おもちゃやぐらし! 後半

 

 階段をあがると、充満したイ草の匂いに歓迎される。


 何やらそわそわしている月見里を見つけたが、こちらに気づくと表情を緩めていく。少なくとも、月見里も歓迎してくれているようで、少し居心地の悪さも感じつつもすっかりと気が軽くなってしまった。


 いろいろと何か声をかけるべきかと考えるも、その前に東台の方からカードをシャッフルする音が聞こえてきた。

 

 「じゃあ、何やりたい?」


 「ん?これから決めるのか?」


 「まぁね。じゃんけんで勝った人が決める感じにしたかったけど、唯ちゃんトランプやったことないみたいで不公平かなって」


 「そうか、それなら、悪いな。あいにく、俺もトランプをやったことがないんだ」


 「えー!?2人ともトランプやったことないの?」


 彼女にとってそれほど驚くことなのだろうか、詰めた息で目を膨らませているのかと思うほどに目を見開いて驚いていた。


 ババ抜きだったり、七並べとか基本的なものは知っているが、あいにく2人でやれるようなトランプ遊びを知らない。そういえば、一人用のトランプ遊びなんてものはあるのだろうか。


 「2人で出来るようなトランプゲームなんてないだろ?」


 「あっ……ああ、確かにね」


 そういったものの、東台はまだ何か含みのあるような感じがして納得がいっていない気がした。確かに彼女辺りなら家族とか友人とかいろいろと遊び相手には困らなかったのだろう。


 「じゃあ、私が2人の初めて貰うんだ。一緒にトランプで遊んでくれてありがと!」

 

 月見里の渋い顔を目の端に捉えた。なんというか、あまり深刻な方向に持っていかないのが東台の美点だと思う。

 

 「それなら、定番のババ抜きしよっか」


 「ババ……抜き?」


 一瞬、月見里が怪訝な顔をしてチラリと東台を見たが、残念ながら彼女はババアではない。言われた東台もまるで気にしていない。


 「うん、ジジ抜きっていうのもあるけどね」


 「ジジ……」


 ジジという言葉に、月見里はこちらを見るが、残念ながらこちらもジジイになるには20年ぐらいかかる。

 

 「ババ抜きっていうのはね。まず皆にカードを配っていって、同じ数字のカードがあったらカードを真ん中に捨てて行って、無くなるまで他の人のカードをもらったりあげたりして、最初にカードが無くなった人が勝ち。でも、このババっていう悪魔みたいなイラストのやつを最後まで持ってた人が負けになっちゃうんだ」

 

 東台の説明を聞いて、ああ、確かにそうだったと思い出す。あのピエロみたいな存在は悪魔だということも学べた。

 確かによくよく見てみれば、と書かれている。


 月見里も悪魔みたいなイラストというところには頭をひねったが、かねがね理解したようで「へぇー」と声を漏らして頷いていた。

 

 「それじゃあ、ジジ抜きっていうのは?」


 「うーん、最後に一枚だけ残ったカードがババになるバージョン。ほら、一枚だけカードを抜いたら、一つだけ合わなくなるでしょ?」


 「……そこにジジの要素ある?」


 「うーん、確かにね。もしかしたら、ババがいないから、その反対のジジがいる。みたいな。そんな感じの理由なのかも。八雲はそう思わない?」


 ジジの反対がババと月見里は首をひねるが、ゲームの名前にそれほど深い意味があるとは思わない。

 困った東台がこちらに助け舟を求めるが、彼女以上の理由付けは見つかりそうになかった。


 「うーん、あーぁ、理屈はなんとなくわかる」


 「……私も、ちょっと納得した」


 こちらが首を縦に振ると、月見里も首を縦に振った。無理やり合わせた感じがして、気が引ける思いがあったが、ババ抜きの授業が無事終わったのでひとまず大団円である。


 いよいよ、東台が「配るね」とカードをシャッフル。きっと、ぎこちないんだろうなと勝手に思っていたが、まるでカードが液体になっているのかと思うほど流れるような素早い手捌きで行われた。


