも言えるような変化です」
「我々は、この大戸島で発見された特殊なウイルスを、この神社の御神体の名から『御神羅ウイルス』と名付けたいと思います。御神羅ウイルスは、水を媒介として感染します。大戸島の飲用水は、主に瓢箪湖からのものであり、大戸島の住民のほとんどの島民はこのウイルスのキャリアであり、これは大昔から大戸島の風土病になっているのだと思われます」
大戸島に風土病をもたらしている「御神乱ウイルス」のニュースは、またたくまに世界中をかけまわった。
この発表を見ていた島民たちの心中は、当然のことながら穏やかではなかった。しかし、彼らは表面上を笑顔でとりつくろい、何も見ていない、何も聞いてない、何事もなかったかのように暮らしていた。島民の大人の多くの人々は真実を知っていたのだが、笑子と修二はまだそのことを詳しくは知らされていなかった。
核廃棄施設の建設と台風による破損、放射性物質の拡散、隕石によるクレーターと地球外ウイルス、生物多様性地域……。今や大戸島は、世界中から注目される存在になっていた。そして、それと反比例するように、日本政府の立場は窮地に立たされていった。
修二は、毎夜毎夜、笑子の閉じ込められている納屋を見に来ていた。修二は納屋の外から笑子に声をかけるが、中にいる笑子から「来ないで」と一括される。修二はそれ以上どうすることもできなかったが、それでも修二は、毎夜毎夜納屋の前にやって来た。
修二の行動は須磨子も知っていた。
「修二、もういいかげんにせえ。お前がそこで頑張っとっても何もできやせん」須磨子は、修二にそう言い放った。
そんなある夜のこと、島の青年たちが須磨子のもとにやって来た。隣の納屋の前で、修二はじっと座ってその光景を見ていた。家の中では、青年団のリーダーらしい男が須磨子に切り出す。
「おばばさま、我々の口からは大変言いにくいことなんだが……。そう、何せおばばさまの孫だし。それに、娘さんに次いで孫娘までとなると、さすがに……」
「沙紀のことは言わんでええ!」須磨子が彼らの言葉を遮った。
そして、須磨子は続けた。
「おかくれのことだろ。そうじゃな……。手遅れにならんうちに済ませるべきかもしれんな」須磨子が言った。
「……では、近日中にやりますんで」リーダー格の男が答える。
「うん、よろしく頼む」
須磨子の家を出て行く男たちの後姿を、納屋の前の修二がずっと見ていた。
日増しに体が変形していく笑子。笑子の背中の光は、日ごとにはっきりしたものになっていった。また、脊髄に沿って肉が飛び出てくるようになり、その形状は、あたかも柏の葉を連ねた背びれのようであった。全身は深い緑色に変色していき、その皮膚の表面にはデコボコの鱗のようなものができてきた。そして、彼女を嘔吐感が襲いはじめた。
ある夜、修二は、自宅で母親の久子を問い詰めた。
「母さんは、父さんのことをどう思っていたんだ。愛していたのか? それに、あの人のことは許してるんか?」
「修二、感情的になってはいかんよ。小さい時からそう言われたろ」
「なんで、なんで母さんは、そんなに平然としていられるんだ。父さんは不倫したんだろ。そして、村の人たちに殺されたんだろ。それなのに、何でそんなに他人事みたいにしていられるんだ」
「忘れる。水に流す。何もなかったことにして生きる。この島の人たちは皆、そうやって生きてきた。それがこの島の人たちの生きる手立てだからでしょ。あんたも、決して怒りをあらわにしてはいけんよ」
「……。笑子のところに言って来る」そう言うと、修二は家を飛び出して行った。
修二は、毎夜毎夜、笑子の閉じ込められている納屋を見に来ていた。修二は納屋の外から声をかけるのだが、もはや最近は人の声ではなく、動物の唸るような低い声が聞こえていた。
金曜日の夕方のことだった。東京に帰っていた真太のものに真理亜から電話があった。
「私たち、これから大戸島に行くんだけど、あんたもいっしょに来ない」
「えーっ! せっかく東京に帰って来てくつろいでるのにー」
「いいじゃない。明日は休みだし、どうせ暇なんでしょ。付き合いなさいよ。月曜日には返すからさ」
「しょうがねえなー」
「じゃあ、東西新聞社の屋上へリポートに十九時集合ね」
夜、神保町にある東西新聞社の屋上に真太がやってきた。真理亜、後藤がヘリコプターのローターの風にあおられながらヘリの前で待っている。
「早く乗ってー!」真理亜が真太に声をかける。
「全く人使いが荒いんだからな」真太が真理亜に文句を言う。
真理亜、真太、後藤、そしてヘリコプターの操縦士の四人を乗せたヘリコプターは、夜の東京の空にすい込まれていった。
「一体何をやらかそうってんだ?」ヘリコプターの中で真太が聞いてきた。
「瓢箪湖の研究室からのライブ中継よ。今回はうちのグループであるテレビ局東西テレビとも連携しているの」真理亜が答える。「もう既に向こうとの連絡はついてるし、段取りもばっちりよ」
「ふーん、なるほどね。政府の上陸禁止を無視した潜入取材ってわけか。俺は何も見なかったことにするからな」
「でも、政府の関係者として、何が起きているのかしっかりとその目に焼き付けて帰ってもらうからね」
「あーっ、それで俺を呼んだんだな!」
「そうよ。あと、研究室の人たちに食料とか日用品も届けるのよ。彼ら、この前の中継以降、島の人たちから冷遇されてるみたいなの」
「そうなんだ!」
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