狸と狐、それから破壊者-1

 世界が滅んでから3か月が経った。

 季節は春の終わり。空には雲が多く掛かるようになり、暑さと共に湿気が充満し始めている。


 焼け跡の街は、3か月が過ぎれども焼け跡のままだった。消し炭になったはずの家屋は形を保ったまま燻り続け、放射される熱は町全体に陽炎を作る。近辺に大きな川があることも相まって、週に一度は大雨の日が訪れる。それでもなお熾火は消えない。

 永遠に燃え続ける炭火のような街。いずれ底をつくはずのわずかな物資をかき集めて暮らしてきた雪狸だが、今日この日まで物資に困ることもひどく飢えることもなかった。


 雪狸が家探しをした廃屋は、どれだけ瓦礫を退かしても翌日にはきれいに元通りになってしまう。何度川から水を汲み上げて消火活動を行おうとも、24時間が経過すればいつの間にか熾火が灯り、触れることすら危険な場所が形成されている。

 挙句の果てには、一度家探しをしたはずの廃墟は次に訪れるとのだ。探せば探すほどに形は次々変わっていき、さらには幻想的な風景画のように多重層化して空を遠ざけていく。おまけに物資すら一部がされている。

 それを町中で繰り返していれば、1日ごとに見つかる物資の量は僅かであっても困窮するということは殆ど無かった。

 それはまるでローグライクというゲームのいちジャンルを思わせる非現実さ。幸いにも大災当初のような怪物は焼け跡の街には居ないらしく、雪狸は多少とはいえ安心を感じながら物資の収集を行うことが出来た。


 今日もまた、雪狸は家探しを続ける。まるでそれだけが生きる理由であるかのように、あまりにも謎の深い街と物資の再配置、そして街の成長という異常事態から目を背けながら。


 そんな折、来訪者は姿を現した。白黒斑の髪をオールバックにし、灰色のスーツの上に白衣を羽織った初老の男性。


「やぁ」

「どうも」


 世界を捻じ曲げた首魁――――ヴィクトルとあの日に名乗った男は、まるで何でもないかのように雪狸へとにこやかな挨拶を送る。対する雪狸もこれといった悪感情もなく素直に挨拶を返す。

 ヴィクトルがこうして雪狸のもとを訪れるのは、あの厄災の日以来5度目だった。月に1,2回の頻度で顔を出しており、三日と滞在せずにふらりとどこかへ行ってしまう。


「アメリカとか西欧とか、あとオーストラリアの方にもちょっと行ってきたんだけどね、だいたいどこも激戦区だったよ。……この期に及んでも、人同士の戦争は止まらないみたいだ」

「そんなに生存者が居たのですか?」

「結構いたよ? でもどんどん減っちゃってるね。さっき言ったみたいにコミュニティ同士で殺し合いの奪い合い。あの調子だとあと半年くらいで全滅まっしぐらかなー、案外いい線行ってただけに残念だよ」

「……そうですか」


 ヴィクトルは異常と言っていいフットワークの軽さで世界中を巡り、その目で観てきた惨状を旅の思い出かのように雪狸に伝える。


「ホント馬鹿しかいないよねぇ。お互いが信じられないとかどうとかでいきなり殺し合いだよ? ……やっぱ全部殺しといてくれって言うべきだったかな」

「生きることに必死で気が立っていたんでしょう。そう悪く言うべきではないかと」

「気が立ってるからって考えることも忘れてとりあえず攻撃するのはアホの所業でしょ? 生きてるだけ無駄じゃない?」

「そうでしょうか」


 雪狸が初対面で察したように、ヴィクトルという男は端的に言って倫理観が欠けている。イカレているともいえる。

 自分の所業で何人死のうとどうでもいいし、目の前で命が失われることに対して思うことも無い。顔見知り程度になるほど気に入った相手であれば――――それでも常識的なそれと比べれば恐ろしいほど冷淡に――――「もったいない」「惜しい」と思うことはあるが、常人のように喪失を悲しむことはない。


 人の死に頓着しないが故に、それに対する不謹慎などの感覚にひどく疎い。それは話し相手が死というものに心を痛めていようとお構いなし。まるで映画の感想でも言うかのように雑談の体で流す。

 そして、雪狸もそれは似たようなものだった。不謹慎だという感覚、すなわち常識的な範疇での忌避感や不快感は抱いていても、死そのものを悼む心は彼には欠けていた。


「どうしたの?」

「……いえ、やはり人の死に思うところは無いのだな、と思いまして」

「あっはは、そりゃそうだよ。今更じゃない? というか人死にを嫌うような性根タチだったら世界滅ぼしたりしないって」

「まぁそうでしょうね。貴方が人の死を悼んでいるところは想像できません」

「言うねぇ。ま、そうなんだけどさ」


 世界滅亡の主犯と被害者。あまりにも異質な関係の二人は、歪ながらも顔見知りから気安い知人のような間柄に変わりつつあった。

 ムカつくからという理由で世界を滅ぼし、それに飽き足らず人の死を嗤うヴィクトルを、雪狸は忌避しながらも受け入れつつある。一方のヴィクトルも、“なぜ顔も知らない何処かの誰かのことを考えるのか”と疑問に思いながらも雪狸を受け入れつつあった。


