『とある騎士の旅立ち』・下

 バリオンを目指してベラングラーシェを発ってから、数分が経過していた。

 集落は背後に小さく見えていて、遠のいていく風景がラウダのうしろ髪を引いた。彼はたびたび手綱を握ったままぼうっとして、そのせいで轍を外れたり戻ったりして馬車を揺らした。そんなことが何度か続いたころ、これまでにない大きな揺れが荷台を襲った。


「――痛ったぁ!」


 積み荷が崩れる音に混じって聞こえた悲鳴は、若い男のものだった。

 ラウダは微かに振り向いて、視線だけは進行方向に向けながら、ガラガラまわる車輪の音に負けないように声を張り上げた。


「ごめん、平気か!」

「木箱が崩れてきて頭を打った! なんともないけど、もう少し揺らさないでもらえると助かるかな!」

「気を付けるよ!」ラウダは言って、安全運転を心に決めた。


 次の瞬間、荷台から再び悲鳴が上がった。


「どうかした!?」

「なんともないって言ったけど、たん瘤になってる! 見てくれよ――」と、御者台のすぐ後ろの幌が開いて、

「どれ!?」


 ラウダはやはり前を見ながら、差し出された彼の後頭部をちらちらと見た。


「ここ、ここだよ! 触ってみたらわかる、腫れてるだろ!」

「ごめん、手が離せないよ! 痛むのかい!」

「あー! ……って、もうこの距離じゃ声を張り上げる意味ないな……」

「……確かに!」


 ラウダはなんだか愉快になって笑った。ラミロはそっと患部を触っていた。


「うーん、ずきずきしてきたよ。ま、命よりは軽いかな」彼はそう言って、御者台に乗り出していた上半身を幌の内側に引っ込めた。「生きてるだけで丸儲けって、人生の至言だよな」


 彼は、御者台に向かって両開きの幌の片側をタッセルで留め、互いの声が通るようにした。村の墓地にある彼の墓石の下にオゼイが眠っていることを知る者は数少ない。処刑のあとに行われたラミロの葬式では、モローの指示で棺の蓋が最初から閉じられていた。


「きみが言うと重みがあるね」

「そうだろ」と、彼は喉の調子を整えて、高らかに言った。「このラミロ・ザウアーは死の淵から生還し、生命の真理を……いや、大それたことだな。それに、ラウダの前じゃ偉ぶったことは言えないぞ」

「恩に着せようだなんて思っちゃいないよ」

「そりゃあ困る。俺が画家として大成した暁には、きみの名を生涯の心の友、そして大恩人として周知させるつもりなんだから」


 逆境に負けない明るい展望――だが、ラウダは悲しい気持ちになった。


「光栄だけど、きみの命が助かったのはモロー様のおかげだよ」と、彼は譲らない。「あの御方は、アールベック男爵がオゼイのような無法者を村に引き入れたことが原因で、きみのような若者が命を奪われることを嫌ったんだ。俺はきみと交わした約束を破ってモロー様にすべてを明かしたし、感謝されるようなことはしていないよ」

「でも言ってしまえば、それがなければ俺はただ好きな女を盗られかねないという理由で人を殺したやつ、という認識だったんだろう。結果的にきみの判断が正しかったんだ」


 ラミロは両膝を曲げて荷台に寝そべり、腕枕を作った。


「それに、ラウダが俺の恩人になるくらいわけないさ。危うくきみの従兄を殺しかけたのに、いまこうして馬車に乗せてもらってるので十分だよ」

「ラミロ……」

「それにしても、城砦で過ごしたこの三か月は本当に退屈だったよ。部屋の外を出歩くこともできなかったんだぜ? 窓からきみが剣術の稽古をしてるのを見るのが数少ない楽しみだった。それと比べたら、……いまは最高さ」


 故郷で自分は死んだことになり、父は失踪、母は病を患ったまま実家に帰された。それでも彼は絶望から必死に遠ざかろうとしていた。


「強いな、ラミロは」

「罪が消えるわけじゃないからな。これから一人、知らない土地で、人を殺した事実と向き合って生きていくからには、強くなると決めたのさ。首に縄をかけられて、足場が消えて、一瞬宙づりになったあの瞬間、弱い俺だけが死んだことにしたいんだ」

