第9話
どんどん増えていった核廃棄物は、あとは埋めるのを待つ状態になっていた。しかも、その膨大な量のそれは、沿岸部に野ざらしにされたままになっていたのだった。大河原たち役人が島を去ってからは、作業は遅々として進まなくなっていたのだ。
笑子には、弘たちがやってくる前の日常が戻って来た。しかし、彼女の中は、昔と現在とでは大きく異なっていた。彼女の心の中にぽっかりと空いた大きな穴は、数日たっても、一か月たっても埋めようがなかった。須磨子や修二との仲も険悪なものになったままだった。
町役場に出勤する笑子。事務所に出ても昔のような明るさは無い。時間さえあれば、彼女は窓の外に広がる海ばかり見ている。誰も、彼女のことを気遣っていて声をかけようとはしない。そのようにして、毎日が過ぎていった。
笑子は、弘が施設の責任者となって島へ帰って来る日を、ずっと待ちわびていた。彼女は、毎日海岸に出ては北の方角の海を眺めていた。しかし、一か月たち、二か月がたっても、弘は一向に帰って来なかった。しだいに不安になる笑子。彼女の顔から笑顔が消えていき、暗く沈んだ表情がそれにとって代わっていった。弘との連絡は、電話、ライン、メールなど、全ての手段が既に遮断されていた。そのことを真理亜にラインで相談しようとも思ったのだが、みんなの前であれだけ弘のことを信用できる良い人だと言い、自身ののろけをさんざん言っていた手前、なかなか切り出すことができなかった。
ある日の夕方、いつものように笑子が北の海を見ていると、そこに修二がやって来た。修二が笑子に声をかける。
「……笑子、いいかげんもう忘れてくれよ」
それでも、黙って海を見続けている笑子。
「俺……、いたたまれないんだよ」
「あっち行ってよ、修二。あんた関係ないでしょ」不愛想にはねつける笑子。
「……」
「どうせ心の中じゃ……、……どうせ、……どうせ、……どうせあんただってバカにしてるんでしょ」
「そんなことない!」
「今の私の気持ちなんて、どうせ誰にも分からないわ」そう言いながら、彼女の眼からは、涙があふれ出してきた。
一度出始めた涙は、今まで心で支えていた堤防が一気に崩れたかのように、後から後からとめどなく落ちはじめて、止めることはできなくなった。
「笑子……」修二が声をかける。
そうして、笑子は修二の胸に顔をうずめて泣き始めた。しかし、それは、愛ではなかった。修二は笑子の頭を受け止めることしかできなかった。
しばらく泣きはらした笑子は、ぽつりと言った。
「もう大丈夫。もう大丈夫よ、修二。ありがとね。私、頑張って待つことにするわ。だって、信じることが愛だもの」
この言葉に修二は絶望した。修二は、それからもたまにこの海岸に笑子を見に来ていたが、彼女に声をかけることはなかった。
その頃、瓢箪湖の畔に陣取っている科学者たちは、依然として研究にいそしんでいた。
「やっぱり、我々の予想通りの結果だな」山根が言った。
地質学者の緒方健成は、本来は大戸島のカルデラと活断層を調査に来ていたのだが、調査の結果、驚くべき結論に達した。彼らは、SNSを通してこの事実を全世界に公開した。
「これをご覧の全世界の皆さん、こんにちは。私たちは、ここ大戸島で瓢箪湖の調査を行っている科学者です。政府の人たちは、既に島から引き揚げていきましたが、我々は、この島にある瓢箪湖について引き続き調査しています。既に、この湖がカルデラ湖でないことは、テレビ等の発表でお知らせした通りなのですが、では、この湖の大きな円形の形状の理由は何なのか? 我々はそこが気になり、これまでも調査を続行していました。では、その調査結果なのですが、実に驚くべきことが分かってきたのです」
ここで、緒方は大きく深呼吸して、説明を続けた。
「大戸島に二つあるカルデラは、実は火山によるカルデラではなく、かつて二つの小さな小惑星のような天体がこの島に衝突したことによって生まれたものであることが、明らかになりました」
さらに大きく深呼吸をし、少し時間を空けてから核心部分の説明に入った。
「この地層からは、地球外の隕石からと思われる鉱物が多く含まれていたのですが、さらに、そこには、天体の衝突時に地球外からもたらされたと思える、地球外の有機物、具体的にはウイルスのようなものが発見されました。これは、大発見なのです! 今、我々の手元には、これらのサンプルが存在しますが、本来なら、この島は核廃棄物の施設など建設すべきような島なのではなく、科学の為に島を保全し、人類をあげて調査すべきような場所なのです」
このSNSによって世界に発信されたライヴ放送は、またたくまに広がっていき、東京の官邸も知るところとなった。激怒する矢島首相。
「何だこいつらは! 学者たちがまだ島にいたなんて、俺は何も聞いてないぞ。勝手なことをしやがって。大河原には、調査が終わり次第、早急に引き揚げさせろと言っていたはずだ」
緒方の放送はさらに続いていた。
「さて、このウイルスについてですが、更に驚くべきことが判明しました。これにつきましては、私の親友でもあります細菌学者の山根豪教授に説明していただきたいと思います」
