えっ、本当に側妃でよろしいのですか(下)




「——あなたには側妃となってもらいたい」


 あの夜会で告げられた魔法の言葉。

 その意味を、コーデリアだけが知っていた。






「はあ〜! やっとのんびりとした日々を手に入れられたわ!」

「コーデリア様、いつもの完璧な行儀作法がお出かけされております」

「いいのよエルドレト。許して?」


 気候も穏やかな南西の領地。

 王都から少し離れた場所に位置する領地の屋敷で、今代の側妃となったコーデリアは一切の憂いから解き放たれ、羽根を伸ばしていた。

 かたわらには長年仕えてくれているエルドレトと、侍女長でもあるベリスが控えている。青空の下のティータイムを満喫するコーデリアを、彼らは穏やかな表情で見守っていた。


 この二人だけではない。領地の屋敷に連れてきた従者たちは生家からの付き合いが多く、信頼のおける者たちばかりだ。また領地運営のために連れてきた文官たちも、コーデリアが正式に側妃となる前後に引き抜いた人材だった。

 あらかじめコーデリアの思惑を話し伝え、こんな僻地にまで来ることを了承してもらっている。


 逆を言えば、彼ら以外の人々は……側妃コーデリアとそれに仕える人材たちは、今後長らく国のために働くものだと信じていた。それは国王も正妃も例外ではない。


「——ねえ、エルドレト。わたくし側妃となることは了承したけれど……陛下と妃陛下を生涯に渡りお支えする点には頷いていないのよね」

「ええ、おっしゃる通りです」


 ——そう。コーデリアが承諾したのは、『側妃』の立場に就くことだけである。

 もちろん、この認識は前提条件で意味が大きく変わってくるものだ。




 ――かつてのこの国の話。

 その時代を治めていた何代目かの王が制定した、とある『法』があった。


 それは『側妃となった者は、希望すればその後一切の政務を免除する』という、実にとんでもないものだ。




 何故そんなものが生まれたかといえば、その王にはひどく寵愛していた側妃がいたらしい。


 見た目の愛らしさはまるで天使のようであったそうだが、その実、本人は下級貴族の出身であり、これといった教養を持ち合わせていなかった。王宮にあがってからも学ぶ意欲が一切なく、教育も正妃を支えることも嫌がる始末。

 その果てには王から与えられた特権を盾に、何の責務もなく王の寵愛を受け、生涯を終えたらしい。


 当然、これでは側妃とは名ばかり。いわば妾の役割しか果たさなかった側妃に、彼女の死後批判が集った。それ故この特権法は、結局制定されたその代にしか活用されなかったようだ。


 幼い頃から正妃教育を受けてきたコーデリアは、ふとしたきっかけでこの歴史を知った。

 王宮の教師から与えられる年表とその解説に少し出てきた程度。もしくは、かつての為政者が犯した間違った政治の例として、箇条書きで加えられていた程度だ。


 しかし、別の授業で国の法を学んでいた際、コーデリアは王宮の書架の中で見つけてしまったのだ。

 今この時代に適用されている『現法典』と、今はほとんど活用されることはなくなった『古法典』。後者にこの愚法が記されていることを、コーデリアは正妃になる者として知っていた。



 ——古法典に綴られている法は、古いものとはいえ現代でも無効となっていない。



 恐らく先の愚王が亡くなった当時、あまりにもくだらない法として逆に忌避の対象となったのだろう。むしろ『法が許せどそんな愚かな政はしない』というアピールに用いる風潮も少しの間あったようだ。この国の貴人が個よりも全体の利を尊んでいるのもこの風潮からだろう。


 ……結局、その法特権が法典から消されることはなく、その効力は生きたまま。それはつまり、側妃となるよう求められたコーデリアにも、希望すればこの特権が認められるということだった。



『——本当に、側妃でもよろしいのですか?』



 あの夜会の日。ロナルドの宣言を聞いた瞬間に、生まれてからずっと仕込まれてきた妃としての判断力と知識が、コーデリアにあの古法を思い出させた。その先に得られるもの、見ることができる光景を想像させたのだ。


 古法にある、『側妃の一切の政務を免除する』とはつまり……



(国政をしなくていい、外交も社交もしなくていい! そして何より——世継ぎ問題だって関係なくなったわ!)



 そう。側妃の政務にはこれら全てが含まれる。

 当時の王と側妃からしてみれば、愛し合うことは当然。世継ぎ問題など眼中外だっただろう。だからこそ煩わしい仕事の免除だけを目的に、〝一切の政務〟などと広い範囲で法が記載されてしまったものと思われる。


 つまりコーデリアは、かつての側妃の恩恵により、なんの責務も果たさなくて良い立場と権利を獲得している。改めて存在意義そのものを問いたくなるだろうが、それも法典に記載があるならば仕方ない。


 ——だって法律なんですもの!