「迫真の演技だったな、あれは」


 ラウダはこれ以上話が深刻にならないように話題を逸らしたが、その結果、頭上から降って来たラミロの身体を絞首台のなかで数時間支え続けたときのことを思い出した。いまでも彼の両手にはラミロの命の重さが感触として残っていて、あまり気分のいいものではなかった。


「きみは、バリオンから先どうするつもりなの?」

「まずは南に下って王都を目指す」と、ラミロは陽光の透ける幌の天井を睨みながら言った。「そこで足を見つけてさらに南下。ポンロー領を抜けて、エルタンシア最南端の地アズラット領でモロー様のだという子爵様にお会いする。そこで働き口を紹介してもらったら、あとはコツコツお金を貯めながら絵を描いて、いつか王都に上るんだ」

「大きな夢だね、応援してるよ」

「ありがとう、本気でやるよ。紹介状をもらってるとはいえ、俺自身の熱意もしっかり先様に伝えないことには本気の助力を乞えないからな」


 ラミロの声は明るいが、ラウダにはわかった。彼の声には、断ち切れない未練が巣食っている。


 馬車が段差に乗り上げて大きく揺れた。二頭の馬が回頭して、馬車が街道から北方向へ曲がって脇道へ入っていく。脇道の右手には向日葵が群生している一帯があって、いまが見ごろだった。


「おい、ラウダ。バリオンへ行くならこっちじゃなくて、街道をまっすぐ行ったほうが早いんじゃないか?」

「そうだけど、きみには忘れ物があるだろ?」

「忘れ物?」と、ラミロは身体を起こして荷物を漁り始めた。「脅かすなよ、画材も着替えも十分にある。というか、なにか忘れ物があったってもう村には戻れない」

「うん、だから向こうから来てもらったんだ」


 ラミロは言っている意味がわからないというように顔を顰めた。そして徐々に目と口が開いていき、ガタガタと荷台を揺らして慌ただしく御者台に身を乗り出した。

 まだそこそこ距離が開いているが、脇道のほとりに小さな人影が見えていた。その人物は布に包んだ薄っぺらく角ばった荷物を抱いて、向日葵ひまわり畑を背に立っていた。


「まさか……」と、ラミロが呟いて、ラウダを見つめた。「紹介状は俺一人だけなんだぞ、……!」

「未来の画伯が、みみっちいこと言うなよ。それも熱意でどうとでもなる」

「いや、でも……どうして彼女が……」

「きみが生きてるってことを話したら」と、ラウダが答えた。「彼女がきみについて行くと決めたんだ」


 馬車は速度を緩めずに進み、彼我の距離がみるみる縮まっていく。


「なんで……!」と、ラミロが焦った声を出した。

「それを他人に訊くのも、俺が答えるのも野暮だよ。彼女から直接聞いたらいい」


 ラウダが墓地で聞いた話に出てきた絵画だけを持って、使用人の制服姿のまま領主館を飛び出してきたクレア・マギスンは、遠くから聞こえてきた車輪と蹄鉄の音におもむろに顔を上げ、御者台の上に出てきたラミロ・ザウアーを茫然と見上げていた。


 やがて馬車は彼女のすぐそばで止まった。

 ラミロが地面に降り立って、二人は見つめ合った。


「……坊ちゃん?」と、クレアが胸に抱いた荷物をさらに強く抱きしめた。


 彼女の声を聞いたラミロは、小さく息を呑んだ。


「クレア……。その、俺……」

「坊ちゃん――!」クレアが駆けだして、ラミロの胸に飛び込んだ。「またお会いできました……! 本当に、生きて……っ!」


 彼女は髪が乱れるのも構わず、涙で濡れた目元や頬をラミロの胸に押しつけた。彼は数か月ぶりに会う彼女の変化――感情を溢れさせるその姿に驚きながら、されるがままになっていた。

 ラウダは黙って二人から視線を外し、北西の地平を見つめた。


「私、気付いたのです……! わかったのです……!」

「き、気付いた……? なにに……」ラミロは動揺して、声を上擦らせた。

「私は……!」と、彼女は彼にしがみついたまま顔を上げ、言った。「あなたをお慕いしています……!」


 その告白は初嵐のようだった。

 一様にお日様を見上げる黄金の輪が風にそよぎ、無防備に愛を訴える彼女の表情がラミロの胸に迫った。彼は唇を噛んで涙ぐんだ。


「クレア……」

「あなたにもう二度とお会いできないのだとわかって、私は毎日あなたのいた日々のことを考えました……! 来る日も、来る日も、いただいた絵と向き合って、あなたが私だと言った少女のようにお祈りしました……!