「何だこいつは! いつからこいつはそこにいる」怒り散らす矢島。
山根の説明が始まった。
「こんにちは。私、自称天才科学者の山根です。私が、瓢箪湖の水質を調査した結果、ある驚愕の事実を発見しました。湖から採取した水の中から、他では見ることのできない極めて特殊なウイルスを発見しました。このウイルスは、人に感染した場合、通常は何も悪さを起こさないのですが、何らかの激しい怒り、それも恨みや憎しみの感情によって引きおこされる血圧やホルモンなどの微妙なバランスによって、人の体に変化を起こす可能性があります。このウイルスは、隕石に付着して地球にもたらされたものが、湖の横にある原生林、この原生林は生物多様性地域である可能性があるのですが、この森林で変異を繰り返したことによって、現在のウイルスの形になったものと考えられます。すなわち、大戸島の人々は、昔からこの風土病にかかっている可能性が高いと思われます」
山根の説明の後、再び緒方が画面に出てきた。
「もう一つ言い忘れておりました。瓢箪湖には、二つの大きな円形のそばに、ごくごく小さな円形のくぼみがもう一つあるのですが、ここからは隕石性の物質は検出されませんでした。これは、比較的最近、地表でおきた、ある種の大きなエネルギーによってできたものであろうことまでは分かったのですが、そのエネルギーが何であったのかは未だ分かっておりません。我々は、その謎も含めまして、引き続き調査を続行していきたいと思っております」
このニュースは、衝撃を持って世界中をかけめぐり、放射性物質廃棄施設以外でも世界から注目されるようになった。
「私たちが風土病って? どういうことよ。何これ。大戸島の風土病だなんて、失礼しちゃうわよね。ねー、笑子」大戸島および観光課でも、この話題でもちきりになった。
「怒ると発症する風土病? そう言えば、あの島の人たちはみんな笑ってたわ……」東京でこれをチェックしていた真理亜たちも、そう言った。
島からネットで公開された事実を知らされた須磨子は愕然とした。彼女はこれを知るや、すぐに研究室へ向かった。
瓢箪湖の研究室。ドアがノックされ、須磨子がずかずかと入ってくる。
「あ、あなたは長老の……」
「あんたら、もういいかげんにしてくれ。もうこれ以上何も研究したり発表したりしないでくれ」須磨子が厳しい口調で言い放つ。「これ以上何か調べると、結果的にみんなが不幸になることになるんじゃ」
「不幸ってどういうことです? みんなって? …島の人たちのことですか?」緒方が聞いた。「一体何を言っているんです?」
「みんなは、みんなじゃ。それ以上は言えん。とにかく、これ以上この島について調べると、あんたがたも含めて、みんなが不幸になるっていうことじゃ!」それだけ言い放つと、須磨子は研究室を出て行った。
「調べるなって言われると、よけいに興味がわくのが科学者魂ってことだよな」そう山根が言った。
それから何か月かがたったある日のことだった。天気予報で、あるニュースが流れた。
「昨日、フィリピン諸島の東一〇〇キロで発生した台風ですが、現在、急激な勢いで発達しており、猛烈な勢いにまで発達する可能性が出てきました。今後は北北西に進むものと思われます」
数日後、その台風は、かつて記録したことの無いような大型にまで発生していた。その台風は、北上しつつ東に向きを変え、まっすぐと大戸島の方に向かって来ていた。大戸島では台風の準備におわれていた。
「観測史上最大の勢力にまで発達した台風二号ですが、依然猛烈な勢いを保ったまま、東に進んでいます。予想進路の中心部分を通った場合、明日の夜半には小川原諸島の大戸島あたりを通過するものとみられます。中心部分の気圧は八〇〇ヘクトパスカル、速度は時速一五キロメートル、平均の風速は六〇メートル、最大瞬間風速は八五メートル……」テレビが報じている。
「この進路だと直撃コースなんじゃないか」「こんな強力なの今まで来たことないぞ」「少しでもはずれてくれるといいんじゃがの」島の人々も口々に話していた。
そして、ついに台風二号が大戸島を直撃した。その大型で猛烈な台風が大戸島を通過したその夜は、笑子も修二も、そして役場のみんなも、それから瓢箪湖の畔にいる科学者たちも、それぞれが家にいて、台風の通過するのをじっと見守っていた。
しかし、その暴風雨は皆の予想をはるかに超えた破壊力を持っていた。人家の屋根を吹き飛ばすとか、電信柱をなぎ倒すなどという被害はもちろんのこと、東側の海岸におびただしく積まれていた核廃棄物もなぎ倒していた。ガラスに封入されていたこれらのものは、暴風雨と大波の力によって相互に激しい力でぶつかり合い、封入していたガラスをこなごなに破壊し、核物質がそこから露呈していた。また、いくつかのものは大波にさらわれていて、太平洋に消えていた。
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