距離感

 

 「えー、まだ明るいのに」


 「まだ発電は出来るが、この空だと……テレビを賄えるぐらいの電気を作るのには時間がかかる」


 それほど時間は立っていないと思っていたが、窓の外を見ればそうではないらしい。


 空は薄い青色に変わり残り火のような黄色い光が雲に染み込んでいて徐々にそれも消えかかっている。時間を見ればもう夕方あたりだった。

 まだ十分発電はできるが流石に電気を大量に食うようなテレビを動かすには心許ない。


その事実に東台は「あー、もっと見たいやつあったのに残念」と言っているもののに頭を抱えていたが声色は明るいのであまり残念そうに映らない。

 月見里はというと、何も言うことは無いが何も映らないテレビを未だぼんやりと見ていたりとむしろショックが大きいのは彼女の方だろう。


「見れないものは仕方ないっと。八雲、ここってお風呂ある?」


諦めの早い東台はエレベータの時には見せなかった立ち直りが早さを見せつけるかの如く、ソファから立ち上がると蹴伸びをしながらそう尋ねてきた。


「浴槽ならあるが水は出ない……いや、確か戸棚の中に貯めてた水があったな」


「えっ、貯めてたって……もしかして、雨水?」


「言い方が悪かった。昔、近くの店から調達してきたミネラルウォーターだ」


「ミネラルウォーター! すごい! って、いつも浴びてる水も湧き水だからあんま変わんないかー。でも、そんな貴重そうなやつ使っていいの?」


「ああ、数年ものでいいなら勝手に使ってくれ。風呂場は向こうだ」

 

 1人戦慄したり、1人興奮したり、なんともせわしなく表情が変わってしまう。

 ふと、怪人百面相という言葉が頭に浮かんだが、これだけ表情が変われば捉えどころもないのである意味彼女もそれに近い。


 昔コンビニかどこかで拝借した水があったことを思い出して言ったはいいものの、当然その水はお湯ではなく常温。

ただ、数年間放置されていたことに目を瞑れば、浴槽を一杯にするだけの量はあったことは確かである。


 東台も数年ものと言うワードに臆することなく、「それじゃあ、使わせてもらうね」と自分の荷物からスポンジのようなものを取り出して、早速と言わんばかりに水があるキッチンへと向かっていて嬉しそうである。


 月見里と言い、東台と言い、女の子はいつになってもお風呂というのが好きなのだろう。無論、消毒液をかけて済ませてきたこちらにとっては無縁なのだが。


 「一応消毒液は持って――」


しかし、自分も歯磨きをするときに使っていた覚えがあったので入る前に消毒が必要だと、東台に言おうとすると――場違いの布が擦れる音がした。


そこには無地のシャツを纏う東台の姿――ではなく一面の白。

 胸部と臀部は純白だというのに、それに見劣りしないほどの剥かれたような白肌が目の前に飛び込んできた。


「お、お前何してるんだ?」


「えっ、何って、今から体洗おうと思って」

 