「日本の生存者はどのくらい居るのでしょうか」

「数は分からないけど東京あたりには大きいコミュニティあるかもね。遠目で結構な数の焚火の煙とか見えたよ」

「人が多い分、生き残る数も……ということでしょうか」

「さぁ? 滅ぼすトリガー引いたのは私だけど、最終的にどのくらい殺すかはやる側に委ねちゃったし」

「自分は実行犯ではなく教唆側だ、と?」

「まあ厳密には実行犯なんだろうけど……というか、言ってなかったっけ? この辺りの話」

「はい、聞いたことないです。興味もないのでその辺は追々でいいですけど」


 発言通り、雪狸は世界が滅んだことに対して、ひいてはヴィクトルがどうやって世界を滅ぼしたのかについてまるで興味がない。反面、どれだけの人が生き残っているのか、どこで生活しているのかはそれなりに関心があった。

 ただし、それはいずれ必要になるであろう物資のトレードなどを見据えての関心であり、雪狸という少年は基本的に他人に対して冷淡だった。


「……葵乃下さん」

 

 ――――基本的に、というだけであって、顔見知りにまでそうなのかと言われれば全く違うのだが。


「キノシタ? 君の友人かい?」

「ええ……と言っても、小さかったころの話ですが。同年代の子がいて、短い間だけ世話になりましたが、それっきりです」

「だけ、って言う割には覚えてるじゃん。思い出大事にするタイプだっけ?」

「言い方がイラつきますけどその通りです。基本的にどうでもよかったので」


 雪狸の生まれ故郷(と言えるかは怪しいが)の集落には、昔から続く地主の家系があった。それこそが葵乃下家。昔ながらの広い日本家屋と、それに比例するかのような血縁関係の広さを持った大地主。

 育て親が児童虐待で逮捕され、孤児院へ行くまでのわずかな空白期間を、雪狸はそこで過ごしたことがあった。


「じゃあその『基本的』に入らない例外だった訳だ、そこでの思い出」

「……1週間ほどの短い間でしたが、鮮明に覚えています。色々と当時の自分にとっては衝撃的でしたから」


 ぼんやりと、幼い日の思い出を引き出しながら複雑化した街を歩いていく。消し炭の熱気に曇り空の湿気が合わさり、汗はとめどなく流れる。その不快感すらも、今の雪狸にとっては懐かしいものだった。


「……今は可笑しいことだったと理解できていますが、家に居ても怒鳴られないことが、あの頃はとても不思議で仕方がなかったんです」


 暖かい食事が出てくること。風呂に入れること。怒鳴られないこと。蹴られないこと。虐められないこと。そんな当たり前のことが、当時の雪狸にとっては強烈な違和感であり、逆にストレスの元になってしまうほどだった。

 先天的に身体的な苦痛に強く、それに耐えることが出来てしまうから。「そういうものだ」と苦痛な環境を受け入れてしまえるから、当時の彼にとっての一番のストレスとは「傷つけられない環境」だった。


「優しくしてもらってたのにイライラしてたわけだ」

「『どうしてそうするのか』がまったく分からない時分でしたから猶更に。……今となっては、正直恥ずかしい思い出なのですが」

「小さい頃の思い出なんてそんなもんじゃない?」

「そうでしょうか」


 熱を帯びた瓦礫を、バールを手鉤代わりにして退かしていく。そこに埋まった不自然な簡易金庫をこじ開ければエナジーバーと水が入っている。数日前には存在しなかったはずの家屋で、さらに2日前には存在しなかったはずの金庫に入った食料という異常がそこに鎮座している。

 雪狸にとっては3ヶ月の間ずっと繰り返されてきた事であり、未だ不慣れながらもその歪な現実を受け入れつつあった。


「葵乃下さん、要はそこの長女のことなのですが……当時の彼女は……その、だいぶアレと言いますか。悪い金持ちの子の見本みたいな有様でして」

「滅茶苦茶言い淀むじゃん」

「実際今思い返してもダメなところが9割9分なんですよ。……でも、逆にそれが安心できたんです。僕にとっての当り前は、虐げられることでしたから」

「僕が言うのも何だけど大概歪んだ幼少期だよねホント」

「だから言ったじゃないですか、恥ずかしい思い出だって」


  これまでにない拗ねたような表情をする菊花を、ここぞとばかりにけらけらと笑って揶揄うヴィクトル。この期に及んで争い続ける人々を嗤い吐き捨てていた時とは別人のような穏やかな笑みを浮かべながら、世界滅亡の主犯はまるで悪戯でも思いついたかのように提案する。


