ビデオは走馬灯のように回る
誰かと比べたことはないが、昔から寝つきがいい。眠りの深さも多少の音なら絶対起きないと自負できるぐらいだ。
しかし、そんなこちらでも長年の経験のせいか特定の音を聞くと脊髄反射のように頭が覚醒してしまうことがあった。その特定の音の第一には当然『あれ』の叫び声が入り、第二に――
「――――!」
聴きなれない音。第三は忘れてしまった。
エコーが入ったような反響音が耳を劈き、飛び起き。手には銃を掴んで360度全てに銃口を向けた。
「あっ、八雲おはよう。スーパスターみたいな起き方だね」
東台の軽口にもう一つ、月見里のぼんやりとした顔を見てホッと胸を撫でおろす。
スーパスターが毎回こんな起き方していれば身が持たなくなるだろう。
それでも、電子音にも似た肉声は未だ鳴りやまず。
「この音は……なんだ?」
「え?ああ、ごめん。テレビの音うるさかった?」
「テレビだって?」
「うん、テレビ。もしかしてチャンネルとかリモコンって呼ぶ派だった?」
「ごめん、唯ちゃんちょっと音下げるね」と言ってリモコンをテレビに向ける東台。しかしながら、テレビに釘付けの月見里は眉を小さく歪ませて不服そうにしていた。
「いや、音はそのままでいい。大丈夫だ。――それにしても、まだ動いたんだな」
「うん、ウンともスンとも言ってる。今はくらえーこれが私のナントカフォーム!だって」
埃が薄っすらと被っているだけだが、数年手つかずの精密機器が未だ動いているのは正直驚くものだ。
しかし、よくよく考えてみるとソーラパネルが動くのだから、これがうんともすんとも言うのもおかしな話ではない。
一方、月見里はその代役と言わんばかりにこちらが近づいても反応が無かった。
「あっ、唯ちゃん。あの子すごいね」などと東台に呼びかけられて騒いでいるというのに口を半開きにするだけで何も言葉にすることなくテレビに釘付け状態だった。
「一体、何を見てるんだ?」
「アニメ映画!結構懐かしめのやつだよ。あー、これ。家族の皆で見たなぁ」
そう言う東台はまたいつもの遠い目をしてテレビを見ている。だが、それは長く続くことはなくすぐにいつもの笑みを見せてこちらに向き直し、
「これもうちょっとで終わっちゃうけど、八雲も一緒に見よ?」
と自分の隣にあるスペースをポンポンと叩いてこちらが座るのを促していた。断ろうとしたが、何故だかその言葉が見つからなかった。
「椅子を取ってくる」
しかし、一緒に座るわけにはいかない。そう言って周りを見回してみるが、あるのは複数で座る用のソファだけで一人用の椅子はおろか一人用のソファすら見つからない。
まさに複数人が同時に使うことを想定されて造られた空間で、そういう意味でもここの持ち主は恵まれた環境にいたようだ。
「いいから、ここに座って。もしかして、唯ちゃんの隣に座りたい?」
「別にそうじゃない」
そう言って月見里を一目してみる。
だが、彼女は一挙一動を見逃さないと真剣な眼差しでテレビを睨みつけていて、こちらがいることに気づく様子は今も無い。
ただ、彼女が漫画を読んでいる時には耳栓をしているかのように読みふけていることが多々あるのであまり驚きはしないが、こうも近くにいるのに気づかれないとなると複雑な気持ちになってしまう。
「悪いが、ここに座るぞ」
「どうぞ。って、そんなところじゃテレビ見にくくない? 」
「この位置がちょうどいいんだ」
「そっか」
そう言って、こちらは彼女の隣に座り込む。
確かに彼女のつっこみ通り人1人分が入るくらいの隙間が出来上がっているが、それは3密対策の感染予防だ。
苦笑いを浮かべる東台だが、こちらが視線をテレビに移すとそれ以上は何も言わず同じ方向に視線を戻していた。
そうして、視界に飛び込んでくるのは子供向けのファンタジーアニメ。
万人受けしそうな容姿と声を帯びた少年少女が暖色系のタッチで描かれた優しそうな世界に包まれながら、青春期特有の多感な熱のこもった言葉が瞑々な光と共に放たれていた。
