バツ印のチェックポイント


 「この奥のところか?もっと近い方じゃなくて?」


 「うん、この奥のところ」


 どこからどう聞いても、東台の指はそこから離れようとしない。


 その代わりに、笑みを浮かべた彼女は強調するかのようにトントンと指で叩いている。

 見ていると胸を小突かれているような感じがして、気が重くなるばかりだ。


 「ここから、かなり遠いんだな」


 「そう?でも、ここからだと……歩いて12分くらいかな?まぁでも、途中いろんなお店があるから目移りしちゃってもっと時間かかっちゃうかもね」


 東台はいつもの軽口を付け加えて椅子に座った。

 

 12分と言えども、人が密集するのを想定して作られた道の12分は過酷なものである。危険度は中心部とあまり変わらないと考えた方がいいかもしれない。


 「なぁ、東台が居た時はどれくらいの数がいた?」


 「うーん、私がいた時はオープン前だったからねぇ。あっ、でも、車は4500台ぐらい入るって書いてあったから多分それぐらいかな」


 4500台。大抵車は4人乗りだからそれを考慮すると約1万8000人。そんな見たこともない規模の人間がこのモールに入ることが出来る。


 モールの外に『あれ』の姿はなかったので、流石にそれほどの数がいることは考えられない。

 ただ、駐車場に多くの車がひしめき合っていたのを見ると、おそらくその半分ぐらいの『あれ』がいても不思議ではないだろう。


 「八雲。大丈夫?寒いの?」


 そう東台に話しかけられて、我に返る。自分の体はいつの間にか震えていた。きっと、これ以上入るなと本能が訴えかけているのだろう。 


 だが、もうここまで来てしまえば黙殺するしかない。


 「ああ、いや。なんでもない。それで、裏から通れるところはないのか?」

 

 「ん、あるよ。ここを通ったら階段があるから、ここを上がってまた、上がっていって、こうやって進むとお店に行けるよ。最後ちょっと表の通路にでなきゃいけないけどね」


 東台はそう言いながら、地図をなぞっていく。


 先ほどの道のりの逆方向へと行き、くどおしそうにエレベータのところで指を回すと、名残惜しそうにそこから離れて、近場の階段をなぞり、4階の見取り図へと指を歩かせ、本屋に到着。


 見る限りだが、道は大抵のところを網羅しているらしい。


 表から行くより多少遠回りになるようだが、視界が限定されている従業員通路を通った方がよいだろう。


 こんなところさっさと出ていきたいものだが、急がば回れと昔の人も諺を作るほど警告してくれている通りそのあたりは我慢である。


 とどのつまり、警戒すべき範囲が狭まれば、それだけ余裕も出来るというものだ。

 

 「良いな……分かった。その方面から行こう」


 「OK。もしかしたら、鍵が閉まってるかもしれないから。その時は、私に任せて」


 東台はそう言って発展途上の平地のような力こぶを見せた。


 鍵を回すのと力こぶに何の関係があるかは謎だが、鍵の管理者である彼女にかかるウェイトは確かに大きい。


 「しつこく言うよう悪いが……俺、いや、俺たちはショッピングモールに入って物資を調達したことが無い。『あれ』がどれだけの数が居てどんな状態になっているかは正直分からない。だから、もし何か異変があった時に迅速な対応を取るために――すまないが、可能な限りに近くにいてくれ。離れるな」


 自分で言いながら、苦々しいものを口の中に感じた。


 正直、この見取り図を見てもどこにどんなものがあるかという構造的な部分は、何一つ自分の頭では理解出来ない。


 それにショッピングモールという巨大だが密閉空間という未知の空間。『あれ』がどういう行動を取っているかまるで分からない。

 

 かなりの神経を索敵に費やすことになるが、無駄に神経をとがらせてしまえば疲弊して結局注意散漫になってしまう。


 その緩急をつけるのが探索の上で最も大事な事ではあるが、場所も規模も施設も初体験のこちらではおそらく最初から最後までそれを掴むことは出来ないだろう。


 だから比較的に経験があるこちらが状況を細かく把握しつつ、周囲を警戒するしかない。


 だからこそ、彼女たちには近くにいてほしいが――そんなことを口にしたり考えているうちに、頭の中では気味悪がる女の子の顔が何度もチラついた。


 生まれてきてこの方、女の子が近寄れるような風体を取れた試しがない。当然、今もそれは変わらない。


 「その、悪いな」

 

