『世界から消えそうな彼女と僕』

小田舵木

『世界から消えそうな彼女と僕』

 夕焼けに満たされた街。

 真っ赤な太陽光に満たされた街。

 そこに君と僕は居る。

 

「人生なんて…押並べて意味はない」君はなんとも無さげにそう言う。

「人生に意味を求める方が間違っている」僕はクールに言い返す。

 

 ニヒリズムめいた事を言う彼女。彼女は僕の友人で。

 僕は彼女に好意を抱いているが。彼女はそんな事知った事じゃないのだ。

 彼女は。ニヒリズムを抱くには若すぎる。そもそも僕らは中学生だぜ?

 例え。人生に答えがあるとしても。その一部すら掴めないような年齢だ。

 

 ある哲学者は言った―『哲学を本当に出来るのは中学生まで』だと。

 僕はその意見に半分賛成で半分反対だ。

 中学生にもなればある程度の分別はある。だが。圧倒的に人生経験が足りていない。

 そも哲学なんて。生きていくには不要の学問だ。

 哲学のての字も知らなくても。人は生きていける。疑問にぶち当たらなければ。

 だが。人間というモノは疑問を抱かずには居られない生き物だ。

 だから。彼女は疑問にぶち当たっている―『人生に意味を求めよ』

 この命題には答えがない、それが僕の意見だ。

 僕は何度も彼女に言ったさ、「人生には意味がない」と。

 しかし。この答えは。彼女を満足させるどころか。ニヒリズムの始まりになってしまった。

 

 人間は。ただ。生物学的に発生する。そして地球という舞台に放り出される。

 舞台に放り出されたからには、台本を期待してしまうのが常だが。

 僕たちは。アドリブ演者なのだ。台本など渡されない。

 その場その場で、適当に演じる他ないのだ。

 

 僕は。

 この地球に産み落とされてからというもの。

 適当に生き続けている。

 本能的に分かっていたのかも知れない。人生の無意味さ加減を。

 だが。彼女は疑問に行き当たってしまった。

 僕はそれをなんとかしたい。スケベ心もあるかも知れないが。

 それ以上に。このまま放っておくと、彼女がこの世から消えてしまいそうな気がするからだ。

 

 

                  ◆

 

 彼女は消えそうな位に儚い。

 元々存在感のあるタイプではないが。それ以上に。ニヒリズムを抱いてからは更に儚くなっちまった。

 

 学校の屋上。青空の下。

 僕と彼女は給食終わりの時間をそこで過ごしている。

 彼女は。屋上から校庭を見下ろして。よく分からない表情をしている。

 僕はヒヤヒヤしている。彼女がそのまま飛び降りたりしないかと。

 

 僕は後悔している。彼女にニヒリズムを抱かせるような発言をしたことを。

 だが。しょうがないじゃないか。僕は彼女の疑問に真摯しんしこたえただけだ。

 

 風にはためくスカート。そこから伸びる脚。

 彼女は、今は、地に脚を着けている。

 だが。それは今のトコロの話である。

 これ以上ニヒリズムに冒されて、人生の無意味さを嘆こうものなら―自殺だってしかねない。

 

 僕には。彼女を止める義務がある。

 …スケベ心じゃないぞ。

 だが。僕はどうして良いのかは分からない。

 ニヒリズムを抱かせるような発言はした、だが。それを打ち消す言葉がない。

 僕はない頭をフル回転させてみるが。彼女を引き止める言葉はどれも陳腐だ。

「人生には意味はないかも知れない…なら。一緒に探そう」とか。そんなスケベ心丸出しのクソ台詞しか思い浮かばないのだ。

 

 僕は彼女の後ろで頭を掻きむしる。

 僕は彼女の側に居る、物理的に。だが。心の距離は。アホほど開いていて。

 僕は悔しくて仕方ない。何故、彼女の側にあるのがニヒリズムなのか?そしてそれを抱かせた馬鹿は僕だ。全く、自分のアホっぷりが嫌になる。

 

「頭から血が出るんじゃない?」彼女はふと言う。

「…そのついでに知恵も出てこねえかな」

「それはないでしょ」

「だよねえ」

 

 僕と彼女の二人だけの時間は。

 あっという間に過ぎていく。

 まったく。何で思春期の時間の進みは早いのか?