「あのCDプレイヤーの中。変えるの面倒臭かったからそのまま差しっぱなしにしちゃった。これ八雲のじゃなかったの?」
東台がそう言って指さしたのはテレビ台の中にはめ込まれるようにしておかれるCDプレイヤー。
彼女が多少触ったのにもかかわらず、昔と変わらず同じ位置にあって、最後に見た映像をそっくりそのまま映し出しセリフも一言一句違うことがない。当たり前といえば当たり前の話だ。
「そうだが……。久し振りに見るとこうも印象が変わるかと思ってな」
「確かにそういうの結構あるよね。すごい印象に残っているシーンがあったのに今見たら全然そんなシーンなかったとか」
「そうだな」
そう共にテレビを見つつ喋る東台の言葉にバーナム効果よろしくの共感を覚える。
だが、おそらく彼女の言う事と自分の考えていることにズレがある。しかし、それをどう言葉にしたらいいのか分からないので返事代わりに肩をすくめた。
こういうパターンに陥るとにいつも会話というものはつくづく経験値を貯めていくものだと思わされる。
互いのことをどれだけ知っているか、どれぐらいの仲か、そういった事を鑑みながら相手と言葉を交わらせていき徐々に距離感を調整していき互いが話を理解できるところまで持っていってようやく意思疎通が可能となる。
昔から人と喋ることよりも独り言を言っている回数で9対1の比率が作れてしまう自分には土台無理な話だ。1も定型連絡程度のものである。
きっと、それこそが自分を独りっきりにさせる理由で、月見里と2人きりで佇んでいるときに何を話せばいいのか分からない理由で、今、3人でテレビを見ていることに決して不快ではない違和感を覚えてしまう理由ということなのだろう――
「少し用事をしてくる。月見里を見ててくれ」
「分かった。終わるまで止めとこうか」
有言実行。そう言って、立ち上がった。
それを見るや否や東台はリモコンをテレビに向け止めようとするが、表情さえ忘れて見入る月見里がどんな顔に崩れるか観察はしたくないので急いでそれを手で制し、
「いや、気にしなくていい。結構時間がかかりそうだから必要ない」
「ふーん、そっか、分かった。いってらっしゃい」
いつもと同じ声色でそう声をかけてくる。
別に怖くないもない返事から逃げるように彼女たちの団欒から遠ざかった。東台は察したかのようにそれ以上何か聞くような素振りはなく、こちらが部屋から出るときには彼女の後頭部があった。
「ああ、クソ」
ドアから出た後も、この胸に残るものはまだ余熱があって先ほどの映像を頭の中で繰り返してくる。
東台と月見里の幸せそうな顔。呼吸を忘れそうになった。
それが驚きなのか別の何かなのか自分の胸の中に答えはない。だが、その場には居てはいけないという警鐘だけははっきりと聞こえていた。
「何故俺が……毒虫の癖に。クソ」
ほんわかとした温もりに包まれた自分の胸は罪悪感で酷く締め付けあげれられる。まるで首を絞められているような。
自分の頭に張り付いている布切れを力一杯に引っ張り回してグシャグシャにして言いようもない怒りをぶつけた。
しかし、声に出そうとした冷罵の言葉は沸き立つ怒りが引いていくのを感じると途端に意味のなさを覚えて口を噤み、代わりにため息へと変わった。
「これからどうするか……」
そう独り言をつぶやいていつの間にか項垂れさせていた頭を起こし周囲を見回した。
閉じ切ったはずの背後のドアから東台の天真爛漫な声が漏れている。
高級マンションでも防音性能は普通のマンションとさほど変わらないらしい。
一瞬、戻ってしまおうかと思ったが、勝手に不機嫌になって部屋を出た挙句踵を返したかのようにすぐ戻るというのも気が引けてドアノブを掴もうとした手はすぐに引っ込んだ。
「まだやってなかったし、用事でもするか」
ただ、暇を潰すというわけではないが、他に何かすることがないわけでもない。
独り言をまた呟いてぐちゃぐちゃになった頭を整えて、ひと際古ぼったいレッドオークのドアを視界にとらえて溜め息をつけばそれへと歩み寄る。
