グラつくランタンの取っ手

 


 「いっせのーでっ、1!!」


 「やったー、また勝った」


 「フゥゥ!もう一回!私、先行にして」


 「んふふ、いいよ」


 「いっせのーで――あっ……」


 「あっ、八雲。お帰りー」


 戻ってみれば、2人何かの手遊びをしていたようだった。だが、月見里はこちらと視線が合うとすぐに手を後ろに引っ込め気恥ずかしそうにしていた。


 「何してるんだ?」


 「ん?いっせーの――じゃなくて、指スマ?みたいな名前のやつ、これ学校の皆でやったんだよね。皆って言っても6人ぐらいだけど」

 

 「ああ、そうか。あれか」


 東台は指で6本立たせて、笑みを見せる。


 いっせのーでとか指スマとかどういう名前かはこちらも良く分かっていないが、小学生のころクラスメイトがやっていたのを見たことがあるのでルール程度は知っている。


 「八雲もやる?」


 「いや、遠慮しておく」

 

 だが、傍からそれを見ただけなのであまりやろうとは今も昔も思わない。それが迷惑になるからだ。


 「中は安全だ。後は勝手にしてくれ」


 「やったぁ。ボーリングだね!」


 「ああ、そうだな」


 「ほら、いこう」と月見里の手を取り、眉を少しひそめて嫌そうにする彼女を横目にボーリングレーンまで走り抜ける。


 「うわぁ、広いね」


 彼女たちを追いかけると、東台が差し込まれる光を反射するレーンのように目を爛々とさせて眺めていた。


 月見里はそこらへんに転がっているボールをくるくるとコマのように回して、レーンを睨み付けなんとも言えない怪訝な面持ち。


 「ゆいちゃん。何してるの?」


 「これでどうやって、あそこみたいなでかい穴を掘るの?」


 「フフ、違うよ。これでボーリングピンを倒すんだよ」


 「え?何それ?」

 

