えっ、本当に側妃でよろしいのですか
ど山
えっ、本当に側妃でよろしいのですか(上)
「——コーデリア・サムナーバス。あなたには悪いが、俺は新たな王太子妃としてこのアイリーンを迎える。今まで正妃候補としてよく尽くしてくれたが、これからは正妃アイリーンを支える側妃として努めて欲しい」
王太子が主催する夜会。学園を卒業してしばらく経った今日という日に、ロナルド・ロイヤーマンド王太子は、長年彼の婚約者であったコーデリアにそう一方的に告げた。
彼の半歩後ろには一人の令嬢が立っている。アイリーンと紹介された令嬢は、マグワイア侯爵家の一人娘だ。ロナルドとは適切な距離を保ち、隣に佇んでいたものの、こちらを見る表情には申し訳なさの裏に笑みが見てとれる。
しかしコーデリアは、特に気に留めなかった。
申し訳なさそうなロナルドへも、政治的にも女としても内心勝ち誇っているアイリーンにも、こちらをどこか失望した表情で見ている公爵家の父母にも。それよりも、頭を埋め尽くすたった一つの疑問に心を奪われていた。
「わたくしが、側妃……?」
コーデリアは呆然と呟く。
自然と短くなる呼吸をなんとかなだめるように、両手を胸元に添えた。首に下がっているエメラルドのネックレスを縋るように握りしめ、段々と俯いてしまう。
夜会に参列していた大半の貴族たちは思った。
——ああ、彼女の絶望はいかほどのものだろうか。
コーデリア・サムナーバスといえば、国内でも有数の力を持つサムナーバス家の令嬢だ。生まれてすぐに第一王子であるロナルドとの婚約が整い、以降彼女の人生は王妃となるためだけに生きているようなものだった。
しかし誰もが貴族の役割を理解し、個より国の発展を優先させている。それはコーデリアも同様だった。幼少期から数えても、公爵家の父母とよりも王宮の教師たちと過ごした時間の方が長い。それでも親を求め泣くこともせず、与えられた責務を淡々とこなしていった。自分よりも後に生まれた弟妹たちが、コーデリアだけがいない場所で特段可愛がられていても。
その貴人たる振る舞いは、正妃となる矜持が支えているのだろう。
彼女の功績を知る者は、そう口々に評価してきた。それは貴族の親から子へ、役人から国民へ噂されていき、果てには未来の王妃への期待にも変わっていった。
だからこそ、彼女を純粋に好ましく思っていた貴族たちは彼女の心を思い、その悲しみに寄り添おうとする。逆に対立関係にあった者たちは喜び、品のない者はそれを隠そうともしなかった。
王太子であるロナルドは申し訳なさそうにコーデリアを見下ろす。
新たに正妃として望まれたアイリーンはただ静かに、それでも堂々たる姿でコーデリアを見下げる。
会場の誰もがコーデリアの反応に注目し、発言を待った。
「あの、本当に側妃でもよろしいのですか?」
——ん?
ここで一同は違和感を感じる。
ようやく見せたコーデリアの反応が、予想していたものではなかったからだ。
俯いていた顔をあげ、コーデリアはロナルドを真っ直ぐと見返す。その瞳は高揚したように見開かれ、頬はうすらと紅を引いたように染まっている。
その表情を見るに、まるで側妃になることを望んでいるように聞こえるではないか。
いや、そんなはずはない。ロナルドはそうかぶりを振る。
今日という日、夜会の場でコーデリアに側妃への降下を告げなければならなかったロナルドは、彼女に手酷くなじられることも覚悟していた。
しかし目の前にいる彼女はどうだ。悲観することもなく、落ち込むこともなく、怒るでもない。彼女の人生には正妃となる道のみが示されていたというのに、それを奪われたコーデリアはむしろ感情という個の華を咲かせている。
一体何故。それはロナルドだけではない、今までのコーデリアを知る貴族たちが一様に抱いた疑問だった。
「あの……ロナルド殿下? いかがされましたか」
「あ、ああ……すまないコーデリア。そうだ、あなたには側妃となってもらいたい。……アイリーンは王太子妃となって日が浅い。もちろんこれから王妃教育は受けてもらうが、生まれながらに教育を受けてきたあなたには及ばない部分もあるだろう。アイリーンとコーデリアには、各々妃の地位についた暁には互いによき支えになって欲しいと思う」
ロナルドが口にした願いは、政略が絡む王族の婚姻では珍しいことではなかった。
この国において正妃と側妃は共に国王を支えるいわば仕事上のパートナーであり、よく取り沙汰される〝女同士の戦い〟は単なる妃たちの相性が原因で起こるものである。
その点アイリーンはコーデリアへ配慮の心を見せていたし、コーデリアも長年隣にいたロナルド本人への恋慕といったものは見せなかった。二人とも貴族としての責務をよくよく理解していると、ロナルドは評価している。
