1.(2)

「母さーん!」


 気付かれない性分なので、人よりも遙かに元気な声で母さんを呼ぶ。何かを伝えたい時は、人よりもオーバーな言動を取ればいいということに、いつだったか気付いた。


 僕が全身全霊かけて呼んだら、母さんは手に布を持ちながらやって来た。


 子が大きくなったからと、最近職場の人形劇サークルに入り始めた母だけど、劇のための新たな人形を作っていたらしい。


 いくら今日が休日で僕が遅く起きたとはいえ、まだお日さまはそんなに高くない。普段の仕事も結構大変そうなのに、朝っぱらからご苦労なことで。


「どうしたの? ユウ」


 布と型紙をとめているマチ針が、手に刺さったらしい。母さんは少し顔を歪め、布をごそごそとやった。


 ……母さん、僕だって、その布を置くぐらいの時間はガマンするよ。


 そう思いながら、僕は問題の卵を指差した。


 僕の頭のような大きさのほんのりと薄緑がかっているような卵。とてもじゃないけど、食べる気にはなれないナゾの卵。


「これ、何?」

「何って、卵でしょ」

「そうじゃなくて、何でこんなにでっかいの?」

「そりゃあ、そのぐらい大きなヒナが入っているからでしょうねぇ。そんなに大きいのに中身が小さかったら母さんはがっかりね」


 母さんはにこにこと笑った。この人のこの台詞に、悪気はない--と思う。あったらどうしよう。


「ひょっとして有精卵なのかしら? どんなヒナが出るのか、楽しみね」

「…………」

「それとも、無精卵なのかしら。そしたら、食べるしかないわよねぇ……」


 相変わらず、ぱっと明るくなったり、どんよりと落ち込んだりと、ずいぶんところころ表情の変わる人だ。


 だが、この無意味そうな会話の中にも分かったことがある。


「母さん」

「何? ユウ」

「この卵、母さんが買ったわけじゃないんだね」

「ええ。こんな高そうな卵、買う気にはなれないわよ。こんな大きな卵、今初めて見たしね。クジラの卵かしら? どこに売ってるのかしらね」


 それは違うと思う。

 僕は、とりあえずその話題を無視した。


「だったら、誰が冷蔵庫入れたんだよ?」

「さあ……。それはわたしにも分からないわねぇ。お父さんじゃないかしら」


 その言葉を言ってから、母さんの注意は人形の布と型紙へと移った。卵のことはあまり気にとめるつもりはないらしい。


 そうしてスタスタと部屋へ戻ってしまった。


 しょうがない。

 僕もその卵のことはひとまず置いて、ほかの卵で目玉焼きを作ることにしようかな。食パンも焼いておかなくきゃ。もう、いいかげんに腹ペコだ。





 そうして、僕が朝食を食べ、昨日食べるのを忘れていたプリンをデザートということにして、スプーンをつきさそうとした時、父さんがやって来た。


「お、こんな所にプリンがあるな。食べてもいいのかな?」

「父さぁーん!」


 僕は必死になって、プリンに伸びようとする、父さんの腕を止めた。すると、ようやく僕という存在に気付いてくれたらしい。父さんは驚いたという顔で僕を見た。


「ああ、何だユウ。いたのか。おはよう」

「うん、おはよう……」


 もうすっかり慣れた。いやむしろ、友人の家庭の話を聞くまでは、それが平均的家族の関係だと思っていたよ。


「どうだ? 今日も元気でやってるか?」

「うん……。やってると思うけど」


 プリンを食べながら僕が頷くと、父さんは軽快に笑った。


「ははは。元気なのはいいことだ。だけど、ユウの場合はちょっと元気がなさそうに見えるなぁ」


 何で、両親のその無意味なくらいに活力が溢れていそうな部分が、僕に遺伝しなかったんだろう?

 そんな疑問を頭に浮かべて、僕は出来るだけ笑みを見せた。


「そ、そんなことないって……」

「そうか。ならいいな」


 父さんは本当に満足そうに笑って、台所を見た。僕はその間に大急ぎでプリンを飲み込んだ。


「あれ、その卵、冷蔵庫に入っていたのではないかな?」

「父さん知ってるの?」


 僕は聞いた。父さんは頷いた。


「ああ。勿論。何たって、父さんが拾ってきた卵だからなぁ」


 そして父さんは詳しい説明をしてくれた。





 先日の夕方から夜にかけての中途半端な時間、父さんの言葉を使うと、過ぎ行く今日とやって来る明日が出会う黄昏時。父さんは、いつものように帰路へと足を進めていた。


 だが、その日は違った。


 道の途中で、奇妙なもの、つまり卵を見つけたのだ。


 それはぼんやりと薄緑色に光っていたという。太陽が一日の終わりを讃えているような鮮やかなオレンジ色に、安らぎの闇が近づくという印の深い群青色が混じり合い、訳もなく物悲しくなるような複雑な色合いを重ねている空と、薄緑色に光る卵は、お互いをより良く映えさせ、その美しさの総合体は、この世のものとは思えないほどだったという。