 「OK。それってどれくらい近くが良い?」


 「あっ、ああ、これぐらいの声が聞こえるぐらいだ」


 「ん。いつもよりちょっと小さいくらいの声ね。OK」


 意思疎通が難なくできる最低限の声まで絞ったつもりだが、どうやら自分は声があまり大きい方ではないらしい。

 道理で月見里がいつも隣に並ぼうとするはずだと合点がいくが、あまり嬉しくはない真実。


 「とりあえず、東台の言っていたルートを通る。書店に『あれ』がいた場合は……可能なら殺すが、無理であればこの場所まで引き返して別の時間に侵入を試みる。もし引き返せない状況なら、どこか鍵がかけられて安全そうな場所に逃げ込む。それが無理なら……最悪トイレにでも逃げ込めば何とかなる」

 

 意思疎通が上手く出来るかどうか確かめるために可能な限り小さな声量で話してみた。

 なるほど、こうして指で地図をなぞってみれば、なんだか簡単な事のように思えてしまう。

 

 だが、経験上、それは無知が故に抱えている漠然とした感情を、頭が勝手に安全という言葉に置き換えているに過ぎない。


 「それで……その別の時間が駄目だったらどうするの?」

 

 「そんなの、別の日にちでチャレンジするしかないじゃん」


 東台から疑問の声があがると、こちらが答える前に月見里が即座に叩き落とす。


 月見里が言った通り、そうなれば日にちをまたぐしかないだろう。しかし、東台の表情を見るに納得していないようである。


 「どうして?寝て起きたら何かあったりするの?」


 そう東台から疑問の声があがると、月見里はなんだそんな事かとドヤ顔をするが、視界の端にこちらを捉えるとハッと目を見開いてこちらを向いた。

 それでも、説明したそうな目は隠せない。

 

 「いいぞ。続けてくれ」


 「曜日によって、『あれ』の行動が変わったりするの。だから、『あれ』がいなくなる日までじっと我慢したら、物資を簡単に手に入れられるでしょ?」


 「へぇー、そうだったんだ。だから、いつも帰りが遅かったりするんだね」


 東台は顔を輝かせて言った。


 そういう性質があるからこそ、最も『あれ』が少なくなるタイミングを掴みさえすれば、毎回物資を調達して避難所に戻るという一連の作業が何度も出来るわけだ。

 だが、場所によってタイミングも変わってしまうので、そこから出れば手探り状態。


 そのタイミングを掴むのもかなり難しい。今回の遠征のためにヘソクリにしていた物資の一部も引っ張り出してわけだが、一体どれくらいかかるだろう。それも定かなものではない。


 物資は帰りの分を含まなければ一週間分、自分の消費する分を絞れば一週間と3日程度。

 それまでに終われるのかは、もはや運のみしか知らない。一階に大型食料品店があるらしいので、調達を試みようとすることは出来ると思うが、それもあまりいい手ではない。


 「でも、どうして日にちごとに行動が変わっちゃうの?」


 「えーと……それは……」


 しかし、胸を張っていた月見里は東台の一言で萎んでしまう。『あれ』の何を考えているのかは、もはや誰も知らない。


 「悪いが、その理由は分からない」


 「そっかぁ、まぁ、人それぞれだもんね」


 必死に頭から答えを絞り出そうと天井を見上げる月見里の代わりに答えると、東台は何か諦観めいたことを言って納得した。


 「それで後もう一個いい?なんで、トイレに逃げ込めば大丈夫なの?セーブポイントみたいなやつ?」


 「敵が決して入ってこないようなセーブポイントぐらい安全ではないが、『あれ』がトイレに来ることは滅多ない。鍵が閉められることもあるが、場所が分かりやすいから一時的な避難場所としては条件がいい」

 