 「それはね……あれ?ピンがない」


 そういって東台は不思議そうにレーンを眺めていた。今の今まで気にしていなかったが、確かにレーンのところにはボーリングピンらしきものは見当たらない。


 「ちょっと待ってくれ」


 そういえば、裏手の機械にはめ込まれていなかったではないだろうか。何をするか分からないが、とにかく持ってくることにした。


 「いってらっしゃい」という東台の言葉を聞き流し、また裏手へと踵を返す。比較的綺麗なボーリングピンを取って戻ってくると、東台は歓喜の声をあげた。


 「持ってきたぞ、ここに置いとくぞ」


 「うわぁ、ありがとう!これどこにあったの?」


 地面においてやると、東台は手で距離を測ってご満悦な表情をしているが、月見里はますます眉の角度を下げて困惑極まる表情を見せたり反応はまちまちだ。


 「裏にある機械に挟まっていた」


 「ああ、ボーリングピンを立てるやつね。前、テレビで見たことある」


 「本数はあっているか?」


 「うん、多分あってると思う。ありがとね。八雲もやる?」


 「いや、いい」


 「そっか、やりたくなったら言ってね」


 そう言って笑みを見せる東台にこちらは手を挙げて応じつつ、椅子に座り彼女らを眺める。


 何の機械だったのだろうと彼女の言葉でやっと合点がいったが、理解したところで動きはしないので嬉しさよりも虚しさの方が大きい。


 東台はそんなことなど気にも留めず、ボーリングピンを拾い上げレーンの奥に立てていく。

 それを月見里はその側に座り込み、下げてた眉をあげて不思議そうにその様子を見ていた。


「本当に、この重いボールをこれにぶつけるの?」


 「そうだよ。これをぶつけて倒れた本数分点数になるの」


 と東台がそう言いながら歪な三角形を作っているのを横目に月見里はボーリングボールを指の腹で押しているが全く動く気配がない。


 正体見たりとばかりに、月見里は溜め息をつき、つまらなさそうな目をしてボーリングレーンの端からボーリングピンを一瞥すると、


 「これ、ボールを小さくして、パターで飛ばした方が効率いいと思うんだけど」


 と何かの棒を振るような格好をしてそう言った。なんとも子供らしい姿だが、どこか気品があって様になっている。


 「ふふ、確かにね。ゆいちゃん。ゴルフとか好きなの?」


 そう東台が言うと月見里は少し考えた後、「少しだけ、多分」と言葉を詰まらせた。


 東台が「まだ小学生ぐらいなのに珍しいね」と笑うと、月見里が少し気まずそうにこちらを見て地面に視線を落とし、


 「……昔、教えてもらった」


 「ふーん、八雲に教えてもらったの?」


 東台もこちらの顔を興味深そうにのぞき込んでくるが、気まずくなり2人が映らない方に目を逸らす


 「……別の人」


 月見里は地面に向けてそう呟く。

 なんとも気まずそうな声色で、その声量はそのままレーンの隙間に吸い込まれそうな消え入りそうなもので、こちらも気まずくなった。


 その理由と別の人が誰かというのは知っているが、それを言う必要はどこにもない。

 

 「そっか」


 東台も何か察したのか少し間をおいて淡泊にそう返事する。そして、重たくなった雰囲気を切り替えるようにパンと手を叩く。


 「じゃあ、ゆいちゃん。今から手本見せるから見ててね」


 そう言うと投げる位置につき、月見里がレーンの外側にいるのを見計らって、「いくよー」とボールを投げる。


 東台の投げ方はなんとも野性的だが、綺麗にレーン両脇にある溝の中へと吸い込まれていく。そして、そのまま転がっていき、


 「この溝の中に入るとどうなるの?」


 月見里が溝に落ちて転がるボールを足で止め、東台に尋ねる。


 彼女はその投げ方と同じく不格好な笑みを作って恥ずかしそうに後頭部を掻き、「ううん、これは0点のガター」と小さく呟く。消えそうな声である。


 「実は私も初めてだったりして」


 今度は普段の声の大きさを取り戻していたがすぐに小さくなる、その頬は紅潮しきっていて、湯気の吹く音が聞こえそうだ。


 月見里はその姿は見て、なぜか満足気な顔をして、


 「ふーん、じゃあ、次は私の番ね」


 踏んづけていたボールを拾い上げ、自信満々の顔をしているが、ボールの重さに負けているようで両腕で投げるも飛距離は伸びず。


 行きつく先もガター。


 月見里の頬も先ほどの東台と同じ色を帯びていたが、すぐに消えて悔しそうに頬を膨らました。


 「お揃いだね」


 東台はそんな彼女に屈託のない笑みでそう言った。彼女の性格上おそらく煽りではないが、月見里にはすこぶる効いたらしい。


 月見里はムッとした顔になって、地団太を踏んだ。 

 

 「もう一回!」


 「ううん、ごめんね。ルールはルール。次は私の番っ!」


 勢いママ、東台が一投。


 少しばかりコツか運をつかんだのか、今度はガターに入る前に一本道連れにしたようである。


 「やったぁ」

 

 東台は飛び跳ねて喜んだ。


 月見里はすぐさま走ってボーリングピンを再び立たせるとまた走りレーン側にある機械に転がっているボールを力一杯に投げた。


 だが、勢い余ったボールは空中跳ね、レーンを跳ね、そのままガターに落ち込んでいった。

 当然、ピン一つも震うこともなく、そのまま穴の中へと落ちていく。ゆっくりと転がっていく様がなんとも虚しい。


 「ああ、もうちょっと投げる力弱めた方がいいかもね」


 東台は苦笑いでなんだか気遣うように月見里にそう言うが、彼女の眉はますます悔しそうに歪めている。

 しかし、今度は無言で近くにあるベンチに座り込み、睨み付けるようにして東台が投げるのを見ていた。


 今回、東台は確かにコツを掴んだようである。先ほどよりも投げ方が気持ち綺麗になった。


 といっても、今度は一本も当たらずガターへと沈んでいく。

 