 僕は嫌になる。そして自分の脳みその回転の遅さに絶望するしかない。

 

                  ◆

 

 閃く刃。それはカッターナイフの刃。

 僕は彼女がカッターナイフを持ち歩いている事に驚く。

 

「動脈をスパッと切れば、痛むよね?その時生きている心地がするかな?」

「アホ言うな」僕は彼女の手元を伺う。さっさとカッターナイフを取り上げたいのだ。

「確かにアホみたいな事してるけど。これ以外、思いつかなくて」

「…痛みなんて。末梢神経の叫びでしかない。そんなモノで人生は測れない」

「かもね」彼女はバッグの中にカッターナイフを仕舞う。

「全く。僕を脅して遊んでるのかい?」

「それもなくはないかな」

「勘弁してくれよ。いくつ心臓があっても足りない」

 

 僕と彼女は下校中。

 …僕も彼女も友達が居ないのだ。

 僕は変人として学年に知れ渡り、彼女は近寄りがたい存在として学年に知れ渡ってる。

 僕たちは浮いたもの同士なのだ。

 それが宿命的に惹かれ合い、何となくつるむようになっちまった。

 

 僕と彼女は夕方の街をそぞろ歩く。

 この街は地方都市で。そこまでの賑わいはない。

 寂しい街に。悩めるティーエイジャーが二人。

 街は答えをくれそうにない。僕らは自前の頭で何とかするしかないのだ。

 

 僕と彼女は駄菓子屋に寄って。適当に駄菓子を買い込み。

 公園へと向かう。

 適当な遊具が散りばめられた公園。そこは時が止まってしまったような場所で。

 そこに僕ら二人はたむろする。

 

 彼女は。買ったばかりのスティック型のコーン菓子を頬張りながら、ブランコを漕ぐ。

 僕はその隣のブランコに乗って。長細いガムキャンデーを噛みしめる。

 

「ブランコってさ。人生みたいじゃない?」彼女はコーン菓子を齧りながら言う。

「寄せては返す…まあ。確かに人生じみているかもね」

「こういう無意味な動きを延々と続ける…人生ってそういうモノじゃないかな」

「その無意味さを愛せ、ブランコの教訓」

「…私は。飽き性でね」

「飽きようが。人体は腐るまでは生命維持を続ける。その間、適当にやり過ごすしかあるまいて」

「その適当、が分からないんだよ」

「それは自分の頭で捻り出してくれ」

「面倒くさいなあ」彼女はそう言いながら。ブランコを漕ぐ。思いっきり。

 彼女は宙高く舞って。そして重力に引き寄せられて落ちてくる。

 僕は地球に重力がある事に感謝する。

 じゃなきゃ。彼女はそのまま。宙に浮いて。そのまま空に消えていきそうだから。

 

 放課後の時間は。あっという間に消えていく。

 僕たちの人生は、まだまだ残っているが。

 あっという間に消えていくものなのだ。この放課後の時間が証左。

 僕は焦る。早く彼女をこの世界に引き戻したい―うん。彼女は別の世界に行っているようなものなのだ。

 だが。僕は思う。別の世界から引き戻す?いや、それは傲慢ではないか、と。

 人は。それぞれに世界を内包する。脳を介して世界を間接的に受け取っている。

 世界は動かしようがないものなのだ。人に分かち難く結びついている。

 彼女は別の世界に行ってしまったのではなく。ただ。世界観が変わってしまっただけだ。僕の余計な一言で。

 ああ、返す返す思う。僕は愚かであったと。

 ただ。彼女に対して答えを与えたいが故に。阿呆なニヒリズムの種を蒔いてしまった。

 

 

                  ◆

 

 降り注ぐ雨。灰色の天蓋から落ちてくる水滴。

 僕と彼女は傘を差しながら歩いてる。

 僕は振ってくる雨粒を見つめる。彼女にかける言葉が見つからない。

 彼女はそんな事はどうでも良いという風に。ただ。まっすぐ道を歩いている。

 

 僕は雨粒を見つめすぎて。その雨粒が逆再生したかのような幻覚に囚われる。

 地上から水が沸き起こって。そのまま天へと昇っていく。

 地面から水分が消えていく。

 それと同時に。彼女さえも。小さな水滴となって。空に吸い込まれていきそうな恐怖。

 僕は恐ろしい。僕の言った言葉が。彼女への呪いとなって。

 そうして彼女は消えていく…なんて心配のし過ぎだろうか?

