第六話 クリフの懊悩
__ナスル王国トゥカ聖会特別保護地区トゥカ駅__555年9月4日
告発文書の残骸とともに線路上に取り残されたわたしたちは、七人の衛兵と対峙していた。
わたしとアカツキとオトを囲うのは警棒を手にした衛兵。銃を所持している衛兵は二人だけで、その銃口が向けられているのはオールソン卿。オールソン卿は強張った顔で未だ銃をタルコット侯爵に向けているが、その横にいたライナスは衛兵に警棒を向けられ両手を挙げている。
タルコット侯爵と護衛三人は緊迫した状況で、衛兵も迂闊に近づけないでいた。ベリックはタルコット侯爵の喉に短剣を突きつけ、マルクとオラフはベリックと衛兵の双方を警戒する。
乗客は避難したらしく、ホームでは数人の駅員が遠巻きにこちらをうかがっている。そっちにも一人衛兵の姿があり、駅長らしき男と話し込んでいた。
ワイアケイシア急行の車掌トマス・ロッキンガムは列車とともにトゥカ駅を発った。ロブがロッキンガムに何を吹き込んで、ロッキンガムがどんなふうにトゥカ衛兵にこの状況を伝えたのか。衛兵の表情を見る限り、あまりこちらの都合の良いようには伝わっていないようだ。
衛兵同士の会話はナスル語だが、ロアナ語に似ているため多少理解できる部分がある。その内容だけで彼らが味方ではないと判じるには十分だった。
『……聖女を利用し……』
『……聖会に罪をきせ……』
『……銃の他に爆発物を……』
オトは聞き取れたようだが、筆談でしかロアナ語ができないアカツキに理解できるはずもない。
「ユフィ、彼らは何て?」
彼はヨスニル語で尋ね、わたしもそれに合わせて返した。
「わたしたちが聖女を拉致して、その罪を大聖会に着せようとしているって言ってるわ。まあ、ある意味では間違いではないわよね。大聖会を共犯にして神殿に対抗しようとしてたわけだから。まさか、ベリックからロブに筒抜けだったなんて」
「ロブが連れていた男たちのことはどう思う? 本当にラァラ神殿の聖職者なのか、それともトマス・ロッキンガムを騙すため祭服を着たのか」
「ロブが祭服を着ても説得力がないものね。でも、ロッキンガムさんは偽の乗務員に騙されたばかりよ。祭服だけ見て簡単に信じるとは――」
ヨスニル語で話していると「何を勝手に話してる!」と、一人の衛兵が遮った。早口のナスル語だからそう言っているような気がしただけだが、見下すような目つきはわたしの感情を逆撫でするのには十分だった。
「あなたたち、さっきの状況を見て聖女を拉致したのがどちらかわからないの? 聖女を肩に担いで無理やり連れて行ったのは祭服の男よ。聖女はラァラ神殿から逃げるために大聖会を頼ってきたのに!」
わたしがロアナ語で声を荒げると、ほとんどの衛兵が意味を理解したらしく彼らの顔に動揺が浮かび、指示を仰ぐように一人の衛兵に視線が集まった。他の衛兵たちから『隊長』と呼ばれている鼻髭の男は、堂々たる立ち姿でオールソン卿に銃口を向けている。列車がトゥカ駅を発つ前にロッキンガムと話していた男だ。
「聖女を連れ戻さないといけないの。彼女を見捨てるわけにはいかないのよ」
情に訴えるように言うと、男の視線がようやくわたしに向けられた。
「お嬢さん、あなたはタルコット侯爵とどういう関係だ? ロッキンガム氏からは、これはラァラ派内の内紛であり、そこにいるタルコット侯爵が神殿の実権を握ろうと企てたものらしいと聞いているが」
流暢なロアナ語だった。
「侯爵が企てたもの
「燃やしたのはそこの男だったはずだが?」
ライナスは視線を受けて何か口にしようとしたが、その前に「まったくだ」とタルコット侯爵が吐き捨てた。
「まったく、これだから神殿は信用できないんだ。その神殿の悪事を裁くのは大聖殿の責務であるはずなのに」
衛兵たちは『神殿の悪事?』と顔を見合わせ、隊長はそれを鎮めるようにポーカーフェイスで周囲を見回す。
「では、侯爵殿。その男二人とこの男は(……と、隊長は顎でクリフとライナス、ベリックを指し……)神殿側の人間で、悪事を暴かれるのを阻止しているというのが侯爵殿の言い分か?」
