セピア色のアストロリックボーリング
「どうする?」
どうするという言葉はあまり好きではない。特に月見里から出てくるそれが最も苦手だ。そういうときは、大抵途方に暮れているときだからである。
移動するには日が落ちすぎているし、ここに留まろうとするにはこの場所を知らなさすぎる。
しかし、ファイナルアンサーはすぐ迫ってくる。
「今日はひとまずどこかで休む」
なんと陳腐な結論。何か懸念点があれば、一番楽なところに落ち着くのはだめかもしれない。
しかし、唯一吞み込めるリスクと言えば、物資ぐらいしかない。必要以上に減るのはあまり好きではないが、あのマンションからも物資を調達できたので帰りの分を含めても余りが出るくらいはある。
それに、今日泊められる場所を探す分には中途半端な時間は十分なものとなる。
ただ、コンビニに行けば物を買えるような状況では決してない。それにもし物資を見つけたとしても運べる量には限界がある。
荷物が重ければ重いほど失う体力の消耗が大きくなる。今回は自分も月見里もいつもより多く物資を背負っているから猶更である。
出来る限り、物資の消費を抑えたいところだが、無理に行って食べ物がある状態で死んでしまうような黒字破産なんてごめんだ。
どのような選択にも犠牲がつきものだと言うが、これが最も許容できる犠牲。
東台は先ほどまで青息吐息だったがその場で飛び跳ねて喜ぶ。
月見里は特に何の行動を示さず周りの様子を監視していたが、疲れで色褪せた彼女の瞳は心なしか活気を取り戻しているように見えた。
「それで今日はどこに泊まるの?」
「まだ分からない」
飛び跳ねるのをやめた東台がそう尋ねてくるが、昨日のように具体的な場所を示すことは出来ない。
周りを見てみても超とは言わずともかなり高いビルが建っており殆どが『あれ』が潜みがちな年季の入ったオフィスビルばかりだ。
「これから探すの?」
「ああ……そうだな」
しかし、泊められそうな場所の目途をつけることは出来る。まずは多くの部屋がある高層ビルは昨日の例外を除けば論外中の論外。
低層である住宅地の方が確認する場所も時間も少なくなるのでそれだけ安全性を確保できやすくなるが、いかんせんオフィス街が立ち並ぶ地域にそれらしきものは見えない。
通った道に多少2階か3階建て程度の民家があったが道のあちこちに大きな陥没穴があるような場所なので中の様子もすこぶる悪いものだろう。
それに今まで苦労してきた道を戻ると言うのは心情的にもやりたくない。
単純な消去法なら最も背の低いビルを選ぶべきかもしれないが、少なくともオフィスビルもそうだが商業ビルも避けたい。
ならば、最後に残るものはマンションなどの住居だが人間が住んでいた場所に無作為に入るのは自殺行為だ。
ならばいっそのことその辺に転がっている車両の中に入ってしまうのはどうだろうか。
道中、トラックが放置されているのを見かけたので、そこで一晩明かすのはどうだろう。
もしかしたら運転席に扉を開けるための鍵があるかもしれないが――・
いや、論外だ。出口が一つしかない。
それに扉を閉めてしまえば閉塞的な暗闇の中である。たとえランタンがあっても月見里は嫌がるだろう。
もしかしたら、ここに『あれ』の群れが通るかもしれない、あんな気味の悪い声をBGMに眠るのはこちらだって御免被りたい。
だからこそ、いつもは高速道路で一晩明かすか、それとも年季の入った秘密基地に篭るのである。自分が行き当たりばったりのことをしていると、今更ながらに実感した。
途方に暮れているとふと近くに横断歩道をあるのを見つけた。
何か名案が浮かぶわけでもなく、むしろあの信号は光が消える直前何色を灯していたのかという下らないことを考えてしまう。
あそこまで行って、立ち止まれば何かを灯してくれるのか。いや、そんなことはもはやない。
今ある信号機は全て何の明滅も無く埃塗れたそれはもはや何色を灯していても判別がつかない。
ああ、どうしていつも日和見的なのだろうか。知識が欲しい。
