光を引く配線 後半

 


 「ねぇ、八雲」


 その時、東台の声が耳元にあった。


 突然の声に驚いて体をのけ反らせるが、月見里を抱えていることを思い出しへし曲がる体を強引に戻す。 

 東台の不用心な行動に呆気にとられたが、有無を言わさず手を握られ何かを手に置かれた。

 

 レンガブロックのような長方形。紙のような質感があるが、どこか粘土のように柔らかい。奇妙な感触だが、どこかで触ったことがあるような気がする。 


 ただ、いくら手で探ってみても答えが首元までしか届かず、また東台から金具の付いた紐のようなものを渡された。


 ――爆薬か。


 先日彼女が机に投げ落としたモノが目に浮かんだ。あの東台の苦笑いと月見里の青い顔、まだそれを覚えている。

 どうして、これを持ってきたのか聞きたいところだが、流暢に聞いていられるほどの状況ではないので一旦棚上げだ。

 

 それよりも今は解決策。昔、動画サイトで特殊部隊が爆弾で分厚いドアに穴を開けたのを見たことがある。

 ならば、瓦礫の塊もどうにかなるんじゃないだろうか。トンネルも爆破して穴をあけると聞くので、通れるぐらいの穴は出来るはず。

 

 深呼吸、爆薬を箱から取りだした。


 使ったことは無いが、これを拾った当時、二病をこじらせていた自分は、これに同封されてた説明書を何度も何度も読み返して独り興奮していたのである。

 今思いだしてみると黒歴史とラベルを貼り付けて隅へと投げ捨てたい思い出だが、どんなものにも役立つ場面があるようだ。


 記憶を遡ってみると、どこかに穴が開いてた記憶がある。手で探ってみると隅の方に大きな溝にはまった。

 ビンゴとばかりに、雷管である金具をねじ込む。粘土みたいな手触りで穴が潰れていないかと心配になったが、すんなりと入って杞憂だったようである。


 剥き出しにするより、おそらく隙間にねじ込んで方が破壊力が高そうだと思う。熱冷めぬうちに、爆薬を細くして、隙間へとねじ込んだ。

 

 勢いママ、線を握って階段を下る。


 ――ああ、クソ。


 階段を下り終わる前に限界を迎えてしまう、流石に距離がありすぎたのか。どうして、肝心な時に上手くいかないのだ。

 

 それでも、ボタンを押しさえすれば爆破は出来る。階段を見上げる形で立っている自分、壁一枚ないところに自分は立っている。

 

 このまま爆破すれば、どうなるだろうか。


 身震いした。運が悪ければ、瓦礫の下敷きで、運が良ければ爆風で軽くない怪我を負ってしまう。


 もういっそのこと、一か八かで押してしまおうかと思ったが、自分の胸の中には寝息を立てる月見里がいる。

 穏やかな寝息、きっと寝顔も安らかなものなのだろうな。そんな風に考えると、何故だか昂ぶった気分が落ち着いてしまう。

 

 「悪い、月見里をあずかっておいてくれ」


 「え、八雲」


 東台に聞こえる程度のかすかな声でそう言った。戸惑った声だった。


 だが、犠牲になるのは、1人だけでいい。


 「いいから、月見里を頼む」


 「……分かった」


 そう言うと、東台はいろんな疑問を飲み込んだように淡泊な声で応じた。

 抱きかかえている月見里を渡し、少しよろめきそうだったが東台は難なく月見里をキャッチ。


 「このまま、階段を上がって左に行けば橋がある。それを真っすぐ行って国道38号線に沿って行けば乗ってきたバイクを見つけられるはずだ。万が一の時は、東台が運転してくれ。運転の仕方は月見里に聞けばわかる」


 東台の息をのむ音が聞こえる。少し間が空いて、恐る恐ると声をあげた。


 「八雲。死なないでね」


 そう不安げな声で何かを言われた気がする。だが、すぐに階段を降りる音が聞こえ、遠のいてやがて止まった。


 音がぱたりと止まった刹那、月見里の泣き顔が浮かんだ。


 出来るなら首を絞めて気絶した俺を恨んでおいてほしい。それが道理である。


 ――後は、起爆させるだけ。


 はるか昔に読んだものなのに、どうやって起爆するかを未だ覚えている。あの時は、起爆スイッチを押したらどうなるのだろうとカリギュラ的な興奮を覚えていたものだが、実際に押そうとすると身が強張る。