服を脱ぎ捨てているのにも関わらず彼女の肢体となんら変わらないきめ細かな純白の顔にはどこにも赤色は見られず。その表情も平然としていた。


 ならば、今の自分の顔はどのような色をしているのだろうか。決して白ではない。


想像だにしなかった彼女の姿に開いた口は塞さがらない。

 淡白な格好をしている彼女でもブラジャーはきちんとしているのだと下らない感心が唯一はっきりとした考えだというぐらいには、思考がぐちゃぐちゃにかき回されていた。


 「わ、分かった。俺は……書斎のところに行ってるから済んだら、呼べ」


 「OK。じゃあ、ついでにご飯も作るからユイちゃんと待っといて」


 彼女の呑気な声が聞こえてくるのは分かるが、布きれに隠れているはずの耳まで赤く茹で上がってしまっては聞き取れそうにない。


 咄嗟に自分の荷物を掴み上げ、目のやり場に困る彼女を視界の隅に追いやりながらドアへと向かい、月見里のぼんやりとした表情を見て多少熱を冷ましつつ部屋へと出た。



※ ※ ※



「別にやることはないんだがな……」


書斎に入り、荷物を落とすと、机に散らばったままの紙束を見やりボヤく。

手をポケットに突っ込むと入れっぱなしだった地図の感触が妙に肌に引っかかった。


見ようとする気もなかったテレビをガッツリと見てしまった自分に呆れかえってしまう。果たしてどれほどの熱さならば過ちを繰り返さなくなるのだろうか


そんな悪態を心の内に吐きかける。ならばと、東台に呼びかけられて放置していた本を取るが、ページの一つめくる気にもならなかった。


 それならばいっそのこと何も考えずにぼーっとすればいいかと思えば、先ほどの事が頭の中につらついて興奮は収まらない。


「まだこんなものを感じるのかクソ」


 目を覆い隠し代わりに見えるものは、東台の体だった。豊満で柔和そうな肢体。

 ネチャリネチャリと熱を持った生臭い欲が何度も何度も沸き起こる。


 反省なんかしない。どれほど熱いものを喉元に垂らされても、意味がない。いくらやられようが多少の罪悪感で熱を冷まして、また同じようなことを繰り返すのだ。

 

 「いつまで続くんだ」


 そうして床に落すと先ほどの本が転がっていた。意味は違うはずなのにその題名が酷く目についた――――。


 そうして、小休止。


 ドアに寄りかかっているとコンコンとドアを叩く音が背中から聞こえてきた。


「お前か」


 ドアを開くとそこには小さく肩をすぼめる月見里の姿があった。彼女は「うん」と小さく頷くと


「ここにいていい?」



 こちらを見上げながらそう言った。


彼女は居心地悪そうにしながらも目を逸らすことはなく、指をイジイジといじくりながらこちらの瞳から目を離すことなくこちらの返事を待ちわびている。


「……あいつと一緒に体を洗わないのか?」


「……別にまだ臭くないからいい」


 言いながら自分の腋のあたりの匂いを嗅ぐ月見里。


 彼女自身、ちょっとした休憩の間に自分の汗を拭いたり、消臭スプレーを振りまいたりと小奇麗にしているのではあるけれども心配はしていない。

 あるとすれば、常日頃女の子に体を洗わせていないことに対する自分への負い目ぐらいだ。


 「それに今回もあそこに寄るんでしょ?」


「ああ、そうだな」


 「なら、大丈夫。お楽しみは最後にとっておくのが一番だもん」


こちらの顔色を伺う月見里だったが、こちらがそう言うと破顔一笑して嬉しそうな声色をあげた。


 帰り際に通りかかる薪で沸かす風呂のある一軒家、あそこと言えるほど定番の場所である。

 誰の家とも分からないのであそこ呼ばわりなのだが、周りに山ぐらいしかないのでその立地も含めて安心して休息できる場所であり、唯一湯船に浸かれる場所で、帰りの時と時折行きの時にも利用している。


そこに行くというだけで常日頃大人っぽく振る舞おうとする月見里が喜色満面で飛び跳ねるという変わりように今でも少し驚いてしまう。


 そもそも娯楽の少ない生活。遊園地には水しか出ないシャワーぐらいしかないので、身だしなみに気を使う彼女にとっては白湯に身を沈めるのがストレス解消になっているのだろうと、自分勝手に納得しているところもあった。

 

「――自由にしろ。別に俺に聞かなくていい。」

 