だが、勉強の仕方が分からない俺にとっては、それが太陽のように西から東へと流れていくのだろう。
暗中模索の中、探すべきところと言えば比較的建物が小さく元から人気のなかったところだろうがそんなところが人の集まっていた中心部の近くにあるのだろうか。
「どこがいいだろうな」
結局、無駄に重々しい自分の口からはそんな言葉しか出てこない。
こんな藁を掴むようなことを言っても答えなんて帰ってはこない。
だが、
「うーん。じゃあ、私はあーいうところがいいな」
東台がいとも簡単にあるところを指差す。その方を見れば高いビルの中に一つ分背の低い建物があった。
建物の形自体はブロック売りでもされてそうな四角いもので何の変哲のないものだが、彼女が指さす屋上の部分には曲がった大きなボーリングのピンのような物体が刺さっていた。
「あれ何?」
「ん?ゆいちゃん。知らない?ボーリングピンだよ」
「ボーリング……なに?穴を掘ったりするの?」
「フフっ、ボールを転がしても穴は掘れないよ」
「え?どうしてボールを使うの?」
「ボールがなきゃ始まんないからね!」
「ボールよりもドリルの方がずっといいと思うんだけど」
「うん、たしかに。私もボールよりもあのドリルか……うーん、お酒の瓶みたいな?ピンの方が好きかもね」
ボーリング場。重いボールを転がして白いピンを倒すというスポーツであるという概念は知っているが細かなルールは知らない。
まして「昔」に過ごした歳月は殆ど物心つかないときの月見里は単語さえ聞いたことがないだろう。
しかし、どういう本を盗み読んだのか、ボーリングという掘削作業の用語は知っているらしく、先ほどから東台と彼女とでレベルか視点か嚙み合わない会話が繰り広げられていて、それでいて傍からみると会話が成立しているように見えて何だか笑えて来てしまう。
「あそこか……悪くはないか」
確かに、東台が指差す建物をじっくりと見てみると、その案も決して悪い様には思えなかった。
よくよく思い返せばボーリングは昔のもっと昔のスポーツ。
相当流行った時期などをテレビで見たことはあったが、その映像に映りこんでいたポケベルなんて姿も形も無いスマホの時代。
セピアの色なんて一切光らせないそれと同じく、ボーリングの話題など一切上がることはなかった気がする。
そして、ボーリング場も昔の映像と同じく黄ばんだものを白壁に覆われ、昔は最新鋭のデザインだったのだろうネオンを、植物と年代物のくすみと共にまとわりつかせていた。
調べてみるだけでも問題ないだろう。それぐらいの自信は湧いていた。
こちらはボーリングという単語の解釈の違いで混乱状態の2人に「おい」と呼び掛け、
「分かった。今日はあそこにしよう」
「本当に?やったぁ。後でボーリングしようね」
東台はまた飛び跳ねて見せる。なんどもやるとはすこぶるテンションが高い。ボーリングが好きなのだろうか。
月見里は「砂遊びするような歳じゃないだけど」と呟き、やや不満げなようだ。
だが、こちらに不服を訴えかけるような目を見せることなく、足取りはどこか軽く楽しげで東台の世界に片足が入りかけているようだ。
「悪いが、あまり離れないでくれ」
「ああ、ごめんごめん。ゆっくりゆっくりね」
自分の隣にいたはずの月見里がいつの間にか東台とともに先へ先へと行きそうになっていたので急いでそれを止める。
少し前にも同じシチュエーションがあったような気がするが、東台が一昔前のアニメで見るような泥棒の忍び足のような歩き方をしてきたので調子が狂う。
そして、その建物の前に行くと、意外と大きかったことに気づく。
高さ自体は4,5階と周りのどの建物よりも低かったが、横幅はその建物2つ分はあるだろうか。
それでもそんなサイズは今まで通って来た建物の中にもいくつかあり珍しくも無く凡庸なものだが、建物の古さ具合は周囲のものより飛びぬけている。
海近くの地域よりはまだ状態は良いがそれでも壁は剥がれて錆びた鉄骨の網目が見えることは同様で、少なくともまだ鉄骨の形は完全保てているだけマシ程度のものだ。