 そう思ったコーデリアは、この特権の行使を求める書面と、その背景である古法典の記載をまとめ、王宮の文官に託したのだった。

 書類の一番下には、近年コーデリアが新たに制定した「法改訂は既に前法が適用されている事例には一切影響しない」という現法典の引用も付けておいた。いわば、慌てて特権に関する法を書き換えても無駄だというお墨付きだ。




「——ああ、いい天気ね。ロナルド殿下……いえ、国王陛下も、この快晴の下で『お手紙』を読んでくださっているかしら?」


 こうしてまんまと田舎の領地に引っ込み、悠々自適な生活を手に入れたコーデリアはご満悦だった。


 真心を込めて用意した手紙の内容を思い返す。作成を手伝ってもらった文官たちは、みな一様に苦笑を浮かべていた。そんな文面を受け取ったロナルドは、一体どんな反応をしてくれるだろうか。


 側妃の座に就くにあたり、ロナルドとコーデリアは婚姻関係となった。

 しかし恋愛結婚した正妃がいるならば、自ずと世継ぎは正妃の血筋を求められる。ロナルドと夜を共にすることは数年はないだろうことは見越していたし、お互いその認識でいたことは確かだ。


 その上でこうして世継ぎを産む責務がなくなれば、ロナルドとコーデリアはいわば白い結婚、白い関係だ。もとより互いに恋愛感情などない上に、政略的な男女関係ですらない。側妃の政務を行う必要もなくなった以上、仕事上のパートナーですらない。


 とどのつまりはただの他人、顔見知りである。


 婚姻の書類に互いの名前が書いてあるだけの関係……ああ、幼馴染という面もあったのだったか。お膳立てされた関係ということもあるが、個人的な興味がないのも困りものだ。


(彼女も……アイリーン様もお読みになられたかしら)


 対して、正妃となったアイリーンには、お互い正式な妃として王宮に迎えられるまでのこの数年間、できるだけの引き継ぎとサポートをしてきた。

 ただし、彼女が正妃となる上で想定していたのは、側妃のサポートがある前提の執務であった。それは王とて同じだが、やはり量が違う。


 彼女には悪いと思っている。


 アイリーンと比べれば、ロナルドへの影響はまだ少ない方だろう。しかし彼女が己の力で『欲しいもの』を手に入れたならば、コーデリアが己の『欲しいもの』のために動いたことも受け入れなくてはいけない。

 最近では純粋にこちらを慕ってくれるようになった姿を思い返し、少し意地が悪いだろうかと反省するも、すぐに思い直す。


 『欲しいもの』より優先することなど、コーデリアにはなにもないのだから。




「コーデリア妃殿下。出したお手紙のことよりも、これからお書きになる書面に思いを向けられては?」

「あら、そうだったわね。側妃に与えられたそれなりの領地とはいえ……まだまだ改革できる部分が多く残っているわ」


 側妃の財産として与えられた領地は、妃自身が治めることは想定されていなかったため、王都からも少し離れた土地だ。そのため最新の技術や教育が行き届いていない部分がある。

 数回の視察でそれを察知したコーデリアは、今まで培ってきたものたちをこの地に注ぎ込もうと決めていた。


 数年ほどの見立てでは、生家である公爵領よりも発展させられるかもしれない。

 公爵領の民に罪はないが、なんの思い入れもない家よりも、視察に訪れたコーデリアをあたたかく迎え入れてくれた領民にこそ心を向けてしまっている今がある。


「それに……いつまでも陛下へのお手紙に想いを馳せていたら、あなたに悪いものね」

「……そのようなお言葉をいただけるようになったことは、今この瞬間まであなたに仕えてきて良かったと思える最たる点です」


 お茶のカップをソーサーに戻しながら、コーデリアはかたわらに立つエルドレトへと眼差しを向けた。

 対してそばに控えていたエルドレトは、つい先ほどまで執務に引き締めていた表情をふわりと崩す。浮かべるのは喜び、そしてコーデリアと同じ愛だ。


 この場にはコーデリアとエルドレト、そして数歩離れた位置にベリス。その三人しかいない。故に、コーデリアの瞳に込められた感情に気付くものはこの三者以外にいなかった。


「これが理由ですもの。私が、これまでを捨てようと決めたのは」


 ——そう。コーデリアには、心に決めた存在がいた。

 それが物心ついた時から仕えてくれているエルドレトだ。


 しかしロベルトという婚約者が定められていた以上、エルドレトに対し何かをするでも求めるでもない。想いを口にしたことすらなかった。ただ物言わぬ父にも、こちらを振り返らぬ母にも感じたことのない執着心のようなものを、エルドレトには感じていた。……感じてしまった。