 そして、今度は滝になる。東台はそのままナイアガラの滝を作るように続々と上から下へカードを落としていく。

 彼女のドヤ顔がのぞき込めるほど距離があるというのに一つもこぼすことなく手もとに収められるとはなんというか彼女はニッチなところで凄い。


 「うわぁ、すごっ」


 「ふっふー。でしょー?こういうこともできちゃいまーす」


 そういうと、今度はカードを手もとにおさめ、広げると今度は鎖のようなものができた。

 トランプの数字側をこちら側に見せながらひし形のような形にして数珠つなぎのようなことをすると手に収める。そして、また開くと今度はまた違うカードが姿を見せる。

 

 ここまでくるとシャッフルではなくて、マジックではないだろうか。


 少なくともこちらと月見里は口を半開きにして、彼女の手捌きを眺めていることは確かであった。


 「よぉし、こんなもんかな。じゃあ、配っていきまーす」


 少なくとも別のカードが混入されていてもわからないぐらいには混ざったぐらいに、東台がカードを配っていく。


 その配りようも、机をアイススケートに見立ててちょうどこちらと月見里の前に滑らせていくのだから凄いとは思う反面、先ほどのシャッフルを見ていると幾分驚きが落ちてついた。


 ある意味、メインディッシュを食べ終わった後の、デザートというものだろうか。そう考えれば、なかなかに緩急しっかりとした構成である。


 そうして、寸分の狂いなくカードが配られ終わり。デ〇エルスタンバイ。月見里が同じ数字だけどイラスト違うやつは捨ててもいいのかという言葉を皮切りに、中央へとカードが捨てられる。 

 

 月見里と東台の手札がすり減っていくが、こちらは1セットしか捨てられず新品同然のままである。しかし、その中にジョーカーはなく、それだけが不幸中の幸いといったところ。

 

 それでは誰が持っているのかと気になるところだが東台も月見里も涼しい顔をしており、猶更誰かわからない。

 疑心暗鬼の中で、一巡二巡と回ってくるが、どれ一つとっても同じような表情で固まっている。むしろ、月見里の表情が少し緩んでいるような気さえする。


 もしかして、ババを入れ忘れてしまっているのではないだろうか。そんな別な不安を覚えていると、東台が一瞬ニヤついた。


 直後、月見里の頬が引きつる。


 気のせいかと思ったが、月見里がこちらに隠すようにして後ろにカードをやり、何やら混ぜ合わせるような音が聞こえてきたので確信へと至る。

 

 そして、こちらが月見里のカードを引く番になった。月見里はポーカフェイスをとどめようとするが、こちらがカードを触るたびに眉をピクピクと動かして一喜一憂を隠しきれていない。


 理知的な子だと思ってはいるものの、こういう駆け引きには弱いのだろう。彼女の子供っぽい一面を垣間見て頬を緩ませつつカードを引くと、ババではなかったが番のカードでもなかった。

 そして、東台がそのカードを引き、捨てられたカードの山を高くした。なんだか、ハマグリかサギになったような気分である。


 しかしながら、そのあとはこちらもつがいのカードを見つけていく中、月見里と東台からカードが落ちることはなく膠着状態が続く。

 それでも、弾が残っていればロシアンルーレットが続くように、ジョーカーがこちらに着弾した。


 月見里が少しだけニヤついたのが可愛いが、やはり小生意気。東台に気づかれなければいいかと思ったが、カードの探りようが慎重になったところを見るにばっちりと彼女の表情を見ていたようである。


 当然ながら東台がジョーカーを引く機会に恵まれず、されどカードは3人の手もとから離れていった。


 そうしているうちにやがて、こちらの手もとにはジョーカーとやもめのカードが取り残される。そして、東台の手もとはあと一枚。


 もう片方のカードには悪いが、ここは取らせてなるものかと後ろでシャッフルをして、カードを突き出し戦闘態勢。

 ジョーカーじゃない方を角のように突き出して陽動を行ってみるが、あいにく頭脳戦は得意ではない――。そういえば、ジョーカーの方を突き出すべきだったのではないかと、今さらながらに気づいて後悔。


 東台が引っかかてくれるかは分からないが、手触りを確かめるように2枚とも触って、こちらの様子をうかがっていた。

 こちらは悟られないよう仏頂面で応戦。そして、月見里を自分の後ろに隠して準備万端。彼女も知ってか知らずか、かなり分かりやすい反応を晒してくれるからだ。

 

