1.(3)

 僕の目の前には変な鳥がいる。


「こ、これが孵化したのか……?」

「は? ふかっちゅうんはどういうことじゃ、われ! フカってサメの話をしちょるんか?」


 僕は耳を疑った。鳥の口から出た声は、多少おかしな言葉遣いではあるが、明らかに人の言葉だったのだ。


「え……、喋ってる?」

「他にどんなやつがおるっちゅうんじゃ。おんどれ、ワシ以外のだれが喋ったゆうんじゃ?」

「いや、それは君以外にいないだろうけど」


「けど、何じゃ」


 鳥はイライラと言った。どうやら短気らしい。

 僕は一息で言った。


「鳥と会話したことなんて初めてだよ!」


 そう。人の言葉のマネをする鳥なら見たことがある。鳥に似た魔物も。だけど、この鳥はそういうのとは違う。明らかに、意味を解して喋っているのだ。


 僕がそう言ったら、鳥はヘンな声をあげた。


「きょるー!」


 そうして、僕の頭をつつこうとする。


「わ、何だよ! お前!」


 僕は頭を隠しながら、慌てて避けた。が、鳥の気はおさまらないらしい。


「おんどれ、誰が鳥ゆうんじゃ! ワシのどこが鳥に見えるちゅうんじゃ!」

「どこからどう見ても鳥じゃないかぁ!」

「何アホなこと言うちょるんじゃ! ワシのこの凛々しい姿がーー」


 バカみたいな速さで襲ってきた鳥の言葉が、突然止まった。僕の後ろの壁にかけてある木彫りの枠の鏡が見えたらしい。

 鳥は食卓に着地し、鏡に映った己の姿をじっと見た。


 そして、しばらく動かなかった。

 やがて言った言葉は。


「何じゃこの姿はー!」


 ハデな黄緑色の鳥姿は、どうやら鳥の気には召さなかったらしい。


「おい! こん姿はどういうことっちゃ?」

「知らないって。卵が割れた時からそういう姿じゃないかっ!」

「卵ぉ?」


 多分、とっても不機嫌そうにこっちを睨んだ鳥。だが、すぐに表情を変えた。


「はっ、まさか。ニルレンーー」


 卵の殻を指さそうと探していた僕の人差し指は彷徨った。

 何故か殻がない。


 そして、ニルレン。

 その名前は聞いたことがある。でもまさか……。

 僕は出来るだけ鳥の気に触らないよう、恐る恐る聞いた。


「……あのさ、ニルレンってまさか、救世主のこと? それとも誰かのあだ名?」


 少なくとも、僕はその人物しか知らないし、近年、それ以外のニルレンという人物がいるとは思えない。慣例的に彼女の名前はつけないことになっているし。


 大魔法使いニルレン。世界を救った勇者。救世主の名とされている。


 遙か昔、といっても二百年とかそのくらい前だから、そんなに昔でもないような気もするけど、大魔王マグスと名乗る魔法使いが世界を支配しようとした。


 支配するだけならまだいいんだけど、今まで何となく共存していた魔力の塊である魔物を凶悪化させ、それを使って人々に恐怖を与えたらしい。


 そんなことをする人がいたら、それを何とかしようとする人が出るのは、まあ当然のことだ。


 ニルレンというのは、その何とかしようとした人の名前だ。専門は魔法らしいけど、勇者とか、救世主とか呼ばれている。


 ニルレンは同じ志を持つ仲間と共にマグスに立ち向かい、そしてマグスの野望を打ち砕き、世界は平和に満ち溢れたという。


 まあ、相手がいくら恐ろしい魔法使いとは言っても、人一人倒しただけで世界が平和に満ち溢れるわけもない。それはやっぱりちょっと誇張はされているんだろう。


 だけど、やっぱり世界のために貢献した人、ということだ。よっぽどの人じゃない限り、そんな凄い人の名前をつけるとは思えない。


 というわけで、僕はニルレンという名では大魔法使いしか想像できないんだけど。


「救世主? いや、ニルレンのやつ、いつの間にそんなえろう大そうなやつになっちょるんじゃ? 英雄じゃなく? 救世主?」


 驚きからだろうか。一瞬、鳥の姿に光が射した。かなり眩しい。


「わ、わー! 落ち着いてよぉ! 英雄とも勇者とも言われてるよ!」


 僕は何とか必死に、鳥を落ち着かせようとした。すると、タイミングが良かったのか、意外にあっさり落ち着いてくれた。