 「ああ、沈没したぁ」


 少し悔しそうに笑う東台とは裏腹に、月見里は小さくガッツポーズを取り生き生きとした表情を取り戻し勇んでボールを掴み上げる――。


 「次、私の番!あれ?ボールが……」


 しかしながらも、ボールはあるはずのところにない。


 転んでもただでは起きぬ幼女、月見里は負けじと機械の周りを探ってみるが,残念ながらボールは全てガターの先の穴の中に落ちてしまっている。


 当然機械は動いていないのでボールは暗闇の中に落ちたっきり、戻ってくる気配は一向に無い。

 

 「ちょっと待ってろ」

 

 こちらはそう言ってその場から離れる。

 

 手持ち無沙汰で悔しそうにしている月見里と、気まずそうに「ごめんね」と彼女に頭を下げる東台。何だかこちらも気まずくなるような雰囲気である。


 まだどこかの機械には残っているだろうと周りを一目してみるが、他のレーンにボールの姿はない。


 歩き回ってレーンの一つ一つに据え付けられたそれを探りまわってみれば、機械の一つ、ボールが排出される穴にちんまりとはまり込んでいた。

 

 軽く引っ張ってみると風呂の栓を抜くときのような軽さでボールが抜けたことに肩透かしを食らわされる。


 それを片手で掲げて、「あったぞ」と声をあげれば、2人歓喜の声をあげた。


 声のする場所が違っていたので見てみれば、東台がボールが落ちた穴に手を突っ込んでいるようで月見里はもう片方の腕を引っ張って補助しているようで、大カブ引っこ抜くような騒ぎになっていたようだ。


 「ありがとう!それどこにあったの?」


 「機械に挟まっていた。」


 駆け寄ったきた2人にボールを渡してやり、背負いっぱなしにしていた荷物から紙とペンを取りだし、その足で転がりっぱなしのピンを立てていく。


 「八雲。ありがとー!」


 そう感嘆の声を張り上げる東台に手をあげて応じて、こちらはボールを溝に転がして彼女たちに渡した。

 

 「俺がボールとピンを見るからやってくれ。ついでにスコアもつけておく」


 そして、未だレーン上にいるこちらを不思議そうに眺めている2人にそう言った。


 「いいの?八雲、それだとボーリングできないよ?」


 「いい。ボーリングには興味が無い」


 「そっか、ありがとう……また後で変わるからね」


 「必要ない」

 

 こちらがそう言っても申し訳なさそうにする東台だが、正直なところボーリングには興味は無いので謝られるのはなんだかバツが悪い。


 しかしながら、なにもしないというのもつまらないもので、自分としては単純作業は好きだ。


  「投げるよ」


  次は月見里の番で、こちらに声掛けをするとボールを転がす。


 放たれたそれは先ほどよりもその勢いは弱く、なめらかにレーンを転がり、初めてピンへとぶつかり5本をなぎ倒していった。

 

 「うわぁ、やった勝った!」


 小さな一歩と言えそうだが、彼女の喜び跳ねた高さは結構なものだ。


 その表情はなんとも生意気だが、彼女の元々の容姿もあって愛らしいと思ってしまうのが憎たらしいところである。

 

 「すごいね、唯ちゃん!……あれ?これ何回やったら勝ちになるんだっけ?」


 「ええ……それを知らずにやってたの?」


 東台のまさかの発言に月見里は呆れというよりは疲れ果てたような表情をして、「ああ、なんでこの人の誘いに乗ったのだろう」と小さく後悔を口にした。


 むくれる彼女になんとも申し訳なさそうに東台だが、こちらと視線が合うと助け舟を見たりと言わんばかりに顔が明るくなり、


 「ねぇ、八雲。何回勝負がいいと思う?」


 「さあな、10回ぐらいじゃないか」


 脳裏で先ほどの写真が思い浮かんだ。写真の背景には電光掲示板が映っておりそれの情報が正しければ10回までだ。


 なんでも無駄に見ておいて損はないが、なんとも変なところで役に立つのは人生の奇妙であると思う。

 

