光を引く配線 前半
喉元過ぎれば熱さを忘れる。灼熱を飲まされれば、多分過ぎても二度と忘れられないものになるが、結局は数日後に全てを忘れる。
駅をその熱だとすれば、トンネルは終わらぬ喉で食道。
やはり、先ほどのことがあっても、既知にもならない未知は闇に還り、退屈にも似た長い長い道のりがまた始まる。
最初は怯えていた筈なのに、自分の中ではもはや電気を消した部屋の様。
月見里はもう考えるでもない。どれだけ近しい人でも、感情や痛みはどこまでいっても他人事である。
手に握るロープからは今もなおしきりに振動が伝わってきて、強さもそれほど変わっていない。
心なしか間隔が短くなっている気がする。少なくとも、この暗闇が終わらなければこの状況が良くなることは無い。
後2駅。いつ終わりがくるのだろう。2つ指を折れば終わる数字なのに。
確か、次の駅に行く前にカーブがあるらしく、もしかしたらそれを目印にできるかもしれないと高を括っていたが、こうして壁を触っていてもこれが曲がっているのか直線になっているのかまるで判断がつかなかった。己の浅慮さを恨みたい。
それに先ほどの駅の状況も考えると、ゲームのごとく目的の駅に煌びやかなライトが取り付けられたウェルカムサインがないように、出口が石で塞がっていない保証はない。次の駅も塞がっていない保証も無論どこにもないが――。
――もういっそのこと、次の駅で降りてしまおうか。
そんな風に考えてみる。2駅分だと流石に躊躇はあったが、3駅分なら追っ手が来る前に橋を渡り切れるかもしれない。
その後は、バイクがあるところまで急いで戻って、街を大脱出――なんて都合のいい話はないが、少なくとも希望の光があるような気がする。
距離分リスクもある――いや、何もかもが分からない穴倉に入ったこと自体間違いだ。だが、一つしか選択肢が取れなかった結果を今更嘆いても仕方がない事である。
行き当たりばったりになっていることは否めないが、ここに入って来てからそれ以上の選択を取れていない。
頭にこびりつく違和感もあるが、地下にも『あれ』がいたことは大きい。ゴキブリが1匹いたら100匹いると思え。
この先にもいる可能性はもう0にはならないのなら、一本道しかないこの場所はもはや地上より危険である。
紆余曲折、また階段の感触をつかんだ。暗闇を歩くことを慣れたせいか、実際に短かったせいか、先ほどの駅に行くまでにかかった距離の体感半分ぐらいで到着できたようだった。
あっけない終わり方に肩透かしはあるものの、ひとまずのガッツポーズ。階段を上がる。
ホームの感触を確かめてみるが、最初の駅と同じく骨一つ転がっていない良好な状態。
点字ブロックの感触を確かめがら、地上へと上がる階段を見つける。月見里に合図を送り、階段へ意気揚々とあがれ――。
「――――っ」
頭に大きなタンコブを作るだけだった。
勢いママ天井に殴られた頭の痛みに、その場に座り込んで悲鳴をあげるのを堪えるが、後ろからあやすように縄を揺らされて羞恥に悶える。
いくら状況が良くとも、階段が瓦礫でふさがっていない保証はない。先ほど自分が言っていた言葉が頭に刺さる。どうして、自分はこんなにも馬鹿なのだ。
油断大敵。弘法も筆の誤り。下種の後知恵。罵倒の言葉が頭の中でさんざめくが、それらを一旦取り払って元の点字ブロックへと地に足付ける。
今はまだ一つ目の階段だ。今までの感じだと後1つか2つかは階段があると思うが、多分それも駄目。
それでも、手に取れないほど高いところに実るブドウが総じて酸っぱくないのと同じく、階段が塞がっているかは目で見て確かめてみないといけない。
なんだか気分は複雑だ。まるで外れしか入っていないクジを無理やり引かされているようだ。
頭がガンガンと鳴る中、あまり軽くもならない足を動かして、おそらく白線内側の点字ブロックに戻ると今度はひじに何かを当てた。2度あることは3度あるというが、それは天井よりも硬くて滑らかだった。
かなり触れられる面積が大きく、壁か何かと思ったが、白線の外側にそんなものがあるわけがない。そのまま手を当てながら前へと進めてみると、滑らかな窓の感触にぶつかった。
たまに見る落下防止用のゲートかと思い、窓らしきところから手をずらすと、ドアの形をしたようなものがあって、その中に足を入れてみると感触と共に骨を割る音がした。
――まさか、電車か。
おそらく、そのまさか。地下鉄に電車があること自体、当たり前の事ではある。
