第2話 法力
――2年後、ヒユウは十二歳となった。
法神がいよいよ危篤になっている、という話題が巷の会話で上がるようになってきた。やはり、辺りでは、特に臨海部での爆発だの、波が強いだの、風が強いだの、でっかい鯨が現れるだのがあるそうで、村にやってきた人たちが情報をポツンと落とすと、水滴から波紋が広がるように、村中に広まっていった。
「オババ〜。何か噂になってるけど、法神様が死ぬのか?」
「噂は噂じゃからのぉ。本当かどうかは五分五分じゃろうな」
ヒユウが疑問をオババに投げ掛けると、オババは冷静に返した。長年生きていると物の見方も変わってくるのだろう。顎を手でさすりながら、遠い目をしている。
「じゃあそこら中で戦い出すのか〜」
「そうじゃの。そろそろ白旗と白い服を揃えるかの」
「え?」
「白い物を身に着ける。それが法神闘争において、唯一降参を示す証なんじゃ。お前さんにもやっとかんとな」
「へ〜い」
「う〜む。それじゃあ、白い羽織にしとくか」
そう言ってオババは、庭から家に戻り、押し入れをゴソゴソと漁り出した。
やまとの国では、殆どの人は和服を着ている。ボロボロの継ぎ接ぎを着ている人もいれば、上等な絹の布ででぴっしりとしているお金持ちもいる。
ヒユウの普段着ている服は、麻で織られた小袖だ。足元の布は少し短めに切られている。
これはヒユウがよく動くからという理由の、ツムグの配慮だった。
「お、あったあった」
オババが押し入れの中から顔を出しながら、声を上げた。相当奥の方に入っていたようで、出てくるのにも苦労していた。
オババがヒユウに見せたのは、中々上等な真っ白の羽織だった。染みの一つも付いていない。
「きれーだな」
「そうじゃろう? アタシが頑張って残しておいたんだよ」
ヒユウがその羽織に目を奪われながらそう言うと、オババは少し誇らしげに返した。ふんっと鼻息荒く、自慢気な顔だ。
「こいつをお主にやろう。この村にいる間は着なくても良いが、外に出る時は絶対に着るんじゃ! さもなくば、殺されてしまうでな」
オババは皺だらけの顔をヒユウに突き出して、きつく言った。
オババの怖い顔に何か感じるものがあったのか、ヒユウは生唾を飲み込みながら頷いた。
「さて、それじゃあ法術のおさらいでもするかの。練習はしてきたか?」
「一応……」
「かっはっはっ! 出来んかったな、さては」
「難しかったんだよ!」
「まあそうじゃろうな。法術士でも出来てない奴はおるじゃろうな。だけど、基本中の基本が一番大事じゃ。基本が積み重なるから、応用の山は立っていくんじゃよ」
オババは杖を突きながらそう言った。
「ほれ、法力を出してみろ」
「うん……」
オババがヒユウに向かって杖を指しながら言うと、ヒユウは渋々といった様子で頷いた。
「んっ!」
ヒユウが身体に力を込めると、ヒユウを中心に風が吹き出した。オババの庭の草木が揺れる。ヒユウの身体は淡く光って、ボサボサの髪や小袖を揺らした。
「お〜、出来とるな。一応法力を出すことは出来るか……。なら、なんか形を練り上げてみぃ」
オババは確認するようにしっかりと見た後、続けてヒユウに指示を出した。
「いや、さすがに無理〜!」
「そうか。それなら、功の法の
「う〜ん、やってみる」
ヒユウが音を上げると、オババは別の指示を出した。ヒユウはそれに答えて、やってみようとする。
「功の法・力丸」
ヒユウは光の玉を空に向かって撃ち出した。
「お、出来たな」
オババはそれを見て、呟いた。
「お、おぉぉぉぉぉぉ!」
ヒユウは自分の手を見ながら、嬉しそうにガッツポーズをした。驚きと喜びが混じった、良い顔だった。
それもその筈で、ヒユウはこれが初めて法力から法術への変換が出来たのだった。
一番簡単な力丸でさえ、法力が霧散してしまい、攻撃にもならなかったものが、今回は形になって撃ち出せた。
ヒユウにはそれが堪らなく嬉しかった。
成功体験というものは、人をやる気にさせる。オババの教育方針はこの日花開いた。
オババは敢えて難しい課題を先に与えて、失敗させる。その後に、少し難易度を下げた課題をやらせて成功させる。これにより、モチベーションが遥かに上がり、元の課題すら成功できる程のものになる事すらある。
「オババ! 出来た!」
「言われなくっても分かっとるわ。よくやったの、ヒユウ」
「うん!」
オババが優しい笑顔で褒めると、ヒユウは目を細めて喜んだ。
「そろそろ色々な法術をやらせても良いかもしれんの」
「え、まだ覚えんの?!」
「当たり前じゃろ! まだ村の法術士になるのに一番大事な治癒を習っとらんじゃろがい!」