ドアノブを掴んだ時の懐かしい感触に複雑な思いを抱きつつドアを開くと、視界に入ってくるのは眩い光。そして、パネルのように光を反射する本棚の数々。
建築関係、デザイン関係、法律関係、数字関係、会計関係……etc。
分厚いページ数と硬い表現の文字で刷られた専門書が 図書室のように落ち着いた色の木製の枠の中に理路整然と並ばれている。
どの本のタイトルを見てもまるで意味が分からない。唯一読めるものといえば、隙間を埋めるように挟まっている「犬の飼い方」ぐらいだろう。
そんな数々の本に。この持ち主の途方もない努力の跡に分からせられる。お前はここにいるような人間ではないと。
しかし、皮肉にもその場違い感こそ馴染み深い感情で、ありありと昔の光景を思い起こす着火点だった。思い起こす必要もなくこの空間は昔のままだと。
大量に鎮座している本は床に一つも落ちることもなく、バラバラに並べられることなく、昔の雰囲気さえそこに閉じ込めて並んでいる。
ここに入ってから一度たりとも本棚に触ったことはないから当たり前だが、自分以外は誰一人も入ってこなかったという事実が一層自分を空虚な気分にさせていた。
「何を期待しているんだ」
と自分の感情を吐露しているも、ただただ光だけが自分の眼に入って鬱陶しいだけだった。
そうして、光が入ってくる窓に視界を向けた。否、その下にある机へと視線を向けた。本棚の様子とは裏腹に大量の紙類が雑多に埋めて、ジャンルもクソもなく多少広い机へと閉じ込められる。
強いてジャンルを決めるなら広がったものとシワシワになったものとボール状になったものだろうか、そのどれをとってもこの書斎の持ち主のものではないものだと分からせてくれるが、そんなゴミのようなものが当たり前のように床へと散乱していないのは文鎮のように乗っかっている本のおかげである。
新聞紙のようなデザインと共に、推定フランス人のカフカ著、『変身』。
それを拾い上げてみれば、その重みが押しかかる。
きっとこれを書いた人も相当な努力をしたのだろうと――考えることは無く、ただただそれを見て布切れを通り越して自分の顔を触った。この本よりも自分の肌はザラザラしている。
別に中身を見るでもなく、無地の裏表紙を見て、もう一度表紙を見れば、それを本棚の僅かな隙間に返すもはじき出されるように床に落ちたので机の上へと戻した。
「毒虫……」
入り込んでくる感情は分からないが、言葉に出たのはその二言。
「流石に日焼けはしているか。そこだけは変わってほしくなかったがな」
長年陽に当たり続けた紙は物の見事に尿のような黄色が染み込んでいる。書店を物色している時によく見る現象だがそれを見ると安堵感を覚えてしまうのはいつもの日常に戻ったような気がするだろうか。
その一つを拾い上げ中身を見れば、新聞の切れ端であった。
病院で死亡判定を受けていたはずの患者が突然起き上がり周りの人間に強く噛み付いた。
街中で突然倒れた人間が救命のために近づいた人を襲った。
とか非常に表現の柔らかい文言で当時の状況が小さな写真と小さな見出しで書かれていた。その日付もその片隅に載せられていた。
「5カ月前」
『あれ』が溢れかえるちょうど5ヶ月前。 新聞の上部に書かれている日時を見てそう言葉をこぼしアルバムを見ている時のような懐かしさを感じ複雑な気持ちを抱える。
「……これで終わりか。なんでこんなものを集めたんだろうな」
そんな昔の自分の七不思議を感じながら、そうして拾い上げたのが最後の新聞。
横転して火の出た車と大勢の人々を映した写真とともに各地のデモ参加者が暴徒化。という大きな見出しが載せられ完結する。
しかし、自分たちはその後にいるのだから不思議な気分だ。
そうであるならば、今は終わりの始まりでその続きということだろうか。
言葉は作られたが決してそれに適するような事象がなかった事が現在進行形で起きてしまっている。
しかし、そんな劇的な変化が起きても自分自身に変化が起きるわけでもなく、むしろ実感がないまま非日常はただの日常に変わっていく――人間というものはどうしようもないほどに昔を捨てられるものだ。
