後編
ずっと削除できなかった名前。
その名前を見た瞬間、舞い上がりそうになる。
いや、でもいい話じゃないかもしれない。
でも……もしかして。
私はキョロキョロと辺りを見回し、貴哉都がこちらを見ていないことを確認。
なんだか貴哉都には別れた時に迷惑をかけたので、元彼とのメッセージのやりとりを見られたくない。
私はこっそりスマホを見る。
息を整えてから震える指で、メッセージを読んだ。
元気?
それだけなのに、涙が出そうになった。
私、やっぱりまだ元彼のことが好きなんだ。
そう実感した。
だけど、何の用事?
私は疑問に思いつつ、浮足立つ気持ちを抑えて返事をする。
うん。元気だよ。
そっちはどう?
返事はすぐにくる。
まあまあ元気。
さらに元彼からのメッセージは続く。
私はその言葉を見た瞬間、自分の目を疑った。
だって、そこにはこう書いてあるのだ。
久しぶりに会えない?
嬉しい。
だけど、それと同時に不安にもなる。
私たちは別れた。
それに、元彼は私と別れた一週間後には女性と親し気に歩いていたのだ。
もう私に未練なんかないんじゃないの?
それとも、高価な壺や絵画を買わせるようなそういう用事?
あれこれと考えていると。
「小鈴」
名前を呼ばれてハッとする。
顔を上げると、貴哉都が目の前に立っていた。
途端に、ピー―――という高音が辺りに響いていることに気づく。
私は慌てて火をとめた。
「やかんでお湯沸かすよりも、電気ポットのほうが楽じゃね?」
貴哉都が代わりに二つのマグカップにお湯を注いでくれる。
「だって、電気ポットは電気代すごくかかるってお父さんもお母さんも言うから」
「そんなん俺は元取ってるし。カップラーメン、カップスープ、電気ポットが恋人と言っても過言ではない」
「お湯注ぐだけの恋人って……」
「まあ、おれの本命はうちの猫たちだけどな」
「三匹ともオスでしょ」
「そこは関係ない」
貴哉都はその場で立ったままコーヒーを飲み始める。
私も隣でコーヒーをすする。
おいしい。
貴哉都は、私の好みの甘さもぬるさもよく分かっている。
「なんか変だな」
「なにが?」
「小鈴。さっきから変」
別になんでもない。
そう言いかけて、私は貴哉都に聞いてみることにした。
元彼に会おうと言われたことを。
的確なアドバイスをくれるかもしれない。
「さっき、その、元彼からメッセージがきたの」
「ふーん。なんで?」
「さあ」
「一年も放っておいて今さらっつーか、ブロックしとけよブロック!」
突然、貴哉都の機嫌が悪くなる。
まあ貴哉都は私の元彼の態度が気に食わないって、一年前も言ってからなあ。
「それで……ね、会いたいって言われちゃった……」
私がそう言うと、貴哉都が一瞬目を大きく見開い。
それから私を見て、鼻で笑った。
「会いたいんなら会えばいいじゃん」
貴哉都は冷たく言うと、コーヒーを一気に飲み干した。
マグカップをシンクに置くと、速足でダイニングを後にする。
後を追いかけると、その背中は「ついてくるな」と言っているようだった。
貴哉都は、そのまま家を出て行った。
家に静けさが戻る。
私は溜息をついてそれからスマホを手に取った。
元彼にメッセージの返事をする。
私も会いたい。
そう送信してから、なんだか急に喉が渇いてダイニングへ。
貴哉都にぬるめに作ってもらったコーヒーは、すっかり冷めてしまった。
私がコーヒーを一気に飲み干すと、足にふわふわした感触。
苺が自分の体を私の足にすり寄せていた。
お腹が減ったのだろう。
私はちっともお腹がすかない。
元彼と一年ぶりに会うことを考えると、ソワソワドキドキしてしまう。
元彼とはその週の土曜日に会うことになった。
午前十時に駅前のロータリーで待ち合わせ。
あっちは車でくるそうだ。
デート(?)当日の三日前に一年ぶりに元彼と電話で話した。
相変わらずだったけれど、お互いに久々すぎて他人行儀になってしまった。
だけど、うれしい言葉も聞けた。
「俺、小鈴と別れたこと、すっげー後悔してるんだ」
寂しそうにそういった元彼。
私は思わず涙が出そうになる。
うれしくてうれしくて。
もう元彼なんてどうでもいいって思ってたのに。
本当は私もヨリを戻したくてたまらなかったんだ。
頭の中には、貴哉都と見に行った時に連れていた女性のことが浮かぶ。
あの人はだれだろう。
新しい彼女だったのかな。
もう別れたのかな。
ねえ、本当に私と別れてから付き合った?