 「そっか、ありがとう!あれ?今何回目だっけ?」


 「「3回目」」


 続いて出され続ける東台のとぼけた言動に、こちらと月見里の言葉が2重奏で応酬する。

 2重奏といっても、声色と声の高さが違うので両方の声が明瞭に聞こえるのは不思議なものだ。


 「うわぁ、ハモったね。まるで親子みたい」


 しかし、東台の耳に届かなくては意味が無く、平然とそう揶揄してみせる。


 なんとも間抜けに見えるが、これほどまでに距離感を詰められるのはあまりにも不思議だ。これがコミュニケーションが高い人間というものなのだろうか。


 「やめろ。クソ」


 コミュニケーションが低い人こちらは、無神経に距離感を詰められると酷く苛立ちを覚えてしまう。

 何の考えも無しに程度の低い暴言が口から吐き出される。


 「え?」


 こちらは東台のとぼけた声にハッとなって、罪悪感と共に言葉を飲み込み押し黙る。

 月見里を見れば、顔を俯かせ彼女の目元は見えないがあまり良いのものではないということが想像がつく。


 どうして、いつも場の空気を悪くするのだ。ここで黙っていては、ますます空気が悪くなると月見里とのコミュニケーションで多少理解していたため、咳ばらいをして話を切り替える。


 「なんでもない。次は東台が投げる番だろ」


 「ああ、そうだった。ごめんごめん。じゃあ、行くよ」


 東台はそう言うととぼけた声は快活な声に戻り、それで勢いをつけたかのようにボールが結構な勢いで転がされる。


 だが、精度はあまり良くない。

 ガターに落ちる手前で4本のピンにラッキーヒットしてそのままこちらの足にコツンと小さくぶつかり止まる。


 「やった、4本あたった!」


 「あーもう!でも、私は5本倒したから。私の方が強いもんね」


 月見里は喜び弾む東台にそう言って小さい胸を張った。


 五十歩百歩といったところだが、彼女の強弱という表現ならば遥かに小さい体躯で重いボールを転がす月見里の方が確かに強いというものだろう。


 「うん、そうだね。次はゆいちゃんに勝てるかな?」


 東台は彼女の言葉に眉を一切歪めることなく、気持ちいほど朗らかにそう言って見せ毒気が抜かれていく。

 彼女の言動こそ子供っぽいところがあるが月見里に対する対応はこちらよりも思慮深い。

 

 こちらとしては少しばかり奇妙なものに映るが、これが子供をやってきた年月の長さの差というものだろう、おそらく。


 次は月見里の番だ。すっかり毒気を抜かれて、肩透かしを食らわされた彼女は、ボールに残ったモヤモヤを押し付けるように投げる。


 しかし、重々しい勢いとは裏腹に、ボールは軽々しく転がり見事に真ん中付近にぶつかり、先ほどの2倍ものピンをなぎ倒した。


 透き通るような子気味のよい音がなった直後に、月見里が黄色い声を跳ね上げた。


 いつもお淑やかにしようとする彼女だが、今まで聞いたことがないぐらいの快活で子供らしい純粋な声色なので舌を巻いてしまう。


 本来なら東台あたりがあげそうな声だが、当の彼女は対抗心を焚きつけられたのか、鼻息を荒くしてボールを睨み付け、先ほどよりも勢いよく投げた。


 心なしかその時の彼女のフォームが様になっているように思えた。


 ボールの転がり様も月見里のものよりも滑らかで、吸い込まれるように真ん中に直撃して全てのピンを薙ぎ払う。そのままこちらの弁慶の泣き所に当たって鈍い痛みが走る。


 「やったー!ストライク!」

 

 そう東台は先ほどの月見里の喜びの声を上書きするように声をあげて飛び跳ね、腕を振り回しの子供顔負けの大車輪を作っていた。


 一方、月見里の方は地震でも作りそうなぐらい悔しそうに地団太を踏んでいる。

 感情は正反対だが、双方子供っぽい反応であることには変わらない。

 