だからこそ、この申し出を口にするにあたり、彼女個人の矜持を傷つけてしまうことだけが心配であったのに……。
コーデリアは否を唱えることなく、すんなりとロナルドの願いを受け入れたのだ。
「ロナルド・ロイヤーマンド王太子殿下。このコーデリア・サムナーバス、『側妃』への拝命、しかと承りました。精一杯つとめさせていただきます」
「ああ……。ありがとう、コーデリア。あなたの忠誠心を嬉しく思う」
完璧なカーテシーでロナルドへ了承を口にしたコーデリアに、どこからともなく拍手が巻き起こる。
長年正妃として求められてきた彼女が、あっさりとその立場を手放したことは、王太子の人望と手腕が成したこと……そう貴族たちが判断したからだ。
会場はロナルドとコーデリアを褒め称える雰囲気に包まれた。……皆が皆、感じた違和感に見て見ぬふりをしながら。
「——エルドレド」
「はいコーデリアお嬢様、ここに」
「準備をお願いね」
「承知しております」
コーデリアは次々に浴びせられる貴族たちの挨拶と激励に応えながら、その合間に従者を呼び寄せた。二の句もなく頷いた男に満足げに頷いたコーデリアは、また自分を呼ぶ声に微笑んで振り返る。
そうしてその日の夜会は滞りなく終わったのである。
——夜会での発表からしばらく。
コーデリアは生来の手際の良さで、正妃候補の立場を滞りなくアイリーンへ引き継いだ。長年親のようにコーデリアに接してきた正妃教育の教師たちには別れを惜しまれながらも、彼女の認めたことならばと彼らもアイリーンへ教えを与えていく。
アイリーン自身、侯爵令嬢としてある程度の教育を受けてきた素地があるためか、苦労の色はあれど熱心に学びに取り組んでいるようだ。
これまで長年コーデリアの実力にあわせて動いてきた王宮は、新しい正妃候補のアイリーンに即した環境を整えるのに各々慌ただしい。その新しい環境づくりにコーデリアも全力でサポートする姿を見せ、アイリーンと二人で政務の引き継ぎをする光景も見られた。
ロナルドは部下からその報告を聞き、それならよかった……と心から安堵する。
アイリーンとは学園で出会った関係であったが、その優秀さと、凛とした振る舞いの中に見える愛らしさに惹かれた恋愛関係であった。身分を弁えた男女ともなれば接触の機会はそうない。しかし、少なかったからこそアイリーンの存在感はロナルドの心に強く印象付けられていった。
昔から事務的に婚約者の務めを果たすコーデリアに不満があったかと言えばそれは違う。愛のない関係はお互い様だったからだ。
だからこそアイリーンと出会った時、この人だと思った際の衝撃は果てしないものだった。彼女と結ばれることで起きる政治的な影響も調べあげ、家格も能力も申し分ない確証を得てから国王である父へ願い出る。両親も王族の責務と愛を両立させた関係であったからこそ、ロナルドの願いは聞き入れられた。
愛する月と忠誠の月。
得がたい縁に恵まれた運の良さに、ロナルドは今以上に次期国王として責務に真っ当であろうと決意を堅くしていた。
「アイリーン様はとても優秀でいらっしゃいますわ。正妃教育の教師たちもその見識に舌を巻いておりました」
「まあコーデリア様、光栄です」
王宮の一角、妃候補たちに与えられた区画で、コーデリアは今日もアイリーンの正妃教育を進めていた。正妃候補に任されている政務の引き継ぎも終わり、今日はそれらの最終確認である。
とはいっても、すでにアイリーンは安堵していた。
コーデリアから引き継がれた政務は、ある程度の理解を進めればこなせないこともない。正妃教育はかなりきついスケジュールではあるがやりがいはあるし、手応えも感じる。何より愛するロナルドの隣に立つための努力だと思えばなんてことはない。
それに……コーデリアはロナルドへの個人的な感情は持ち合わせておらず、正妃の立場も存外すんなりあけ渡してくれた。
正直、初めの頃は予想していた戦いが起こらなかったことに「少々つまらない」などと意地の悪いことを思ってしまうこともあった。ロナルドの隣という立ち位置を強く願っていた〝女〟としての顔だろうか。
もしかしたらあの夜会の日、滲み出てしまったアイリーンの女の顔をコーデリアは察したかもしれない。
しかし、今ではこうして熱心にアイリーンの力になってくれている。……故にアイリーンは、心の底から罪悪感を抱くようになっていた。
「あの、コーデリア様」
「はい、どうされましたか? ……ああ。そのフディス村は、特産品が甜菜という作物で」
「いえ、あの……違うのです。わたくし、コーデリア様に改めて申し上げたいことがあるのです」
「まあ。……どうされたのですか? アイリーン様、お顔色がよろしくないわ」
