第34話 夏休みの始まりの日

「———ハッ!」


 顔をあげます。


『七月二十三日。夏休みが始まって三日経ちましたがいかがお過ごしですか? 午後のニュースです……』


 私は気が付くと自宅のリビングにいました。

 テーブルの上に両腕を寝かせていて背中を大きく前のめりに……腕と額に圧迫感を感じているので、おそらく私は突っ伏した状態だったのでしょう。


「どうして……私は……外に……」


 みーん、みーんとセミの声がします。


「起きた?」

「———ッ!」


 目の前に人が座っていました。

 私と同じ茶色がかった髪の毛と青い瞳を持つ、少しだけ大人びた女性。


「お姉ちゃん……」


 彼女は、私の対面に座る少女は何も言わずに微笑みます。


「い、いえ……もしかして、リンさんですか?」


 ゼオンの精神体と言えるリンさんは私の心をくみ取っているのか、姉と同じ姿をしていました。

 だから、私の早とちりではないかと思いましたが……、


「さぁ、どっちかな」


 彼女は曖昧な言葉で誤魔化します。


「…………」


 わかりません。

 でも、このちょっと上から目線で人をけむに巻くような態度は、イヴお姉ちゃんな気がします。


「でも、ノアは私に会いに来てくれたんでしょう?」

「————ッ!」


 お姉ちゃん……です。

 私を試すように見て微笑むこの仕草は、まさしく姉、言凪イヴでした。


「お姉ちゃん! あのね……私、お姉ちゃんに会いにここまで来たよ……家から出て、こんな地上……ううん、ここまで行くと地下だね……大滑穴だいかっけつっていう穴の深いところまで」

「うん」

「ここに来るまでいろいろ、いろいろあったんだ……辛い事、悲しい事……本当に大変だった……」

「うん」

「ねぇ、お姉ちゃん……」

「うん?」

「お姉ちゃんは今、ここにいるの?」


 私はずっと気になっている疑問をぶつけます。

 お姉ちゃんはゼオンの儀式に失敗した……そしてずっと穴の底にいる。

 そんな人間は普通生きているわけはない。

 それに、今目の前にいるお姉ちゃんは何処か、存在が揺らいでいました。

 ここにいるのに、いないような……はかなげな。


「どっちかな」


 また、はぐらかすような言葉。


 でも———、


「ノア、私は世界を救うことに失敗した。だから、あなたのもとにゼオンが来た。私とあなたはこんな夢の中でしか会えない。つまりはそういうこと……」 

「あ……」


 あぁ……それはつまり……、


「でもね、ノア。あなたの行動に意味はあった。例え本来の目的が果たせなかったとしても、あなたが旅立つ意味はあった。物事っていうのは人や神様が作り出すものよりも大きな部分で繋がっている。やった結果が無駄だったって思うこともあるかもしれないけど、そんなことはないんだよ。何か、何か意味がある。ノアが導き出す答えに繋がっているものなんだよ。だから、ノア……」