 そんな万全な対策を施しながらも、東台は迷うことなく突き出された方を引っ張った。


 瞬時にポーカフェイスが崩れそうになるが、それはブラフだったようですぐさま当たりの方を掴む。

 ポーカフィエスが緩んでいくのを必死にこらえながら、ジョーカーが去っていくのを眺める。


 そして、彼女の手もとに来ると、さすがに彼女もあちゃーっと悔しそうな顔を浮かべた。月見里はやったーと意気揚々とした表情を取り戻したが、すぐに東台の表情が月見里に移ることとなった。ジョーカーは持ち主の手もとに戻るものである。


 そして、意気消沈の月見里から手に取ったのはつがいのカード。


 この時、自分は一位になった。


 「うわぁ、一番のりだね!おめでとお」


 「ああ……ありがとう」


 そう花吹雪が散るほどの喜びようで祝ってくる東台。人生ゲームでの散々な負けっぷりにも同情してくれていたので、純粋に喜んでくれているのだろう。 


 そういえば、自分が勝負ごとに勝ったのはこれが初めてではなかろうか。月見里も知ってか知らずか、悔しそうな顔をしているが、こちらに拍手をしてどこか嬉しそうにしているように見えた。


 しかし、自分自身なんというか呆気のない勝利に呆気に取られたというか、我ながら唖然として喜びの感情が湧き出てこなかった。

 

 「じゃあ、これ賞品ね」


 「ありがとう……ん、これ飴か?」 


 「うん、下で見つけちゃいました。あと何袋かあるから楽しみにしててね」


 いろいろと当惑深いものを身に感じていると、東台に飴の袋を渡されて別の驚きがふりかかる。

 細長い台形の形状をした金色の飴で、あの写真立てに写っていたおばあさんが食べてそうな昔懐かしいものである。どんな味がするのだろうと昔から気になっていたが、月見里も同じようであったらしい。


 正直、昔なら全部食べ切っただろうが、今はそれほど甘いものが好きではない。あとで、月見里に半分くらいあげよう。


 そんなことを考えながら、勝負の行く末を眺めた。結末は、月見里の負け。


 悔しそうにする月見里には申し訳ないが、不思議ではない負けだと思っている自分がいる。


 もう一回とせがむ月見里がいるが、東台曰く賞品ありきで同じゲームをやるのはつまらないということで、今度は大富豪というのをやることになったのだが――。


 「大富豪ってなに?」


 「ん?大富豪っていうのはね……トランプ初心者さんにはちょっと難しいかもね。ごめん、これはもっと後でやろっか」


 という月見里の言葉で取りやめとなった。こちらも大富豪というのは名前程度しか知らないので良かったと思いたい。

 そして、協議の結果、ド定番の七並べをやることとなった。


 どうやら、カードの絵柄ごとに1からキングもとい13までのカードを並べていくゲームらしい。

 月見里が7並べじゃなくて、13並べじゃんと突っ込みを入れていたが、東台が言うには最初に7を持っている人が場に並べるらしいので7並べということらしい。


 それなら、7は配らずに最初から置いておけばいいじゃないかという突っ込み入れたくなるが、早くゲームをやりたいという欲があるので黙っておく。

 月見里もパス三回アウトでそれ未満ならカードがあってもパスしていいという説明を聞くのに熱心で異論なし。

 

 じゃんけんで月見里と東台の一番争いが行われ、月見里と東台から7が吐き出されて、いよいよカードが並びたてられる。

 何を企んでいるのかは月見里にしかわからないところだったが、中盤あたりになってくるといよいよ彼女の陰謀が見えてくる。


 10以降と4以降のカードがどれ一つとっても並ばず泥沼状態のなか、月見里がついにパスを連発して、ただでさえ流れの悪い状況をせき止めてしまい膠着状態。


 しかし、東台はそれを跳び越すように別のカードを並べてていともたやすく打ち崩す。


 「ムフフッ、まだまだ置けるカードはあるからね」


 真実かブラフか、不敵な笑みを浮かべる東台。


 しかし、そんな言葉を気にすることなく月見里は幾度となく塞ぎ止めて、勝利の糸口を離そうとしない。まるで塹壕戦と言わんばかりの膠着ぶりではある。


 こうなると、誰がより多くの要所を抑えているかがカギになってくるだろう。さながら、トランプカードでたたき合うマネーゲームである。

 

