前途多難

三鹿ショート

前途多難

 彼女を愛するということがどのような意味を持っているのかなど、他者に言われなくとも理解している。

 我々の関係を他者が受け入れることなど考えられないために、我々は自分たちのことを誰も知らない土地へと移動すると同時に、自分たちの本当の関係を永遠に口外してはならず、そして、他者を欺く日々を送らなければならないのだ。

 考えただけで、既に疲労感を覚えている。

 だが、彼女に対する愛情を捨てようなどと考えたことは、一度も無い。

 何故なら、私も彼女も互いのことを愛しており、そのような人間と出会うことができることなど、人生において一度でも存在するかどうかが分からないほどに、幸福なことだったからだ。

 その関係をわざわざ破壊するような真似など、愚か以外の何物でもない。

 しかし、同時に、私と彼女は、この世界で最も愚かな人間でもあった。

 我々の本当の関係を話せば、ほとんどの人間は口を揃えて、それはおかしなことであると告げるだろう。

 私もまた、同じような関係を持った人間の話を聞けば、そのような言葉を発するに違いない。

 だが、それは、私が彼女のことを愛していなかった場合である。

 ゆえに、我々と同じような関係の人間を目にしたときには、心の底から応援する所存だった。


***


 我々のことを知らない人間たちが住んでいる土地においては、私と彼女が夫婦だと告げたとしても、疑問を抱かれることはない。

 だからこそ、我々は堂々と愛し合うことができた。

 生まれ育った土地においては信じられないような日々を送ることができるようになったのである。

 しかし、油断してはならない。

 我々の些細な言動から、関係を疑う人間が現われる可能性は、どの土地においても考えられることだったからだ。

 ゆえに、我々は、設定を作った。

 互いの両親が友人であり、自宅も近かったために、兄と妹のようにして育ってきたことから、互いのことは幼少の時分から知っているという内容である。

 これならば、どれだけ昔のことを知っていようとも、違和感は無いだろう。

 注意を払った結果、この土地に引き越してきてからは何かしらの問題にも直面することなく、彼女と愛し合うことができる日々を過ごしていた。

 このまま、この時間が続けば良いと思っていたが、どうやら世界は我々のことを許すつもりはないようだった。


***


 引き越してきたその男性の名前に聞き覚えがあると思っていると、どうやら同じ学校の出身らしく、男性は私のことを憶えていたようだ。

 生徒の数が多かったために、全ての人間の名前を記憶していたわけではなかったが、私が男性の名前に聞き覚えがあったのは、その悪名が理由だった。

 派手な格好の人間たちと共に授業の妨害をすることは常で、一日に一人は必ず男性に金銭を巻き上げられ、気に入った女子生徒に対してはどれほど抵抗されようとも、関係を持つなど、男性の悪事には枚挙に遑が無い。

 そのような人間に彼女との関係を知られては困ると思っていたが、既に遅かった。

 男性は、我々の関係をこの土地の人間に黙っている代わりに、金銭を要求してきたのである。

 一度でも金銭を渡してしまえば、終わりは無いとは分かっていたものの、そのように行動している間は口外されることがないのならばと、私は相手の要求を受け入れることにした。

 あまりにも対応に困ったのならば、引き越せば良いだけだと考えてもいたのだが、それは甘かった。


***


 涙ながらに彼女が明かしてきたのは、男性との関係だった。

 いわく、我々の関係を黙っている代わりに、肉体関係を求めてきたらしい。

 私のためにと、彼女はそれを受け入れたのだが、段々と要求が激化してきたために、こうして私に明かしたというわけだった。

 当然ながら、私は怒りを抱いた。

 私から金銭を巻き上げているにも関わらず、彼女を騙して関係を持ったなど、受け入れることができるわけがない。

 私は台所に置いてあった包丁を手に、家を飛び出した。

 背後から、私を止めるような彼女の声が聞こえてきたが、私が足を止めることはなかった。


***


 涙を流して謝罪の言葉を吐く彼女を宥めながら、私は自動車を走らせていた。

 これからは、我々の本当の関係に加えて、私が犯した罪もまた、隠しながら生きていかなければならない。

 それでも、彼女と共に生きること以上に大事なことなど私には無かったために、不安も抱いてはいるものの、やる気に溢れていた。


***


「突然消えた彼らのことを考えると、この件に関係していることは間違いないでしょう。それでも、何故動いてはならないのですか」

「彼らをこれ以上、追い詰めたくはないからだ」

「元々、何か事情が存在しているというわけですか。それは、見逃す理由にはなりません」

「もしも、きみと私の関係を知った人間が存在し、その関係を公表すると伝えてきた場合、きみはどのように行動するのか、考えてみると良い。自分たちの日常を守るためには、罪を犯さなければならない場合もあるのだ」

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前途多難 三鹿ショート @mijikashort

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