 だけど、墓前に立つと嫌でも……っ、あなたの名前が……。坊ちゃんはもうこの世に居ないんだって……! そうしたら……、無力で、打ちのめされるばかりのこの私のどこに、あなたがあの少女の面影を見たのか……、わからなく……!」


 彼は、彼女の震える身体を抱きしめた。


「ごめん……。ごめんよ、クレア……。きみを、そんなに不安にさせるなんて、そんなつもりじゃなかった。俺はきみに、きみとスザンヌに笑って生きてほしかった。無関心な人の心に怯えて生きてほしくなかった……。幸せに、なってほしくて……」

「坊ちゃんが必要です……」と、クレアは詰まった声で言って、ラミロの背中の細かい形を確かめるように、手のひらを滑らせた。「もう、私を置いて行かないでください……。どこへも行かないで……」

「ああ……、ああ! 一緒に、一緒に行こう……」


 再会の喜びと愛を分かち合う二人の抱擁はしばらく続き、ラウダは閉じた目の裏側に愛しい少女の幻影を見た。


「参ったな……、もうきみが恋しいや」


◇◆◇


 バリオンに着くころには夕方になっていて、ドニシエラ・モローの手配した御者が集落の入り口ですでに待っていた。ラウダは幌馬車から自分の荷物だけを下ろし、仕事を引き継ぐ御者に挨拶をして、握手を交わした。


「こんな道端でお別れなんてな……」と、ラミロが申し訳なさそうに言った。


 クレアはバリオンまでの道中に泣き疲れてぐっすり眠り、いまも荷台のうえで膝を抱いた体勢で静かな寝息を立てていた。

 ラウダは優しく微笑んで、ラミロを見た。


「いずれ、アズラットにも行くことがあると思う」

「そうか……。じゃあ、そのときはお互いにもっと立派になって会おう。しんみりしたお別れは、今日が最後だ」

「そうだね。お互いに頑張ろう、ラミロ。クレアと幸せにな」

「ああ。本当に……ありがとう」


 二人は堅く握手を交わし、さよならをした。

 ラウダは馬車が街道をさらに東へ進み、途中にある分かれ道を南へ折れたところまで見送ると、荷物を持ってバリオンに入った。


 この村に敷設された道は、ベラングラーシェのものと比べると幅員が広い。これはバリオンが商いの盛んな村であることが理由である。商人たちの荷馬車が余裕をもってすれ違うことのできる通りはしかし、人通りの少ない夕方になると途端に閑散とした。


 ラウダは荷物のなかに入っていたクライヴ作バリオンの地図を見ながら、今夜泊まる宿の位置と、ドミニクが必ず寄るようにと言っていた馬屋の位置を確認した。


「宿屋のほうが近いな。荷物を置きたいし、部屋を先にとって……」と、ラウダは宿屋を始点に地図を指先でなぞって、馬屋をとんとんと叩いた。「そうしよう」


 地図によると、この村に宿屋は二軒あったが、彼はクライヴの字で“おすすめ”と書かれているほうの宿に向かった。クライヴは商談や買い物で年に数回バリオンを訪れるので、さすがに勝手を知っていた。

 おすすめの宿も雰囲気がよく、店主も親切で部屋もすぐに借りられた。ラウダはモローから渡された路銀からエルト銅貨二枚を払って部屋に向かい、荷物を下ろして外に出た。地図のおかげで馬屋までは迷わなかった。