月見里と2人きりでいることに好きも嫌いもない。今ではそれが当たり前だ。それに不自然とつければ今の心境を的確に表せる。


 彼女自身の自由意志で何でもすればいい。

 最近年齢が2桁台に入ったぐらいの少女が自分の意志で何でもするということは難しいことに違いないだろうが。


「うん」


 月見里は頷きはするものの、やはりその場に突っ立ったままでこちらから目を外そうとはしない。


 それに何か気まずくなって目をそらすと、変身という本が転がっていたが読む気にならず、とりあえず以前見つけた本を荷物から取り出した。


 「……俺はここでこれを読んでる」


 「あっ、それって前の」


そう言って彼女に見せたのが、2文字ではなく3文字のタイトルがつけられた本。


 以前拾って読み進めていた罪の文字と罰の文字がわざとらしいと言っていいほどにデカデカ書かれた分厚い本。


 ポケットに入れた地図を見た方がいいと思うけれども、結局あれはここから抜け出すための地図で中心部へと向かう地図ではない。

 それでも、ここにいても手持ち無沙汰。床を含めた周りの至るところにある本を見る能力も気概もないこちらにとっては僅かながらに食指が伸びるものでもあった。


 そんなこちらに何か言いたそうに口をもごもごさせたが、月見里は嫌そうに頷いた。それを見届けると、奥にある椅子に座ろうと近づいた。

しかし、一つしかないのでそのようにするわけにもいかず、比較的本の少ない本棚にもたれ掛かって座り込みちょうど三角座りをする格好で落ち着いた。


だが、それでも、月見里は奥の椅子を視界に入れることもせずに、躊躇もなく注意もなくこちらが手を伸ばせば当たるほどの近くに座り込んだ。


 「お前…」


「なに?」


それに抗議しようとするもキョトンとした顔をする月見里を見てやめた。自分が自由にしろと言ったのだからこういう結果になることは当然だ。


しかし、そうは思っても勢いで開いた口はそのまま閉じるわけにもいかない。

 当の月見里はこちらが本をいきなり床に落としたことを、何のこともない様に一目すると、自分のリュックサックから漫画を取り出して読んでいた。


「そうだ。今、あのぬいぐるみ持ってるか」


 こちらがそれを口にすると、真顔になっていた月見里は眉間に皺を寄せた。 

 そうして、こちらにしばらく背中を向けて、渋々と言いたげにうさぎのぬいぐるみをこちらと自分の間に小さく投げ落とした。

 

 その外見はどこにであるような平凡なものだが、こちらにとってはなじみ深い。しかし、月見里がそれを見るときの表情は不快一色だった。


 確かに、そんな平凡なものが透明なチャック付きポリ袋の中に入っていれば、感受性の高い子供ならその感情を抱くことは間違いない。


 「どうだ、俺か月見里、どちらかに当たっていないか」


 「大丈夫。距離はてきせつ。問題なしだから」

 

 そうして、こちらはそれに指を向けて、視線を逸らそうとする月見里に向けさせる。こうやって自分との距離感を分からせる。

 

 大事な習慣であることには変わらないが、月見里は大したことでもないような口調で話してさっさと事を終わらせようとしている。


 「ああ、今はそうだな。だが、さっきはどうだった?いつもより距離が近かっただろう」


 そう言葉をつづけると、月見里は視線を縫いぐるみに向けたまま頷くことも首を振ることもしなかった。

 その態度にいらつき目の前に立って月見里を睨み付けるが、彼女はなお視線をこちらに向けることなく無表情で固定化されている。


 「いいか、俺のどこかに触れれば病気がうつるかもしれないんだぞ。俺みたいになりたいか。なりたくないだろ。だから――」

 

 どうしようもない。と言葉を続けようとしたが出来なかった。彼女の足が小さく震えているのを見つけてしまった。

 そうすれば、煮えたぎる怒りは自分勝手に冷めて、目の前に立ち続ける勇気もない。


 月見里はこちらが口を閉じて何も言わなくなったことを察すると、動かなかった視線をこちらに向けて、


 「もういい?」


 と言った。冷たくも温かくも無機質ともつかない声で、それでも眉を一つ動かさずに動きの一つもしない瞳でこちらの瞳を覗きこむようにして見ていた。


 「……気を緩めるな。距離を保て、分かったな」

 

 自分で出した声なのにどこか負け犬の遠吠えのように聞こえてしまう。

 こちらは「もうしまっておけ」と言って、元の場所に座りなおした。もちろん月見里からは何の反応も無く、そそくさと縫いぐるみをしまっていつの間にか取り出していた漫画を読んでいる。


