第十章 日常①
田舎に住んでいると、朝の3、4時には鶏の鳴き声が聞こえてくる。
冷房をつけていても、その大きな鳴き声は古びた家の壁を貫いて部屋に届く。
目をぎゅっと閉じてみたが、ブーンと音を立てる冷房の音の中、自分がもう目覚めていることをはっきりと感じていた。腰のあたりには、もぞもぞと動く何かがいる。仕方なく、ゆっくりと体を動かしてツンちゃんを避けながらベッドを降りた。
「シャッ」と力強くカーテンを引くと、外にはまるで手を伸ばせば届きそうなほど澄んだ夏空が広がっていた。
「こんなにいい天気だと、仕事に行きたくなくなるなぁ。」
「ニャー。」
ツンちゃんはその愚痴に応えるかのように顔を上げて一声鳴いた。
「はいはい、顔を洗ったら朝ごはんの準備をするからね。」
あくびをしながら廊下の突き当たりにある洗面所へ向かい、歯を磨いて顔を洗う。その間も、ツンちゃんはずっと足元をうろついたり、頭をすり寄せたり、尻尾を振ったりして、無言で催促していた。
冷たい水で少しだけ目が覚めた。ついでにシャワーを浴びようかと思ったが、ツンちゃんはもう足首を軽く噛んできたので、急いで部屋に戻り、本棚の隣に置いた箱からキャットフードを取り出した。
ツンちゃんはすぐに机の下へ走り、その場所で待ち構える。彼の餌皿はいつもそこに置かれている。
ベッドの端に腰掛け、片手で頬杖をつきながら、ツンちゃんがキャットフードを食べ終わるのを見届けてから片付ける。満腹になったツンちゃんはもう俺の足元をうろつくことなく、満足そうに本棚の一番下の隙間に入り、雑誌の間にスペースを作って毛づくろいを始めた。
猫の生活が羨ましくなる。
クローゼットの前で仕事用の服に着替え、ツンちゃんに向かって言った。
「ツンちゃん、行ってくるよ。」
ツンちゃんは返事をせず、ただ尻尾を軽く揺らすだけだった。
薄情なやつめ。
家を出る頃には、両親はもう仕事に出かけている。以前は家族全員で朝ごはんを食べるようにしていた時期もあったが、互いに時間を合わせるために無駄な時間を使うようになり、いつの間にか各自で出発するようになった。
誰もいない部屋、廊下、玄関には静寂が漂い、差し込む日差しに浮かぶ埃がゆっくりと宙を舞って、「静けさ」という言葉をまさに感じ取ることができた。
靴下を履く頃にはもう汗をかき始めていた。自動で冷却される靴下があれば絶対にヒット商品になるだろうに、なぜ未だにそういった商品が出てこないのか。毎年夏になるたびにこの疑問が湧いてくるが、答えは見つからないままだ。
家を出た瞬間、熱気の塊に突っ込んだような感覚に襲われる。汗が毛穴に逆戻りするような感じだ。
暑さと眩しい日差し、そして絶え間ないセミの鳴き声が耳に響く。
「おはよう。」
ちょうど玄関で花の手入れをしていた隣の婆ちゃんが、笑顔で挨拶をしてきた。
「おはようございます。こんな暑い中、熱中症に気をつけてくださいね。」
「もう出勤かい?」
「ええ。」
「気をつけて行っておいで。」
短い挨拶を交わした後、近所の住民たちが駐車場代わりにしている空き地に向かい、車を出して会社へ向かった。
市街地に入ると、制服を着た学生たちが三々五々歩いているのが目に入り、気づかぬうちに新学期が始まっていたことを実感した。
夏ももう終わりに近づいている。
通勤ラッシュで道路は少し混雑していた。アクセルをゆっくり踏んで、低速で進みながら、大学時代にバイクで通学していた頃のことを思い出した。当時は渋滞の煩わしさこそなかったものの、酷暑や厳冬にさらされて風を切って走るのは決して楽ではなかった。それに比べれば、渋滞は鬱陶しいが、少なくとも冷房と音楽がある分、まだマシだと思う。
農協の駐車場に車を停め、大急ぎでロビーを抜けてオフィスに入る。
この仕事ももう何年か続けているが、上司や同僚はみな自分よりも20~30歳年上のベテランばかりで、いまだに自分は新人として雑用を任されることが多い。普段は書類仕事がメインで、申請書の処理や資料の整理が主な業務であり、他の雑務も特に大変なものではない。農作物の収穫期以外は比較的ゆったりとしている。
