第3話

「賭博場ですよ」


不老不死の苦労話を聞いたから、てっきり生活費に金を使うのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。不死郎が「俺についてきたら負けなしですよ」と言い切るので、これも江戸の町を学ぶ機会かと、喜一はついていってみることにした。


「あー、喜一さん、でしたっけ。あんた江戸の賭博場は行ったことあるかい」

「いいやないよ。田舎出身だったし、みんな生活でいっぱいいっぱいだから。丁半賭博は江戸の親方に聞いたが、他にもあるのかい」

「天下の江戸ですからね。丁半はもう古い古い。盛り上がりすぎて禁止されました」

 (盛り上がりすぎて……さすが江戸。活気が田舎とは段違いだ)

連れていたかれたのは、料理屋の裏にある小さい二階建ての宿屋風の建物。一階から男たちの賑やかな声が聞こえた。迷わず中に進んでいく不死郎のあとを追う。不死郎が開けた襖の先は二十畳の大広間になっていて、客たちがさまざまな賭博を楽しんでいた。時折料理屋から直接酒が運ばれてくるらしく、男たちはとっくりからそのまま酒をあおっていた。


「今はねぇ、この“花札”が江戸の流行りですよ」

 不死郎が指差すのは十人ほどが輪になって小ぶりな赤の札を囲む場所。その札には、鹿や紅葉など、鮮やかな絵柄が描かれていて、賭博の道具にしては洒落たものだった。

「へえ、江戸ではこんな綺麗な札を使ってるんですかい。見事なもんだ」

 不死郎に渡された札を、喜一は職人としてまじまじ見てしまった。その様子を見た賭博場の男たちが茶化した。男たちと不死郎は、ともにこの店の常連らしい雰囲気だった。

「フーさん、なんだ? どこかの坊ちゃんでも連れてきたのかい!」

「この人は田舎出身の大工だよ。金は持ってるから、俺たちも混ぜてくれ」

「大工かい、いいねえ!」

「喜一さん、花札ってのはね、手札から役を作っていく遊戯(げえむ)なんだ」

「わかった。教えてくれ」

 酒が進んで赤ら顔の江戸の男たちは気さくで、都の賭博場なんて鴨扱いされるかもしれないと最低限の警戒をしていた喜一だが、隣の不死郎がいい具合で狙い目を教えてくれるから、負け続けることはなかった。実際、喜一のことを鴨だと考えた者もいたのかもしれないが、どれだけ勝っても江戸の男たちは、あおればすぐに勝負にのっててくるから、一方的に勝ち逃げされることはなく、何度でも挑めた。酒と駆け引きの緊張感で、場の熱気はすぐに上がっていった。

不死郎は全体的に無気力そうだった態度が一変、高い洞察力で強気に勝負をして、時には相手に心理戦を仕掛けていい札を捨てさせ、勝ち抜いていく様は場を魅了し、負けた男以外観衆から歓声が上がり、勝利の喜びで不死郎と喜一は肩を組むなどもした。

喜一も慣れてきて、不死郎の助言を借りず、自分の戦略で勝てた時は、思わずぴゅうっと口笛を鳴らしてしまった。意外なことに、不死郎がそれを見て目を瞬かせた。

「今の口笛、喜一、あんたですか」

「そうだよ。なんだいフーさん、口笛知らないってのかい?」

 周りがみんな不死郎のことを気味よく「フーさん」と呼ぶから、喜一はいつの間にかフーさんと呼んでいた。不死郎の方もいつの間にか喜一と呼んでいた。

「知ってますとも。でも、うまくやれないんです。町を移動する時に、暇つぶしでやってみるんですけどねぇ」

「へえフーさん、口笛が苦手なのかい。意外だね」

「どうも舌が短いみたいで、うまくできないんですよ」

「うちの村ではみんなできるよ。子供の時に遊べるものが少ないから、道具を使わないものが流行るんだ。花札の代わりに、やり方を教えようか」

「そりゃあいい取引だ」

 (三百年生きている男に、たった二十年ちょっとしか生きていない自分が教えてやれることがあるとはね)

