懐古の紙幣とねじれた記憶

 

 前門の虎、後門の狼という諺がある。意味はトラブルを解決できたと思ったら、また別のトラブルが立て続けに起こってしまうということらしい。

 最近まで本来の意味を知らず、自分はこの言葉を狼と虎に挟み撃ちにされて絶体絶命みたいな意味だと思っていた。


 そして、今がその状態である。後門は『あれ』で、前門はクマのなんとかさん。

 

 『あれ』の唸る声をバックに、目の前にはデジャヴ感あるぬいぐるみの壁が並び立てられていた。


 「ここは――いや、東台。また月見里を預かってくれ」


 「うん、分かった」


 こちらは抱えたままの月見里を東台に渡して、近場にあるもので即席のバリケードを作った。

 都合よく木の板が落ちているわけもなく、敷き詰めたのは丈夫とは程遠いぬいぐるみだが。

 

 それでも、『あれ』にはどこに隠れたのかは見られていない。息を潜めていれば、無闇矢鱈に建物を破壊するようなことはしないはずだ。


 「ひとまず、中の様子を見られるようなところは潰した」


 少なくともぬいぐるみの材質的に音は吸収できそうなので、壁から離れていれば普通にしゃべっていても問題は無いだろう。

 しかし、ガラスと綿の詰まった布で濾しても外からは相変わらず『あれ』の吠える声。地面を慣らせるぐらいの乱暴な雑踏すら聞こえてきた。


 ドアに耳をつけて澄ましてみると、その中にガラスの叩く音がした。ガンガンとガラスが割れる前の音がした。


 その音がしたところはこことは距離の離れたところのようで、まだ杞憂の範疇にある。

 だが、冷めぬ緊張感がこの薄いガラスとクマのぬいぐるみを破壊して入ってくる『あれ』の姿を脳裏にかすめさせる。


 それも凍った雑巾の上に乗った豚の貯金箱と同じく、時間の問題であるように思えた。


 「いつまで、もつかな」


 そんな事を考えていると、後ろから東台の声がポツリと落とされる。

 いつもの声音ではあるもののどこか声を少し詰まらせているのが、彼女の不安を物語っている。


 この状態なら無理もないだろうと振り返ると、生まれた時の小鹿のように足がプルプルと震えている彼女の姿があった。


 「ごめん、もう重い……」


 心なしか抱っこされている月見里の顔もどこか不快そうに見えた。


 「おっと、悪かった。月見里持たせているの忘れていたな」


 「ううん、気にしないで。唯ちゃん、抱き心地よかったから」


 そう苦笑いを浮かべる東台。抱き心地というワードに若干彼女に対して場違いで罪悪感的な何かが浮かんだが、このままだと床に倒れかねないので月見里を返してもらった。


 正直なところ、このまま東台に預かっていてほしかったが、自分がやってしまったことにケジメはつけなければならない。


 「いろいろと気になるところはあるが、どこか寝かせられる場所が探さないとな」


 あたりを見回してみる。やはり、どこか見たことある店内。外の『あれ』も気になるが、今は月見里だけを気にしていたい。


 「お店の中だから、あるかなぁ」


 引っ張られて入ってはきたものの、周囲を見回す東台の表情からは自信のようなものは見られない。


 店構えから見るとおそらく住居と店舗が合体したような昔ながらの個人店のように見える。

 おそらく、どこかに寝室があってもおかしくはない。もし無かったとしても、ここは柔らかいものの宝庫である。


 そうなのだ。この床にぬいぐるみを敷き詰めて寝転がればいい。そしたら、目を覚ました月見里もハッピーに――。

  

 ああ、なんて馬鹿な想像をしているんだ。今はそんなときでは無い。


 落ち着いて考えてみると、外で一瞬見た外観だと2階建てであったはずなので、奥の方に行けば階段がどこかにあるはず。


 「とりあえず、奥に入ってみるぞ」


 「最悪なくても、ぬいぐるみをどーんとしけば、眠れるかもね」

 

 こちらがそう言うと、先ほどの自分の考えと一言一句違わないセリフが東台の爽やかな笑みと共に戻って来た。なんだか、いろいろと複雑な気分である。

 

 「気をつけろ」


 「おっけー」


 慎重に歩を進める。しかし、ここは退路のない家の中。外に『あれ』がいるが、内に『あれ』がいないとは限らない。


 慎重に歩を進めて周囲を探索してみると、ドアと直線上にあるレジの奥に小さなカーテンのようなものがあった。

 その奥に薄っすらとドアノブのようなものが見えるので、おそらくあそこが2階へと続く階段の入り口なのだろうか。

 

