第3話大病院

 翌朝は曇りだった。電車とバスを乗り継いで紹介された大病院へと向かった。

 荷物をもち、足早に裏ゲートに入っていく私服姿の職員さんたち。

(こんなにたくさんの人が働いているんだな)

 ゆっくりソロソロと歩いている人は患者さんなのだろう。

 受付をすませ、番号で呼ばれるのを待つ。

 産婦人科は他の科よりは呼ばれるのが早いらしい。

 待合室には先生の著書がずらりと並んでいた。


 主治医となった人は著書も出している有能な方らしい。

「ふむ。確かに疑いがありますね」

「そうですか」

「もしそうだとしたら、産みますか」

 単刀直入に核心をついてくる。

 著名な方に否定的な意見を言うのは勇気がいった。いったい何人が同じ言葉を言うのだろうか?

 緊張するが、頑張って意見をいう。

「申し訳ないですが、……産めません」

「そうですか。もうご夫婦でお話をなさいましたか」

「いえ。詳しくは話せていませんが。主人は愛情をもてないようです」

「そうですか」

「それに家族にも喜ばれるほど、うちは裕福ではありませんから」

「そうですか。そのような決断をなさる方もいます。あまり気に病まないでください」

「ええ」

「我々とこの命を迎えましょう。たとえ障害があっても、一瞬だとしても大切な命です。我々は命を取り上げるのが仕事です。命に貴賎はありません」

「はい」

「すべて終わったら供養してあげてください」

「はい」

 これでいいのか悩む。産んでも喜んで迎えられないのは確実だ。

「ごめんね」

 腹をなでる。

「早い方が母体に負担がありません」

「はい」

「手術しますか?」

「はい。お願いします」

「わかりました。書類にサインしてください。あと日にちも決めましょう」

「はい」

 言われるままに書類を渡される。さすが手馴れている。流れるように動くプロは淡々と説明を続ける。

「この週の水曜日はいかがでしょうか」

「はい。大丈夫です」

「保険証とこの書類を忘れずにお持ちください」

「はい」

 売れっ子の先生との面会は早く終わった。

 

 お医者様は今やアイドルのようだ。診察はあまり時間をかけない。

「コレでいいんだよね」

 胸が痛い。申し訳ない。後悔が渦巻く。

 これまでの行いが自分に返ってきているようだ。


 別にタバコは吸っていないが、お酒は好きで飲んでいた。

 身体を温める温活は苦手だった。

 独り身の時には夜勤の仕事を何度もこなしていた。


「反省すべきはたくさんあるよね」

 子供を養うにあたって栄養素はきちんととれていただろうか。

 タバコの副流煙に当たりすぎてはいなかっただろうか。

 夜更かしをし過ぎていなかっただろうか。


 母体は少しのことで反応してしまうものらしい。

 子供を育む体を自分は育てられてはいなかった。


 会計を済ませ、立ち上がる。

 外へ出れば、まだ妊婦とは気づかれないだろう。

「だからって夜勤とか自分で選べるものではなかったしな」

 自分で生きる術だった。その部分は後悔しても仕方ない。

 これからの関係だって変えられるものだろうか。


 経済的には楽をさせてもらっている。

 彼のこと自体は好きだ。障害の子がうけ入れられないだけ。

 話し合うまでもなく存在するのも困難なほど固定概念が固いだけ。


 その夜、旦那には話した。

「やっぱり障害を持っているみたい」

「そうか。いつ決断すればいいの?」

「水曜日に下ろす手術を予約してるわ」

「そうか。うちはそういうの厳しくてな。産んでやることはできないな。供養はしっかりするから」

「……はい」


 何とも言えない苦い感情がよぎる。

 無事に手術が終わったとしても、再び妊娠できるのだろうか。

 子供が産めなくなったら離婚を言い渡されないだろうか。

 子供の命のほかにも不安は募る。

(姑が厳しい方だもの。仕方ない。諦めよう)

 言い聞かせる。今回だけだ。

 本当に今回だけなのだろうか。

 今回諦めたとして次回は健康に生まれてくるのか。

 不安は尽きない。

「おやすみなさい」

 もはや夫には話して解決はできなさそうだ。

 心の底でひんやりとしたものを抱えながら手術日を待つことになった。



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