 月見里もそれに感づいているのか、なるべくどうでもいいカードを捨ててしのいでいく。


 しかし、東台の前ではやがて押され気味となって忍び難きの敗北を味あわされて無条件終了。


 そして、こちらは今回も持たざるものであった。2とか12とか持っても微妙なカードしかなかったので、やはり相も変わらずのブロンズコレクターである。


 それでも、多少のパスをくらわされたものの、完走はできたので中々に面白い一戦ができたと思う。

 それは月見里のおかげでもあるのだが、それも彼女の敗因の一つなのでなんだか申し訳ない気分だ。

 

 「これは私のものだねぇ」


 「次は絶対っ!負けないから」


 そんなやりとりが交わされるが、傍から見るとなかなかに温度差が激しい。そして、次の商品も飴だった。

 ドーナツ型といった方が近いかもしれないが、その鮮やかな黄色が光っているのを見るとパインのようだと言いたくなる。味もパインなのでその通りではある。

 おばあさんが子供にあげているようなイメージだが、これもまた昔懐かしい定番の飴だと思う。


 月見里はこういう飴も好きなのか、負けたこと自体に腹を立っているのか、不機嫌な表情から浮かび上がる皺が多彩なものになっている気がする。2連敗というのは、なかなかに堪えるだろう。

  

 さて勝負の熱が冷めぬうちに、今度はお待ちかねの大富豪。七並べで自分が持っていたカードがこのゲームでは強くなるというトランプゲームの柔軟性に熱いものを覚えたが、配られたカードを見ると一気に冷めた。


 悲壮感の重みにため息をつくと、そういえば人生は配られたカードだけで勝負するしかないと月見里の絵本言っていたのを思い出した。

 ならば、自分のカードで全力で頑張ってみようかといきり立ってみるが、周りはブラックカードを持っていてブルジャワジー。


 「革命!」


 クイーンやらキングやら人権カードが東台から連発される中、月見里は革命を起こして状況をひっくり返す。


 「あっ、このぉ、革命返し!」


 そして、革命を返される。キングが一番偉いのは当然なので、戻ったといった方が正しいのだろうか。

 少なくともギロチンにはかけられなかったのかと考えたいところではあるが、答えが導き出される前にまた革命。


 今度こそ首を落とされたなと思っていたが、また革命返しをした東台はきっとデュラハンか何かだ。

 その後も、何度も何度も同じことが繰り広げられる。万年大貧民であるこちらはもうこの国終わってるなと土いじりに勤しむ農家の気持ちにしかならなかった。

 

 しかし、止まない雨はないのと同じく、カードもやがて無くなり革命が終わりを迎える。最終的に玉座の上に立ったのは――東台であった。

 どれほど栄華を極めても、みんな古き良き時代が好きなのである。今となっては猶更だ。


 こうして、トランプ戦争は終わる。


 一敗はしたものの殆ど勝ち越した東台が飴を総取りすることとなった。是非ラスベガスで彼女の雄姿を見てみたいものである。

 

 それでも、あらゆる策謀を行って、彼女に対抗してきた月見里はきっとすごい偉業をなしたのだ。

 是非、証券取引所で彼女が部下相手に檄を飛ばしているところをお目にかかりたいものである。


 「私の総取り~」


 東台の煽りと共に、飴袋が彼女の前に引きずられる。先ほどのパインの形をした定番の飴と、水晶のように青白いのがある外国の飴だ。


  勝者、東台はその場で飴の袋を開けた。敗者の前で食べるというのはいささか鬼畜な行為だとは思うものの、勝者の特権は世の習わし。


 ザワザワとした心をなだめながら、静観していると何故だか机の真ん中に飴袋を置いた。


 「みんなで食べよ」

 