そんな不安が頭の中にどんどんあふれてくる。
だけどそれよりも……。
猫を飼い始めたんだと話しても、元彼が「へえ」という反応だったのが気になる。
元彼は、猫が嫌いだったかもしれない。
そんなことを付き合っている時に言っていたような気がする。
もし、猫が嫌いだったら?
そう考えてキャットタワーで元気に遊ぶ苺を見上げる。
貴哉都から引き取った時よりも大きくなった。
しきりに貴哉都が「でかくなった」と言っていたのもわかる。
引き取った時よりも少し丸くなったし、縦にも伸びた。
薄汚れていた毛は、暑い日に洗ってきれいなブチ柄になった。
ザ・赤ちゃん猫みたいな顔も、今や美猫顔。
くりっとした大きな瞳がたまらない。
ピンクの鼻も、小さなお口も最強にかわいい。
でも、やっぱりまだ子猫でキャットタワーについているボールを猫パンチしている。
二本足で立っている苺を、スマホのカメラで何枚にも撮った。
その写真を見てふと思う。
この写真をかわいいと盛り上がれない人と、私は付き合えるんだろうか。
私はハッとして、頭を左右に振る。
まだ何もわからないじゃない。
とにかく、デート(?)を楽しもう。
デート当日。
私は朝の六時に目が覚めた。
苺が来てから、規則正しい生活をするようになった。
なんせ苺のご飯やトイレ掃除なんかをするから、遅くまで寝ていられない。
ちょっとでも私が寝坊すると、頬をぺちぺちと猫パンチされる。
それもかわいいんだけど。
とりあえずいつも通りに苺にご飯をあげ、トイレ掃除をして、それから大あくび。
昨夜は全然、眠れなかった。
今日のデートが楽しみだということもあるけど。
なんだか不安も大きくて。
だけど元彼に会えるのは嬉しいし。
このまま元彼とヨリを戻したら……。
一年、二年と付き合ってそのうち結婚の話も出るのかもしれない。
そんなことを考えていて、眠れるはずがないのだ。
今日は父は仕事が休みで、母も珍しくパートが休みで午前中はご近所さんとお茶をしてくるそうだ。
休日はそれぞれで朝食を摂ることになっている。
昼と晩は私が作るのだけど、今日は出かけると両親に伝えてあるので、昼食は両親ふたりで外食、晩は父が作るらしい。
両親には、デートだとは言っていない。
もし、元彼と本格的にヨリを戻すことになったら、改めて両親に紹介するつもりだ。
母はしきりに、「貴哉都くんと結婚しなよ。貴哉都くんならお母さん息子にしたいし。家もお向かいで近いし、貴哉都くんのご両親も優しいし、最高じゃない」と言うんだけど。
それはただの母の願望だから無視。
そもそも、貴哉都のほうが私なんか願い下げでしょ。
時間をかけて丁寧に化粧をして(この日のために化粧品を買い直した)、昨夜ひとりファッションショーを開いてようやく決めたコーディネートの服を着て、ショートからボブまで伸びた髪の毛を丁寧にくしでとかして、カバンの中の持ち物を確認して、自分の部屋を出た。
玄関に向かう前にリビングに寄る。
「苺、行ってくるね」
そう声をかけても、リビングには苺はいない。
あれ?
いつもキャットタワーで窓の外を眺めている時間なのに……。
あちこち探してもリビングにはいない。
ふと廊下に視線を向けて、心臓が止まりそうになる。
玄関のドアが少しだけ開いてたのだ。
私は庭を探す。
「苺ー! 苺ー!」
必死で呼んでも苺はどこにもいない。
家に戻って探してみる。
見慣れた黒と白のブチ柄の猫は、どこにもいない。
どうしたららいいの?