「気になるなら行こうよ、君の知り合いのトコ」

「葵乃下さんの家にですか? ……ですが、今のこの状況が世界中となると……」

「むしろチャンスだって。世界がメチャクチャだからこそ行こうよ。余計な事してくるようなバカはこの世に居ないだろうしさ」

「……そういうことをさらっと言うんですね」

「別に後ろめたい訳じゃないし? まあとにかく連絡くらいしてみなって。生きてればそれでよしじゃん?」


 いつになく饒舌に、そして押せ押せの勢いを隠さないヴィクトル。この男は興味が出た事柄に対しては非常に貪欲かつ強引になる傾向がある。その上で世界を滅ぼしたことには責任も感じていなければ後悔もないため、端的に言って性格的には最悪の部類であった。

 ……が、それで嫌悪するような感性は雪狸には無く。常識的な考え方に基づいてツッコミこそ入れたが、ヴィクトルに対して悪感情自体はさほど抱いていない。強いて言うならガラの悪い友人程度の距離感だった。


 故に、“それもそうか”と雪狸はヴィクトルの提案を受け入れた。スマートフォンを取り出し、登録こそされていたが一切使ったことのない電話番号を電話帳から選んでタップ。どういう理屈かは分からずとも通信ができることは確認していたため、そこに挟まる無数の疑問からまた目を背けて一直線に行動する。


 コール音が3回、4回と続く。この大災で亡くなっていればそもそも繋がらず、よしんば生きていたとしてはたして通信機器を持っているのか。持っていたとして、そもそもこのコールに出てくれるのか。まるで遠方の想い人にでも電話を掛けるかのような心持で、雪狸は無機質な音へ耳を傾ける。


 7回、8回、9回……。10回目が鳴っても尚出ないのなら諦めようと通話終了ボタンへ指を伸ばしかけ――――


『……も、もしもし』

「……葵乃下さん、ですか? 僕です、雪狸です」


 聞いたことのない、しかし調子だけは覚えのある少女の声が鼓膜を揺らす。名前を伝えるも返事はなく、数秒の間を開けてしゃくり上げるような声が聞こえてくる。

 泣いているのだろうということを雪狸は一瞬で理解したが、その反応速度に反して対応することがまったく出来ない。泣いている理由も、それへの対処法も分からないから何もできずに酸欠に喘ぐ魚のように口を開閉する。


「あ、え、え……っと…………」

「大丈夫?」

「あ、はい、大丈夫なんですけど……ええと……」

「落ち着きなって。とりあえずこれからやることパッと伝えちゃいなよ」

「は、はい」


 ヴィクトルのアドバイス(と言うには雑に過ぎるが)を受け、ひとまず大きく深呼吸。これからやること、と聞いて頭に浮かべたことを理路整然と伝えようとして、しかしそんなことが話したいわけでもないと思い直し、さらに数十秒。


「え、ええと、ですね」

『……はい』

「その」

『…………』



「――――これから、遊びに行っていいですか?」


 熱暴走気味になった頭が弾き出した答えは、あまりにも素っ頓狂だった。

 流石の雪狸もやってしまったと即座に気づく。確実に大変なことになっていると分かる状況で、と言うよりそもそも現在進行形で被災しているであろう相手へかける言葉では絶対にない。

 ヴィクトルは噴き出して笑い声を抑えるのに必死で役に立たないので、雪狸は自分で考えるしかない。


「え、えっとごめんなさい、遊びに行くじゃなくて、助けに……というか、手伝いにというか、ええと…………」

『…………っ、ふふ』


 完全にパニックを起こししどろもどろになって訂正を試みる雪狸を、電話越しに少女は笑う。可笑しくて仕方がないとばかりに、嗚咽の中で抑えきれない笑みが声として漏れる。


『ふふ、あはは、遊びに、って……そんな状況じゃ、無いに、決まってるのに……ふふふ……』

「……その、ごめんなさい」

『……ううん、良いんです。何だか久しぶりに笑えて、少しだけ気持ちが楽になれたので』

「…………」


 聞こえる声はとても穏やかで、どこか嬉しそうだった。恥ずかしいやら何やらで返答に困る雪狸を知ってか知らずか、少女の涙声はもう聞こえなかった。


『待っていますよ』

「……」

『大したもてなしは出来そうにありませんが……それでも宜しいのであれば、いつまでも待っています』

「…………はい」

『ですので、その……』

「何でしょう」

 

 遠慮がちになる少女の声。雪狸が続きを促せば、何かを決心したかのように咳ばらいを一つ。


『――――遊びましょう、一緒に』

「……」

『……あれ? 雪狸さん? もしもし?』

「……あ、いえ、聞こえてます。大丈夫です。じゃあ今から向かいますね」

『え、あ、ちょっと今からって――――』


 発言を揶揄われたかのような返事に耳まで真っ赤になり、雪狸は強引に通話を切った。


 ヴィクトルは通話が切れた瞬間から腹を抑えて大爆笑していた。

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焼け跡の街の異邦人 何もかんもダルい @Minestar

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