 東台は朗らかな笑みを浮かべてそう言った。


 賭けたものは勝者がすべて手に入れるのが相場というものだが、東台は違ったようである。


 「いいのか。だったら、俺がもらったやつも……」


 「あっ、いいよ。いいよ。そのつもりで出したわけじゃないから。またお腹すいたときに唯ちゃんと分けてよ」


 「ああ、そうか……」


 こうして、満足げな笑みを浮かべる東台を見て、先ほどまでこちらと月見里の恨めしい顔をほくそ笑みながら飴をほおばる彼女の姿を想像していた自分が嫌になってくる。


 いつの間にか、月見里がニンマリとした顔で、頬袋に飴玉の形を作っていた。

  

 「ありがとう。俺ももらうぞ」


 「どうぞ。どーぞ」

 

 彼女たちの熱戦を間近で見たためか脳が糖分を欲している。自分は敗者なので、勝利の美酒には酔えないが、勝者の施しでほろ酔いぐらいは預かりたい。


 月見里が食べたパインの方も気になるが、青色のやつが特においしそうに思えた。ここはお言葉に甘えてもらうことにしよう。


 「――――!」


 しかし、口に入れようとした瞬間、指から零れ落ちた。外から『あれ』の吠える声が聞こえてきた。


 どこに落ちたのかとふと下に目を落とすと、自分の足元で涎を垂らすようにあやしく光っている。


 手を伸ばせば余裕で届く距離だが。今は拾う気になれなかった。


 「あっ、それ美味しそう。もらうね」


 ぬるま湯のようなものが急速に体から抜けていったのを感じて、ぼうっとしていると東台の声が聞こえてきて、見ると青色の飴をほおばる東台がいた。


 とても美味しそうに何かの素振りも見せるなく満面な笑みを浮かべている。

 

 その際に月見里と一瞬目が合ったが、彼女の表情を見るにやはり幻聴ではなかったらしい。


 「東台?」


 「ん?」


 そんな彼女に奇妙さを覚え、つい声をかけてしまったが、素っ頓狂な声色で応じる彼女にその真相を聞けるわけもない。


 「……これどこで見つけたのか教えてくれないのか」


 「ふぅん?ぬいぐるみ屋さんのところから抜けたときの右手にある部屋だよ。結構探したから、もう飴はないかもね」


 「そうか、わかった。ありがとう」


 彼女の言葉にあそこにも部屋があったのかと今さらながらに気づかされる。


 自信満々で間違いのルートに行こうとした恥ずかしさからずっと考えていなかったが、今になって気づいていなかったことがまた恥ずかしい。ともかく、後で確認しておこう。


 そんなことに感情が再び熱を取り戻したが、それが何の解決になっていないことは明白であった。


 しかし、それ以上の結末を求めることもなく、夕食の時間になった。夕飯はチキンだった。


 喜びたいところだが、頭文字にシーとついているのはあまり好きな方ではない。それでも肉といえば肉なのだが、その食感と同じく『あれ』の声を聞いてから不思議な違和感がしこりみたいにずっと残っていてそんな感情が一つも湧かなかった。


 夕食後、ウノという大富豪の亜種版みたいなカードゲームが行われ、


 「はあああっ!」


 「でやぁあああ!」


 訳の分からぬ掛け声とともに、リバース連発。数字のねじれが出来そうな試合を眺めて、不機嫌な顔をした月見里を隣に並べて歯磨き。


 かすかなミントの香りを口内に残っているのを感じつつ、例の部屋へと赴いた。ランタンの光の中からみえた部屋は、正直何の変哲もないものに埋もれている。

 

 2階と同じく畳が敷き詰められ、その上に座布団とちゃぶ台サイズの正方形な小さな机。部屋自体2階の和室の亜種版みたいで目新しいものもない。


 変わっているところといえば、壁が緑色の土壁で、フローリングが張られた手前の方にキッチンが備え付けられていることだろうか。


 自分の中に違和感に気づき見回してみると、若干埃のついた服が壁にかけられ、当時のカレンダーがかけられ、タンスやら本棚らしきものが備え付けられて、なるほど2階よりも生活感はある。