 馬屋ではちょうど、柵のなかに放していた馬を一頭一頭厩舎へ戻している最中だった。ラウダが柵の外から大声で呼びかけると、作業中の一人が気付いてやって来た。


「悪いがあんた、今日はもう店仕舞いだよ」

「あぁ、そうですよね……。じゃ、また明日にでも……」


 ラウダが潔く引き下がろうとすると、厩舎のほうから胴間声があがった。


「おい、レニー! その若いのがあれじゃねぇのか、今日中に来るって話しだったろうが!」


 レニーと呼ばれた若い男が慌ててラウダを振り向いた。


「もしかしてあんた、ベラングラーシェから? ドミニク・ボラン様の……」

「え、ええ……」

「こりゃあ失礼しました!」と、レニーは頭を下げた。「じゃあ、あんたがの……!」

「……お嬢?」


 お嬢というのが、どうも馬のことだったらしいと把握したのは、レニーに連れられて厩舎のなかに入ったあとだった。先ほどの胴間声の主、店主のカイが馬房から引いてきたのは、足の先だけが白い美しい黒馬で、凛としたたたずまいは確かにの品格だった。


「“オニキス・レディ”」と、カイが説明した。「通称、お嬢。うちで一番若くて健康。丈夫で体力があってそこそこ早い馬だ。気が強いが、乗り手を振り落とすような娘じゃない。勇敢な馬だよ。乗用馬としちゃ、貴族様が乗るのに相応しい一頭だ。オニキスと呼んでやってくれ」

「オニキス……」


 ラウダが鼻面を撫でてやろうと手を伸ばすと、オニキスはすっと頭を下ろした。


「おっと、珍しい」と、レニーが驚いた。「こんなにあっさり懐くなんて」

「あんた気に入られたな!」


 オニキスは穏やかに鼻を鳴らして、ラウダの手に甘えた。彼が「よろしく」と挨拶すると、つぶらな瞳がじっと彼の顔を見つめた。


「代金はもう貰ってる。いま馬具を着けるから、終わったら早速乗って行ってもらって大丈夫だ。パパっと準備するから、少し待っててくれ」


 カイの言った通り、彼らの手際はラウダの比ではなく、あっという間に支度が終わった。鞍の色はアッシュグレーで、オニキスの黒い馬体を引き立てた。


 ラウダは、カイの説明と違って大人しいオニキスに跨って馬屋を離れ、難なく宿屋へと帰り着いた。宿屋の厩舎に馬を繋いで部屋に戻り、片手半剣を剣帯ごと外してベッド傍の窓際に立てかけ、ベッドに腰かけてサイドテーブルに置いてあるランタンに火をともすと、ベッド下に仕舞っておいた荷物のなかからドミニクに貰った密書を取り出す。封蝋を外し、紐をほどいて巻紙を開いた。


「なになに」と、彼はランタンを手に取って密書に目を走らせた。「フラガ領へ向かえ――」


 フラガ領へ向かえ。エラの山道を降りてフラガ領へ入ったら、最寄りのタンドという集落から北へ。沿岸を進んで南西の港町ブーロでアルヴィ・タイネン子爵に会え。ドニシエラ・モローの使いを名乗れば問題なく会うことが出来るだろうが、万が一面会が難しい場合は、紋章の入った短剣を使うと良い。

 その短剣の柄頭には、モロー家の紋章が刻まれているが――


「この柄頭は取り外すことが出来る……」と、ラウダはそこまで読んで、腰のベルトから鞘ごと短剣を抜き取ると、柄を押さえて柄頭を引っ張った。


 すると固い感触で柄頭が外れたので、彼は短剣の柄と柄頭を別個に矯めつ眇めつして、ドミニクが特別だと言っていた意味を理解した。柄頭のほうの断面に、モロー家の家紋とは違った紋章が刻まれていたのである。


「エルクの大角……」


 それは、いまは亡きグローヴァー侯爵家の家紋であった。


◇◆◇


「――それより、私の密使となるきみに、話しておかなければならないことがある」


 三ヵ月前のあの日、ドニシエラ・モローはそう言って、狼化したラウダの前で仮面を外した。突然のことでドミニクが止めに入る暇もなく、彼――ではなくは偽りのない姿を晒した。


「きみがその姿を見せたのだから」と、彼女は鉄仮面を暖炉の上に置いて、ベルトに締め付けられていた部分の髪を無造作に手櫛で梳かした。「これでようやくフェアだろう」


 そう言って彼女が振り向いた瞬間、ラウダの頭のなかはその美貌に為す術もなく蹂躙された。


 きらめく宝石のような翠の瞳、頭髪と同じ金色の長いまつ毛、透き通るような白い肌。仮面を外す前から見えていたはずの頬から顎にかけての輪郭も、力強い目元が相まって、真の美しさを取り戻したかのようだった。