 押してしまえば、終わる。


 死ぬならせめて即死であってくれ。

 後方で身を潜めている月見里たちを考えると、どんなことがあっても生きなくてはと覚悟する自分もいて矛盾がせめぎあっているような状態だった。


 瓦礫に体を貫かれたら、一体どれほどの痛みを味わうことになるのだろう。


 そんな考えもよぎり、一番体が震えた。ああ、なんだ、それが自分の本音だったのか。

 結局は、自分の身の可愛さで躊躇していたのだ。


 それでもボタンを触る指は重い。自分の腹だって刺したんだ。起爆ボタンの1つや2つ押せるだろう。

 

 また情景が浮かぶ。

 

 腹を刺してもだえ苦しみ死んでいく自分の姿を。


 そして、目覚めて燃え盛る街並みを見降ろしたことを。


 街へと戻った時、好きだった女の子が首を吊り死んでいたのを見上げたことを。


 そして、その子に噛まれたことを。

 

 「もう、終わらせてやるよ」


 意を決して、ボタンを押した。

 

 だが、爆発しない。


 あれほどの覚悟は無に還した――というより、不発に終わって肩透かしを食らわされ過ぎて何が起こったのか呑み込めない。

 

 外れを引き当てて中から出てきたピエロがアッカンベーするかのごとく、小さな赤い点がスイッチの上で光っていた。

 全く、これを作った人は相当な悪戯好きだったのだろう。

 

 今度は赤いランプが点滅し始めた、それはゆっくりとしたものだが、段々と間隔が早くなり――。


 「爆発するぞ!身を屈めろ!」


 その光景がいつか映画で見た時限式爆弾を思い起こした。

 

 『あれ』がいることも気にせず叫んで、階段を飛ぶように降りて、着水するかのごとく階段の外側へと飛び込む。


 瞬間、轟音。強烈な熱が靴裏を焦がす。


 次に目を開けた時には、目を焼くほどの光が零れていた。

 

 脳髄が震えるような耳鳴りに侵され、不快な頭痛に襲われながらも、外への出口が拓かれたのだと充足感を覚えていた。


 「――――!」

 

 目が多少慣れると、目の先に東台の姿を捉えた。


 彼女にしては珍しくかなり焦った表情を浮かべているなと他人事のように景色を映していたが、彼女の胸に抱かれる月見里を見て再び現実感を取り戻す。


 耳鳴りの終わった耳の中には、『あれ』の叫び狂う声が鳴動する。全てを打ち砕くような轟音が雪崩れ込んでくる。


 「悪い。早く地上に出るぞ」


 そう言って、こちらは月見里を東台から貰い。階段を上がる。


 目が光に慣れてくると、光は薄っすらとしたものに変わる。しかし、それでも慣れ切った目は階段の様子を捉えることが出来た。


 瓦礫が雪崩のようになって階段周りでさえも溢れるほどにあったが、爆弾があったところに大人の熊が一頭は入れるくらいの歪な穴が出来ており、確かにそこから光があふれていた。