「こんなもの見ていも仕方ない」
そんな事を考えながら眺めていると、昔大掃除していた時に漫画を見つけた時もこんな感じだったことを思い出した。
そういえば、あの時は掃除そっちのけで読み漁って終わった時には夕日がやけに眩しかった。
それと状況も違うと言うのに、窓を貫いてくる光も酷く眩しいものである。
虚無感と妙に腹立たしい気持ちがこみあがった。
手にとっていたそれを丸めて床へと転がして戻の状態に戻すと、代わりに目的のものを掴み上げた。
この辺りのことが記されている地図。
今と同じような赤文字が書き殴られている。
数年前の遺棄物。今でも意味があるものかは、塩漬け状態から引っ張り出されたあの手帳と同じく微妙なところだ。
ただ自信を持って言えることはと今も昔も同じような汚い文字で書かれていることで内容含めて成長したところが見られないぐらいだろう。
ため息をついた。今日で何回目か分からないほどに吐いているような気がする。
吐くたびに重苦しい感情が下に沈むこんでいるような気がして余計気分が滅入るばかりだ。
そうして、全部吐ききってしまうと手持ち無沙汰感が残った。
もうやることは無い。そうすれば、無意識に先ほどの本を手に掴んでいた。
そういえば、これに最初に手を伸ばした時はどんな感じだったろう。頭の中で探ってみると熱くチカチカした程度の事しか覚えていない。
だが、その時の顔じゅうを帯びた激痛だけは表紙を触るだけでも思い出せる。冷たいのか熱いのか分からないのに、痛みだけは自分の脳髄を焼ききっていく。
顔に巻いた布切れを一つ取ってしまえばその時の痕が残っていると言うのに、あの痛みが今は嘘のように無い。それが途轍もなく馬鹿げていることのように思える。
「俺もリンゴをぶつけられなきゃ死ねないか」
そう軽口を叩いてみる。毒虫は艶やかなリンゴを捉えることなく死んでいくのみ。でも、そのページの先はまだあったのであそこで主人公は死ななかったのだろう。
だけれど、そこから先のページを見る気にはならなかった。それは今も昔も同じことだった。
そうして、自分は何も思いつかず窓を塞ぐように本を置けば、そのまま机へと突っ伏した。
「やーくも!ありぁ、どこいっちゃったんだろ?」
しかし、すぐに外から東台がこちらを呼ぶ声が聞こえてきた。
こちらの沈み込む気分とは水と油の活気がある声が妙に耳の中に入ってきて、無視をする暇を与えることなく頭を引き上げられ「なんだ」とドアに向かって声を出していた。
「あー、いたいた。八雲」
返事を聞きつけた東台はノックもなく部屋に入り、こちらに曇りが一つも見つからない笑顔でこちらを見せつけている。
かと思えば、立ち並ぶ本棚に驚いた顔を見せて「図書館みたいだね」とこちらと似たような例えをして本の一つをつかみ上げるがそれが難しいものだと分かればすぐに元のところへと戻し何事もなかったかのように先ほどと同じような顔でこちらに向きやった。
「これ八雲の本?ごめんね、聞く前に勝手に触っちゃった」
と後頭部に手を置いて苦笑いを浮かべて締めくくる東台。なんと子供のようにせわしなく動き回った彼女に笑みの一つでもこぼしたいが、今はそういう気分になれそうもない。
「俺のじゃない。それで、どうした。何かあったのか?月見里はどうした?」
「ユイちゃんなら今次何観るかCDと睨めっこしてるよ」
「そうか……そんなに悩むなら巻き戻して同じやつを見ればいいだろ」
「巻き戻す?巻き戻すって何?」
「巻き戻しを知ら――ああ、そうか。そうだよな……時間を戻して最初から見るみたいなことだ」
「時間を戻す……ああ、早戻しの事ね!」
もはや死んだ言葉でジェネレーションギャップを披露すればシリアスな気分にいるのもなんだか馬鹿らしい。
「それで何か要件があるのか?」
「うん、さっきのやつ終わったから。次のやつ一緒に観ようと思って」
「なんだって?」
