秒読み前のモール内


 心なしか、2人の足の速さが行きよりも早い。だが、その足も扉から離れ、再び似たような景色になると元に戻った。


 表の方に続くドアにもあの赤いバツ印がついているかと不安を覚えたが、そのドアは無地のままで、元々ある場所に鎮座していた。


 相変わらず何の音が聞こえてこない。まるでこのドアに全ての音が封じ込められているような、そんな圧迫感。

 圧にひるんだこちらはいったん月見里達を後ろに下がらせ、ドアノブに手を掛けて恐る恐る押してみる。

 錆一つないステンレス製のドアは軋むような音を立てることなく、やはりすんなりと開かれた。


 隙間から見えるのは真っ暗とも薄暗いとも言い難い空間。もう少し開けてみれば、いつかチラシで見たショッピングモールがそこにあった。


 当然のように喧噪というものは存在しない。一つのヒビさえ見えない壁からは空調ファンの音を耳にすることは無く、風の流れる音さえ聞こえてこない。

 

 味わったことのない感覚に、思わず足を踏み入れてしまう。しかし、いつもはあるはずの足に何かぶつかる感覚も無い。

 床を見回してみても何か散乱しているわけもなく、研磨された岩の模様がどこまでも続いている。


 肩透かしを食わらされたような気分だ。いよいよ開けた扉の隙間から出てみても、その景色は変わることが無い。荒らされた様子も全く見られない。


 あれほどまでに緊張感を持っていた自分が馬鹿らしくなってくる。


 どんな時も油断大敵と肝に銘じてはいるものの、開店秒読みのような真っ新な状態を見せつけられると、もはやそういう意識ではいれない。


 「どうやら、安全のようだな」


 そう口に出してみた。この状況に似あう言葉だが、あまり腑には落ちない。しかし、返ってくる音は相変わらず何もない。


 こちらの声を聞きつけた月見里達は躊躇もなくドアの後ろから出て同じ空間に足を踏み入れた。

 

 「昔と全然変わんないなあ。でも、昔はもっと明るかったからちょっと違うか……でも、こっちの方がきれいだね」


 「すごくきれい……」


 そうして、踏み入れるや否や東台と月見里2人は広がる空間に目を見開いて、感嘆めいた声をあげて天井を見上げた。

 同じように天井に目を向ければ、透明なガラス板が張り付けられている。


 見る限り、内からだと外で見たガラス張りのドーム状の形を捉えられないが、遠くに見える看板が何色なのか識別できるくらいの明るさを確保できるほどには開放感のある作りになっていた。

 

 自分の手の甲に映る光を見ていると、昔遠足で行った水族館でガラス張りのトンネルを潜った時のことを思い出したが、それに例えるには些かムードと泳ぐ魚が足りない。


 天井から差される白い光と、自分の身に纏わりつく青白い光。

 どこか見たことあると思えば、側溝下の景色に似ている。そうとなれば、自分たちはそこを這い回る鼠3匹だ。


 いや、一匹は虫だなとセルフツッコミをすれば、何だか笑いがこみ上げてしまう。


 「ん、どしたの?何か面白いものがあった?」


 「いや、なんでもない。本屋は左の方か?」


 「うん、そうだよ。ここからだと、うんしょっと――あそこの1,2,3,4個目の橋ぐらいのところにエレベータがあるから、そこ昇って、また昇っていくのが一番近いかな」


 東台は手すりに身を乗り上げて、こちら2人に見せるように橋もとい連絡通路を指差して数えた。

 その仕草を見るに、遠くの方にあるようだ。同じ方向を見ても、確かに階段らしきものは見えない。


 昔、子供の頃なら、広々としたモール内を回るのはある種冒険心をくすぐられたのだろう。

 だが、今では白線を踏み外すより遥かに危険な地雷地帯を歩くようなものだ。

 