 「もぉ!もぉ!絶対負けないから!」


 「うん、まだn回残ってるから、これからだよ。お互い頑張ろうね!」


 東台が屈託のない笑顔をして、月見里が純粋な怒りの形相をしてそう言い合った。


 どちらとも怖くはないが、こうも喧嘩腰でこられても動じない東台に畏怖してしまう。

 しかし、月見里がこんなにも負けず嫌いだとは思わなかった、そもそもこんなに熱中したことがあっただろうか。


 そんなことを感慨深く思いながら、感嘆の声と地団太の音とボーリングピンの跳ねる音を


 最後に歓声の声をあげるのは、果たして――。



 ※ ※ ※



 結局、彼女たちの戦いは日が落ちる寸前まで行われた。


 「――――」


 レーンにこもった熱が冷めていき、光は月見里のランタンの光に集約される。

 彼女たちの熱狂は静まり返った寝息に変わって、あれほど飛び跳ねていた2人の肢体が今ではベンチに腰掛けて互いにもたれかかっている。


 東台は月見里の頭を枕代わりにして呑気な顔をして眠り、月見里は彼女の大きな重みにうっとおしいそうに顔を歪めてうなされていた。


 彼女自身この考えを聞けば絶対拒絶するだろうが、傍から見ればなんとも微笑ましい光景である。

 昼の東台の言葉を借りるとするならば、姉妹のようにも見えなくはない。そうとなれば、果たしてどちらが姉か妹なのか。


 結局、彼女2人どちらとも勝ちはしなかったし負けもしなかった。いわゆる、引き分けだ。


 月見里はその結果に不平不満を唱え、再戦を持ちかけたが時間と東台の体力的にそれは叶わなかった。


 その後の彼女は不機嫌そうにご飯を食べ、歯を磨き、ボーリングの続きだと言わんばかりに東台と指スマで遊んでいたら、いつの間にか2人眠ってしまったようだ。

 

 辺りは暗く、どこからか『あれ』の呻くような声が聞こえる。


 それなのに、あまり不安を感じることがない。

 いつも空っぽになると恐怖心と焦燥感が流れ込んでくる胸は今別の何かが霧のように入っていっている――――これは安堵感というものだろうか


 「はぁ、こんなことを考えていても仕方がないか」

 

 そう言ってこちらは胸に溜まり続けるそれを押し出すように溜め息を吐き、放りっぱなしになっていた彼女たちの荷物をハンカチで掴んで側においてやり、自分の荷物を持って入り口のドアの方へと移動した。


 結構な時間が経ったというのにドアはぴったりと閉じたままだった。


 こういうドアに何かを巻き付けて固定することは少ならからずあったが、自分が上手くロープを巻けていたのだと思うと未だに喜んでしまう自分がいる。


 それでももう少し巻き付け方を工夫した方が良いのではないかという自分もいて試してみようかとも思うが、そんな気持ちを押し殺して押し込んでいた布切れを引っ張りちょうど片目が見えるぐらいまでの穴を作った。

 

 外は真っ暗だが、月が出ているようで段々と目が慣れてくる。

 明るい時と暗い時の景色はかなり違って見えるというが、ビル窓から光が差さない状態では巨人の壁かいくつも張り巡らされているようにしか見えない。

 

 殺風景な光景だが、それでも『あれ』の呻き声は聞こえる。耳を澄ませてみると、どうやらそれが一匹の声量ではないことが分かった。

 範囲も一方面ではなく、多方面から聞こえてくる。そういえば、今日は『あれ』の大移動は見ていない。


 日が落ちるぐらいの時間に大量の『あれ』の呻き声が遠くから木霊していたのを聞いたので、おそらくここは『あれ』の移動ルートではないのだろう。


 では、未だ鳴くこれは一体何だろう。そんなことを考えているとふと昔の光景を思い出した。

 理由は忘れたがどこかの高台でこのあたりのビル群を見ていたことがあった。

 

 深夜になっても他の地域は光がぽつぽつとあっただけなのにこのあたりの光だけは煌々と輝いていたことに酷く奇妙な感情を抱いていた。


 もし本当に彼らの中に記憶が残っているのなら不夜城というものを再現でもしているのだろうか。

 そう考えると悲しいと言うか面白いというか哀愁漂うものだが、これが今まさに脅威の根源になりえているので正直迷惑な話だ。


 「明日はどうなるだろうな……」


 そんなことを考えているうちに口からそんな言葉が吐かれる。それは穴を通り錆びついた鉄を潜り抜ける冷いビル風に吸い込まれる。


 弱音が行きつく先としては『あれ』の叫び声よりずっとマシというものだろう。


 「ねぇ」


 しかし、行きつく先は一つではないらしい。


 聞き慣れた声をした方に目を向ければ心細そうに眉を顰める月見里の姿があった。

 