「あぁ。そういや、そうだったね」
「ヒユウ……法術士は貴重じゃから喜ばれるんじゃ。その法術士が治癒も出来んでどうなる?!」
「う、ごめんなさい……」
「分かりゃ良いんだ。時間はある。ゆっくりと教えてくよ」
「はい……」
オババがヒユウを叱ると、ヒユウはしおらしくなり、肩を下ろしてしまった。
「さて、法術を使ったことだし、今日はもう終わりだね」
昼を少し過ぎたくらいで、オババはそう言った。いつもであれば、昼ご飯を食べに一度家に帰って、もう一度オババの家に戻るという感じなのだが、今日は違うらしかった。
「え? 終わり?」
「法術は体力を消費するからの。使った日には早めに休まにゃならん。初めては尚更じゃよ。ツムグにでも報告してきなさい」
ヒユウが驚いた顔をすると、オババは笑って返した。そこには、ヒユウへの優しさが詰まっていた。
先程少し気持ちを下げてしまった事への後ろめたさもあるのだろう。
「うん、じゃあ明日ね!」
ヒユウはそう言って、足早に家へと帰って行った。二年が経ち、また足が速くなったヒユウは、オババが見送ろうと出たときにはもう既に姿が見えなくなっていた。
角までは100メートルはありそうなものであるのに。
「元気なのは良いことじゃの」
オババはそんな光景を見て、愉快そうに呟いた。
ヒユウは自分の家に猛スピードで着いた。家にはツムグがいなかった為、近くの畑を探しに行く。
「父ちゃ〜ん!」
「お、ヒユウ! 帰ったか」
ヒユウが大声を上げて呼び掛けると、ツムグは畑でしていた作業を止め、ヒユウに向かって叫び返した。
「そうか、昼飯だな」
「いや、今日はもう終わり!」
「お? それは何でまた?」
「聞いて驚け! 法術が使えた!」
「おぉ! 良かったな〜!」
ツムグはヒユウの誇らしげな顔を見て、ヒユウの頭をガシガシと撫でた。少しだけ、ヒユウは恥ずかしかったが、それを甘んじて受け入れた。
ツムグは法力を扱っているのを、家で見ていたからこその、この喜び方だった。
「それで? なんで昼は休みになるんだ?」
「なんか、法術使うといつも以上に疲れるから、だって〜」
ツムグの疑問に、ヒユウは少し視線を宙に彷徨わせて答えた。記憶が少し曖昧だったようだ。
「まぁ何がともあれ、今日はお祝いだな!」
「飯が豪華に……?」
「なりません」
「えぇ〜!」
「そんな大層なもんがあるわけないでしょ。いつものでも十分だろ?」
「まぁそうだけど……」
ツムグの言葉に、渋々といった様子で言うことを聞くヒユウだった。
そんなヒユウをツムグは優しい目で見つめていた。
その後は、2人で昼ご飯を食べて、家で話すことにした。午後の仕事をツムグも休むことにしたようだった。
「昨日はあんなに悩んでたのにな。あれは何してたんだ?」
「あれは、法力を練って何かの形にしろってやつ。結局あれは出来なかったよ、オババの所でも」
ツムグが昨日の夜の事を思い出しながら話すと、ヒユウはそれに答えた。少し悔しそうな表情なのは、やはり宿題だったものが出来なかったことが原因だろう。
「そうか。まぁいずれ出来るようになるだろ」
「絶対にやってやる! オババを見返す!」
ツムグがそう言って、お茶を啜ると、ヒユウはやる気を出していた。そんなヒユウにツムグは微笑ましく思うのと同時に、法神になると言い出さないか心配だった。
ヒユウは法力を扱うようになってから、かなりの向上心を持っていた。新しいことを習うのに興味を示しているというのもあるが、法力を扱うこと自体に楽しみを見出しているとツムグは感じていた。
そのまま、外の世界を見たいから――といった理由でキリオ村を飛び出して行かないか、心配だった。
とはいえ、そんなことは口には出さず、ヒユウが嬉しそうに話すのを見て、我が子が楽しくやっているのは良いことだとも思うツムグだった。
「オババだって、ヒユウのことが嫌いな訳じゃないんだぞ。むしろ、好きだからしっかりと面倒をみているんだ。感謝はするんだぞ」
「……分かってるよ!」
「分かってれば良いのさ。いつかオババが亡くなった後、お前がオババの教えを忘れずに、この村の法術士として生きて行けば良いんだよ」
「うん」
「よし! 夕飯の用意でもするか!」
「うん!」
ツムグは言うだけ言うと、夜ご飯の支度をヒユウに手伝わせた。
ツムグは出来れば、この幸せが途切れること無く、続きますようにと、天にいるシノに願ったのだった。
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