こういう時、猫はどこへ行くの?
勝手にどこかへ行って、それで車……。
そこまで考えて、目の前が真っ暗になる。
「おい、顔色悪いぞ」
そう声をかけてきたのは、貴哉都だった。
ムスッとしている。
そういえばケンカしたんだっけ……。
でも、今は貴哉都に頼るしかない。
「貴哉都! 苺が、苺が! いないの!」
「えっ?!」
「さっき、玄関のドアが少し開いてて……。私、ぜんぜん気づかなくて……」
「それじゃあ、いつからいないのか分からないのか」
「うん。どうしよう……。どうしたらいいの?!」
「とりあえず落ち着け」
貴哉都はハッキリと、だけど優しい声でそういった。
それから少しだけ考えて、それから口を開く。
「苺は生後六か月。半年の猫がそれほど遠くに行けるとは思えないんだよな……」
「でも、すごい体力あるんだよ」
「そうだよな。好奇心の塊だよな」
「やっぱり私、探してくる」
「やみくもに探しても、こっちが疲れるだけだ」
貴哉都はそれだけいうと、家からちゅるんと猫のおもちゃを持ってくる。
「こういう苺の好きな物でおびきだそう」
「うん。それがいいね」
「名前を呼ぶときは、あんまり大声で呼ぶな。苺がビビる」
「じゃあいつも通りでいいんだね」
「そう。探すなら、駐車中の車の下、家の軒先とかの何かの下いることが多い」
「わかった」
「おれはこれから自転車で少し遠くまで探す。小鈴はこの辺を探してくれ」
「うん。ありがとう」
私はちゅるんとおもちゃを持って、苺を探し始めた。
貴哉都がいっしょに探してくれるおかげで、なんだか心強い。
大丈夫、きっと苺は見つかる。
「苺ぉ。どこー?」
私は泣きそうになりながら、近所を探した。
苺はまだ見つからない。
探し始めてから、かなり時間が経過したように感じる。
空を見上げれば、晴天。
それでも一月の空気は頬をピリッと刺激するほど冷たい。
苺、風邪ひいちゃうよ……。
急いで探さなきゃ!
すると、その時、スマホが鳴った。
きっと貴哉都だ!
もしかして苺が見つかった?!
そう思ってスマホの画面を見る。
相手は、元彼。
そうだ、デートだったの忘れてた!
時刻は午前十時半。
私は、電話に出る。
『なに? 今日、俺と会う約束忘れてんの?』
電話から聞こえてきたのは、元彼の機嫌の悪そうな声だった。
自分は付き合っている最中に一時間以上も遅刻してきたことが一度や二度じゃないのに……。
だけど、その言葉は飲み込んだ。
今は事前に連絡しなかった私が悪い。
苺が急にいなくなったとはいえ、元彼とのデートとは関係ないのだから。
「ごめん。あの、猫がいなくなって探してるの」
『はあ? そんなん知らねーよ』
「でも」
『猫なんか放っておきゃいいだろ』
「そんなことできるわけないじゃん!」
『はあ? 俺と猫、どっちが大事なんだよ!』
「断然、猫だけど?」
『ブスに用はねえ。誘って損した』
電話はそのまま切れた。
私は無意識のうちにこうつぶやいた。
「元彼、クズじゃん」
私は百年の恋から冷めたように、元彼の連絡先をすべて削除&ブロック。
なんだったろう、私の恋って。
いや、もうそんなんどうでもいい!