オフィス内は禁煙だが、上司や同僚の多くはヘビースモーカーで、無人の室内にも薄っすらとタバコの匂いが染みついている。この数年間でそれにも慣れてしまった。
自分はだいたい一番早く出社するタイプだ。自分の席は紙の資料が詰まった鉄製キャビネットとコピー機のすぐ隣で、たまに誰かがコピー機を使いに来ると、自分の画面が丸見えになってしまうのが少し不便だ。
やがて、他の同僚たちも次々とオフィスにやってきた。
同僚たちの雑談を聞きながら、今日も平穏に一日が過ぎるだろうと思っていたが、昼休み後に上司に呼ばれ、彼のデスクに向かうことになった。上司は地元の農家と協力してPR動画を作ることになり、各部署から協力者を出す必要があると伝えてきた。要するに「君に任せる」ということだった。
一応、異議を申し立ててみたが、「こういう映像のことは君たち若い人のほうが詳しいだろ」と一蹴され、渋々この追加業務を引き受けることに。
聞いた話では、午後に広告会社の担当者が詳細を詰めに来るとのこと。自然と自分がその対応をすることになった。
不安に思いながら応接室に向かうと、そこには訪問者バッジを胸に下げた禾樺が、片手にコーヒーカップを持ち、椅子に腰掛けてにっこりと微笑んでいた。
「やぁ、おはよう。」
「まさか君の会社が担当だったとはね?」
驚きつつ笑顔で近づき、ふとこの追加業務も悪くないかもと思った。
「実は俺、本来この案件を担当してなかったんだけど、懐かしい地名を見かけて、無理やり引き受けちゃったんだ。それと、君たちの部署には最も若くて活気のある人を指名してほしいってね。」
「指名されなくても、それは俺しかいないでしょ。」
椅子を引いて隣に座りながら、企画書をパラパラとめくる。
禾樺は大学時代のように、親しげに肩を組んで力強く叩いてきた。
「まさか卒業後にまた一緒に仕事ができるとは思わなかったよ。さぁ、もう一度一位のレポートを目指そうじゃないか。」
「君が言うレポートって、俺や之橋、曉文が作って君が全然手伝わなくて、当日もギリギリで来て、最後は曉文に怒られて無理やり発表を任されたあの時のことか?」
「懐かしいなぁ!でも君たちがしっかり作り込んでくれてたおかげで、ちゃんと発表できたよ。」
禾樺は気にする様子もなく、さらに大きな声で笑った。
俺は首を振って苦笑しつつも、彼の弁舌と臨機応変な対応力には内心で感心していた。もし彼が弁護士や検察官になっていたら、こうした能力を発揮できることはなかっただろうし、今のように広告会社で活躍することもなかったはずだ。
「じゃあ、出発しようか。」禾樺がそう言って立ち上がった。
「どこへ?」
「撮影場所を提供してくれる梁さんに挨拶に行くんだよ。」
「今?まだ資料を全部読み終わってないんだけど。」
「車の中でゆっくり読めばいいさ。」
禾樺は車の鍵を人差し指に引っかけて回しながら、俺を駐車場へと連れて行った。
今日、禾樺が運転するのは会社の社用車だ。彼はカーナビに従って、小さな町の山間にある農場へと向かい、俺は助手席で企画書を読み進めていた。
道中、禾樺は週末に曉文と見た野球の試合について話し続けていた。俺は野球には興味がないので、適当に相槌を打ちながら聞き流した。
車内にはピアノの軽音楽が流れていた。これは禾樺の趣味で、彼は歌詞のない音楽が好きで、映画やドラマのサウンドトラックからクラシック音楽まで、幅広く聴いていた。大学時代の寮には、彼が収集した三桁を超えるCDを収納する専用の棚があった。彼がこの趣味を持っていると知ったとき、俺たちはみんな驚いたもので、曉文なんかは本気で何かのドッキリだと思っていたほどだ。
卒業後も禾樺は学生時代の趣味を続けている。そのことがなぜか俺には安心感を与えた。
