番外編 ノアのその後
ノアの仲が良い友人が言い出した。
「今日は妹の買い物に付き合うことになっているから、早めに帰ることにするよ」
侯爵家の三男である友人は、近衛となることを希望しているため、殊更剣の鍛錬は熱心に行うのだが、今日は心ここに在らずといった様子で早く帰ると言い出した。
「お前の妹って左手が使えないんだよな?」
友人の妹の左手は、生まれつきピクリとも動かないらしい。ただし、動かすことが出来る右手を使って作り出す刺繍は芸術品とも言われるもので、彼はいつも鼻高々となって自慢をするのだが、それだって、侍女の介助がなければ作り出すことなど出来ないだろう。
満足に一人で作り出すことが出来ないのだから、いくら芸術品と言われたとしても、ノアにとっては出来損ないが作り出した駄作という扱いになる。
「ノアはさ、いつでも俺の妹の左手が不自由なことを言い出すけど、それってどんな意味があるわけ?」
「それはお前の妹が」
「きっとノアは、お前の妹のことが羨ましいんだろう?」
「はあああ?」
「だって、何処の家だって欲しがることになるじゃないか」
「まあな!俺の妹は最高だからな!」
「はあああああ?」
全く納得がいかないまま、出来損ないの妹との買い物のために早く帰っていく友人の背中を見送っていると、
「ノア、お前さ」
と、友人の一人がノアの肩を叩きながら言い出した。
「まさか加護持ちの重要性を知らないわけじゃないよな?」
「はあ?どういうことだ?」
ノアは首を傾げながら言い出した。
「俺の母親は確かに加護持ちだが、それが何だって言うんだ?」
「そうだよな、お前の母上は確かに加護持ちだよな」
ノアの母親が辺境伯の娘で、加護を持っていることは有名な話でもある。
「お前が常識知らずってことはないと思うんだけど・・まあ・・いいか」
その時も、なんとなく話を濁す形で終わることになったのだが、周りが言いたいことがノアにはよく分かっていなかった。
家では、祖父母も父も、叔母も従妹も、揃って、
「加護持ちだからって、だからなに?」
と言うのだ。
加護を持つ母は弱視のため、人の介助なくして満足に生活をすることも出来ない。迷惑になることこそあっても、加護を持っているのだからと言っても、なんなんだと言うのが周りの意見だし、
「・・・」
母は無言で寂しそうに笑うだけ。自分が周りに迷惑をかけていることが分かっているからこそ、何も言えないのだろうと思っていた。そんな母が毒を盛られて殺されることとなり、精霊の怒りによって王国を大雨が覆い尽くす事態となってしまうまでは、ノアは本当にそう思っていたのだ。
「君は今まで精霊教会に行ったことがないのかね?」
「司祭から説法を受けたことはないのかね?」
「この世界は精霊の加護によって守られている。この世界で生きることを我々は精霊に許されているからこそ、安心して生活することが出来るのであって、我々が精霊よりも上、加護や祝福を持つ人間よりも遥かに上だとか、そんな考えがあって良いわけがないのだよ」
「君は伯爵家の後継者じゃなかったのかい?」
「ハルスラン3世の思想を忠実に引き継ぎ守ろうとするだなんて、正気とは思えないな」
「母や妹は確実に『精霊の加護』を受けている。尊重し、尊敬し、敬い守り続けるのが当たり前だというのに、自分たちと同じことを満足にこなすことが出来ないからという理由で、嫌悪し、虐げ、嘲笑するとは、正気とは到底思えないな」
「ゼタールンド伯爵家はバカの集まりだったのか?全員、極刑は免れないだろう。君は一応、個人的に人まで雇って真相を究明しようとしたようだが、結果、何もしていないではないか」
「毒で倒れたまま行方不明となった妹が居てもそのまま、母が毒殺されたと聞いても墓の中身を確認しようともしない」
「結局何もしていやしなかったんだ」
「悪魔のような叔母と従妹ばかりを尊重し、可愛がり」
「結果、母親や実の妹が虐げられるのを放置した」
「結局、見向きもしなかったんだろう?」
「君も父親と同罪だよ」
「死刑だ」
「極刑だ」
「生きている価値などないだろう」
そんなことを周りから言われながら、一体、どれほどの時間が経過したのだろう?