 喜一は勝負の合間に口笛のコツを教えたが、何度やってもひゅうっと隙間風みたいな音しか出なかった。不死郎の苦手は筋金入りのようだった。

その後、賭博場を出る頃には赤い夕陽が町を照らすような時刻だった。喜一は完全に日が沈むまでには帰らないといけなかった。

不死郎も喜一も酒が回ってただの酔っ払いとなっていたが、喜一は待っている家族のため、しっかり歩ける程度には気を保っていた。不死郎は夢見ごこちでふらふらしている。

「いやあ、勝った勝った。今日は勝てる気がしてたんですよねえ」

「フーさんのおかげで今日は楽しかったよ。たまにはこんなのも悪くないね。子供にもいろんな遊びを教えてやろうと思ったよ」

「ああそうそう、俺が勝ってあんたから巻き上げちまった分は返しますよ。えーと、いくらだ? このくらい? あんたに負けさせないって言ったのに、つい熱中して俺が一人勝ちしちまいましたから。その約束、今思い出しました」

 不死郎が小銭袋から雑に掴んだ金を喜一に渡してきた。

 (約束は忘れっぽいが、あんがい律儀な性格だな。一人で旅して生きてるんだから、適当ばっかりじゃねえってことかね)

 喜一はすっかり不死郎に気を許していた。

不死郎という人物は、金稼ぎにはがめついし、女にはだらしないところがあるが、知識が深くて、勝負が好きで、勝負に関しては必要な時にしっかり教えてくれる、頼りになる男だ。町の人たちから、フーさんと面白がられつつ、慕われているような雰囲気があるのも納得できる。

 しかし、喜一にとっての今日いちばんの出来事は、賭博場でのことではなかった。

「ああ、そうそう喜一。一つお節介なんですがね」

「うん?」


「あんた、大工向いてないよ。早めにやめた方がいい」


「……は……」

 喜一は突然、冷や水を浴びせられたような心地になった。酔っ払って、うわついていた気持ちが強制的に現実に戻される。

「急に何言ってんだい、フーさん。冗談はやめてくれよ」

「いいや、喜一、賭博場で見てたが、あんた人より指が長めでしょ? 俺は相手の手を見ただけで、向いてることがわかる。指が長いと人よりも関節に負荷がかかりやすいんです。そして関節にできた「たこ」は治りにくい。下手するとそのまま炎症を起こして指が曲がる。最悪利き手から使えなくなりますよ」

 喜一は自分の手を見た。不死郎の話は、冗談ではなさそうだった。少し前から右手の関節の小さな痛みが消えないのだ。それは今が忙しくて、休みが少ないからだと、しかし上達のためにはそれでいいのだと、そう思いこんでいた。

「……それは、最悪の場合だろ? そんなこと言わないでくれよ、フーさん。あんたの情報は頼りになる。賭博場の奴らからの慕われようでもそれがわかった。だからあんたがそんなこと言いきったら冗談じゃなくなるだろ」

「俺がずっと口笛ができないように、物事には向き、不向きが確実にあります。知識や技術だけじゃ超えられないことも。俺は壊れた関節を治せる医者を知りません。それは江戸にいても治せないものになる」

「…………そのうち、関節が治せる医者が出てくるかもしれないだろ……」

「あんたの指なら、槌を握るより細やかなことに向いてる。陶芸家とかいいんじゃないですか?」

 喜一の頭に、自分を信じて送り出してくれた故郷の村の人々、そして貧しい家に住んでいる母親の顔が浮かんだ。

「やめてくれよ……俺は大工をやるために江戸にきたんだ! そうじゃなきゃ、村のみんなに顔向け出来ねぇし、まだ二年目だ。俺は、大工の仕事が好きなんだ。誰かの帰る場所を作ってやる仕事が……」

「別に、大工仕事の道具を作る仕事や、家材手配する仕事もありますよ。あんた、女房と子供がいるんでしょう。利き手の使えない旦那になってもいいってんですか」

「もういい、やめてくれ!」

 受け止めきれない思いで、喜一は走り去ってしまった。頭の中には、不死郎からもらった知識という、希望と絶望が行ったり来たりしていた。

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不死郎 12扉 @12tobira-ren

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