 「レジ奥に入るぞ」


 「オッケィ」


 そう言って奥に入ってみると、冷たい岩肌がむき出しのコンクリート打ちっぱなしの空間に入り込んだ。

 ぬいぐるみが並べられたところにはシックともいえる温かみのある木目調の床が敷かれていたというのに、まるで夢の終わりだと言わんばかりに緩急の激しい内装デザインである。

 

 一目見て感じていた古臭さも、この年代物の設計にも影響しているのだろうか。確保されたスペースは人が一人歩けるぐらいで、古臭さに浸かっている。


 目の前には階段があるが、ちょっと目を振ればほかの道もあって迷路のようだ。

 そのあたりは後で調べる必要があるが、今は目の前のドアを開けて階段を探すことにする。

 


 「あっちに階段あるみたい」


 しかし、近づいてドアノブに手をかけようとした時に、東台から声をかけられた。

 

 指を指していたので覗き込んでみると彼女の言う通り階段があるようで、自分の方向音痴加減を思い知らされる。

 咳ばらいをして、一旦仕切り直し。今。触っているドアの先には何があるのだろうかと確認してみると、ドアの隙間に黒いタイヤが覗く。急いで閉じた。


 ――クソ、外だったのか


 的外れもいいところである。


 心配そうにのぞき込んでくる東台にひとまず「ありがとう」とだけ言って、先に行かせてもらい階段正面に立ってみるとかなり圧迫されているような印象を覚えた。


 こちらの体からはみ出れば壁にぶつかってしまう幅しかないことに設計ミスという言葉が浮かんでくるが、両脇に張り付けられている年代物の土壁を見つけると昔ながらの安心設計という文字も頭からせり上がってくる。


 自分との接地面積を減らすため襷のごとく斜めに抱いていたが、これでは仕方ないと地上へ上がった時と同じく縦に抱えて階段を上る。


 「足下、気をつけてねー」


 「ああ」


 後ろからコソコソと東台の声。肩越しに月見里の寝息が聞こえてくる。地下から地上へ上がってきた時よりも大分穏やかなものになっているようだった。


 胸を撫でおろしたくなったが、いつかは穏やかな寝息が止まり目を覚ました時、自分はどういう顔をしたらいいのか思い浮かばず不安だけが胸に燻る。

 

 身体が重いまま2階へとあがっていくと、今度は和室が姿を現す。先ほどの通路といいまさに3原色みたいな変わりようである。


 畳が引かれて中央にちゃぶ台。取り囲むようにして5人分の座布団が置かれている。生涯で一度たりとも見たことはないがどこかで見たことのある風景のように思えてしまう。


 ただ、和室とは似つかわしくない白いレースのカーテンが下の店の名残のようなものを残していた。


 薄い埃の臭いに混じるイ草の香りにデジャブ感を覚えながら入ってみると、階段の壁側の奥の方にテレビがある。

 まさに家族団らんを絵にかいたようなものだが、テレビだけは箱みたいなものではなく、紙のような薄型テレビであって自分のイメージとは少しズレている。


 「ごめんごめん、今ちゃぶ台と座布団どけるね」


 そう言って、手慣れた感じでちゃぶ台と座布団を片付ける東台。ちゃぶ台って足が畳めるのかと妙な関心を覚えつつ、「ありがとう」と言って月見里を床に降ろそうとするが、畳に細かい汚れが浮いていることに気づいて降ろすのを躊躇してしまう。


 いつもなら気にならない程度なのだが、体を痛めつけた後に衛生状態の悪い場所に寝かせるのはどうかと思ってしまう。


 「東台、片付けてくれた手前で悪いが、月見里のリュックから寝袋を取ってくれないか」


 「はいはーい、任せて」

 

 地下鉄にいた時は緊急時だったためか暗闇効果ともいうべきか普通に月見里の荷物に手を突っ込んでいたが、こちらが彼女の荷物を探るのはやはり駄目なことである。 


 東台は何の躊躇も無しにくじ箱の中に手を突っ込むようにして探ると、物の数秒で彼女の寝袋を引き当てて床に敷いてくれた。


 「月見里、降ろすぞ」


 瞼も閉じられて寝息を立てているというのに、こちらはそんな彼女の耳元で小さく呟いた。勿論、顔色一つ変わることは無い。

 