一体、どれほどの日にちが経ったのだろう?
処刑される日がいつ来るのかと怯えながら牢獄に囚われ続けたノアは、ある日、漆黒のローブを身に纏う老爺に手を引かれ、牢獄の外へと出ることになったのだ。
「何ということだ。君も、ビビ嬢と同じように大きな精霊の加護があったというのに、全てが消えて無くなっている」
森の賢者はそう言ってまじまじとノアの顔を見上げると言い出した。
「君は足の指が動かない、生活に支障をきたすほどのものだったと思うのだが、独自に訓練をして、普通の人間と同じように過ごすことを選んだのだな」
確かにノアは生まれつき、足の指十本、全てを動かすことが出来ない。要するに指に力を入れて踏ん張ることが出来ないため、幼い時には満足に歩くことも出来なかったのだ。
周囲の厳しい目付きに気が付いたノアは、密かに訓練を続けていた。訓練に付き添ってくれた護衛の騎士は、
「加護持ちとはそういうものなので、何の問題もないですよ」
と言ってくれたのだが、満足に出来ないことを明るみにすることを嫌ったノアは血が滲むような努力の末に、普通の人間と同じように歩く力を身につけた。
「実に馬鹿馬鹿しい、この王国は本当に、馬鹿馬鹿しいことが多すぎてうんざりする」
賢者は大きなため息を吐き出すと、
「君は加護の力を失ったが、だからと言って足の指が動き出すということにはならない」
と、宣言した。
「伯爵家は取り潰しとなった為、君は今や平民となっている。エステルスンド王国から追放処分を受けることになった為、国境までは同道してやろうかと思って声をかけたのだが、君はどうしたい?」
「私は・・不具合があってもまともな人間だと判断される国に移動したいです」
伯爵家では不具合があれば、それ即ち、神に見放された出来損ないという扱いになっていた。長年の母や妹への扱いを見ていて、自分はその虐げられる枠には入らないと主張し続けてきたところがある。
結果、父や叔母、祖父母の考えが間違いであったと言われてみても、どうにも腑に落ちないし、心安らかではいられない。
「エステルスンド王国以外は、どの国も不具合があったからといって差別するようなことなどしない。今回のように精霊の怒りを買うことになると分かっているからね」
賢者はノアを促しながら歩き出す。
「結局、私は死刑とはならないのですか?」
牢獄がある建物の外に出る寸前でノアが勇気を振り絞って問いかけると、賢者は皺だらけの顔に笑みを浮かべながら言い出した。
「君の妹であるビビ嬢が助命嘆願をしたからね。他の人間は処分しなければならなかったけれど、君だけは、生き残ることになったんだ」
「それじゃあ、祖父や祖母も?」
「最後まで文句を吐き出していたね」
「それでは叔母や従妹も?」
「最後まで泣き喚いていたよ」
「父は?」
「あれは最後まで落胆していたな」
賢者は杖をついて歩き出しながら言い出した。
「結局あの男は、なんだかんだ言って妻のことを愛していたのだ。だからこそ、実の妹や姪に殺されたと知って驚愕していたよ。実に馬鹿な男だとは思うがね」
牢獄の建屋の前には黒塗りの小さな馬車が用意されており、その馬車に乗り込みながら、
「とりあえず国境までは一緒に行こう」
と、賢者はノアに言ったのだった。
ノアの頭の中には、妹であるビビの顔がぐるぐると回り続けている。
「妹は・・毒を飲んだと聞いていたのですが・・」
「ペリギュラの毒は非常に厄介なため、精霊の力を使って解毒したと聞いている。舞踏会の時は元気そうに見えただろう?」
公爵家に混ざるようにして並び立っていた壇上のビビは、美しく華やかなドレスを身に纏い、まるでお姫様のように顔を上げて前を向いていた。
いつもは下を俯いて、無理やり口元に笑みを浮かべているような娘だったのに、随分と変わってしまったものだと驚いたものだった。その後、母親の遺体まで持ち出されて、茶番のような出来事が目の前で繰り広げられて、それでもビビは、凛とした姿で最後まで立ち続けていたのだ。
兵士たちに取り押さえられるノアを見て、驚き慌てるというよりは、憐憫の情を浮かべているようにもノアには見えた。