だが、白線の内側に立っているのに触れられているのは、あまり正常な状態とは言えなさそうである。
試しに押してみるがやはりびくともしない。一両分だけでも数十トンぐらいあると耳にしたことがあるので無理もないが、そんなものがこれほど傾いているというのは相当力がかかったということだろう。
中に手を突っ込めるほど破損が酷いところは出口を求めるかのように骨らしき感触が散らばっているので、さもありなんといったところだった。
おそらく、ホーム側も無事ではないと思うので、先の足元を確かめながら歩みを進める。
電車の感触はなおも続くよどこまでも、その途中二度も階段へと続く道があったが全て瓦礫で埋まっていた。
3度目の正直という言葉があるが、残念ながら3個目はなさそうだった。
しかし、骨の感触だけは進む度、密度が上がっているような気がする。どれだけの人が中にいたのかはあまり考えたくもない。月見里と同じくらいの子の骨を踏んだ時は、正直腹が立った。
前に進むほど電車の傾きようは強くなって、とうとう点字ブロックの近くまで足場が崩れていった。骨の感触を踏むよりかはマシではあるが、暗闇の中で足を踏み外すことは死に近い。もう立ち止まるしかない。
それにしても、この電車の終わりはどこにあるのだろう。もしかしたら、線路を降りる先の階段まで潰れているのかもしれない。
それならば、対向の方に回るべきなのだが、また手の感じが変わって方向感覚を狂わすのはどうにも避けたかった。
不安な面持ちの中、思わぬところに3度目の正直。ちょうど線路に続く階段の前にある柵のところで、電車の額のところに手をついた。
それが過ぎるとまた平たい床に戻った。重くなった足が軽くなったような気がしたが、どこか妙な感じも覚える。
だが、次の駅が目的地。地上へと上がることに失敗した今、行かない手がない。
そういう考えもあるが、この感覚はなんだか重要なような気がしてくる――。
少しばかりその場で足踏みをしてもそれ以上の結論は出てこず、やはり前に進むしかなかった。
電力も止まり、横転した電車がもう走り出せない先を歩いている。
そんなことは分かりつつも、後ろから電車が走ってこないかと今更焦燥感が湧いてきた。
否、この感情はそういう危機的な焦燥感というより、期待感と言い表した方が正しいかもしれない。
もしあの電車が走ってくるのなら、飛び乗りたい気分だ。後ろの2人もどこか足取りは軽い。
まとわりつく空気も今まで通り過ぎたところよりも、心なしか暖かくなっているような気がした。
ただ、やはり、目的の駅がどうなっているか不安だ。
もし、そこから地上に上がることが出来なければ――どうしよう。
そまた次の駅に行くべきなのだろうが、そうすれば中心部に近づくことになるのであの高いビル群に巣食う『あれ』と挟み撃ちをくらうかもしれない。
温かさとは逆にそんな不安が募るが、結局、それは将来の話をすると鬼が笑う様に、それは行ってみないと分からない。
なんだか、駅か電車かそんなものが嘲笑う様に通過する音が聞こえてきたような気がする。
前へ進めば進むほど、空気が熱くなってくる。これが希望というものか。それともまた別のものか。
正体は分からないが、前へと足を運ぶ間隔が短くなっていく。
自分の中には地上に上がった後の光景しかなかった。
外は今どうなっているだろうか、大分歩いた感じはあるが時間が分からない。
もしかしたら、真っ暗闇になっているかもしれない。地下から上がってきたのに、地上も同じ真っ暗闇とはもはや笑えない状況。
上がった先は川近くの雑居ビルのところの近く。その時はその時で、近場の空き家みたいなところを探してその中で一晩過ごしたらいい。
できれば窓は少なめのところがいい。それなら、ランタンの光を全開にしても問題ないだろう。暗闇に浸かった分、存分に光を浴びてしまえ。
そのせいなのか、今まで通って来たトンネルよりも短い時間で、階段の感触をつかんだ。
意気揚々と階段を上がろうとするが、自分の顔の横に風が吹いたような気がして足が止まった。
温かいはずなのに、肌がぞわつくほどの悪寒。
何も見えるはずはない、踏んでいるのも平たい床で、音はない。それなのに、骨が落ちていた時よりも、ジメりとした雰囲気が取り巻いているような気がした。
このまま登ったら死ぬような気がして、月見里に合図を送り階段を降りた。しかし、ここが目的の駅である。
戻る選択肢もない。このまま、次の駅に行けばいいのだろうか。その駅も今のようなことになっていないだろうか。そしたら、また次の駅に行くのだろうか。