 そうやって急速に元の日常に戻れば、燃え切らなかったものが罪悪感となって胸に残った。

 だが、弁明も叱責も他の有用な言葉も口からは出てこずにこちらも彼女のように本へと意識を逃がした。


 小休止。沈黙が流れた。


 漂う重たい空気を棚上げするように、会話を交わすこともなく息遣いもお互い最小限に留められていつもよりも静かだ。


だが、パラパラと紙がめくれる音が嫌に耳に入ってくる、目に入る文章さえもことごとく滑り落ちてしまい余計に落ち着かない。

 滑った先に映る月見里も居心地悪そうに体をもじもじさせて落ち着かない様子だった。


 すると、月見里はこちらが見ていることに気づいたのか、こちらが持っている本を一目すると、


「その本、面白いの?」


そう当たり障りなさそうな声色でそう言うが、こちらの返答を聞く前に視線を漫画に戻していた。


普段なら「ああ」とか「面白い」とか簡素な相槌でことを済ませたかもしれない。


 だが、そういう気にもならず、月見里の質問に応じる。


ギスギスしてしまった空間の居心地の悪さと、バツの悪さが、彼女の世間話に乗ることで薄れると思ったからだった。


 「どうだろうな。見た事も聞いたこともない名前と地名ばかりでどうも頭の中に入ってこない」


 「ふぅーん、なんか堅そうな本だけど、いつもの本っぽくないね。外国のやつ?」


 「多分な」


 「どこの国らへん?」


 そう表紙をまじまじと見ながら月見里は尋ねてくる。それだけ興味がられると真面目に答えたいが、学の無い人間にはヨーロッパのどこかという事ぐらいしか分からない。


 「さぁな……ポーランドあたりじゃないのか」


 「道中、あの人も言ってたけど……ポーランドってどのあたりなの?」


 「さぁ、ヨーロッパのどこかだろう」

 

 東台が言っていたどこかの国の名前を言ってしまったが、自分はどこにあるのかは当然知らない。名前の響き的におそらくヨーロッパだと思いたい。

 月見里も話題作りだったのようで、「ふぅーん」と興味なさげな返事が返って来た。


 「それで、主人公の名前はなんていうの?」


 「主人公の名前?ああ……なんだったか。ラスコーだかなんだか……覚えられてない」


 「嘘。主人公の名前だよ?一回しか出てこないキャラなら分かるけど」


 月見里が信じられないと言いたげに目を見開いてそう言った。しかし、真実なので、こちらは肩をすくめるしかない。

 ルペーなんとか、アリョなんとか、聞き覚えのないカタカナネームがふんだんに盛り込まれて1ページ読むのにも一苦労な情報の多さである。


「人の名前を覚えるのは苦手だ。東台の下の名前もたまに忘れちまうしな」


 よくよく考えればこれが日本人名だったとしても、すぐに忘れてしまえる自信がある。昔から人の名前を覚えるのは苦手だ。


 そう思えば、学年があがったときに行われるたった一回の自己紹介で人の名前を覚えられる人を見たことがあったがあれがかなりの技能なのだと再確認させられる。

 こちらはどれだけ印象深い自己紹介をさせられても忘れてしまうことだろう。


 こういうところの差はある種の才能の差なのだろうと考えてみるも昔も今も腑には落ちない。

 思い返せば人に興味がない奴は名前を覚えられないと聞いたこともあったがやはり腑に落ちない。例えそうであったとしても人間必要になればある程度能力を身につけるものだ。


 そう考えれば、自己紹介のすぐあとぐらいに気のいい人に一度話しかけられたぐらいで後は挨拶以下の定型連絡しか交わさない自分にとってはなるほど身に着けても仕方がない能力だと腑に落ちてしまう。


 そんなことを考えていると、月見里がまた「ねぇ」と話しかけてきた。

 

「それじゃあ、私の下の名前も覚えてない――」


「ゆい。やまなしゆいだろ」


 月見里が不安げな表情を浮かべるが、何年も共にいる彼女の名前を忘れるほど耄碌しているわけではない。


 こちらがボケていない事に安心したのか月見里は強張った頬を緩めた。しかし、また目を開くと元の表情に戻る。


 「じゃあ……漢字は?」


「月に見ると書いて、里の結ぶ実」


月見里と書いてやまなしと呼ばせるのはなかなかに珍しい。この苗字を見たのは最初の最後で彼女だけだ。


おそらく、 そういったことも影響しているのかもしれないが、何の因果か数年共に過ごしていれば否が応でも覚えるものだ。


よくよく考えてみると、今まで生きた中で唯一名前の漢字も違わず覚えているのは月見里だけかもしれない。


「何か顔についてるか」


「ううん、別に何も」

  