 そしてラウダは、ドニシエラ・モローが偽りの姿であったと知って初めて、彼女の声を一度別の場所で聞いていたことに気が付いた。


「あ、あのときの兵士は……」ラウダは衝撃を受けて四つ足で立ち上がった。

「やっと思い出したか」と、モローは忍び笑いをした。「忘れているのかと思ったよ。そうだ、あのとき私は『次はもう少し長く話したい』というようなことを言ったな。あまり良い形ではないが、願いは叶ったわけか」

「なんの話です?」と、ドミニクが言った。


 モローはちらりと彼を振り向いて、こう答えた。


「アールベックが来る前に、会ってるんだ」

「もしや、リストに会いに行かれた日のことですか?」ドミニクはため息を吐いた。「彼に隠密の任務を与えに行くだけの約束だったではないですか……」

「ラウダと会ったのは偶然だ、なぁ?」と、モローは同意を求めた。

「なぁ? ではありませんよ。迂闊な行動は慎むべきです。あなたはご自身の立場を……」

「わかっているよ」モローはうんざりした声音で応じた。「だからこうして限られた者にのみ素顔を明かしているのだ」


 ラウダは狼の鼻面に皺を寄せた。


「モロー様……。あなたは、いったい……」

「いい質問だ」と、彼女は当惑しているラウダのほうへ歩みを進めた。「仮面を外したいまの私は、ドニシエラ・モローではない。そもそも、モローなどという貴族はエルタンシアの歴史に存在しない」


 彼女はラウダの目の前で立ち止まると、四つ足で立つ彼の視線の高さに合わせるように、その場に屈んだ。


「私が、誰だかわかるか?」


 熟考の末、ラウダがキュウと鳴くと、彼女は笑った。


「まぁ、答えられずとも無理はない。私は死んだはずの人間だからな」と、彼女は自嘲して、秘密を明かした。「私の本当の名は、ミネアリア・グローヴァー。亡きグローヴァー候バルドルの一人娘にして、グローヴァーの正統――」そして端正な顔を醜く歪めた。「私は、第五次東西戦争の陰謀を暴くために、父上の無念を晴らすためにここにいる。きみには、エルタンシアに潜む裏切り者を見つけるための手助けをしてもらいたいのだ」

「裏切り者、ですか……?」

「そうだ。あの戦争は一方的過ぎた。国内に裏切り者がいて、こちら側の情報をマスケニスに流していた者がいたと考えれば、たった二年の決着にも説明がつく」彼女は立ち上がり、外した鉄仮面が置いてある暖炉のほうへと歩きながら続けた。「私の父は、王の領土を守れなかった責をお一人で負い、グローヴァー貴族を守るために処刑された。父上ほど、この国の未来を想っていた者もいなかっただろうに……!」


 ミネアリアは暖炉の前で足を止め、歯ぎしりをして鉄仮面を掴んだ。


「ゆえに私は報復を誓ったのだ。父上が愛したこの国を脅かす裏切り者に、正義の鉄槌を下すために――」


 その後ろ姿が、ラウダの見たミネアリア・グローヴァーの最初で最後の姿だった。


◇◆◇


 彼は丸めなおした密書を荷物のなかに戻してベッドの下に押し込むと、ガントレットとブリガンダインを外し、ブーツを脱いでランタンの火を消した。窓から見える星空を数秒見上げて横になり、どっとした疲れを感じて目を閉じる。


 瞼の裏に奇妙なもやが浮かび上がってきて、記憶の濁流が流れていった。その激しい流れのなかから個々の出来事をつまみ上げるのは難しく、またその気力もなかったが、イムカに関する光景だけがスローテンポで映し出されて、彼女の様々な表情を眺めることが出来た。


 明日は来た道を戻ることになる。西へ。出発して早々ベラングラーシェに戻るのは少し気まずいが、暗いうちにバリオンを発てば誰かに会うこともないだろう――と、そんなことを考える。


「……今日は、疲れた」


 次第に瞼が重くなる。頭はもう使い物にならない。

 窓の外では、コオロギが鳴いていた。

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灰色のラウダ 波打 犀 @namiuchi-sai

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