 寝袋の上に彼女を降ろした。彼女の重みが自分の体を離れたことに、何か胸が空いたような感情を覚えたあ。


 「後は消毒……」


 こちらが触った場所に消毒液をかけようと荷物から取り出したが、途端に馬鹿らしくなった。

 もう彼女の体に散々触れてしまったというのに、この程度のことで何か意味があるのだろうか。


 「悪い、東台。消毒液をかけてやってくれ」


 「うん、わかった」

 

 ひとまず、消毒液を彼女の近くに置いた。


 今はまだ起きた時の月見里を見る覚悟が出来ていない。作ったバリケードは即席のものだったし、補強する必要があるだろう。


 「あっ、八雲。私も行く」


 立ち上がり一階へと戻ろうとすると、東台から声がかかった。


 正直、月見里の傍にいてほしいと思ったが、いるべき自分が真っ先に下に降りようとしているのだから言える資格はない。


 「何か用事でもあるのか?」


 「うん、唯ちゃんの枕元にぬいぐるみを置いてびっくりさせてあげようと思って」


 「そうか……月見里も喜ぶだろうな」


 月見里もいつの間にか違う場所にいたというのはそれだけでもかなりショックを覚えるだろう。

 ドッグセラピーならぬ、ぬいぐるみセラピーでどうにかショックを和らげられたらとは思う。


 「うん、唯ちゃん。いつもぬいぐるみと一緒に寝てるでしょ?だから、でっかいぬいぐるみ一つでもあったら倍ぐらいには嬉しいじゃん?」


 大は小を兼ねると言うが、ぬいぐるみの癒し効果というのもそんなものなのだろうか。

 月見里はベットにぬいぐるみの巣でも作りたいのかと思えるほどの愛好家ではあるので、少なくとも嫌な気分にはならないはずだ。

 

 「あれ?八雲。巻いてた包帯はどうしたの?」


 「……どこかに行ったみたいだな」


 東台に言われて腕を見てると、あの花粉だんごのような包帯がない。


 まるで見当がつかないが、地上に上がろうとした際に瓦礫の隙間をぬったのでもしかしたら引っかかった拍子で外れてしまったのだろうか。


 「痛くない?」


 「ああ、全然」


 腕を上下に動かしてみて健全アピール。

 

 動かすと鈍い痛みがあるが、それでも甘噛み程度ぐらいには収まっているようだった。

 しかし、東台は不安げな顔を浮かべている。否、どちらかといえば痛々しいものを見ているような顔と言った方が正しいだろう。


 確かに傷元を見れば数日たっているはずなのに歯形に模られたままで自分が見ても生々しくて気持ちが悪い。これが初めてであればもっと絶望だとかをパニックを起こしたりするのだろうか。


 「なんか、キモイな」


 そんな感情しか湧かなかった。東台は苦く笑う。 


 「また具合が悪くなったら言ってね」


 東台のその言葉に困惑する。返す言葉としてはごく一般的だと思う。だが、首を絞めた加害者が被害者のごとく心配されるようなことがあるだろうか。 

 

 「八雲?」


 「ああ……分かった」


 しかし、その言葉の中に何か皮肉が含まれているわけでもなく、本気で心配されているのだと思うと何も言えなくなった。

 あの時はあれが最善だったという気はないが、東台もそれなりの覚悟を決めているのだろうと思った。

 

 そこで会話が終わり、一階の床に靴をつける。そういえば、靴を履きっぱなしだったなと今更ながらに気づいた。

 家屋に侵入するときは土足のまま入るのが常だったが、月見里が寝ている畳の部屋も踏んづけてしまった。

 これで衛生云々とか言ってられない。月見里も踏んだり蹴ったりであることは間違いない。


 後の祭りと書いた後悔を胸を抱きつつも、ぬいぐるみのところに戻るとやはり既視感がまとわりついてくる。

 ガラス窓一面に様々なデザインのぬいぐるみが張り付いているのが作成者本人ながらシュールな光景に変わってはいるものの、それがあっても壁や床や壁に張り付いているぬいぐるみどれをとってもやはりどこか見た事のあるところであった。それにしても、何か後ろ髪を引かれるような。


 喉に引っかかている違和感にもどかしさを感じながらバリケードに近づこうとした時に、ふいにレジの台に当たり聞きなじみのある甲高い金属音がした。


 一体何が落ちたのだろうと床を覗きこんでみると、昔のお金だったものが転がっていた。

 