しかし、そうすれば中心部に近くなるわけで、結局リスクを棚上げしているだけなのではないだろうか。
戻るわけにもいかず、進んでも破滅の道に近づくだけ。行き場の失った足をどこにも動かすことが出来なかった。
しかし、その時、こちらとは違う足が床を踏む音が鳴った。
それはまさしくホームの上からで、決して鹿の足音ようなものでもなく、裸足でヒタヒタ歩いているようなそんな音が響く。
あまりにも落ち着いた音に体が固まるが、後ろからぶるりとロープが震えたののを起にホームの下へと足を動かした。
それに入れ替わるようにして、足音は増えた。それは少なくなるどころか増えていき、しかし、依然と落ち着き払っていて巨大なムカデが這っているような印象を覚えた。
正体を現わすことが無く、音だけが大きくなり、階段を降りる音に変わり――レールが震える音に変わった。
多分、こちら側の方に来ている。しまったと浅はかにホームの下に潜り込んだことに後悔を覚えるも、これ以上の選択肢があったかといえば分からない。
段々と近づいてくる。そうなると音は鮮度を持ち、姿が見えずとも自己主張するかのような音が混じる。『あれ』の声。
地下に入ってからその存在を見かけていた分、驚きはそれほどなかった。
それが近づくたびに肌に当たっていた温かみが濃くなって、ようやく希望と思っていた物の正体に気づかされて吐き気を催す。
ゆっくり、ゆっくりと、銃を掴み、ホルスターから引き抜いた。しかし、どこに向ければいいのか、もうそれは一か所にしかない。
いろいろと覚悟を決めないといけない中、穏やかな風圧を身に受けた。
多分、もう自分たちの目と鼻の先にいるのだ。しかし、どうしてだが、こちらに反応することもなく通過していく。
おそらく、一分は立っているのか。
それぐらい呼吸をしているとは思うが、僅かにとらえられる陰影から『あれ』一匹としてこちらに目を向けていないように思えた。
呻き声が時折聞こえてくるが、そこには狂暴性は含まれていない。理知的かと言われればそうでもなく、どちらかというと怠惰な印象。
見方によっては交差点を歩く死んだ魚の目をしたサラリーマンにも見えなくはないが、今の状況下だと出口を求め彷徨い歩いている被災者のようにも見える。
『あれ』は一体何年ここに留まっているのか、それを答える口はもうない。どれもヒタヒタと音を立て、靴音が一切無いところを見ると、もう相当この中で同じことを繰り返していたことが垣間見えた。
乏しい情報しかないが、おそらくここにいるだろう『あれ』の全部が同じ方向へと向かっているのだろう。向かう先は、先ほどいた電車が脱線していた駅。
もしかしたら、目の前にいる『あれ』は乗客だったのだろうか。よくよく考えてみれば、脱線していたように見えてもたかだか多少傾いたぐらいだ。
今、思い返してみると、中にいる人が全員死ぬほどの状態だったとは思えない。自分の浅はかさにうんざりしてばかりだが、これほどまでに後悔したことはなかった。
まるでその電車の代わりをするかのごとく、進んでいく。まだ終わらない。もう何分立ったのだろう。体感10分は経っているような気がする。
いつの間にか握っていた銃は、またホルスターの中に落とされていた。
また慣れてしまったのか、包丁を首元に突きつけられたとしても一時間やられれば慣れてしまう様に、一度でも動けば気づかれかねない状態であっても緊張が薄れてきてしまう。
いや、もう恐怖が振り切れすぎて、マヒしているだけなのかもしれない。
目さえマヒして、蠢く陰影がまるで電車が通過しているように見えた。そうだ、これは電車だ。それがただ過ぎ去っていくだけ。ただ、それだけ。
ああ、そういえば、通学路に開かずの踏切があったっけ。確か、毎回毎回一時間以上は待たされた記憶がある。サラリーマンの愚痴の間を、幾多もの電車が通過していく。そういえば、あのサラリーマンたちは何を言っていただろうか。
超一極集中がどうだとか、逆疎開だとかいう言葉が耳に残っているが、それを思い返したところで不思議な気分にしかならない。
でも、思い返してみても、あの待たされる時間はあまり嫌いにはならなかった。色とりどりの電車が通って向こう側の景色が消える度、これが過ぎ去ったら何かが変わっているんじゃないかといつも期待していた。
しかし、それは小学生の愚かな妄想で、何かが変わることは一度もなかった。