大事なのは苺。
優先すべきなのは苺一択。
それから苺を探すほうに戻った。
ああ、お願い。
苺、無事でいて。
するとその時。
「おーい」
そう言って誰かが近づいてくる。
父だ。
ガーデニングスタイルで追いかけてくる。
「ねえ、お父さん、苺見てない?」
「探してるのか?」
「だっていないから」
「えっ?」
「えっ?」
父に、「ここにいるよ」と連れてこられたのは我が家。
そして庭の裏のほうから家の窓を覗く。
私は思わず声を上げた。
だってリビングのテレビと窓の隙間で、苺はすやすやと眠っていたのだ。
狭いところにぴっちりおさまって、気持ちよさそうに。
ああ、よかった。
思わず涙が溢れそうになる。
「帰ってきたの? それともお父さんが見つけたの?」
「いや、最初からそこにいたよ」
「えっ? 最初から? だって、玄関のドア少し開いてたから……」
「ああ、それはお父さんが悪い。ちょっとだけ開いちゃったけど、ほんの少しの間だよ」
「そうだったんだ……」
「もし苺が出たら、庭で作業してたお父さんが一番に気づくよ」
「そっか。苺が出て行ったかと思って、お父さんに気づかなかった」
「お父さんも小鈴がこんなに探してるとは思わなかったよ」
父が苦笑いをする。
私もホッとして笑った。
そこでふと、貴哉都の顔を浮かんだ。
一生懸命、探してくれてるんだよね。
私は、まだ眠っている苺の写真を撮った。
それから貴哉都にその写真と、「ごめん。家にいた」というメッセージを送信。
迷惑かけちゃったなあ。
すぐに既読マークがつき、それから貴哉都から連絡はこなかった。
あーあ、怒らせちゃったかな。
まあ、怒ってもしかたがない。
ってゆーか、ケンカ中だったし。
そう思って家に入ろうと玄関のドアを開けようとした時。
キキッと自転車のブレーキの音。
振り返ると、貴哉都がいた。
「家にいたのかよ!」
「本当にごめん」
私が両手を顔の前で合わせる。
貴哉都は大きな大きなため息。
「人騒がせだなあ。つーか、家の中をしっかり探せよな……」
「おっしゃるとおりです」
「まあ、でも、よかったな」
貴哉都はそういうと、ニッコリ笑った。
その笑顔を見て、私は安心する。
ああ、よかった怒ってない。
だけど、それだけじゃない。
貴哉都がなんだか輝いて見えた。
気のせい、だよね。
その日、私は貴哉都を家に招いて、苺と散々遊んでもらった。
そして、元彼に電話で言われたことを伝えた。
「クスじゃん」
貴哉都は大まじめな顔でそういった。
私は思わず笑ってしまった。
「私ね、わかったんだ」
「ん?」
「元彼は最低。百年の恋も冷めた。だからね」
私は顔を上げ、貴哉都にいう。
「猫と生きる」
「は?」
「私の恋人は猫」
「いや、苺メスじゃん」
「そんなのどうでもいい」
「はいはい」
「恋愛はもういい。なんか嫌になった。仕事して、両親と苺が元気ならそれでいい」
「なんか悟りを開いた人間みたいだな……」
貴哉都はそういうと、苺を抱っこしてから続ける。
「俺もその悟り生活しよーっと」
「そっか。じゃあ一緒に悟り生活がんばろうね」
私がニッコリ笑うと、貴哉都なぜだか不機嫌そう。
それから苺に向かってこういう。
「おれの片思いはいつ叶うんだろうなあ」
私はあくびをしてから、聞く。
「ん? 聞こえなかった。なんか言った?」
「ううん。なんでもない」
「とりあえず今日はそろそろ寝る。貴哉都は苺と遊んだら適当に帰ってね」
「俺へのお礼は?」
「なんのお礼?」
「いや、お詫びか。今日振り回せちゃったお詫びは?」
「えーっと、うーん」
私が考えていると、貴哉都はこういう。
「俺と、デートしてよ」
そう言った貴哉都の横顔は、真っ赤だった。
貴哉都に抱っこをされた苺が、その手をすりぬける。
そして私の膝の上に乗ってきた。
苺がうれしそうに、喉をゴロゴロと鳴らす。
「そんなのでお礼になるなら……」
私はそう言って苺を撫でる。
苺の毛は、とてもきれいでふわふわでさらさら。
撫でていると、思わず笑顔になる。
そしてふと思う。
私、今すごく幸せなのかも。
<おわり>
苺、幸せを運ぶ 花 千世子 @hanachoco
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