「……欲しかったんだもの」


 未来の正妃としての責を一身に負う中で、コーデリアという〝個人〟が唯一手放したくないと思えたものだった。



 そしてそれは、どうやら一方だけの想いではなかったようだ。



「だからね、あの大雨の日……。私が側妃に降下された次の日、私にだけ明かしてくれたあなた個人の想いを聞いて、私がどれだけ嬉しかったと思う?」

「……あんな見苦しい土下座と品のない咆哮でお喜びいただけるのなら、もっと早く額に泥を塗りたくるべきでした」

「あら駄目よ。エルドレトあなた、あの後すぐに公爵家を辞する用意をしていたんでしょう? ベリスが知らせてくれなかったら私は生涯心を失った人形になっていたのよ」


 ねえ? と後ろに控える侍女に尋ねれば、凛とした声で頷く声がする。


「そこのエルドレトは、公爵家の家令にのみ辞表を提出しておりました。家令が慌てて私に伝えてきましたので、何事かと思い真っ先にお嬢様に相談した次第です」

「辞表の冒頭に〝お嬢様には内密に〟と書き置いたんですが……」

「あらあら、そうなの?」

「慌てていたせいで、家令が読み飛ばしてしまったのかもしれませんね」


 白々しく言ってのけるベリスに、苦い顔をするのはエルドレト本人だけだ。


 エルドレトからしてみれば、身分違いの恋の末、退職覚悟で主へ想いを告げたのは記憶に新しい。そんな自分の行動がまさかコーデリアの将来をここまで変えることになるなど思いもしなかったが、今となっては迷いは一つもない。

 何より、コーデリアも自分を想ってくれていた事実を前に、何を迷うことがあるだろうか。その決意があるからこそ、こうして想いを通わせる直前の己の行動には頭を抱えたくなる。それがエルドレトの表情を苦くする原因だった。


 しかしその顔を見て、コーデリアが嬉しそうに顔を綻ばせることを知っている。

 ベリスの指摘は痛いが、その度に愛しい人が笑ってくれるならば己のやらかしなどいくらでも話の種にされればいい。


「まあ、流石に国王陛下に操は立てないといけないけれど……私の心はとっくにあなたに捧げてあるしね」

「あなたが他の誰のものにもならないだけで……それだけで俺は天にも昇る思いです。触れられずとも、俺のものだと誰にも言えずとも、それをあなたが受け入れてくれているだけで、それで」


 一歩離れたその場に傅き、エルドレトは指一本触れないままコーデリアへの愛を囁く。そうすれば、コーデリアはその場でそれに頷き、他の誰にも見せない柔らかな笑みで同じ想いをエルドレトに返すのだ。


 王太子の婚約者として、今は側妃として。

 自由にならないこの身で何かをどうにかしようとは考えなかった。


 その代わり、誰よりもコーデリアを理解し、支え、心を捧げてくれたエルドレトがそばにいさえすれば、自分はどこでだって息ができる。存分に心を明け渡すことができる。そう思ったからこそ、コーデリアはこれまでの全てを捨てただ一つを懐にしまい込むことを選んだのだ。


「……愛してるわエルドレト。ずっと私のそばにいて、私の心を受け止めてちょうだい。私がどんなにあなたを愛しているかを聞いて……どうか頷いて欲しいの。それがどんなに心満たされることなのか、私はもう知ってしまったのよ。ねえ、どうか、これからずっとよ」


「はいコーデリア様。これまでもこれからも、俺はあなたの言葉を全て聞き留めます。あなたがどんなに俺に心を預けてくださっているか、どんなに求めていらっしゃるかを聞かせてください。そして……許されるならば、それらがどれだけ俺を喜ばせるのか、幸せにするのかを……どうか聞いてください」


 王の威光が届かぬ箱庭で、側妃であるコーデリアは、これから送る愛する人と〝心通わせる〟日々に思いを馳せた。






おまけ


「ちょっとエルドレトあなたね、妃殿下相手にそんなあからさまに役者然と愛を告げてたら他の者にいつ見られるとも限らないわ。もうちょっと目を気にしてうまくやりなさい。今のももし見られていたら忠臣としてギリギリアウトよ」

「…………すみません。正直浮かれています」

「あら惚気ね? お嬢様のそばにいたくてずぶ濡れのまま死にそうな顔をしていたエル坊が」

「ぐ……」

「ふふ。ごめんなさいねベリス。私たちのわがままにあなた一人付き合わせてしまって。どうしても事情を知っている人が一人は必要だったの」

「いいえ良いのですコーデリア様。立場と身分を踏まえての超純愛、密かに交わすのも心だけなんて……この侍女長ベリス、お二人の愛を一生推せます!」

「ええと、おす……?」

「押す……?」

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