第4話
そんな笑子の営業活動が何日か続いたある日のこと、その日、彼女が案内していたのは、例の東西新聞社の中島真理亜と後藤カメラマンだった。
「ここは瓢箪湖。見ての通り、大きな二つの丸がつながった形をしているからです。この湖はカルデラ湖だって言われてますけど、この島には火山も見当たらないし、実のところ、よく分かっていません。でも、青くて、とても澄んでいてきれいな湖でしょ」
「湖の向こう岸にある二つの神社が、青井社と赤井社です。あそこには島以外の人間は行ってはいけないといわれてます」
「その理由は何なんですか?」真理亜が質問した。
「えっ」
「その二つの神社に外部の人間が立ち入ってはいけない理由よ。あなたのおばあさんも説明会の時に言ってたじゃない」
「えっ、どうしておばあちゃんのことを知ってるの? 外部の人間が神社に行ってはいけない理由は分からないけれど、私たち島の人間は、皆そういうふうに言われて育てられてます」
「あとさぁ、この島の人たちはどうしていつもニコニコと笑ってばかりいるの? たまには怒ったりすることはないの?」真理亜がずけずけと質問してくる。
「えーっ! そうかなあ。普通だと思うけど。ただ、うちではいつも笑っているように、そして、決して怒らないようにって言われてたような気がするなぁ。修二んとこはどうだった?」
「……うちもそうかな」修二がにこやかに答える。「よく分かんないや」
お昼、仲良くなった四人はいっしょに昼食を食べた。海の見える丘の花畑に座ってお弁当を食べたのだ。
「さっきは失礼しました。改めて自己紹介するね。私は東西新聞社のジャーナリストの中島真理亜。こっちは、私の後輩でカメラマンの後藤元樹君」
「ども、後藤です」
「私は大戸島観光課の三島笑子。笑子は笑うに子供の子。死んだお母さんが良く笑うようにって名付けてくれたそうよ。笑子って呼んでね。そしてこっちが同じ観光課の蛭子修二」
「どうも、蛭子修二です」修二がはにかみながら答える。
「修二はね、あまり人前で話すのが得意じゃないの。でも、誠実で良いやつよ。ね、修二」笑子がフォーローして言う。
「よろしくね、修二さん」真理亜が修二に挨拶をした。
そのとき、真理亜の眼が修二の胸にぶらさがっていたペンダントを認め、そしてその形状に目を見開いた。このとき、彼女は明らかに驚いていた。
「ところで、笑子さん」真理亜が話を変えてきた。
「笑子でいいわ。中島……えっと」
「私も真理亜でいいわ。ところで笑子、あなた、説明会の時には結構ガンガンあの大河原ってのにくいついてたけど、本当のところは、処理施設の建設にはどう思ってるの?」
「施設ができてこの島が変わることには、本当は少し不安があるわ。でも、もしかしたら、そのことでこの島が話題になってくれれば、それはそれでこの島をアピールできるすごいチャンスだとも思ってるし……、今の段階では、良いとも悪いとも言えないかな。あなたたちは、当然反対の立場でこの島に来たんでしょ」
笑子の中では、まだ何とも言えないもやもやがあることが言葉の端々から見て取れた。
「私たちは、政府のやろうとしていることが正しいことなのかどうなのか、住民はそれに対してどう思っているのか、それを正確に国民に伝えるためにここに来たの。……ただ、私には、もう一つ別の目的もあるんだけどね」真理亜が答える。
「別の目的……?」
「うん。でもそれは、今はまだ言えないわ」
「あの大河原って偉そうな男、みんなどう思います?」後藤が話に割って入った。「俺はどうもいけすかない詐欺師みたいに思えるんだけどな。ねえ、真理亜さん」
「私も大っ嫌いなタイプ」真理亜は吐き捨てるように言った。
それに対して、笑子の意見は少し違っていたようだった。
「でも、あの人この島を美しい島だって言ってくれたわ。こんな素敵な島があるなんて知らなかったって。。それに、観光にもお金を出してくれるんだって。島のみんなにも援助をしてくれるって言うし……。……きっと良い人なのよ。絶対そうだわ」