 「足元に気をつけろ」


 ぶかぶかになった階段を上がっていく。


 爆発で長い間昇るための形を留めていた階段は瓦礫と同じようなものへと成り果てているが、瓦礫同士が階段のような形を作りどうにか地上へと登れそうだった。


 ただ、慣れない感触のせいか、足取りはおぼつかない。傍から見れば登るというより這い上がっているように見えるだろう。


 ならば、ずっと奥に見える細切れの光はきっと黄金の糸のようなものだ。

 昆虫のように階段に手を突きながら登っていき、それに掴まらんと空いた手を必死に動かした。


 足はやがて床の感触を踏み、手はやがて改札のゲートを掴んだ。


 降りた駅とは違い、電車に乗るためだけの通路のようなこじんまりとした空間で、コンクリートで適当に塗り固められたような簡素な作り。

 久しぶりに見た造形物に何故だか胸にこみ上げるものがある。


 そんな余韻に浸る余裕もなく、後ろから続々と階段を踏み音が聞こえる。


 壁さえもメキメキと悲鳴をあげ、数多の『あれ』の叫び声が背中を突き刺す。


 その場で立ちすくみそうになる。それでも、前へと踏み出す足はどこか快調だった。

 地上への階段は改札を抜けた直線上、このまま目をつむって走っても地上へとたどり着けるだろう。煌々と外界の光を照らす。


 光に近づく度、纏わりつく空気が温かくなる。冷たく強張っていた身が解されていく。まるで、深海から浮かび上がってくるような解放感。


 胸のところに眠る月見里の顔が明るくなっているような気がした。


 しかし、アスファルト舗装の地面に踏んだ後、そんな感情は焦がされる。雑草の柔らかな感触と共に、強烈な光に目をやられ、視界が白く抉られる。


 「ああ、目が痛ったぁ」


 そんな呑気な声が聞こえていた。しかし、その声に蓋をされたかのように、トンネルの中と同じ無音の世界が広がっていた。


 白昼夢のような光景、思考が白く塗り潰されていくが――。


 「――――!」


 『あれ』の声がした。背後からも、否、それ以外のところかも聞こえていた。

 それは中心部の高層ビル群からだった。いや、あれは本当に高層ビル群なのだろうか。


 青々しく反射したガラス窓は、今は干からびた土のような色に覆われている。


 それが段々と地面に落ちている。


 雪崩のように落ちて、元々傾き気味のビルはとうとう自重に耐えられなくなった高層ビルがけたたましい轟音をあげて。倒れた。


 それが砂時計を割ったように、背後から音が割れる。瓦礫がガラガラと粉砕されて、亡者が降りろと叫んでいるかの如く肉の潰れる音が聞こえる。


 「八雲。どうするの?」


 逃げなければと思うが、どうしても体が固まる。


 それが決して周りに起こった出来事のせいではなく――。


 「悪い。ここがどこか分からない」


 トンネルを抜けると雪国であった。そんな言葉をふと思い出した。


 だが、太平洋側の西日本に生を受けた自分にとって雪国というのがどういう景色なのかが分からない。

 しかしながらも、その言葉を言った時の人間の気持ちが分かった気がする。今の自分はその中に焦燥感と自己嫌悪のオリジナルブレンドをしているが。


 はるか昔に見ていたはずの階段上がった先の光景は、今や見知らぬ土地。


 いや、昔も今もここを知らない。飲食店もなく、正面に一軒コンビニがビルの中に居心地悪そうにはめ込まれただけ。

 ただ人気のなくそれほど高くも無い年季の入ったビルが立ち並んでいる。それがアパートなのか、オフィスなのか分からない。

 

 「川は一体どこに……」


 見えているはずの川が見えない。おそらく、一駅分、読み間違えたのだと思う。入り口に提げられていた駅名は確かに電車の窓から流し見したことはあった。


 今は、そんな事どうでもいい。高層ビルの反対側にいけば、川のはずだが、『あれ』に追われる中、見知らぬ街の中にどう飛び込んでいいのか分からなくなってしまった。


 「行こう!」


 立ちすくむこちらに東台が手を掴み。走り出した。


 駅前の少し大きな通りではなく、駅の裏手にある小道をズンズンと突き進んでいる。

 まるでどこに行けばいいのか知っているかのようで、こちらは東台の横顔に見える真剣な眼差しに呆気に取られてそのまま付いていく。


 後ろからは『あれ』の足音と鳴き声が止まらない。


 やがて、その音からくぐもったものがなくなり、看板が蹴飛ばされ再び瓦礫の崩れる音が近くで響く。

 しかし、東台は気にする様子も無く、路地裏へと進む。


 視界に見えるのはやはり見知らぬ場所で、店先にビニールの屋根が張られた古き良き商店が身を寄せ合うように立ちならんでいる。

 既視感の安堵感もなく、『あれ』の声がこちらの耳に伸びてくる。


 しかし、東台はそんなことに目もくれず、白く干からびたレンガがはめ込まれた商店の通りを突き進み。


 見知らぬ土地だというのに、目に飛び込んだのはまた既視感のある店。

 

 古錆びた黄土色のレンガに白亜のドア。建物の壁の大半を占めるショーウィンドウには埃被ったアンティーク調の可愛らしい動物のぬいぐるみが座らされている。


 「見つけた!」


 東台の溌剌な声。躊躇も無くドアノブに手をかけて――開いた。


 まさしくぬいぐるみ一色。埃にまみれ温かみの薄れた木の棚に、様々な形と様々な大きさのぬいぐるみが埃をかぶりながらも、今か今かと客を待ち続けているかのように理路整然と座らされて黒い目を光らせている。


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