「見ればわかるだろう。大聖会所属のトゥカ衛兵が神殿ごときに踊らされるとは情けない。まあ、ベリックが神殿の犬だと見抜けなかったわたしも愚かだが、そっちの二人の裏切りは想定内だ」
タルコット侯爵は自分に銃口を向けるオールソン卿と、少し離れた場所で両手を挙げて降伏の意思を示すライナスを順に睨みつけた。ライナスは「裏切ってませんよ」と他愛ないことのように言う。
「世迷言を言うな。おまえのせいですべてが台無しだ」
「侯爵様、考えてもみてください。あの場でわたしが文書を燃やさなかったら、ロブはわたしが侯爵側に寝返ったと判断したはずです。むしろ、わたしを疑っていたから告発文書をこの手で燃やすように仕向けたのでしょう。だから、やつを油断させるには燃やすしかなかったんですよ」
「今さら油断させたところで何ができるというんだ。おまえの言葉は信じられん。わかりやすく敵意を向けるベリックとその男の方がまだマシだ」
侯爵の言葉にオールソン卿の銃を持つ手がブルブルと大きく震えた。
しかし、わたしに言わせればオールソン卿の行動ほど理解し難いものはない。今にも倒れそうな青い顔で縋るように銃を握っているが、彼をそうさせているのは敵意ではないだろう。そして、彼の胸中を体現するように銃口はゆっくりと下がっていく。
――このまま何事もなくこの場が収まれば。
全員が固唾を飲んでその様子を見守っていたが、突如「ウグッ」とくぐもった声を漏らし、ベリックが侯爵を突き飛ばした。その脇腹には短い柄のようなものが見え、じわじわと服が赤く染まっていく。どうやら侯爵が懐剣で彼を刺したようだ。
「侯爵様!」
マルクとオラフが侯爵を護るように短剣をかざし、ベリックは血に濡れた手で脇腹のものを引き抜くと応戦するように空を薙ぎ払う。それを機に現場は入り乱れ、衛兵たちは丸腰のわたしたちを先に制圧しようとし、わたしとライナスとオトは軽い身のこなしで回避する。先に捕まったのはアカツキだ。
「クソッタレ!」
わたしの口からこぼれ出たロアナ語は衛兵に向けたものだったが、アカツキが申し訳なさそうに「降参」と下手な発音のロアナ語で言って両手を挙げた。そのとき、
「だっ、誰も動くな……ッ!」
オールソン卿が再び侯爵に銃口を向けていた。一瞬の静寂のあと、衛兵たちはジリジリと彼から距離を置く。
「え、衛兵の方も……、銃を、下ろしてください」
オールソン卿はウロウロと視線を彷徨わせ、その手はガクガク震えている。彼の意思で発砲することより誤射してしまうのではという心配の方がよほど大きかった。隊長は目配せで部下に銃を下ろさせたが、自らは構えを解かない。
「そちらが先に下ろしなさい。この聖なる場所で、多くの巡礼者を前に殺人を犯そうなど愚かなことを」
オールソン卿はハッとしてサルビア聖園を振り返った。建物周辺や聖園のそこかしこでこちらを見つめる巡礼者たち。大聖会が口止めしたとしても、大陸各地に尾鰭のついた噂が広まるのは目に見えている。
「オールソン卿、銃を下ろしてください」
アカツキが優しく諭すように語りかけた。衛兵に腕を掴まれた状態だがオールソン卿からは一番近く、歩いて三歩ほどの距離しかない。ヨスニル語が理解できない衛兵にもアカツキが説得を試みていることは伝わったようだ。拘束していた衛兵が力を緩め、アカツキは「銃をこちらに」とオールソン卿に手を差し出す。
「……ケイ卿、ぼくはただ――」
「クリフ様、あなたの使命をお忘れなく」
遮るようにロアナ語で言い放ったのはベリック。彼は衛兵に馬乗りにされて地面に突っ伏した状態だったが、その無感情な顔つきは本性を明かした今も変わらない。そんなベリックの言葉にさえ、オールソン卿は簡単に揺らいでしまうのだ。
――早く、彼をこっちに引き戻さないと。そんな焦りで声を張りあげた。
「オールソン卿! あなたはあの家に戻りたいの?
ずっと彼らの言いなりになるつもり?
彼らと同じ穴のムジナになりたくないから、だからロアナから自由になりたいって言ったんでしょう?