「笑子って、ほんと純て言うか。無垢っていうか。能天気って言うか、全くあきれたわ」真理亜がずけずけと笑子に言う。
「そうなのかなぁ」と笑子が宙を見る。
「ま、そのうち、あいつのメッキがはがれる日が来るわ」
「笑子さんは、きっとそのほんわかってしたところが魅力なんだよ」そう後藤が言うと、皆の顔から笑顔がこぼれた。修二も嬉しそうだ。
「おーい。何か楽しそうだなぁ。俺も混ぜてくれよ」
そこにちょうど通りがったのは、説明会の時に司会をしていた内閣府の飯島真太だった。
「あーっ! あんたはあのときの司会の……」真理亜が思わず声を出す。
「飯島真太でーす」
「ちょうど良かった。あんたさぁ、大河原ってどんな奴なの?」真理亜が、今度は真太にずけずけと聞く。
「どんな奴って言われましてもねー……。私は司会を仰せつかってるだけですし、同じ船に乗っていっしょに来ただけで、……そもそも彼とは役所も違うんで、どんな人かって聞かれても、俺はほとんど知らないんだよなぁ」
「あんたねぇ、あんたは政府側の人間なんでしょ。だったら、あの大河原って男とは仲間のはずでしょ」
「知らねぇよー、そんなの。俺は内閣広報部報道官なんだ。政府からの連絡をきちんと正確に知らせるのが俺の仕事さ」
「そう、つまりは政府の犬って訳ね」
「失礼な女だなー。俺は、俺の仕事に誇りを持ってやってるんだぜ。自分の責務を全うするのが俺の仕事さ。お前らみたいに、有ること無いこと何でもかんでも報道している奴らとは違うんだ」
「あら、あたしだって自分の仕事に誇りを持ってるわよ。だいたいねー、政府からの報道ったって、政府からの報告がいつも正しいとは限んないじゃない。だからこそ私たちの仕事があるのよ」
「何だとー。お前らジャーナリストってのは、何でもかんでも政府のやることに上げ足とって反対してきやがる。いつもそんな目で見てるから、政府の人間ってだけで悪い人間に見えてくるんじゃねーのか」
「ううん。私の眼に狂いは無いわ。あいつは絶対にワルよ」
「だから、決めつけんなって」
「ねえ、ちょっとちょっと、初対面なのにそう熱くならないで、もっと仲良くしよ。ね。ね」たまりかねた笑子が二人を制した。
その後、真太を含めた彼ら五人は、夕方までさらに島のあちこちを散策したが、この姿が大河原の眼に入った。
その日の夕方、民宿に帰宅して着替える真理亜。上着を脱いだその胸元には、修二と同じ形のペンダントがぶら下がっていた。
「間違いないわ。彼がそうだわ」鏡の前で彼女はつぶやいた。
「それにしても、あの真太ってやつ、ムカつく―!」
「こんにちはー。誰かいますかー」
次の日の午後のことだった。大河原が観光課へやって来た。
「あ、はーい」椅子から立ち上がった笑子が応対する。
「あー! 大河原さん」
「弘、大河原弘です。……君は確か、観光課の三島笑子さんだね」
大河原は、笑子をフルネームで覚えていた。
「はい、そうです」笑子の顔がパッと明るくなった。
「僕にも島を案内してくれないか。昨日、飯島君から色々聞いてね。ここに言えば島の中を案内してくれるそうだね」
結局、飯島真太は大河原と接触があったのだ。しかし、そんなことは、笑子は気にしていないようだ。
「はい、喜んで。課長、ちょっと観光案内に行ってきまーす」そう言うと、二人は役場を出て行った。
残された観光課のメンバーはあきれ顔だ。
「修二、お前、付いていかなくていいのかよ」同僚の男性職員が修二に声をかける。
修二は無表情のまま、黙って出て行く二人を見ているだけだ。しかし、二人を見送る彼の瞳はやはりどこか寂しそうだった。
楽しげに島のあちこちを案内してまわる笑子。彼女は、大河原に聞いてみる。
「ねえ、大河原さん。この前説明会で言ったことって本当ですか?」
「え、言ったことって?」
「ほら、大戸島を、お金をかけて観光地にしてくれるって話」
「ああ、もちろんさ。ここは美しい島だからね」答える大河原。その話には嘘はなさそうだった。