 落ち着き払った印象を受ける部屋だが、今の自分に落ち着きはなかった。

 ただただ、最大の違和感の元である、カレンダーにはまり込んだ地図をただ意味もなく眺めていた。


 「…………」


 それでも、住み着くのは言い知れぬ胸のぞわつきしかまだない。


 世界地図であれば、もう少し落ち着きようもあったかもしれないが、見る限り一地区の地図のようで果たして自分はどこにいるのかと下らないことを考えてしまった。


 「……クソ」


 分かったところでどうするのだ。空気に混ぜるように悪態を零す。


 気分を紛らわせるように他のところに目を配ってみると、カレンダーの下に写真立てを見つけた。


 背景は違うものの、レジで見たのと同じ幸せそうな顔で写っている。


 それにも目をそらすと、背後に座っている月見里の姿があって、写真立ての子供とは決して同じようなものではない表情を浮かべ、机に頬杖をついてこちらを見ていた。

 

 こちらも立っていても仕方がないので月見里の隣に座りこみ、同じ方向を見てみるが先ほどこちらが見ていた地図しか見えてこない。


 それがどういう意味なのか考えずに、いつもと同じくそれだけ眺めて只々日常的な沈黙が続く。


 しかし、外では絶えず『あれ』が鳴いている。結局落ち着きそうにもない。


 どっちつかずの沈黙を紛らわせるために、こちらは月見里に今日のトランプゲームが楽しかったかどうか聞いてみることにした。


 「今日はどうだった?面白かったか」


 「悔しいけど……面白くはないとも言えなかった」


 ぶっきらぼうに回りくどく言っているけれど、声色と顔だけは分かりやすい。楽しめたようで何よりである。


 「そうか、ならいいんだ」

 

 「……面白くなかったの?」


 月見里は一息つくとそう若干の不安の声色を混じらせて聞いてきた。


 そういえば、こちらはどうだったろうと考えてみる。


 いろんな感情が混じっていたような気がするが、今にして思い出してみれば修学旅行みたいだと終始感慨深いような印象を覚えていた気がする。


 結局そんな感想も自分の乏しい想像力の答え合わせみたいなものでしかないが、最初で最後の修学旅行でトランプゲームをやった記憶がない。

 ただ、自分が旅館の部屋の固い布団の隅に潜って、トランプを楽しむクラスメイトたちの和気あいあいとした声を盗み聞きながら想像していたものと似ているような気がして、ある意味想像力は豊かではあるのか。


 どちらにしろ修学旅行は遠い遠い過去のことである。


 ただ、その時普通の人が味わっていた楽しみというのを追体験出来て、正直嬉しいという気持ちがあるのは間違いない。


 「面白かった――」


 しかし、口から出た答えの締めに何故だか「が」と逆説的な一文字が出てきた。


 月見里には聞こえない声だったので、彼女はそのまま「そっか」とどこか安心した声色でそう返事する。


 どうしてか、モヤモヤした。


 「ほら、飴をやる」


 こちらは不快な感情を遮るように、東台から獲った飴袋を月見里に渡した。


 「あ、ありがとう……」


 「……」


 彼女からお礼を言われたことに少しばかり喜んだが、それでも胸のモヤモヤとしたものは消えるわけがない。


 一体、これは何だろうか。わかるのはこの感情の矛先が彼女ではなく、自分のことであるのが分かるだけで。


 もっと言うなら、この建物に入ってから始まった真綿でゆっくりと絞められているような状況のことで。


 「昨日も今日も『あれ』がいっぱいいるな」


 「うん」


 どうせこの状況は変わらない。


 どれだけ自分たちが絶望的な状態に置かれても苦しみを味わらなければ実感できないものである。

 そう考えると、今自分は患者に余命宣告を告げる医者のように思えたが、事実を伝えた方が正々堂々なことのように思えた。


 「なあ、どうするか……」


 「うん」


 しかし、それでも気の弱い自分は途切れ途切れの言葉しか口にできず、月見里もこちらの言葉にただ相槌を打つのみであった。

 

 こちらは言葉を続ける。


 「今日明日では……多分どこにも行ってくれないだろうな」


 「うん……」


 そういって、天井を見上げた。木目がうねるように流れている。月見里は静かに次の言葉を待っていた。


 「おそらく、どう転んでも食料が尽きる方が早い」


 「……うん」 


 今度の月見里の返事も、先ほどの声色から変わっていない。


 『あれ』に見つかって取り囲まれたことは初めてできっと最後のことになるだろう。

 

 もっと都合のいい話を言っても嘘ではないのだが、それを言えるほど器用ではなかった。

 