「……んま、ここでヤケになってしまうんも、大人げないことじゃしな。ここは一つ落ち着くとするか。よし、まずはおまえの話を聞かせるんじゃ」

「う、ま、まあいいけど」


 断る理由はないのでとりあえず希望に沿う。


「でも、話を聞かせろってさ、何から話せばいいわけ? 君が入っていた卵のこと? それなら俺の父親が落ちていた卵を朝食用に拾っていったって聞いたけど……」

「わりゃあワシを食おうとしとったゆうんか?」

「俺じゃない! 父親!」


 この鳥に言ったら何されるか分からないから黙っておくけど、あんな得体の知れないものを食べる趣味は、僕にはない。


「父親? だったらワレの父親はどこおるっちゅうんじゃ!」


 鳥は両羽を広げた。それだけで、二倍くらいの大きさに見える。猛禽類がよく威嚇のために使う手だ。


 この鳥の姿そのものはマヌケなのだが、さすがは威嚇用の動作。


 鷹に睨まれたネズミか何かのように、僕は縮みあがってしまった。


 そんな時。


「ははははは。安心しろ。ユウ。父さんは、君をそんなことでは負けない子供に育てたつもりさ」


 父さんの脳天気な声がした。

 鳥はそちらへと気をうつした。


「何じゃ? ワレ」

「僕はそこの少年、ユウの父親でありウヅキ村役場勤務のユキさ。牛乳いるかい?」


 父さんは玄関から持ってきた牛乳を食卓においた。


「いらん!」

「いや、牛乳は飲んで落ち着いた方がいいと思うよ」


 そう言いながら、三つのコップに牛乳を入れた。


「で、一人と一羽で何をやっていたんだい? 朝食を食べるなら、目玉焼き焼こうかい?」

「い、一羽じゃとう!」


 鳥はケンカを売るべく羽をばさりと開き始めた。

 出来ることなら、騒ぎは起きて欲しくない。僕は鳥に言った。


「ちょ……ちょっとさ。落ち着きなよ。父さんに言いたいことがあるんだろ?」

「む。そうじゃ、おい、われに確認したいことがあるっちゃ」

「言いたいこと? 何だい?」

「われ、ワシを食おうとしたんじゃって?」


 父さんは、一瞬眉をひそめたが、すぐに笑った。


「ああ。あの卵か。いやだなあ。君は、そんなことを僕がすると思っているのかい?」

「分からんから聞いとるゆうんじゃ」

「ははは。確かにそうだね。でも、そんなことがあるわけないじゃないか。僕が君を見たとき、あまりの美しさに背筋がぞわっとしたんだよ。そう、背中に冬眠中のへびを入れられた時のようにね」


 それは、かなりぞわっとするだろう。

 だが問題はそこではない。


「父さん。さっきと言っていることが違うじゃないか……」

「ははははは。そうかい?」


 笑いながら、父さんは僕に近づき、肩を叩いた。そして耳元でささやく。


(嘘やお世辞もまた方便さ)


 ……卑怯者だ。


「まあ、過ぎたことは過去のことさ。それよりも、あの夢幻からの贈り物かと見紛うばかりに美しい卵から、まるで天使のように生まれ落ちた君が何者なのか僕は知りたい。どうかな? ひとまず君について話をじっくりと聞かせてもらえないかな?」


 父さんは笑顔で長ったらしい賛美つきの台詞を言った。

 鳥は冷静になったのか、父さんのその様子に若干引いている気がしなくもない。突然おとなしい。


「それはまあええんじゃけど……」

「そう。じぃっっくりと。出来れば朝食をとりながら」


 言葉と同時に両拳をぎゅっと握った父さん。

 鳥はしばらく羽を軽くばっさばっさする。

 やがて、結論を出した。


「……まあ、家主に従いますわ」

「ああ、有り難う。気高き鳥君。君の目玉焼きも焼いておくよ」


 そして一人で大笑いした。


「はははははは」

「……ええんじゃよな?」


 一羽は首を捻っている。

 この事態に対して、とりあえず母さんを連れて来ようと部屋を後にした僕の背中の方向から、何とも言えない声が響いた。

 うん。朝食は父さんに任せよう。

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