 トイレにどでかいクリスタルやカルト教団の紋章はないが、どのような施設の中にも必ず一つは存在するのである意味では同じかもしれない。

 それにこういった施設の中ではトイレがある場所をあちこちに書いていたりするのでアクセスしやすいのもかなり良い。


 と言っても、入り口出口が一つしかないので最終手段と言ったところである。


 「ふーん、そんなもんなんだ……でも、トイレに籠るのはちょっと嫌かな」


 「最終の最終手段だから、安心しろ。俺も嫌だ。」


 トイレが一時的な避難所と答えれば東台もあまり良い顔はしなかった。月見里も当然いい顔はしていない。

 確かに、例えテントの中と言えども、トイレの中で眠るのは生理的に避けたいものである。


 少なくとも、なるかならないかは別にして、伝えておくべきことは伝えられた。他に何かあるかもしれないと不安なところもあるが、これ以上頭の中で思いつかなかった。


 「他に質問はあるか?」


 「ううん、もう大丈夫」


 東台はそう言って頷いた。月見里の方を見れば、いつの間にか荷物を腕に抱えているので準備完了のようである。


 「それじゃあ、荷物を持って出発するぞ」


 「あっ、ちょっと待って。その前に――」


 と言って荷物を準備しようとすれば、東台がそう呼び留めて自分の荷物をごそごそとかき回す。

 暫くしないうちに、「あった」と言って自分の荷物から拳になった手を引っこ抜いた。

 

 「はい、これあげる」


 そうして、月見里の前で手を広げると、透明の包装に包まれた飴玉が3つ光っていた。

 何の味かは書かれていないが、一つは青でもう二つは赤なので、おそらく一つはソーダ味でイチゴ味なのだろう。

 

 月見里もそう思ったのか、「ありがとう」と頬を赤くして気まずそうにすると、即座に赤い方を手にとって袋を開けると口に放り込んだ。


 満面の笑みを見るにイチゴ味であっていたようである。

 

 そうして、そんな彼女に東台は笑みを浮かべ返すと、こちらへと向きやった。


 「どっちがいい」


 「いや、どっちでもいい。最後に残ったのを俺の手に落としてくれ」


 そう言うと、東台は何度か手の中にある飴玉を指で交互に差すと青い方を手に取った。


 「じゃあ、私はソーダ味ね」


 青い方も味が的中したので少し嬉しい気持ちになる。

 そうして、最後に残ったのを手に落とされ、それを口に含んでみれば、もう一つの方もイチゴ味だったようである。


 答えの方はあっていたが、もっと違う味なのではないかと心の中で期待していたので少し残念な気持ちになった。

 それでも、それを舌で転がせばなし崩し的に多幸感に包まれる。糖が欠乏気味だった頭にとってはどちらでも良かったようだ。


 「うまいな」


 「うん、ちょっとしたとっておき」


 飴は3年前から貴重品の一つだ。賞味期限はかなり長いと言うのに、作る人間がいなければ地面に置いた氷のようにすぐに消え去ってしまう。

 しっかりと味わいつつも、飴玉が溶けないうちに荷物を片して部屋を後にした。


 地図はひとまずリュックサックの横ポケットに閉まっておいた。比較的出しやすい所に置いたが、探索中に視界が遮られるようなことをするのは避けたい。


 また無味乾燥な道が広がるが、それを通り抜けてもまた同じ無味乾燥した道に入る。

 外から見たモールは現代アートチックで美麗なものだったのだが、今は脱色したようなコンクリートの白壁しか見えてこない。これが紺屋の白袴というやつなのだろうか。

 

 だが、無地といえるほど殺風景ではない。横を見れば完成前の骨組みのような棚。上を見れば、取ってつけたような電灯。見方によれば工事現場にも劣らない賑やかさだ。


 工事現場と区別をつけるかのように賑やかし要員として壁のあちこちにメモが貼られているが、それがどういった内容であるのかイマイチ読み取れない。

 

 東台ならば読めるのだろうかと思うけれども、これを読んだとしても役に立つようなことは何もない。

 後ろにいる彼女を見ても眼中にすら置く様子はなかった。月見里もどこかつまらなそうである。

 