 「それでな、月見里……あと3日ぐらいならお腹いっぱい食べられる」


 月見里はまだ相槌を打つだけ。おそらく、どうするのかと考えているところなのだ。


 ならば、今は自分の中にある選択肢を言うぐらいしかできない。


 「それまでは、トランプをしたり人生ゲームをしたり……とにかくどんなゲームにも付き合う」


 「…………」


 「それが嫌なら……食べるものも――豪勢ではないが、思う存分食べてもいい。それで満足できないなら俺の分も全部食べくれ」


 「…………」


 「それでゲームに飽きて、食料も尽きたら、その時はちゃんと終わらせてやる」


 こちらはそういって、机に銃を置いた。


 引く勇気もあるのだ。ここで最後まで内にこもり、ゲームやら何やらで遊ぶ――さしづめ、おもちゃ屋暮らしをやるのもまた勇気というものだろう。

 

 それでも彼女は沈黙を貫いている。ゴトリとわざとらしく銃を落としたことに、恥ずかしささえ思えるぐらいに。


 「…………」


 月見里は黙り続けたまま。しかし、彼女の表情は変わっていた。もうそこにはトランプゲームに興じていた時の表情の欠片さえない。


 正直、逃げの一手と表現するのも、自分を取り繕うためな気がする。結局自分がやっている事は、明るい未来の待つ子供の希望を捨てさせ生きるのを諦めさせることにしかならないのだから。


 一時、沈黙で時が止まる。


 もう言えることは言ったのだ。それでも、どこか胸に一物あるのは結局逃げの一手であることに変わりはないからだ――。


 「お前はどうしたい?」


 重苦しくなった雰囲気に堪らず月見里にそう投げかけてしまった。またこちらは選択を彼女に押し付けたのだ。


 恥ずかしい。無意味な恥ずかしさを覚える中、月見里は口の中で何かを咀嚼するように小さな唇をモゴモゴ動かすと、こちらに顔を向けた。


 「……私は一緒に帰りたい」


 冗談もごまかしもない真剣な表情。

 

 自分が喋っている中、一度も合わせられなかったブラッドオレンジの目をこちらに向けてそう言った。小さくも凛とした声に、彼女の覚悟しか見えてこなかった。 

 

 どうしてか言葉が出なかった。この口の中には、否定も反論の言葉さえあった。


 だが、それでもこちらは言葉を吐き出す。


 「月見里……」


 その声はひどく情けないものだ。それでも、月見里は嘲笑も呆れもすることなく、真剣な眼差しをこちらに向けている。


 もう否定できない。選択肢を押し付けたのはこの俺だ。


 だが、俺に何が出来る。約束を交わした東台に申し訳なさを感じることもなく、彼女に誘われてトランプゲームをやったクセに挙句にこうして最期の話をしている自分に一体何が出来ると思っているのか。


 「月見里、お前は……」


 「あと、これ全部はいらないから」


 ピシャリと銃を机の下に弾かれた。そして、こちらの太ももを躊躇もなくつかみ、ホルスターへとねじ込んだ。


 「私は一緒に帰りたい」


 再び月見里にそう言われ、


 「わかった」


 こちらはとうとう頭を縦に振ってしまった。


 「ありがとう」


 薄っすらと満足げに微笑む月見里に、自分が恥ずかしくなって折角合わせた顔を背けてしまった。


 「明日は早くなるな……寝るぞ」


 「うん……おやすみ」

 

 「ああ……おやすみ」


 そういうと、月見里がランタンを触る音が聞こえてくる。


 ランタンの光は小さくなって、やがて闇になった。真っ暗闇でかなり寝やすい環境だというのに、頭が高ぶって寝付けない。


 明日、どうやって逃げる方法を考えればいいのか、まるで考えていない。思いつかない。


 それなのに根拠のない希望だけはある。それでも結局何も出来ないんだろうなと諦めている自分もいて――結局、決意も感情も定まらない。


 「やっぱり、俺はクズ野郎だな。月見里」


 月見里にいる方向に投げかけた。


 目が慣れず、真っ黒に塗り潰れた視界では、彼女がどんな表情をしているのか到底わかりそうにない。


 

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世紀末でも屑はクズ パクス・ハシビローナ @yakumoKurotobi

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