 本当かよ。


「それを見たら父さん、思わずこれを持って帰りたくてなぁ」


 父さんは、はははと笑った。

 どういう感じに置いてあったのかは分からないから、それが単に拾っただけなのか、盗難につながるのかは判断がつかない。


 でも、やや思慮が足りないきらいや、無責任なところはあるけど、悪い人ではないはずなんだ。父さんは。そうでなければ役場には勤められないはずだし。


 だから僕は一応、そのあたりについては黙っておいた。


 父さんはなおも話を続ける。


「あれだけキレイでしかも大きいんだ。さぞや高い卵だろうな。こんな卵を使えば、これから父さんが作る朝食も格段に美味くなるというものだよ」

「って、父さん! これ食べるのかよ?」


 僕の疑問に、父さんはこう答えてくれた。


「当たり前だろう。だったら何のために持ちかえって冷蔵庫に入れていると思うんだ?」

「知らないよ……。それよりも、そんな何の動物のかも分からない卵を食べようなんて、ハラこわすかもしれないだろ!」

「大丈夫さ。まさか、クジラの卵のわけないんだからな」


 そう言った父さん。

 今更ながら、僕は思った。

 僕の両親は、似たもの夫婦だと。


 それにひきかえ、僕は全然似てない息子だと。

 いや、黒い髪とか焦げ茶の目という感じの外見は似てるんだけどさ。


「と、とにかく、こんな卵食べないほうがいいってば……」

「うーん、そうかなぁ」


 父さんはあまり納得していないようだったけど、僕がかわりに目玉焼きをつくるといったら文句を言わなくなった。

 そして僕が魔石コンロに火を点け、五徳に置いたフライパンを温め、卵を割りいれようとした時、食卓でパンを切っていた父さんが妙な声を上げた。

 ひとまず卵を割ることはやめ、後ろを見てみる。


「どうしたの、父さん」

「いや、この卵から音が聞こえる気がするんだ」

「音?」


 僕は火を止め、そちらへと行った。

 父さんが指さすところへ、耳をすまして見る。

 すると。


 ……コツコツ。

 コツコツコツ……。


 微かだけど、何かをつついているような音がする。

 僕は息を飲み込んだ。


「まさか、孵化……?」


 ついさっきまで冷蔵庫で冷やしていたのに。


「そうなのか? そうしたら、やっぱり刷り込みとか出来るんだよなぁ!」

「あ、うん……多分……」


 刷り込み。


 鳥類の習性で、雛が生まれて最初に見た動くものを親と思い込むというものだ。確かに自分が歩く後ろを可愛い雛がトコトコとついてきたら、気分がいいかも。


「でも、どんな雛が生まれるんだろう……。この卵、薄緑色に光ったんだろ?」

「緑ってことは、クジャクなのか?」

「違うと思う!」


 僕は力いっぱい否定した。


「そうか、クジャクの雛じゃないのならつまらないな。父さんは牛乳をとってくる」

「あ、そう……」


 父さんは、この孵化しようとする卵にも、僕が作るといった目玉焼きの存在にも興味を失ったらしい。本当に行ってしまった。

 そんなことをしている間も、コツコツという音は続き、その音はどんどんと大きくなっていった。


 ピシッ。


 あ……、卵にヒビが入った。


「う、生まれる……?」


 僕はその卵を凝視した。

 そして。


 パカリ。


 父さんが見たという光よりも多分ずっと眩しい光。それが卵から溢れ出した。僕は眩しくて、思わず目をつぶってしまい、それを見ることは出来なかった。だけど、目をつぶっても光が溢れているのはよく分かる。

 そして聞こえてきたのは。


「何しちょるんじゃー!!」


 ピーピーという愛らしい声ではない。

 おおまけに負けて、ピーピーとまではいかなくても、キーキーぐらいにはしてもいいかもしれない。ただ、その鳴き声は明らかに人の声に思える。

 光がおさまったみたいなので、僕は目を開けた。


「なっ……!」


 そこにいたのは一羽の鳥だった。

 だけど、とてもじゃないけど、卵から生まれたばかりの雛とは思えない。

黄緑色の羽毛に包まれていて、クジャクの頭についているようなちょんまげは赤。ピンとつきだした尾羽は鮮やかなオレンジ。体よりも少し濃い色の翼をばっさばっさと羽ばたかせ、僕の視線上に浮いているそれは、明らかに成鳥だった。

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