それでも、両開きの扉はシャコのようにぴったりと閉じられているのが逆に不思議なくらいには劣化が進んでいる。
コンクリートで固められた床はあまり踏まれることがなかったか、年季の入ったシミがあるぐらいでそれほど劣化はしていない。
だが、それよりもドアの周りに多くの黄色と黒のテープが散らばっているのが目を引いた。黒い方の切れ端の節々を辿っていくと「立ち入り禁止」という文字が浮かび上がってくる。
柱にも同じような切れ端がくっついており、どうやら昔から廃墟だったらしい。
「うわぁ、こんな場所にも廃墟があったんだね。いや、どれも今は廃墟だからちょっと変な表現だけど」
東台がそう一人突っ込んで笑って見せ、「いわくつきかもね」とふざけてみせる。
夜見かけたらおそらく素通りするぐらいには近寄りがたい雰囲気だが、この街の中でいわくが付かないところの方が珍しいだろう。
「足元と頭上には気をつけろ」
いわくよりも現実的に怖いのは崩落である。柱にもたれかかった拍子に柱と天井が落ちるなんてギャグみたいなことはまだ起こらないが、少し壁を叩けば外壁が剥がれ落ちることは少なくない。
「はーい」という返事が後ろから一つ聞こえてくる。
ぴったりと閉じられた扉の鍵穴にヘアピンを差し込む――前に拒絶されたようにドアノブが落ちる。
縛りのなくなったドアは触れるでもなく、ゆっくりと開いた。
「本当にいわくつき……?」
「いや、違う。だいたい、古い建物はこんなものだ」
東台の迫真に迫る表情に、信じてしまうところだった。こんなのどこも珍しくもない。むしろ、長年、誰も入っていないことの証拠であるため嬉しいことだ。
同じ場面を共に何度か見ている月見里は、眉を不安そうに歪めている。信じてしまうから、本当にやめてほしい。
「ランタンはつけておけ」
「うん」
ドアを開けば暗闇。
長い時間陽の光にあたっていないために密閉されていた空気が一気に流れ込んでくる。
土か草か埃か見分けのつかない重たい匂いだが、血の臭いも『あれ』が放つ水に浸かった牛の革のような生臭いそれも漂っていない。
後ろから東台の「おじゃまします」と小さな挨拶が聞こえ、ランタンの光がこちらの背中越しに壁をぼんやりと映し出す。
外と同じようなのっぺりとしたコンクリート壁ではなく、すっきりとしたガラスの壁があった。といっても、はめこまれたガラスは殆ど地面に落ちてもはや体は成していない。
その無いガラス越しから先を見ると、アストロリックボーリングと昭和時代のネーミングがその時代のデザインと共に描かれた看板が掲げられていた。
「足元に注意しろ」
ガラス扉を文字通り通り抜け、抜け落ちたガラス片の砕ける小気味のいい音を立てさせ反応が無いことを確認して、看板を取り外した。
「何するの?」
「これでドアを塞ぐんだ。月見里ロープをくれ」
東台は不思議そうにこちらを眺める。
まだ屋内全ての様子を見てはいないが、探索中に外から『あれ』が入ってくる事態は避けたい。
月見里からロープを貰い、開きっぱなしになったドアを閉じて先ほど出来た穴にロープを通して先ほどのピッタリとした扉を再現して、それでも漏れ出す外の光を布切れで埋める。
「うわぁ、なんか差し押さえになったビルみたい」
東台の感受性が高いのか、感性が個性的なのか、彼女の例えはやはり分かるようで分からない。
確かにロープが鎖で先ほどのテープに書かれてあった文字が括り付けられていればそう見えるかもしれない――――と譲歩してみるもやはりそうは思わない。
だが、そんな退廃的な印象とは裏腹に室内も屋外にも落書きという落書きがなく、しっかりと整備が施されていたようでそれが一層哀愁が漂う。
「悪いが、ここで少し待っていてくれ。月見里、何かあれば花火をつけろ」」
そういうと、月見里は「分かった」と荷物からマンホールの中へと逃げ込んだ時の花火を取り出した。
その動きは俊敏だったが、暗闇を怖がっている部分を抜けばそれほど怖がっている様子は見られない。
とりあえず、これだけやっていれば外から勝手に何かが入ってくることはないだろう。