従妹のマリンが家にやってきてからというもの、完全にビビの立ち位置はマリンに持って行かれてしまったのだ。それを咎めなかったのは父もそうだけれどノアも同じで、ノアにとっての妹のビビは、出来損ないのいらない娘という扱いだったのは間違いない。
それでも家から出て行って欲しいだとか、死んで欲しいとまで思ったことなど一度もない。
「たとえ文字が読めなくても、書くことが出来なくても、君にとってビビ嬢はかけがえのない妹だったはずなのにね」
賢者はため息を吐き出しながら言い出した。
「人は自分に自信が持てなかったり、誰かに当たり散らしたいほどにむしゃくしゃしていると、自分よりも弱くて反抗もしないような者に目をつける」
馬車が出発すると、ガタゴトと車体が大きく揺れ出した。
「誰かを陥れ、自分よりも下にいるのだと確認しながら安心する生き物でもあるし、心に余裕がなければ異端を受け入れることなど出来やしない。自分たちと同じような人間で取り揃えて安心しようとしたのがハルスラン3世であり、自分たちこそが素晴らしいのだと思い込もうとしたのが君たち家族だよ」
そうして賢者と共に五日ほども馬車で移動をしていくと、荒野の先に広がる国境線が見えてくる。検問所を越える際にも煩雑な手続きをするわけでもなく、あっという間に隣国へと馬車が移動をしていくと、
「あ!」
馬車の窓からエステルスンド王国の方角を見つめていたノアは、驚きの声を上げたのだ。
こちら側は真っ青な空がどこまでも広がる晴天だというのに、あちら側は灰色の雲に覆われた曇天が広がり続けている。国境に沿ってどこまでも、どこまでも、区切られるようにして広がる雲の渦を眺めていると、
「精霊の怒りとは凄いものだろう」
賢者は笑みを浮かべながら言い出した。
「君らの所為で、こんなことになっているのだと自覚するが良い」
「申し訳ありません・・」
ノアは俯くと、ポロポロと涙をこぼし落としたのだった。
結局ノアは次の街で賢者と別れると、その街で一番大きな商会の門を叩くことにしたのだった。今のところ精霊の怒りを恐れて、どこの国もエステルスンド王国との国交を断絶しているような状態らしい。
それでも精霊の怒りさえなくなれば、国交は再開されることになるだろう。その時に必要な物資を王国に送り込めるようにするために、ノアはその後、必死になって働き続けることになったという。
ノアはその後、一度も故郷の土を踏むことはなかったのだけれど、自ら商会を立ち上げ、世界を股にかけるような働きを続けた。たくさんの従業員を抱えたノアは、彼らに対して差別をすることを許すことはしなかった。
人は身体の不具合の有無に限らず、見かけや出自、人種や肌の色で差別する。ノアは国の違い、信じる神の違いを受け入れ、相手を理解し、尊重することを辛抱強く諭し続けるようなことを行った。だからこそ、彼の商会は世界中で受け入れられて確固たる地位を築くことになったのだ。
「何故、その部分にこだわるのですか?」
そう問いかけられたノアは、いつでもこう答えていたという。
「私は昔、妹が文字を読めないことを酷く嫌って、馬鹿にしていたことがあるんです。彼女は精霊の加護を持っているというのに、ありえない話でしょう?加護を持つ妹は愚かな僕の所為でメイドの服を着て下働きまでしていたんですよ、まるでシンデレラみたいにね」
ノアは妹を差別する愚かさを知り、世の中の差別を憎み、あらゆる差別を自分は否定することを誓って生きているのだという。
「だってそうしないと、妹に顔向け出来ないじゃないですか」
彼の机の上には、新聞を切り抜いただけの妹ビビの写真がいつまでも飾られ続けていたのだった。
〈 完 〉
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これでこのお話は終了となります。あとがき(ぼやき)的なものを近況ノートに入れていこうと思っておりますので、そちらも覗いて頂ければ幸いです!!
続いて『悪役令嬢はやる気がない』の続編、『悪役令嬢は王太子妃になってもやる気がない』を掲載していこうと思っています。そちらも読んで頂ければ嬉しいです!
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