 だが。彼女は儚い。見た目からして儚い。

 白い肌。まっすぐ伸びた黒髪。能面みたいな顔。

 この世界ギリギリで存在してるかのような危うさが彼女にはある。

 対しての僕は。しっかりと地に脚を着け。消えていく彼女を見守る事しか出来ない。

 

 僕は悲しい。

 消えていく彼女を見守る事しか出来ない矮小わいしょうな自分が。

 僕の眼の前で彼女が消えるのは何時か?そんな恐怖と共に暮らしている。

 彼女が居なくなったら。学年での変わり者の僕は孤独になる…いや。そんな世俗的な悲しみじゃなくて。彼女が。他ならぬ彼女が消えてしまう事がただただ怖い。

 

 僕は彼女を恋うている。

 あくまで、恋、だ。

 僕は。彼女の存在そのものを愛していると言うより。彼女の属性に惹かれているだけのように思える。

 しょうがないじゃないか。まだまだ中学生だ。

 中学生に愛は早いのだ。愛というものは時間と共に現れるモノだと僕は思う。

 だから。彼女に。今。消えて欲しくない。

 僕らはもっと永い時間を共にしなくてはならない。

 少なくとも僕はそう思っている。

 

                  ◆

 

 波は寄せて消えていく。

 僕と彼女は。休みの日にすることがなくて。

 近場の海に来ている、弁当を持って。

 砂浜に二人で座って。自分たちで作った弁当を食べ。

 この海の向こうにある何かを見つめている。

 世俗的なアンサーをするなれば。この海の向こうには韓国がある。ここは玄界灘げんかいなだだからね。でも。僕と彼女は。そんな世俗的なモノじゃなくて。もっと何か違うモノを見ようとしている。

 

 風が。彼女の長い髪をはためかせる。

 細い黒い糸。それが彼女の頭皮から空へと向かってはためく。

 そのまま、彼女は風に呑み込まれて。消えてしまうんじゃないかという妄想。

 僕は彼女が消える妄想ばかりをしている。

 彼女は。はためく髪を見つめる僕を。そっと見守る。

 

「じっと私を見てる。どうして?」彼女は首をかしげながらく。

「…君が消えちまうんじゃないか、ってね」僕は率直に応える。正直なのがウリなのだ。

「消えてしまいたくなる時はあるけど…まあ消えたりしないよ」

「本当かい?」

「大丈夫。消える事さえ面倒くさいから」

「そういう答えは。消えたくないって言ってないぞ」

「それ以外にどうこの心情を表せ、と?」

「うーん。分からん」

「物知りな君でも。答えられない事もあるんだね」

「そりゃね。特に君の感情は読めない。僕は僕だからな」

「私は―」彼女は海を見て。空を見上げる。その時に真っ白い首が、天を突く。僕はその白さに感嘆する。同時に儚さを感じてしまう。ギリギリの存在感。「別に。それと言った絶望感はないよ」

「そうだろうか?」僕は問う。彼女は。妙な倦怠感と諦めの感情が入り混じっているように思えるのだ。

「生きているのは面倒くさいけどさ。君がいるからね」

「なら良いんだけどさ。君って妙に儚いから。何時か消えちまいそうだ、僕の知らない内に」

「本当に消えたくなった時は。君にも知らせるよ」

「知らせたら。僕は本気で止めるぞ」

「止められるかな?」

「止めてみせるさ。それが友達ってもんだろ?」

「友達、ね…」彼女は砂浜に眼を落とす。そして砂を握りしめる。

「友達が困ったら手を差し伸べるもんだ」

「ありがとね」

「なんのその」

 

                  ◆

 

 晴天の霹靂へきれき

 まさしく僕の転校の知らせはそうだった。

 僕は親に抗議をしてみたが、それは通らなかった。

 

 僕がこの土地で心残りなのは。

 彼女だけだ。友達なんか居ないしね。

 だからこそ。彼女に知らせるのが遅くなっちまった。

 本当はいの一番に彼女に知らせるべきだったが。

 クラスでの発表がそれになっちまった―

 

「君は遠くに行くんだね?」彼女は淋しげな顔で僕に言う。

「…北海道。札幌。九州の真反対にある島にふっ飛ばされる。今から雪が怖いよ」

「良いなあ。雪。こっちじゃほとんど積もらないからね」

「君に宅急便で届けてやりたい」

「そんなモノ…良いって」

「遠慮するなよ」なんて。どうでも良い会話で。僕は無駄な時間を使っちまう。

 

 僕は出来るだけの時間を。彼女と一緒に居る事に使った。

 ああ、何で。こういう別れの時ばかり。彼女と共に過ごせるのか?