 自分の背中から青白い光が消え、薄い橙色の光が差し込まれる。


 後ろを見なくともそれが何かは良く見知っている。

 ここに入ってきてからずっと灯されている月見里のランタンの光はさながら道を指し示す灯台のようだが、薄暗く死角の少ないこの場所では居場所を知らせる目印にも成りえてしまう。


 「月見里、ランタンに布を被せろ」


 月見里から小さな声が漏れた。


 天井から差し込まれる程度の光では、月見里結衣の恐怖心をかき消すことは出来ない。


 「透けるぐらいの薄いもので問題ない。それで我慢しろ」


 そう言うと、少しだけ彼女の強張った頬が緩まった。


 彼女がポケットからハンカチを出してランタンに被せると、多少光量は落ちるものの拡散する光は大分弱まる。これなら一階に光が落ちることは無いだろう。


 と言っても、その一階から何か気配が感じられることはまだ無い。


 「結構、静かだね」


 東台は手すりから飛びのくと、そう息を吐くように小さく呟いた。


 気配もなく、独り言のような小さな声であるのにこちらの耳に入るぐらいの無音。

 その事が今は安心できるようで、安心できない。


 「……早く手に入れて、早く出るしかないな」


 まだ『あれ』がいない保障は無いが、姿が見えないのならチャンスではある。


 おそらく、あのバツ印の部屋の中に全て閉じ込められた――とは考えにくいが、きっと、『あれ』のいないタイミングにちょうど当たったのだと思っておきたい。


 ならば、いないうちにやることをやって速やかにここから離れるようにするのが重要である。


 「月見里は俺の左に来い、東台は後ろに回ってくれ」


 月見里のランタンの光を外側に漏れ出させないようにこちらの体でカバーさせ、経験の浅い東台は比較的襲われにくい後ろへと回らせた。


 念のために腰に巻いたホルスターのカバーを開けて、取り出しやすい位置に取り付け直していつでも対応できるように準備を整える。


 これでも背後から襲われた場合どうするのかが問題になるが、後ろについた東台に目配せしても、いつも通りこちらに対して「どうしたの?」と言って不思議そうな顔を浮かべていたので目線をもとに戻しておく。


 これが、人生最初で最後のショッピングモールの探索。

 ショッピングモールはでかいスーパのようだと思っていたが、目に捉えられるのはショーウィンドーに飾られた女性用の服のみでもはや別世界である。


 ファッションセンスが皆無なこちらにしては、綺麗な服だなという表現しか思いつかないが、床に散らばった値札を見るとさもありなんと言った感じだ。


 大量の『あれ』がいるのだと身構えていた分、調子の崩れた自分はふと月見里もこんな服に興味があったりするのかと気になって彼女を見るが、向けられているのはこちらの顔で視界の端にさえ入れていない。


 常日頃、文化祭のシャツみたいなものを着ている東台も反応は薄い。

 唯一、下着が飾られているところでは「私のサイズにあうやつはないよね……」と意気消沈した声をあげるぐらいで、最も反応しているのはこちらだったようである。


 何十何百歩、地面を踏みつけても、何の問題もなくエスカレータに到着した。


 まだ誰も足に着けていなさそうな状態ではあるが、当然天井についた照明と同じくあるべき機能が失われている。

 東台は残念そうにしていたが、一昨日みたく数十階あるわけではないので悲壮感はそれほどない。


 ただ、こちらは足をつける度、あるはずもない浮遊感があって妙な違和感を覚えた。


 まるで、今の状況を物語っているようで、登り切れば『あれ』に襲われるのではと一抹の不安を覚えて銃の感触を確かめるが、実際登り切ってしまえば無人の店舗が見えるぐらいでまた肩透かしを食らわされる。


 3階にはどうやら喫茶店のような軽食屋が並んでいるようだった。

 2階の物よりかは幾ばくか馴染み深いものだが、その外観を見ればハリウッド映画の街角のシーンで映されるようなおしゃれなもので、こちらのような人間が行けるタイプではない。