 「ああ、月見里か……東台はどうした?」


 「多分、自分のリュックサックを枕にしていびきかいてるんじゃない」


 そう呆れた口ぶりで言った。


 それでも、彼女は東台に向けているのだろう目は前のように露骨に嫌悪を向けているような様子はない。多少は仲良くなってくれたのだろうか。

 こちらの頭の中では、容姿端麗な彼女が陶器のような白くくびれのある腹を出して眠りこけている絵が勝手に作られていたので、急いで頭を振って帳消しにした。


 「ああ、そうか。ここではランタンの光を下げろよ」


 そう言って、こちらはまた穴の中へと目を戻す。月見里の「うん」と消え入るような声が耳の中へと入っていくのを感じた。


 かといって、その原因は暗闇で閉塞感のせいでこちらにはどうすることも出来はしない。


 だが、胸の中にはまたふつふつとエグみのある罪悪感が場所を取り戻していった。 


 「月見里」


 「なぁに?」

 

 月見里は先ほどよりも溌剌とした声で返事する。なぜか呼びたくなって呼んでしまったのだけれど、話題もないため何も捻りだすものがない。


 そうして、困っていると彼女のランタンの光がいつもよりぼやけているのが目に入った。


 「お前、ランタン……」


 「あれ?最近変えたばっかりなのに」


 月見里が心もとない光と同じような不安げな表情をして、「電池が古かったのかな?」と言葉にするその声色も表情と同じものを帯びていた。


 周りに取り巻く暗闇が先ほどよりも濃くなった気がする。

 

 「……ほら、光をつけておく」


 そう言ってこちらは小さな光を差し出す。ウサギの形を模した小さなライト。


 本当なら月見里が持ちそうなものだが、手で握れば消えるほどの光の量では彼女の闇に対する恐怖心釣り合わないので緊急用という名目のために自分の胸ポケットの中に納まりっぱなしである。


 「これ……持ってたんだ」


 「ああ、なんで持ってるんだろうな。早く電池を変えろ」


 「んっ」と一音を声をあげて荷物から新しい電池を取り出し、ランタンを裏返し電池ブタをまじまじと観察すると、何故だか息を止め、電光石火のごとく一気に電池を入れ替える。


 傍から見れば奇妙かもしれないが、彼女にとっては外科手術をしているときの執刀医と同じくらいの緊張感無くして出来ないことなのだろう。

 そう思えば、終わった後のほっと一息吐く様は心臓バイパスをやってのけた老練の医師のようにも見える。

  

 電池を変えた後は元の光を取り戻し、ブラブラと揺らしてうっとりとした目でそれを眺めていた。


 そんな月見里の姿を見て胸にほっこりとした気持ちが流れ込んでくるが、彼女の掴むところが丁度一昨日こちらの掴んでいたところと重なって、氷を入れられたように醒めていく。


 彼女と一緒にぶん回しているとき、月見里が震えているのが伝わってきていたのである。それを思い出して、胸に石炭を突っ込まれたような重々しいものを覚えた。


 「……取っては大丈夫か?」 


 「え?うん……少し油が切れたかなってぐらいで、大丈夫」


 そうたどたどしくも何のこともないように平坦な声色でそう言うが、先ほどのようにてんやわんやと動こうとする様子はない。


 表情も声と同じく平坦というよりは、どういう顔を出せばいいのか分からないような複雑な面持ちが裏に隠れているような雰囲気を醸し出していた。


 その理由の張本人としては、この表情が最も自分と彼女の関係性をよく表していると思う。


 「そうか、良――くはないか」


 そう小さくこぼした。それがランタンの事か、何のことか分からない。


 「……うん」


 しばらく間を置いて、同じ声量で月見里の言葉が返ってくる。


 自分の事さえ分からないのに、彼女がどちらのそれともそれ以外の何に返したのか理解できるはずがない。


 だが、自分の胸の中のドロドロとした重いものが、少しだけ外へ抜けたような気がした。 

 

 

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