気づけば彼女は黙り込んでこちらの顔を覗き込んでいた。その顔から不安げなものは無くなっているが、なんとも不思議に眉をあげていた。例えるなら、眉で笑みを浮かべようとしているかのようである。


 あまり見たこともない彼女の表情に奇妙なものを感じて尋ねてみたが、彼女は何でもないと慌てたように元の場所に座り隠れるように本へと顔を埋めてしまった。


奇異な彼女の行動にますます疑問を覚えてしまうが、彼女の声色がいつもの調子に戻ったような気がして、また下手につついて空気を悪くしても仕方ないとこちらも本へと視線を戻した。

 

 「ねぇ」


 しかし、すぐに月見里が声をあげた。だが、声色はまたいつもの調子から外れ、少しうわずっているように思えた。 


 「なんだ」


 「さっきの映画の家族ってあの後どうなったと思う? 」


 「さっきの映画」とオウム返しのように呟いた。


 月見里は先ほどの映画にまだ後ろ髪をひかれているようだった。

 何がそこまで彼女を執拗深くするのかは分からないが、あの終わり方からすればあの後流れてくるのは同じ白い名前の羅列で最後は黒い画面の締めくくりだったということは間違いない。

 

 「さぁな。幸せな人間は幸せになって、不幸な人間はそのまま不幸だ」


 しかし、自分があの後を思いつくこともなく、頭の中にあるのは終わった後のあのシーツのような白い画面。


 結局、そんなものだろうと、当たり前の夢も希望もない大人げない言葉を吐いて見せると、月見里は当然分かり切っているような諦観と呆れに混じった表情をこちらに向けた。


 おそらく、そういう顔をしてくるとは思ってはいたが、そう言う風にしか考えられないから、あまりメルヘンチックな返しが出来ない。

幸せな人間がそのまま幸せなのかは分からないが、不幸な人間がそのまま不幸へと落ちていくと話された方がまだ現実味があると思ってしまう。

 

 「それなら、あの人たちって幸せだったと思う?」


 「少なくとも、あれを作った人間はそういう家族愛、みたいなものを作ろうとはしているな」


 「だから、そうじゃなくて……どう思ってるのかなって」


 「俺が……」 


  その後の言葉は口から先にも頭の奥にも出てこなかった。あの家族は幸せだったのだろうか。


娘はゴブリンと戦い、リザードンと戦い、ドラゴンと戦い、そうやって体のあちこちにこの先消えることもない傷を作って、それで最後に薬を手に入れて父親を治してハッピーなのだろうか。


いや、違う。


 父親というだけの存在で自分の命をかけるということがもはやバカバカしい。そんな娘に馬鹿みたいな顔をして抱擁する父親がバカバカしい。


「……下らない。あんなのは薬物依存と同じだ。親だとかそういう肩書だけの理由で人を助けるものじゃない」


 いつのまにか自分の言葉は陰惨な声と共に口から出ていった。そして、間髪置かずに月見里から「え、どうして?」と戸惑いの声をあがる。


 その声はさながら抗議の声に聞こえるが、どうしてか彼女の顔を見ることが出来ず視線をドアの方に逸らした。

 

 「いや、何でもない」


 「まぁ、そういうものだ」と言葉をつづけるが、月見里からの返事は無い。


 暫くして、「分かった」と淡泊な口調でそう言うと、月見里は無表情な顔を固めて本の世界へと戻っていった。


 その姿に少し後ろ髪をひかれるような思いになるが、多分これ以上何か言っても良くなることはきっと無いだろう。


 仕方がないとこちらも本の世界へと戻ろうと――


 「お待たせぇ、ご飯の準備できたよぉ」


戻ろうとした瞬間、バンっと思いっきりドアを開いた音と共に飛び出てきた東台の明るい声がそれを許してはくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る