 僕は僕が蒔いたニヒリズムの種をどうにかしてしまいたかったが。それは叶わない。

 そも。普通にやっても時間がかかる。この短い時間でどうしろって言うのさ。

 

                  ◆

 

 別れの日は明日だ。

 僕は引っ越しの準備を速攻で片付け。

 彼女と過ごしている。

 部屋にはダンボールが一杯で。明日、搬出されるベッドの上に彼女は座っている。

 僕はコーヒーをすする。苦い。彼女の前だからって格好つけてブラックにするんじゃなかった。

 

「苦い顔してる」なんて彼女は微笑みながら言う。

「ブラックなんて。人の飲み物じゃねえ」僕はボヤく。

「子どもは味覚が鋭いから。苦味を感じやすい」

「大人になると味覚は鈍る訳か…何だか人生みたいだな」

「そうだね。私達は14だから。無駄に人生をセンシティブに感じてるのかも」

「歳を取れば生きやすくなる…のかねえ」

「じゃない?今みたいに。どうでも良いことなんか気にならなくなるんだよ」

「それはそれで問題なような気がするけどな」

「でも。多くの人は。疑問なんか感じずに生きているんだよ」

「疑問を感じる前に働けってか」

「そ。ただ生きる事に必死。人生の意味を問うたりはしない」

「人生の意味を問うなんて暇人のすることかも知れないな」

「だねえ。私には時間が有り余ってる。今のところはね」

「その内、オシャレとか覚えて…忘れるかもな。人生の意義なんて」

「…そうなんだろうね。少なくとも。こういう問題は。一緒に考えてくれる人がいないと、独りよがりになっちゃうからね」

「僕の事か?」

「そうだよ。私が。疑問をていせるのは君だけだよ」

「なんだか。愛の告白みたいだ」

「ある意味ではそう。一緒に居てほしいから…」彼女の眼には涙が溜まっていて。

「あのなあ…今さら言うなよお」僕は。その涙がベッドに染み込んで消えるのを見守りながら言う。

「だって。言ってしまったら。何かが変わってしまうような気がして」

「あのね。僕も君の事が好きな訳。変わりゃしない」

「…遅いよ。言うのが」

「だよなあ。もう明日には僕は遠くに行っちまうからな」

「…やだよお」そういう彼女は顔を崩して泣く。僕は一瞬、どうして良いか分からなかったが。とりあえず。彼女を抱きしめる。

 抱きしめた彼女は。温かい。僕が想像していたよりも暖かくて柔らかい。

 そんな彼女は。やはり儚い。僕にとっては永久に儚いのかも知れない。

 

「いつか。迎えに来るよ」

「いつかって何時?」

「大人になる前には。君と生きていけるようになったら」

「それまで待ってろって言うの?」

「待ってて欲しい。消えないでくれ」

「…格好つけすぎだよ」

「僕は。君のニヒリズムを消す言葉を探してた…もっと気の利いたヤツ。だけど。今や。こういうしかない」

 

                  ◆

 

 僕の引っ越しはまたたく間に終わった。

 彼女は―僕の家から荷物が搬出されるのを見守り。

 そして。家の前で別れた。

 彼女の顔にはささやかな笑顔。

「別れ際くらい笑ってようかと」

「無茶しなさんな」僕は言う。

「きっと―迎えに来てね」

「必ず行くさ」僕は親の前であろうが。この台詞を吐いた。タイミングってのは重要だ。間違えてはいけない…

 

                  ◆

 

 降り積もる雪の街で。

 僕は一人だった。元から変人の気がある。友達なんてできようもなく。

 だが。僕は彼女と細細ほそぼそと連絡を続けていた。

 しかし。その連絡も途絶えがちになってしまった。

 彼女はどうやら。新しい生活の中で新しい価値観を見つけてしまったらしい。

 …もう。ニヒリズムなんて詰らないモノにわずらわされてない。これは幸せな事だが、僕は悔しく思う。

 

 僕は。大学を選ぶに当たって。

 福岡の大学を目指そうかと思ったが―もう彼女は待っていないのだ。

 …ああ。中学生の頃の恋なんて。かように儚いものである。

 僕は先生の勧めに従って。東京の私立大学を目指す事にした。

 

                  ◆

 

 人の溢れる東京で。僕は彷徨さまよい続けた。

 もう幾年になろうか。

 僕は未だに彼女を引きずっている。

 あれから幾人かのパートナーを持ったが、誰も僕にはしっくりこなかった。

 あの時に抱いたような。感情はもう二度と訪れない。

 

 僕は空を見上げる。汚い空だ。

 福岡の街はビルが低くて。よく空が見えたものだが。

 僕は空に溶けた彼女を探してみる。無駄な事だとは分かっている。

 彼女は―多分、この空の下で生きている。

 …ニヒリズムなんて忘れて。ただ。生きている。

 僕がその側に居ないのだけが心残りだ。

 

 

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『世界から消えそうな彼女と僕』 小田舵木 @odakajiki

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