「良かったー! 何か他のみんながね、大河原さんの話は信用できないとか、うさんくさい人間だとか言ってるから……」笑子は、何のてらいもなく、ずばずば言ってしまう。
「あははは。飯島君もそんなことを言ってたかな。でも、僕はそんなこと全然気にしちゃいないよ。何なら、このプロジェクトが成功した暁には、できれば、いっそのことこの島にずっと住みたいななんて考えているんだ」
「本当ですか! 大河原さんて、きっと器の大きな人物なんですね」
「そうかな」
「そうですよ。きっとそう。周りのみんなの心がよごれているんだわ」
都会暮らしの長い、そして海千山千を相手にして生きてきた大河原にとって、笑子のような純粋無垢な娘は初めて遭遇する女性だった。久しぶりに心が洗われるような気がした。それに、笑子はとてもかわいらしい娘だった。だから、この日大河原が口にした言葉は、あながち嘘というわけでもなかったのだ。
「でもね、三島さん」
「笑子でいいわ。みんなそう呼んでる」
「じゃあ、笑子さん。東京もあながち悪いところではないよ」
「そうなんですか?」
「うん、自然こそないけど、夜景はきれいだ。六本木、新宿、渋谷…… 僕は夜の東京が大好きさ。そして、東京は常に何かを生み出そうと、一生懸命に二十四時間懸命に動いている。駅の構内も、道路の上もいつも流れいる。生き物みたいに。そして、ビルの窓の一つ一つに、住宅のベランダの一つ一つに、住んでいる人それぞれの人生ドラマが感じられる。それは生きているって感じなんだ」東京のことになると饒舌になる大河原。
「えー、見てみたいです」大河原の説明に心惹かれる笑子。
「そうだ。施設が完成したら、ぜひ笑子さんを東京に招待して見せてあげるよ」
「やったー! 嬉しいです」
そのとき、向こうから歩いてくる二人がいた。真理亜と後藤だ。
「あ、真理亜さーん」笑子の方から声をかけた。真理亜は無表情だ。
「こんにちは、笑子さんのお友達?」
「そうです。東西新聞社の真理亜さんと後藤さん」真理亜は答えず、笑子が一人で答える。
真理亜たちは無表情で、黙って大河原をにらみつけている。
「……あ、それじゃあ、僕はこの辺でご無礼するね。笑子さん。ぜひまた今度、観光案内の続きをしてくださいね」そう言いながら、その場を離れる大河原。
「もちろんですよ。大河原さん、またですね」
大河原の姿が消えると、真理亜が口を開いた。
「どういうこと? 笑子」
「大河原さん。昨日私たちがいっしょにいるところを見かけてたんだって、それで飯島さんに色々と聞いて、……そして、今日観光課の方にお見えになったの。自分も島を案内して欲しいって」笑子がそう言うと、間髪入れずに真理亜が怒って言った。
「それって、結局大河原とあの真太のバカが通じてたってことじゃない! あんのやろー、嘘つきやがって。今度会ったらただじゃすまないわよ。だいたい柔道何段とか何とか言ってたけど、それも本当なのかどうだかね」
「でもね、やっぱり大河原さん、説明会で言ったように、この島を観光地にしたいって言ってくれたよ。ゆくゆくはこの島に住みたいくらい好きになったって」笑子が、大河原に今日言われたことをそのまま言う。
「えーっ! そんなの嘘に決まってんじゃない。笑子、だまされちゃだめだよ」
「そうかなあ。私はそんな感じはしなかったけど」
「他には何か言ってなかった?」
「何か、東京も素敵なところだって、いつか私を連れて行きたいんだって」
「何、調子こいたこと言ってんだかね。ところで、今日は修二さんとはいっしょじゃなかったの?」
「別に……、修二とは幼なじみで同僚ってだけだし……、もちろん、私の恋人とか従者ってわけでもないし……」
「何か、修二君かわいそうだな」後藤がぽつりと言った。
「えー、何でー?」笑子には、何も分かっていないようだった。
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