 お姉ちゃんは私に向けて手を伸ばし、


「自分を信じて。これからも。私はあなたの、あなたの本当の意志の味方だから」

「意志……」

「心に従ってノア。これまでと同じように、自らの心に正直に———進み続けて……」


 ズ———ッと、突然部屋が広くなりました。 

 というよりも空間が、私たちが今いる空間が広がっているようです。


「お姉ちゃん!」


 私はどんどん遠ざかっていく姉に向かって手を伸ばしました。

 だけど、お姉ちゃんは、言凪イヴは、


「また会いましょう、ノア。あなたが創る世界の果てで————」


 空間の広がりは加速し……やがて光速にも達するほどの速さで私の意識は、どんどん、どんどん、現実へと引き戻されていきました———。


 ◆


「おい、おい! 言凪ノア!」


 ぺしぺし、ぺしぺしと頬を叩かれます。


「……ん、うぅ」


 瞼を開くと、強烈な明かりに焼かれそうになり、直ぐに閉じようとします。


「太陽……」


 天井にはまばゆい光を放つ太陽が……ということは。


「ここは———⁉」


 私は大滑穴だいかっけつにいたはずです。

 火星に空いた大きな穴の中に———。


大滑穴だいかっけつだよ」

「でも———!」


 隣にはアギさんが座っていました。首元のシャツに汗がにじんで、疲れた様子で足を伸ばして土の上に座り、空を指さします。


「丁度、太陽が真上に来てんだよ……大滑穴だいかっけつでも、日が差し込むことはある」

「あ、そうなんですか……私はまだ、大滑穴の中に……じゃあ……」

「ああ———」


 アギさんが空を指していた指を横に倒し、


「———お前が救った」


 ————わあっっっ!


 そこには喜びがありました。

 ボロボロの衣装を着た大滑穴だいかっけつ作業員たち、ミュータントも普通の人間も抱き合い、命があることを喜んでいました。


「本当に何とかするとはな……」


 アギさんの視線が喜んでいる人たちから横に滑り、ここから下のせり上がっていたマグマだまりの方へ向けられます。

 そこにはもう赤々と輝くマグマはなく、真っ黒に冷えて固まった火成岩が広がり、大きな蓋のように大滑穴だいかっけつの底を塞いでいました。


「何が……起きたんですか……?」

「いや、お前がやったことだろ」

「私、無我夢中で……ただ、必死に皆を救おうとして……」


 茫然とする私に対して、アギさんは呆れたように頭を掻き、


「光だよ」

「光?」

「マグマに飛び込んだゼオンを中心として、あおい光がバーッと走った。そしたら火星樹細胞の暴走によって増殖していたマグマがドンドン凝固していき、暴れていたBGバイオジャイアントたちの身体が縮んでいって、やがて普通の人間に戻っていった。正気に戻ってな。お前の、ゼオンの発した暖かな光に包まれて、恐らくガイウスが創った人工的に作られた火星樹細胞が抑制されたんだ」

「そんなことが、私に……」

「できるんだよ! 創世の巫女とゼオンなら!」


 バシンと背中を叩かれます。

 叩いたアギさんが持っていた感情はわかりません。

 自分が何をしたのかわからずに呑気なことを言う私に怒ったのか、それとも自分がやったことに誇りを持てと励ましているのか。

 なんにせよ———。


「良かった……」


 私を見つめる、キバさんとロコナさんの微笑みを見て改めてそう感じました。


「————ゼオン」


 神秘の巨人、私の分身である巨人、ゼオンは私を見下ろすように立っていましたが太陽の光に当てられて溶けるように消滅していっていました。


「これが、あなたが私に見せたかった光景なんですね……」


 地獄の中で、つかの間の生に沸き立つ人々。

 普通の人間も、狼のミュータントもトカゲのミュータントも。

 覚悟した死を免れ、奇跡のような生を噛みしめていました。


「アギさん」

「ん?」

「私、旅に出ます———」


 ゼオンの全身はついに光に溶け、消えてしまいました。

 今、この大滑穴だいかっけつの作業場に立っている巨人は、アギさんのトワイライトプットのみです。


「この世界を、地上を見てみます……その結果がどうなるかわからないけど、世界を救うっていうことがどういう事なのかもまだわからないけど、世界を見てみたいです。そして、ただ……感じたことを、やるべきとおもったことをやりとげたいです。それが、私の……お姉ちゃんの願いでもあると思うから……」

「……そっか」


 アギさんは脱力したように肩を落とし、空を見上げます。


 ゴウン、ゴウン、ゴウン……。


 陰が差し込みます。

 空を見上げれば、緑色の海賊船、船首に特徴的なドクロマークを付けた、私がここにいるきっかけを作った船が迎えに来たかのようにゆっくりと降りてきていました。


 ———思えば、これが始まりだったと思います。


 私と、リンさんと、世界が……変わることになった旅路の。


 長くて短かった———私、言凪ノアの夏休みの始まりの日だったのです。

                                 ―序章・終了―

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緋星戦記 ノアゼオン あおき りゅうま @hardness10

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