 「まだ、こんなものがあるとはな。いや、あっても不思議ではないか。」

 

 その一枚を適当に拾い上げみれば、500円硬貨。未だ金色の光沢を輝かせているものの、昔感じていた重みは既に取り払われている。


 これはもう使われないのだろう。そんな喪失感というか寂寥感というかそんな感情が逡巡してしまう。せめて、レジの肥やしにでもしてやれと、元の所へと戻そうとすると――。


 「ん……これは……」


 レジの机に他にもお金が置かれていた。それを文鎮にするかのようにして硬貨の下に敷かれた紙には、見たことのあるミミズ文字。

 何と書かれているのか分からない。だが、それが何を書こうとしていたのかが手に取るように分かる。


 「なぜ、俺の字が……」


 確か、これはまだ月見里とあってそれほど時間が経ってなかった頃に、月見里にぬいぐるみを与えたときだ。

 その時は、まだ昔の社会的な概念が残っていたので、お金をレジ台に置いて取ったぬいぐるみをメモとして書き残したのである。


 もはや遠い昔となっていたのに、こうして『あれ』に追われて行き着いた先がこの場所とは何だか感慨深いと言うか何といえばいいのか。

 

 「へぇー、それまだあったんだあ」


 複雑な気分に駆られる自分に東台が感嘆めいた声でそう言った。しかし、どうして知っているような口ぶりに聞こえた。


 「まだあった?」


 「うん、ほら、八雲たちさ。ここで買い物してたじゃん?」


 「……ああ、買い物といえば買い物だな」


 間近で見たような口ぶりに当惑したが、そういえば月見里とおしゃべりしてたようなと思い出し恐る恐る首肯した。


 話の中身自体聞いたことが無いが、初めての比較的年の近い同姓で人懐っこい東台とであれば、いろいろと昔の話を掘り下げたりして深い話もしたりするだろう。


 「ね。あの時の結衣ちゃん。すごい嬉しそうな顔してたよね?」


 「あ、ああ、確かにな」


 月見里は自分のしていた表情まで話したのだろうか。遠慮しながらも、小さな蕾のような可愛らしい笑みだった。

 気持ちの悪い事とは自覚はしているが、あの時見た月見里の笑みが未だ脳裏に張り付いている。


 しかし、どうして彼女にぬいぐるみをプレゼントしようなんて考えてたのだろうか。ただ喜んでほしかったのか、うじうじとした互いの雰囲気を変えたかったのだろうか。大事なはずなのにそれはとうの昔に消えている。


 「あれすっごい印象に残ってるんだよね。ゆいちゃんが大事そうに抱えながら、八雲がお金を払うのをまだかまだ買って待ってるのを、レジのおばあさんが微笑ましそうに見てたの。本当にエモかった」


 「……おばあさん?」

 

 なんとも感嘆めいた顔をする東台にこちらは素っ頓狂な声が出た。


 まず月見里とこちらが一緒にいたら微笑ましいどころではなく事案だと思うが、突っ込むべきところはそこではない。


 「うん、レジのおばあさん。多分、ここの店主さんになのかな?」


 彼女の言葉に再び当惑される。月見里と出会ったのは『あれ』が発生した後で、まして、店の中には『あれ』になったおばあさんがいたわけもなく、そもそも無人の店だったのだから。


 「なぁ、東台。その時、おばあさんなんていなかったぞ」


 「え?いたじゃん。あのおばあさん――あっ、ほら、その写真立ての人」


 そう言って東台はこちらの後ろを指差した。レジ台の後ろに置かれた机で、その上に彼女が言う写真立てがあった。


 最近撮ったものだろうかピカピカの光沢のフィルムの中に一般家庭が並んでおり、その中に確かにおばあさんらしき人がいる。

 その人の両脇に若い男女が爽やかな笑みを浮かべているのでおそらく息子夫婦ということなのだろうか。ならば中央に収まっているのがおそらく孫にあたるのだろう。 

 おばあさんは小さな男の子と女の子を両脇に置いて今なお朽ちることのない朗らかな笑みを浮かべていた。

 