そういってコーデリアは、机を挟んでいた向かいの席から立ち上がり、アイリーンのそばにしゃがみ彼女の手に己の両手を添える。まるで、かつて痛みに泣く幼いアイリーンを慰めてくれた実姉のようなあたたかさを感じ取って、罪悪感はさらに重くなった。
「申し訳ないのです。いえ、自己満足とはわかっていますが、謝りたくて。……これまでコーデリア様が必死に努力なさっていたものを、わたくしは……」
「アイリーン様……」
「申し訳ありません、コーデリア様。浅ましくもわたくしは、あの夜会の日、側妃に降下された貴女を見下げていました。国母になる身として、あるまじき行為です。それなのに貴女はわたくしの正妃教育のため尽力してくださっている」
「アイリーン様、もしやずっとそのことで思い悩まれていたのですか?」
「……はい」
謝罪とはいえ、ずるい行為だ。もう済んだことを蒸し返し、改めて口にすることでアイリーンの心は晴れる。しかしコーデリアからしてみれば、もうどうしようもないことを聞かされているに過ぎないのだから。
しかしコーデリアの反応は、またしても想像と違うものだった。
「アイリーン様、安心なさって。アイリーン様はロナルド殿下のお心が欲しかった、そうでしょう? そして手に入れられました。……実はわたくしも、側妃となることで欲しいものが手に入るのです」
「え……、え!? コーデリア様が、ですか?」
「はい。……あ、殿下には内緒ですよ。純粋な忠誠心ではなかったのかと拗ねてしまうかも」
しぃ、と人差し指を上品に唇に当てるコーデリアに、アイリーンははしたなくもぽかんと目を見開いてしまった。しかし我に返るとともに、堪えきれず笑みをこぼす。
「ふふ……っ。そうですね。ロナルド様は、ちょっと自信過剰なところがありますし」
「まあっ、アイリーン様もそう思われますか? 殿下の素直さは美徳だと思いますし、可愛らしいと思うのですが……まるで弟のような心地になってしまって」
これまで学園や社交会では見たことがない茶目っ気のあるコーデリアの表情に、アイリーンの心はつかえが全て取り払われたようだった。
鈴が転がるような二人の笑い声が、部屋に満ちる。
アイリーンが懺悔したことで一瞬緊迫した空気が走るも、同行していたそれぞれの侍女と護衛騎士は、笑い合う二人を見てみな安堵を得ることができた。
経緯からして立場上微妙な二人が対面しているのだ。彼女たちの心次第では、一触即発の空気になることも予想される。しかしこうして未来の正妃と側妃が仲睦まじくしている姿を見ることができたのは、国に仕える者としては喜ばしいことだった。
「コーデリア様が欲しかったもの……いつか、わたくしにも教えてくださいますか?」
「ふふ。——ええ、その内お教えしますわ。それまでは、皆さんも内緒にしておいてくださる?」
そう言って、部屋に控えていた従者全員にコーデリアは微笑む。アイリーンも己の配下に従うよう目を配ったことで、たった今聞いた話が他に漏れることはなかった。
***
「——何!? コーデリアが領地へ引き下がった!? どういうことだ……何も聞いていないぞ!」
王位の継承が滞りなく行われ、王を支える妃たちもその地位に就き、国内の祝杯ムードも落ち着いた頃。王太子から国王となったロナルドが、執務室で報告に来た文官に向かって声を荒らげた。
……なんでも、コーデリアが突如として王都から身を辞し、側妃に与えられた領地に居を移したという。
それも側妃に仕えている文官や従者、身の回りの世話をする侍女たちも共にだ。側妃宮の人材全てが、彼女の領地へ移っていったというではないか。
「一体何故だ!? 正式な妃として、正妃アイリーンと側妃コーデリア、二人の授任式典を行ったばかりではないか……!! 側妃の政務はどうした!」
王宮勤めの文官は額に汗を浮かべており、ロナルドの詰問に小さく「申し訳ありません」とだけ答える。
埒が明かないと頭を抱えたロナルドの目に、文官が抱える書類の束が目に入った。
「それは?」
「……っはい。こちら、コーデリア妃殿下よりお預かりしたものでございます。ご自身のお立場における要望書と、背景をまとめたものだそうで……」
「そんなもの、あるなら早く見せないか!」
ロナルドが言い放つと同時に、ロナルドの秘書官が文官から書類を受け取り、異物確認と共にざっと目を通す。その瞬間、眉を顰めた秘書官に内容のまずさを直感し、途中とはわかっていたが渡すよう手を差し出した。
中身を読んでみれば、これは。
「なんだと……!? 一体……何がどうなって……」
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