その銃を下ろして、アカツキに渡して。あなたは人を騙せても、人を傷つけられる人じゃない」
「だから役立たずの烙印を押されたんだけどな」
ライナスの余計なひと言が引き金になったのかもしれない。言葉にならない叫び声とともにオールソン卿は銃口を自分に向けた。その瞬間、空気がピンと張り詰め、制止しようとしたアカツキが破裂音とともに跳ね飛ばされる。弾ける光と火花。宙を漂う灰色の煙が風で散り散りになり、遠くから声がした。
「――暴発したぞ!」
鼓膜をやられたのか、不確かな聴覚が目の前の光景を現実ではないように錯覚させる。そのくせ心臓は体を破りそうなほど激しく拍動し、このまま破裂してしまうのではと思うほどだ。地面に倒れ、右上半身の服が破れた状態で血を流しているオールソン卿。その顔にも裂傷と火傷ができているが、苦しげに顔を顰める彼は意識を保っているようだった。しかし、レールの上に突っ伏したアカツキはピクリとも動かない。
「担架!」
オトの声が遠くから聞こえた気がした。彼は真っ先にアカツキに駆け寄り、身をかがめて顔を覗き込んでいる。その横で隊長が慌ただしく指示を飛ばし、数人の衛兵がバラバラと散っていった。
「ユフィ、生きてるよ! アカツキは生きてるから!」
オトが手招きしている。わたしは一歩踏み出し、覚束ない足どりでアカツキの元へたどり着くと、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。仰向けに寝かされたアカツキは右手と右側頭部から血を流し、頬に触れてみたが何の反応もない。
「レールに頭を打ちつけたようです。でも、爆発による傷はそれほど大きくないようなので……」
衛兵はわたしを気遣うように優しく声をかけてきたが、返事をしようとしても何の言葉も出てこなかった。無言でうなずきアカツキの左手を握ると、その体温に少し安堵する。
「……医者は?」
わたしはかすれた声で尋ねた。無意識にヨスニル語を口にしていたらしく、オトがロアナ語で「医者は?」と衛兵に尋ねた。
「聖会のセタ治療院に医者がいます。担架で運ぶのでもう少し待ってください」
しかし先に着いた担架は重症のオールソン卿を、その次は腹部を刺されたベリックを運んでいった。アカツキの担架が来る前にタルコット侯爵とマルクとオラフは衛兵に連れられて大聖殿へ向かい、最後に残ったのは衛兵とわたしとオト、意識を失ったアカツキ、そしてライナス。そのライナスと目が合い、わたしは彼に尋ねた。
「……どうして追い詰めるようなこと言ったの?」
「追い詰めようと思ったわけじゃない。別に、悪い意味で言ったんじゃなかった」
本当は聞かなくてもわかっていた。あの時のライナスの表情は、オールソン卿のその愚かさに対してむしろ好意的に見えたから。でも、オールソン卿にライナスの表情は見えていなかった。
「ねえ、暴発は偶然だと思う?」
オトがわたしとライナスにだけわかるようデセン語で聞き、ライナスは「必然だろう」と迷うことなく答えた。
「おそらく細工がされてたんだ。タルコットを撃とうとしてもクリフは同じ目に合ったってことさ」
「……ライナス。あなた、知ってたんじゃないの?」
「まさか。もし知ってたらクリフには近寄らなかった。まあ、クリフがここに残された時点で男爵から見放されたんだろうと思ったけど」
ライナスに問い質さなければならないことは他にもたくさんあるはずなのに、わたしはただ「そう」と返し、サルビア聖園の赤い絨毯を突っ切ってくる衛兵を目で追った。その衛兵がたどり着くとようやくアカツキは担架に乗せられ、巡礼者の好奇の視線に晒されながら運ばれていく。わたしはオトに手を引かれ、アカツキを運ぶ衛兵の後をついて歩いた。
「まるで見世物ね。巡礼者といってもただの観光客みたい」
「観光客だよ。ジチ教徒じゃなくても入れるし」
サルビア聖園の中を行く一行はまるで死者の弔いのようだった。わたしが死んだとき、アカツキはどんな気持ちで棺を見つめていたのだろう。どうやって、こんな苦痛に耐えたのだろう。
「……死なないよね」
「あれくらいじゃ死なないよ。オールソンはわからないけど」
「死なれてたまるか」
後ろにいたライナスがひとり言を漏らし、その直後汽笛が聞こえた。ロリーナ方面からの列車が黒煙を吐きながらトゥカ駅を目指し、小さな駅舎からホームに姿を見せた乗客は今起こったことを何も知らないのか笑顔で談笑している。それらは、とても遠い世界のことのように思えた。
泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜 31040 @hakusekirei89
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