 今どきの家庭というよりは日曜日アニメ的な理想的家族を体現したような一枚だが、やはりその人物のどれ一人とっても見たことが無かった。


 「悪いが、それ一体何時の話だ?」


 「ん?そりゃあ、こんなことになる前だよ。2人ともあの時から仲良しさんだったんだよね」


 まるで当たり前のことのように言ってくる。どれほどそれが本当のようなことを言われても、それが事実になるわけではないというのに。


 それに、もしこんなことが起こる前に出会っていれば、月見里も気持ち悪いものを見たと顔をしかめて通り過ぎるぐらいが関の山だろう。


 「いや、まさか、俺と月見里はこんなことになってから出会ったんだ。誰かと間違ってないか?」

 

 東台もやっと間違いに気づいたのか、彼女の顔から笑みが冷めて、困惑めいた顔を浮かべる。


 「……あれ?そうだったけ」


 それでも、東台は冗談も言っているのかと苦笑いを浮かべる。


 ここまでくると、自分の知らぬところで実際に起こっていたように思えきてしまうが、現実は一つしかないので首を縦に振るしかない。


 「ああ、そうだ」


 東台は頭の中で逡巡するかのように天井へと目を向けて、こちらに向き直すと、

 

 「ごめんね。多分、そういう夢でも見ちゃってたのかな?ハハハハ……」


 そう言って、寝起きのような薄い笑みを浮かべた。

 

 「……ある意味そのおかげでここに来られたんだから運が良かったと思う」


 「うん、そうだね」


 そう彼女にフォローすると、いつもの笑みに戻った。


 正直、少し不気味な話だが、こうやって『あれ』に見つからずやり過ごせているのはここに入れたおかげで、その理由がなんだとしてもその幸運は素直に喜んでおくべきだろう。


 ここから街を脱出できるかは――もはや、誰にも分からない事だが。


 ※ ※ ※


 「これぐらいで十分か」 


 そう自画自賛してみる。自分の作品である窓のバリケードたちに胸を張ってみたパチパチ拍手しそうな東台は、すでにぬいぐるみを発見して2階に上がっている


 カーテンと大量のぬいぐるみを土嚢のごとく敷き詰めて、ドアにぬいぐるみが飾られた台を斜めに置いて補強して、似たような事を窓にも行ってやっとのこと自分のバリケードの穴を塞いのである。


 確か、こういう中心に柔らかいものをつめて外側に固い材質を張り付けた壁を断熱材だと地理か何かの授業で聞いた事があるがまさにそんな感じのものを自分は作ったのだろう。

 断熱材というのだから、吸音性もかなり向上したと言ってもいいかもしれない。


 だが、それでも未だに『あれ』の声が外から漏れている。理性の欠片さえない、獣のような呻く声は止まない。


 そんな声を独り聞いていた。


 手持ち無沙汰。このまま下にいても何か出来るわけでもない。

 

 白手袋をつけて階段の手すりをこするがごとく、バリケードの甘い部分を補強するのもいいかもしれないが、そんなものいくら埋めようが一度でも気づかれれば数秒の時間稼ぎにもならない。


 それにそんなことをもう2回もやっている。3度目の正直というが、一体何の正直になるというのだろうか。


 正直、2階にあがって、月見里が目覚めるのを待ちたいが、階段を上がろうとすると足が重くなって結局レジ台へと戻ってしまう。

 何度も何度もそんなことを繰り返した。重い気分だけが自分に残ってバリケードの様子見だと椅子に座って、可愛く睨みつけるぬいぐるみを眺めるばかりだった。

 

 そして、性懲りもなく階段へと赴こうとした時に、ドタドタという快活な音が階段から響いた。

 その音に一瞬レジ台へと戻ろうとする足を止めてその場に立ち尽くしていると、降りてきたのは月見里ではなく東台だった。


 その顔に怒りの表情は無く、不安の表情もなく、あるのは嬉しそうな表情一つだけで、それが嬉しくて怖くもあった。



 「結衣ちゃん。目を覚ましたよ!」


 そう興奮気味に言って、東台はまたドタドタと上へと上がっていった。

 

 月見里が起きた。その言葉に自分は酷い高揚感を覚えた。その勢いのまま、東台と似たり寄ったりの音を立てて、上がった。


 月見里に何といえばいいのか、月見里にどんな態度を取ろうとか、そんなことはもうどうでもいい。


 「――――――」


 今は目を覚ましたことを喜びたい。


 しかし、月見里の声を聞いて、多幸感は消えて現実に引き戻された。

 

 すすり泣く声。締まっていた喉の奥から絞り出される嗚咽を漏らすまいと必死に抑え込んでいる彼女の姿が、フラッシュバックするかのごとく映し出される。


 それを聞いた途端、動く足が止まってしまった。


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