第五夜【愛】

 男は市街地に着くとまず腹ごしらえをしようと、昼間から開いている居酒屋に入った。昼間から飲む日もあったが、それはワンカップをベンチに座って飲むだけである。まずは焼き鳥を数本とビール、普段食べられない牡蠣も注文した。ジョッキを一気に煽り、染み渡るアルコールに身を震わせる。

 貧困や世間からの視線を誤魔化す為に飲む酒ではなく、普通に嗜好品として嗜む酒がこんなに美味いとは。運ばれてきたお通しをつまみながら自分が人に昇華したのだと悦に浸っていると、一人の女が入って来た。

 女は市街地に住むどこにでもいる様な成りの女だったが、男はその顔に甚く興味を惹かれた。顔の好みもあるが学生の頃に好きだった女に似ていた。男はどうしてもその女を抱きたいと思った。金を積めばホテルに連れ込めるだろうか。しかし誘い方が分からない。

 考えあぐねていると女の後ろから若い男が入ってきて、横に座り楽し気に話し始めた。若い男は身なりも顔も男よりも良く話も盛り上がっているようで、男が持っていない物を持っているように思えた。

 嫉妬心が男を支配した。

 男は早々に会計を済ませ歓楽街へと行き急ぐ。日中開いている店はそう多くは無い。手当たり次第に店を訪ね歩き、空いている譲がいればすぐに事に及んだ。

 男は数件梯子して、やはり金を出せば顔の良い譲が出、テクニックはさることながら店の質自体も良くなるのだと学習した。

 そんな何の役にも立たない経験則がより男を性に走らせた。自分でも止められない疼きだった。

 酒を体に入れ手当り次第に馳走を腹につめ、そして女を貪る。その繰り返し。男はどうしようもなく女を求めた。


 夜も更け、ラブホテルに今日最後になるであろう女を呼んでいた。部屋を訪ねてきた女は初めに呼んだ女だった。

「またすぐ呼んでくれるなんてね、びっくりしちゃった」

「まぁ……」

 どれだけ金を使って女を買い、腹を満たしてもまだ何かが足りないと感じていた男は、初めに抱いた女にだけは満ち足りた感覚があったのを思い出した。今日共に寝られればさぞ満たされるに違いないと女を呼んだのだ。

 それはほぼ初めての行為が上手くいった事と女の肉付き、柔和な話し方が大きな要因だった訳だが、男はそこに文字通りの温かみを見出したのである。

 会話もそこそこにゆったりとした行為を終え、帰ろうとする女を引き止め言った。

「今日はこのままここに居てくれ」

 女は困惑した。

「いやでも時間が」

「金ならある」

 机の上に金を出す男。より困惑を誘ったが、しかし女も金の魔力には勝てそうに無かった。

「じゃあ……」

 女は金をブランド物のバッグに入れ、ベッドに戻った。

「ねぇそのお金どうしたの? 社長さんか何かしてるの?」

「いや、そういうのじゃないんだこれは」

「じゃあいいとこのおぼっちゃまとか?」

「いや」

「んー、宝くじ?」

「んん……いや、まぁでもそんなものか」

「へぇ! あなた運が良いのね! 羨ましいわ」

 女は男の腕を指で撫でた。良い金蔓になりそうだという思いで撫でたが、男は女性に不慣れであり、褒め言葉をそのまま受け取っていた。

「でもどうして私なんかにそんな使ってくれるの? 私より良い女なんかその辺に幾らでもいるじゃない」

「……君が良かったんだよ」

「……そう」

 女は顔を少し赤らめた。その言葉がお世辞で無いと直感で分かったからだ。

「本当に一緒に寝るだけで良いの? 色々してあげられるのに」

「いいんだ。このままで……君は……どうしてこの仕事をしているんだ」

「ちょっと。そういうのは聞かない方が女の子にはモテるわよ。まぁ……別に大した理由じゃないからいいんだけど。あたしね、夢があるの」

「夢?」

「そう」

「あたし女優になるのが夢なの」

「女優?」

 女は天井を見つめ遠い何処かに思い馳せる。

 男はその横顔を見つめた。今日抱いた女達と比べて美人ではない。テクニックもそこそこだったと思う。しかし、女の今見せているひたむきな顔に新たな欲求が生まれた。

 この女の傍に居られれば、幸せなのかもしれない。

 男は徐に立ち上がりバッグからシュトーレンを取り出し、一切れ齧った。

「どうしたの突然。それなぁに?」

 女が寄り添ってきて不思議そうに菓子を眺めた。

「あ、何だっけ、それ。えっとーシュトーレン?」

「そう。そうなんだけど」

「一切れ頂戴」

「駄目だ、これはあげられない」

「何よケチね。お金はあげられてもお菓子はあげられないって言うの? 変な人」

 尤もだが男にこのシュトーレン以上に大事な物など無い。

「これは……言っても信じられないかもしれないけども、願いが叶うシュトーレンなんだ」

「願いが叶う? サンタさんにでも貰ったの?」

「分からない。でも確かに叶うんだ。そのお金だってこれを食べたから叶ったんだよ」

「そんな事ある訳ないじゃない。変な人って思われるわよ」

「まぁ信じなくてもいいさ」

 男はシュトーレンをバッグにしまったが、さっきの願いは早まり過ぎたかもしれないと、既に後悔し始めていた。別に願いが叶うなら他の女でも良かったし、他の願いでも良かったはずだ。何故こんな事に貴重な1枚を使ってしまったのだろう。

 男は時計を見て日付が変わり次第、その願いを断る願いを叶えなければと思った。


 だが、ベッドで女と寝転ぶ内に微睡み、そして眠り込んでしまった。

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