もしも何かあっても暗闇の中、花火を焚けばどこでも目立つ。
音はかなり目立つだろうが、『あれ』に見つかればそんなことはどうだっていい。
こちらは時計のアラームをセットして、花火の代わりに懐中電灯と拳銃を掴み、奥へと入っていく。念のため、音は立てずに歩調を小さくして、ゆっくりと歩く。
建物自体は広いように思えたが、部屋自体はあまり多くないようだ。
奥へ行くとすぐに受付台らしきものがあって、後ろを向くとボーリングレーンが広がっていた。
そちらの方へと足を踏み込むと、天井は一気に建物の天板辺りまで高くなる。
横もそれ相応に広がり、まるでそこだけ空間がくりぬかれたかのようで窮屈さはまるで感じられない。心なしかそこだけ他よりもずっと明るく見える。目を凝らしてみると、天窓があった。
レーンの先はボーリングピンが入るだろう穴以外はドアも何もない。
穴の中に入ればどこかに通じてはいるのだろうが、ここはダンジョンではない。穴の中に入るのはごめんだ。
下に通じる道はどこにあるのだろうか。歩き回ってみるとレーンの隅に開けっぴろげになったドアを見つけた。
電気が流れているわけもなく、そこから覗けられるのは垂れる電球のみで、後はレーンの穴と同じく真っ暗闇。
その光景に少し足が竦むが、後々ここを調べなかったせいで『あれ』に不意をつかれるなんてことは避けたい。
「使わなければいいんだがな……」
銃を構え、ライトを肩に置くように構え戦闘態勢の格好を取る。
これで銃を撃とうものなら、発砲音を聞きつけた『あれ』が襲ってくるだろう。だが、片手で『あれ』を殺せる力など残念ながら持っていない。
部屋の中を照らしてみれば、ずらっと何かの機械が並べられていた。
正面に大きな丸い輪っかがあるのがなんとも印象的だが、何をするための構造なのかは分からない。
もう少し近づいてみれば、中に研究所で見るような撹拌機のようなものがありそこにはボーリングピンが差し込まれていた。
その時、足元に何かが触れたのを見て光を照らしてみると、そこにも黒味がかったそれが転がっていた。
好奇心は猫をも殺すと言うが、幽霊見たり枯れ尾花ともいう。
少なくともこれがボーリングピンを操る機械と理解は出来たがそれで何か高揚感が沸き上がるわけでもなく、変なことに時間を使ったことに喪失感だけが残る。何か特別な機械なのかと思っていたのか。
もう出ていきたいが、まだ奥の方は見ていない。
奥にも同じようなものがずらりと並べられておりこれ以上調べても問題ないだろう――と考えてしまうが、こういう時の考えは考察ではなくただの期待だ。
そのまま奥へと進む。光から離れ闇が濃くなるがやはり何の変哲もない機械が並べられているのみ。
だが、奥の壁に辿り着くと、そこには事務机が鎮座しており、その上には写真立てがあった。
「なんだ、これ」
手に取ってみれば、それには写真がはめ込まれており、先ほど見た看板と同じ名前が入ったTシャツを着た人たちが笑顔になって肩を組んでいるものだった。
なんともほほえましい姿だが、写真は黄ばんでいて顔はよく分からない。
裏面を見てみれば。ちょうど真ん中あたりに「また会いましょう」とマジックで書かれていた。
その周りにも人の名前らしきものが書かれているが霞んでいてどれも判別できない。
「これいったい何年前なんだろうな」
分からない。ただただ、セピアに輝いているので、年季だけは入っているのが分かるのみ。
それと、少なくとも『あれ』がいないのだけは、これで分かった。
「――――!」
時計から小さな電子音が鳴っていた。15分経った後に鳴るように設定していた電子音だ。
これがすぐに元のところへと戻れるぐらいの距離の最大限を歩くのに費やす時間だ。
「戻るか」
これ以上進むところも無い。これ以上かける時間もない。
写真立てを机を戻して、開きっぱなしになったドアを閉めて、その場を後にした。
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