 ここは本当に商品を運ぶためだけの道らしい。

 先ほど視界に捉えた骨組みの棚の下を見れば滑車が取り付けられているようで、その殆どにビニール袋のようなもので包まれた段ボールが積まれていた。


 おそらく、商品なのだろうが、段ボールに描かれたデザインを見るに家電製品にも薬品にも見える。

 これを持ち帰れば一体いくらになるだろうかと指折り数えてみたくなるが、この場所で取ってくるべきものは一つしかない。


 それがあるところへと着々と近づいている実感があるが、喜びよりもいろいろな不安が噴出して進む足取りは少し重い。自分は昔からあがり症だ。

 緊張は集中力のスパイスという人間がいるが、あんなのは絶対嘘である。


 そんな悪態を心の中で吐き落としていると、心なしか後ろからクリック音が聞こえてきた。

 もしや、『あれ』かと咄嗟に後ろを振り向くと、そこには口笛を吹くふりをして天井へと視線を泳がせている東台がいた。


 彼女の後ろにエレベータがあるのを見るに、どうやらエレベータのボタンを押したらしい。どこまでも諦めの悪いことだ。


 これを肴にして悪態の一つでもつきたいが、彼女の間の抜けた行動が少しばかり差し迫る緊張感の緩和剤になってくれているように気がしてむしろありがたい。


 もちろん、月見里は呆れた顔である。 


 そうして、駄々漏れていく緊張感を隅へと追いやりつつ歩いていくと、やがて目の前に電車の扉のような両扉が鈍く光っているのが見えた。

 地図の内容が正しければ、これを越えると右手の方に4階へと続く階段が見えてくるはずだ。

 

 僅かに気持ちが逸った。少しばかり歩調も速くなって、近づいてみれば再びその足が止まった。


 近くで見ればアルミ缶のような薄っぺらい扉である。多分、指で小突いて見ればいとも簡単に開いてしまうだろう。


 しかし、そのドアに指一本たりとも触れたいとは思わなかった。ここがチェックポイント。それは既に分かっているのに、扉には大きな赤いバツ印が厚ぼったく塗りつけられていた。

 

 「あれぇ?こんなのあったけ?」


 冷たい汗がまた手から滲み出したきた。ぞわりと冷たくなった背中から、東台の素っ頓狂な声が通り抜ける。


 それが赤いペンキで塗られたものであることは分かるが、警戒色であるそれで巨大なバツ印が書かれていればそれが何の意味であるかは否が応でも分からされてしまう。


 後ずさろうとすれば、ガチャリと鍵の開く音がした。

 

 見れば後ろにいたはずの東台はいつの間にか扉の前に立っていた。彼女は何度もそれを押すが開くことは無く、止めの一押しを待つかのようにガタガタと鼓動していた。


 「ん、ここの扉ビクともしない。裏に何か引っかかってるのかな?」


 「東台。今すぐそこから離れろ」


 こちらは声を押し殺したい欲求を抑えて、東台にそう言った。その声はまた威嚇するかのような低い声で、東台はビクリと体を震わせて後ずさりした。


 そうして、恐る恐るといった感じでこちらに顔を向ければ、苦笑いの表情がそこにあってバツの悪さを覚える。


 「ごめんね。こんな見たことがないものが知ってる場所にあったら……どうしても気になっちゃって」


 もう誰も触れていないはずなのに、扉は未だ震えているような気がする。まるで眠りから覚めたかのように。


 ドアの下を見るとメモが挟まれていた。それを恐る恐る拾い上げてみた。


 絶対に入らないで下さい。


 そんな言葉が、殴り書きのような文字で書き綴られている。先ほど確認したと言うのに、読んだ途端、衝動的に周囲を見回してしまった。


 どれだけ見ても、この書いた主の痕跡はどこにもない。


 「この先に何があるんだろうね」


 そう東台がぽつりとつぶやいた。あるのではなく、何がいるのかは想像に容易くない。


 だが、これで安全だと思った道は潰えてしまった。


 もう残る道はただ一つとなってしまったことに、大きなため息が出た。


 「仕方ない。ここからは表の方から行くぞ」


 不幸中の幸いか、ここから管理室に戻らなくても途中で表に行けるところがある。


 それでも多少戻らなくてはならないが、月見里からも東台からも不服の声はあがることはなかった。

 

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