それは今も同じで、どれだけ妄想に浸かっても、陰影は消えない。それでも、まだこちらに目を合わすものはいない。
またあの時と同じように過ぎ去って、変わらない日常になってしまえ。
「――――!」
その時、『あれ』の呻き声の中から野太い男の声が聞こえてきた。
「ひっ――――」
月見里が小さく叫んだ。それは酷くおびえた声で、虫の首を絞めたようなか細い声――――。
それに呼応するように、音が無くなった。足音も呻き声も無い。
蠢いていた陰影もぱたりとその場で止まり、闇の中へと混じった。
おそらく、まだ目と鼻の先にいる――はずだ。もはや、それさえ定かではなくなるほどの機械のような切り替わりぶりは、やはり人間の名残があるとは思えないほどの不気味さが醸し出されている。
もはや無生物としか言えない『あれ』の変貌と同じく、人間も固まる。こちら側の理由が恐怖と困惑で思考が追い付かないという人間臭い理由なのが皮肉っぽい。
ただ、ロープだけは動き続けている。それを動かしているのは月見里で、痙攣といってもいいほどに震え、こちらの手もそれにつられて振動していた。
以前も、こんな事があった気がする。あの時、最後はどうなったのだろう。記憶に留めてはいないが、あまりいい事にはならなかったはずだ。
未だ、動きはない。『あれ』もこちらも。だが、こちら側だけは音の源がロープの震えと共に刻一刻と膨れ上がっている。
大きな汗粒が自分の額から頬へと伝わるのを感じた。その速度は秒速何センチメートルなのだろう。
無学な自分には秒速自体がどれだけの速さなのか分からないが、何か事を起こすのには十分であったようである。
その汗が自分の体から離れた瞬間、ロープの震えが止まる。否、ロープの重み自体が自分の手元から離れていた。
月見里がいるはずの方を見てみると、おぼろげながらうずくまった2つの影があった。大きな影が小さな影に覆いかぶさっており、おそらく東台が月見里を抱きしめている。
東台が腰を抜かして月見里にもたれかかっているのか、それとも恐怖に縮こまる月見里を安心させようとしているのか。
その理由を慮ることは出来ないが、微かに漏れ出す息にいつか見た小さな体躯を震わして大声で泣く月見里の姿が頭にちらついた。
膨張した風船に爪先を当てているようなそんな感覚。多分、何をしようが猶予はない。
どうすればいいのだろう。
そんな弱音を頭の中に吐いてみるが、今の自分の感情を表すには適していない。自分は一体何を考えているのだろう。
――私を餌にしてよ。
自分が拒絶したはずの言葉が、頭の中にずっと浮かんでは繰り返される。
他に選択肢はないのかと思考を凝らしてみるけれども、結局は考えているフリをする事しか出来なかった。
それでも刻一刻と泣き出す時間が迫っている。もう覚悟を決める時間なのだ。
ロープを手繰り寄せて、月見里の首元へと腕を掛けた。彼女の細い首の感触が伝わる。
触れた瞬間、月見里は体を大きく震わせた。もう遅い。
東台を引きはがすようにして、月見里を抱えたまま後ろへと下がる。多少の抵抗があるかと思ったが、ゆで卵の皮を剥くかのようにあっさりと離すことが出来た。月見里も抵抗することは無かった。まるで首元を掴まれた兎のように。
久しぶりに彼女の体に触れた。嫌なほど柔らかくて、指を押し付けるだけですぐに沈みこむ。その感触から逃げたい。
そのまま、首を絞めた。
月見里の喉元を通る空気が詰まったのを感じた。声を出せないように口も抑えつける。固く塞いだというのに、漏れ出る息が嫌なほど自分の腕についてきて、自分の呼吸さえ苦しくなっていくような気がする。偽善者め。
月見里は体を小さくばたつかせたが、意も介さぬようにそのまま押さえ込むようにして身体を押し付けた。
――5,4,3,2,1
頭の中で秒読みをしていく。一秒を刻むごとに彼女の体の動きが緩んでいき、最後には電池が切れたおもちゃのように、ぱたりと止まって重たくなった。
嫌なほど温かで生気のある彼女の感触。苦しいはずなのに、絞める腕にかかるのは僅かながらの吐息だった。
そうして、数え終わると見事なほどに沈黙へと戻る。
『あれ』も一瞬聞こえてきた声の正体を掴むことに興味を失くしたのか、ヒタヒタと足音が一つ耳につくと、続くように他の足音が鳴り、再び闇の中から蠢く影が生まれた。
それを見計らい、こちらは月見里を抱えたまま静かに体を落として、自分の荷物から薬とハンカチを取り出した。
ちゃぽんちゃぽんと水音が出ないように、恐る恐るハンカチに薬を浸し、月見里の口元を覆う。