梁さんが経営する観光農場に到着したとき、俺と禾樺は車を停めた後、ハイキングコースに匹敵するほどの緩やかな坂を十数分かけて登り、ようやくサービスセンターにたどり着いた。運動不足の俺たちは、汗だくになって互いに苦笑いを交わした。
受付で用件を伝えると、農場のスタッフがすぐに応接室代わりの小さなスペースに案内してくれ、温かいお茶を出してくれた。程なくして梁さんも現れ、地元振興のための広告に大いに興味を示してくれた。
俺は農協の代表として隣に座っていたが、ほとんど話すことはなく、交渉は全て禾樺に任せた。
禾樺は広告会社で積んできた経験を存分に発揮し、梁さんからの質問に次々と答えていき、時折日常的な話題を挟みながら場の雰囲気を和らげ、宣伝動画の撮影に関する細かな点を順々に決めていった。その後、梁さん自身に案内してもらいながら農場を一周し、実際にロケハンも行った。
車に戻ると、俺は梁さんからのお土産としていただいたお茶やミルクキャンディーを両手に持ち、改めて彼の手腕に感心した。
「壮挙を再現する日も近いな。」
禾樺は片手でハンドルを握りながら、満足そうに口元を緩めた。
「この仕事、まさに君の天職だね。」
「まぁまぁ、でも俺に惚れないでくれよ。俺には愛する彼女がいるんだから。」
「曉文とは争わないさ。」俺は笑いながら言った。「それに、まだ彼女なの?結婚はいつするんだ?」
「その辺はお楽しみにしてくれ。曉文が公表する前に俺が漏らすわけないだろう。知りたければ、之橋にでも聞いてみるといい。とにかく、君にはぜひ結婚式の伴郎をお願いしたい。」
「もちろん。」
カーオーディオからは、まるでつま先で軽く跳ねるようなリズムの明るい音楽が流れてきた。禾樺はリズムに合わせてハンドルを軽く指で叩きながら、観光農場を後にした。俺はシートに深くもたれかかり、窓の外に流れていく景色をぼんやりと眺めた。
✥
農協のオフィスに戻り、まず上司に進捗を報告した。
もともと他部署のサポートという位置づけなので、上司も特に重視しておらず、いくつかの細かい点を確認した後は雑談に移ってしまった。このままだと、最近高校に進学したばかりの娘が冷たくなったという愚痴を延々と聞かされる予感がしたので、うまくタイミングを見計らって「まだ仕事が残っているので」と言い訳し、自分の席へと戻った。
書類を片付けているうちに、ちょうど退社時間になった。
モニターの右下に表示される時間を見つめた。
モニターの横には、色鮮やかな付箋が何枚も貼られている。パソコンのアカウント名やログインパスワード、重要なイベントの日付などが書かれている。俺は新しい付箋を取り出し、「禾樺の広告」と書いて隣に貼り付けた。
その後、その青い付箋を見つめながら、何かを忘れているような気がしたが、考えがまとまらないうちに、机の端に置いていたスマホの画面が光った。
それは宋之橋からのメッセージだった。
──仕事終わったら会おうよ。
メッセージの下には、長いURLが添えられていて、おそらくお店の場所だろう。
スマホを手に取り、なぜかそれが隣町に新しくできた和風居酒屋だとわかった。彼女はそこの雰囲気がとても気に入っていて、料理もおいしいから、何度も俺を誘って行ったことがある。
「間違いない、何度も行ったことがある……」
そうつぶやくとともに、脳裏には断片的だが鮮明な記憶が浮かび上がってきた。
宋之橋があの店の漬け生イカや自家製キムチ、ゴーヤの天ぷらを好んでいたのを覚えている。店内のインテリアが数か月ごとに変わることも、店長と野球の話をすれば、メニューに載っていない隠れメニューを出してくれることも覚えている。でも、何かが違う……。
絶対におかしいんだ……。
スマホを強く握りしめ、「実際にはその店に行ったことがないんじゃないか?」という思いを必死に無視しながら、簡単に荷物をまとめてオフィスを出た。大ホールを通り抜け、足早に駐車場へと向かった。
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