VI

 カーディガンの上にコートを羽織ると、女は勤め先のアクセサリー店を出て、近くのターミナル駅の南口へと歩き出した。女は片道一時間をかけて群馬の家からこの店まで通っている。実家は鯉の養殖をしている。錦鯉ではなくて、ヘドロの色をした食用の鯉だ。女の家は代々このあたりに地所を持つ旧家で、その屋敷は県道の北に、白い花崗岩の石垣に囲まれて建っている。瓦屋根の厳めしい母屋とはなれ、それに数軒の作業小屋がある。かつては農家だったが、祖父の代から鯉の養殖を始めた。家ではそれをいくつかの鯉料理屋に卸していた。鯉こくはこの辺りの郷土料理なので店も多く、お祝いの席には欠かせないし、正月にはみな店に食べに来るので需要もある。なので鯉の養殖事業はそこそこうまくいっていた。いまでは家の前に県道を挟んで広がる農地のほとんどは人に貸し、一部だけを工場のようにコンクリートで整地して、屋根つきの生け簀と浄水施設を設置してあり、駐車場には鯉を運ぶトラックもある。

 女は二人姉妹の妹だった。姉は短大を出たあとアパレルメーカーに就職した。姉妹は子供のころからよく親に連れられて海外のリゾート地を訪れた。妹も短大に入ると長期休暇のたびに友達たちとタイやマレーシアの島へ旅行に出かけた。

 女は体力がないのが悩みだった。疲れるとどこでも横になった。女は短大時代に合コンで知り合ったスキーインストラクターの男とつきあっていた。お祭り好きでありあまるほど体力のある、明るくて気さくな男だった。女は最近、彼と二人で沖縄にあるスキューバダイビングの学校に登録した。今はEラーニングの講習を受けているところで、次の休みには二人で現地へ行って実習を受け、ライセンスを取得する予定だ。

 日曜日、女はそのつきあっている男と都心の公園を訪れていた。たまたまその日はチャリティー・バザーが公園の芝生の広場で開かれていたが、彼らが公園に入ったのは午後三時ごろだったので、売り物はもうほとんど残っていなかった。それでも売れ残りのものを冷やかしながら歩いていると、女はある木彫りの像に興味を示した。男はぶらぶらと先へ歩き続け、女は店の前で散々迷った挙げ句、男を呼び戻してこれが欲しいと告げ、男は露骨に嫌な顔をしたが、それでも金を払った。

 帰り際、二人はターミナル駅の通路に面した旅行会社に寄って、予約しておいたチケットを受け取った。カウンターで待っていると、男が女の耳元で囁いた。

「あの木彫りさ、ここに置いていったら?」

 女はかばんから木彫りの像を取り出すと、手にとってあちこちを指でなで回した。いかにも名残惜しそうな仕草にも見えたが、実際は、どうしてこんなものをさっきは欲しがったのか、女にもよく思い出せないのだった。しばらくなで回したあと、女はそれを店のカウンターの手前の、内側からは見えない段差のところにそっと置いた。

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木彫りの像 荒川 長石 @tmv

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