自分の腕の中で彼女の心臓が胎動しているのを感じて、今の自分には抱く権利の無い気持ちが孕んだ。
気絶から覚めた月見里は息を吹き返し、嗅がせた睡眠薬のせいでそのまま小さな寝息を立てている。それが複雑な感情をもっと複雑なものにしていく。
首を絞めた感触が、未だに残っている。これで何回目だ。今まで首を絞めてきた光景が頭の中に流れ込んでくる。しかし、すぐに月見里の首を絞めた時の感触に塗りつぶされる。
これでしばらくは起きないだろう。やがて、『あれ』の足音がトンネルの中へと消えたのを確認してから、こちらは彼女を抱きかかえて立ち上がった。
抱え上げた時、はるか昔に月見里を抱っこしたことを思い出した。あの時は、確かワンワンと泣かれたのは覚えている。否、そういう記憶だっただろうか。、
どうしてこんな時に、定かでも無い記憶を思い出してしまうのか。きっと、今自分がしていることが禁忌なのだと、警告しているのだ。
もう人の首を絞めた時点で、なにもかもが終わっているのだ。今更、取り繕ってももう意味が無い。
そんな風に結論づけて、これからの事を考えようとした時に、服を掴まれた。多分、東台だ。
その手は震えていて、何がどうなっているのか困惑していることが窺えた。
そういえば、ロープがどこにもない。どこにあるのか探ってみると、月見里の手元に残されていた。首を絞めていた最中にも掴んでいたのかと思うと、どうにも空気の重みにいたたまれなくなった。
月見里抱えた今は頑張っても片腕程度しか使えない。ロープを体に巻き付けた。東台には引き続きこちらの服を掴ませて足を進めた。
もう進めるほどの余裕はない。前も後ろも無ければ、行先はシャングリラ。もちろん、真上の地上だ。
月見里の荷物も一緒くたに抱えたので、重心が変わって足取りに少し違和感を覚える。だが、彼女に対するいろんなバツの悪さのせいか、不思議と苦しいとは思わなかった。
ただ、今こうやって彼女の重みを感じていると、自分の足程度しかなかった背丈が今では自分の胸に届くかどうかぐらいまで高くなり、抱きかかえている今もこちらの太ももに足をつけるようになったとは、彼女の成長ぶりに僅かながらにも感慨深いのを抱いている自分もいて始末が悪い。
月見里を抱き直して体勢を一旦整えて、空いた方の片腕を壁につけて、移動した。
確か、今はホーム下にいるはずなので、このまま前に進んでいけば階段があるはず。
長い間体が強張っていたせいか、マシになっていたはずの体の動きがまた緩慢なものへと戻る。心なしか、こちらを引っ張る東台の手が重くなっていた。
しかし、こちらはその分だけ足を強く踏み込んで、前へと進めた。過ぎ去った『あれ』の群れが、いつ戻ってくるか分からない。数分か、数時間か、数日か、それとも数秒か。楽観的な考えもあったが、
無理やり足に本調子を振舞わせ、わずか一分もかからないうちに階段を掴んだ。もう何度も登った階段に、特に躓くことも無く上がり。
自分の靴底がその形になっているんじゃないかと思うぐらい踏みつけた点字ブロックを感覚のまま歩き、階段のある場所へと押し進んでいった。
掴んだのは天井。
体の力が抜けそうになったが体を踏ん張らせ押しとどめる。まだ階段はあるはずだ。
そうして、奥へ奥へと進むとまだまだ階段があり、1つだけではなく2つ、否、3つもあった。
1つ目は外れ、2つ目も外れ。
3つ目を登るが、今度は天井がついていたところを通れた。期待感高鳴る中、突き進んでみるがある程度登ったところで天井にぶつかった。
嫌味なほどの瓦礫の感触。3度目の正直は無かったようである。
そもそも3度目の正直になったことはあっただろうか。本当にばかばかしい。あみだくじのように引けば当たるとでも思っていたのか。
先ほど目的の駅にウェルカムサインがないと考えていた癖に、3度目の正直は信じてしまう自分の馬鹿さ加減にウンザリする。
それでも、こちらは天井に腕を押し付けていた。でも、暖簾に腕押し。いや、押す気にもならない。ただ、そうしていると、瓦礫の隙間から風が流れているような気がする。
しかし、それを知ったところでどうなるというのだろう。現実に戻ってこい、俺の頭。
これからどうすればいいのか。現実的に考えてみると、もっと前に進んで別の駅から出ることだろうが、これから先にある駅の出口から脱出出来るとは到底思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます