モジュール式善性

@vantherra

第1話

 俺は驚いた。眼の前のおっさんが、いきなり後頭部をぱかっと開いたと思ったら、そこから何か樹脂で出来た四角いパーツを取り出したからだ。

 ここはそこそこ人が行き交う駅前の歩道上。俺は退社したものの、なんとなく家に帰る気にならず、かといってどこの店に入るでもなくぶらぶらしていたのだが、ちょっと先のベンチに座ったおっさんが何の気なしに目に入ったと思ったら、いきなり後頭部を観音開きにして、その中に手を突っ込んだのだ。驚かない方がどうかしている。

「お、おい大丈夫か」

 俺は思わず声をかけた。

 おっさんは特に血が出たり倒れたりすることもなく、後頭部を開けたままくるっとこちらを見ると、「ああごめんなさい、びっくりさせちゃいましたね」と微笑んだ。

 そうしてまたくるっと頭の向きをさっきと同じに戻すと、慣れた手付きでかちゃかちゃとさっきと同じような四角いパーツを抜いたり差したりし始めた。

「恋愛は、優先順位を下げて、と……」

 よく見るとパーツごとに倫理、衛生などとテプラで名前が書いてあり、それぞれに金属の足がついている。おっさんの後頭部には、観音開きになった蓋の奥に、その足が差さるよう整然とソケットが並んでいた。ヒューズボックスみたいな形だ。

 おっさんは俺が驚愕の表情を浮かべながらパーツの抜き差しを見守るのでちょっと嬉しそうだった。手品師みたいな心境なのだろう。実際これも手品かもしれない、というか手品であってくれないと俺の何かが崩壊してしまう。

「これね、見たことないでしょう」

 おっさんはパーツの入れ替えをひとしきりした後、樹脂パーツのひとつを指でつまんで自慢気に見せてきた。ピンク色というか肌色をした2センチくらいの立方体で、やりすぎたテトリスのように角を落としてあり、つるっと光沢を放っている。そのパーツの一番見やすい背中の部分に「宗教」と書かれたテプラが付いていた。

「宗教?」

 俺が思わず復唱するようにそのテプラを読み上げると、おっさんはにこにこと笑みを浮かべながら、

「そう。これを頭に差すと、神の存在を感じるようになるんです」

 と、今度は別の意味で恐いことを言いだした。俺は圧倒されっぱなしだが好奇心の強さが並みではないから、あえておっさんの話をしっかり聞いてみることにした。

「ひょっとするとその頭にあれこれ取り付けたパーツは……?」

「そう、すべて人間の価値観をモジュール化したものです」

 おっさんは俺がすべて言葉にして質問する前から、用意されていた回答を出してきた。日夜こうした問答を繰り広げているか、自分の家でシャドーボクシングのように「聞かれたらこう答えよう」と練習していたのかもしれない。おっさんだからわかり辛いが、よく見ると頬が紅潮している。

 俺が説明の先を促すように手で「どうぞ」というジェスチャーをすると、おっさんは嬉しそうに解説を始めた。

「小生、幼い頃より人と接するのが苦手でして、ひょっとして自分に社交性が欠けているのは性格というより器質的に、つまり肉体的にどこか欠けているからなのではないかと疑うようになりました」

「なるほど。欠損。」

「ええ。その延長で、たとえば一切手を洗わないどころか、風呂に入らず、歯も磨かず……と衛生観念が全くないような人は、衛生観念を司る部分がごそっと欠けているのではないかと疑ったのです。

 そういった人を指して『お母さんのお腹に忘れてきたような』という表現をするのを耳にして、私はハッと気づいたのです。人間のすべての価値観はすべてモジュール化出来るに違いない、と」

 あまりに突拍子もない話に俺がどう答えようか悩んでいると、おっさんはまた後頭部をこちらに向け、観音開きの蓋を開いて「どうぞ」と中を見せてくれた。

 内部にはさっきちらっと見えた通りヒューズボックスか配電盤のように端子が差さるソケットが並んだボードが見える。ひょっとすると何かの規格品を流用しているのかもしれない。

 ボードは大半が樹脂パーツで埋まっており、さっきおっさんが一度外していた「宗教」のまわりに「正義」「友愛」が並んでいる。「社交」もちゃんとあった。

「左上ほど優先度が高いモジュールです」

 おっさんに言われて左上の方を見ると、なるほど「倫理」は一番左上だ。おっさんの話が本当だとして、この倫理を外してしまったら一体どうなるのか、と昏い好奇心が湧いてきたが、おっさんは先回りするように「ご心配なく。外すと人が死ぬようなものは、はんだ付けして取り外せないようになっています」と解説し、そしていきなりパタっと蓋を閉じると、「それでは御機嫌よう」と足早に立ち去ってしまった。


 一人取り残された俺は、呆然としておっさんの後ろ姿を見守るしかなかった。

 しばらくして、周囲に俺の間抜けな顔をとらえるカメラがないかひとしきり確認した後、家に帰るために歩き始めた。

 考えてみれば、非道な殺人の話を見聞きすると、あれは一体同じ人間に出来ることなのだろうかと、恐いどころか不思議にすら思うことがあったが、価値観がモジュール式なのだとすると、その部分がない人間ということなのだろう。


 ふと立ち止まって自分の後頭部を触ってみたが、特に割れ目や亀裂は見つからなかった。

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