 エスカレータは近くにあるのでそこを素通りすれば、すぐに4階へと到着してしまう。

 本来なら嬉しいはずなのに、自分が抱いている感情はいつかした予防接種の時と似ている。

 痛みを覚悟したと言うのに感じる間もなく注射針が抜かれた時のあの空虚感だ。

 

 しかしながら、目的地からはまだ半分の距離でそれが一層気怠い気分にさせられる。

 その気持ちを悟られないよう歩いてしまえば、見えてくるのはフードコート。ようやくなじみ深いものが現れてくれた。


 昔大好きだったファストフードの看板が見えて気持ちが昂るが、すぐに照明が死んでいるのに気づくと昂った分倍返しで気分は沈みこんでしまう。

 おそらく、中を漁ったとしてもカビたバンズと干からびたポテトしかないのだ。


 隣にいる月見里もアイスクリーム屋のカラフルな看板を見て目を輝かせているが、残念ながらあそこも24時間無営業状態である。


 当然ここが目的地ではないので、ノスタルジーな食い気に若干後ろ髪をひかれつつも通り過ぎると、今度は家電量販店やら、家具量販店やら、服量販店やら、どこでも見るような店が並んでいた。


 違うタイプの店であることには違いないが、店の前には自分が最後に見たCMで映っていた商品が判を押したように大きな写真が張り付けられて店の前面に陳列されていて、それが一層哀愁を漂わせる。


 「ひっ――!」


 刹那、東台が声を漏らした。


 怯えたような声だったので、何があったのかと後ろを振り向けば、青い顔をした彼女がいて、視線の先はフードコートの中で――干からびた人間の死体があった。


 東台の反応は人間の死体を見た時に取るべき言動であるが、どこか違和感があるような気がする。

 よく考えれば、人間の死体を見たのはどれくらいあっただろう。


 少なくとも自分からは彼女のような激しい感情は湧いてこない。悲しいかな、月見里も顔をしかめるぐらいでしかない。


 もし、内臓が液体のようになって体から溢れていたら、多少東台の感情に共感できたかもしれないが、内臓さえ干物になったそれでは特段何かを感じることは無い。

 むしろ、無人の大型ショッピングモールの中でようやく人のいた痕跡があったと幾ばくか安堵感を覚えてしまう。

 

 とはいっても、その痕跡が出来たのはおそらく5年前の事なのだろう。


 酸化した肌は木目のような色に変わり、四肢全て小枝のように細い。

 骨が一つもむき出しになっていないのは珍しいが、きっとこれも例にもれず土に溶けていていく最中なのだろうと思った。


 「ねぇ、早くいこうよ。もう吐きそう……ムリ」


 そんなことを考えていると、横から怯えきった声が聞こえた。


 振り向けば、青い顔をした東台が焦点の収まらない目を必死に死体から逸らしてうずくまっていた。

 彼女はとことん普通のグロ耐性しか持っていない。自分とは隔世の感がある反応に、自分の胸がチクりとした痛みを覚えた。


 「悪かった。月見里、もう行くぞ」


 「ん……」


 そう言って、うずくまる東台から死体が見えないように動いて彼女を立たせて死角へと移動させる。


それでも未だ目の色が戻らない彼女にエチケット袋を渡して傍から離れると、すぐさまぶちまけていた。


 こちらと月見里はそんな苦しそうな音を左から右に流しつつ一階の景色を見下ろす。相変わらず色が抜けてすっからかんになったような白い床が見える。



 やがて、その音もなくなって少しの間静寂が続くと、東台は快活な少女の顔をして帰って来た。


 幾度となく見てきた完全変態のような起承転結に多少思う所はあるけれども、眉を上げるしか能がない。

 月見里の訝しんでいるのか心配そうにしているのか判別のつかない眉間の皺寄せを横目に、残りの道を踏破していった。


 視界に映るのは昔欲しかったソフトとゲーム機。今使えたら便利だっただろう冷蔵庫や洗濯機。

 そんなものを見ないふりして古錆びた欲求を抑えるぐらいで、萎れた死体を目にすることもない。


 あっという間に目的地へと着いた。

 

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