トイレはどこにあるのか食料はどこにあるのかと聞かれるのかと考えていただけに呆気に取られ返す声のトーンもあがってしまった。
「だ、か、ら、一緒に見よ。さっきは途中からだったからつまんなかったかもしれないけど、今度のやつは最初から見れるからきっと楽しいよ。それにことわざでもあるでしょ。三人いれば楽しいって」
先ほどの光景が目に浮かぶ。それでいてなおほんの少しだけ心嬉しい気持ちになるのはどうしようもない俺の性分だ。
それは出来ない。嫌悪も、そして、微塵でもその逆を感じるわけにはいかない。
先ほど気まずい空気にしながら部屋から出て行ったというのにどういう顔をすればいいのかさえ分からない。
「いや、俺は……」
ならば、答えは決まっている。それでも、その言葉が喉に引っかかって出てこない。
少しの間の沈黙。
なお、彼女の顔に笑みは張り付いたままで、それが自分の心に訴えかけられているような気がした。
「分かった――。頼む。ちょっと待っててくれ」
「オッケー。ユイちゃんと待ってるからね」
こちらがYESと返事すると彼女は満足げな顔をして親指を立て部屋へと戻っていった。
そうもしないうちに外からは「ゆいちゃん、八雲来るって」と明るい声が聞こえてくる――。
「ああ、クソ。なんなんだよ」
こちらから聞こえるのは空しく鳴る机の振動音と机に顔を伏せる男から呟かれる虚しい悪態だった。
東台のあの表情。あれを見せられる度に何故だか拒む気持ちが出てこない。
焦燥感も困惑も鎮まり途方にくれれば、ジクジクと痛むものが自分の胸の中に泳いでいる気がした。
「……行くか」
癇癪を起こしても返ってくるのは無だ。そもそもこれは何の癇癪なのだろう。
先ほどまで震えていたはずの空気さえ何事もなかったかのように自分の耳を通り過ぎていく。
「なんで俺はいつも――」
しかし、それでいてなお場違いな安堵感と足取りの軽さを持つ自分がいて、もはやどうしようもなく情けない。
こちらは机に転がしたままだった地図を掴みポケットの中へと入れ込んで部屋を出た。
※ ※ ※
「八雲、おかえり。ささっ、こっちこっち」
「次何見るか分かれちゃって大変だったから、八雲に選んだやつ見よってことにしたの」
「全部取り出してきたのか?」
そうして客人のように手招きされ見せられたものは、山盛りのCDケース。
先ほどのテレビに映っていたようなタッチの絵があしらわれそれ相応の箱に入っているものはあるが、透明なパッケージの中に無地のCDと粗末なものも混じっていて統一感が無い分一層雑然としている。
「うん!公正をきすためにね」
東台は人差し指をたて音読するようにそう言って胸を張るものの、すぐに「それに一杯あると楽しいし」といたずらっぽく笑っていつもの感じに戻る。
さっ、選んでと彼女は言うものの、先ほどの事と適当にテレビに視線を合わせて事済まそうとしている自分にそんな余裕はなかった。
それに散らばっているものの殆どを既に見ているだけにそう言った面でも興味をそそられることは皆無。
「どれでも」
「どれでもいいはダメ」
どれでもいい。雑然とした表現だが使い勝手のいい言葉は言い切る前に一蹴された。
そう即答した東台は少しだけ眉を下げてそれっぽく怒っているように見えるだけだが、はっきりとした物言いに何故か選択しないといけないような気がしてしまう。
「わかった。じゃあ、それでいい」
しかしながら、それが何かを選択するヒントになるわけではなく――東台から視線を逸らし、それとなしに月見里の方を見るとちょうど彼女の目の前に子供向けの綺麗なイラストが施されたCDパッケージがあるので願ったり叶ったりだとそれに指差した。
「OK。これユイちゃんが選んだやつだね」
東台が「ゆいちゃん。よかったね」二カっと歯を見せ月見里に笑いかけるが、彼女はそっぽを向くという塩対応を振りかける。
だが、月見里はそれほど間を置かずパッケージを掴み取ると立ち上がり、そそくさとテレビの下にあるCDプレイヤーに近づいて多少まごつきながら交換していて、子供らしいオンオフ切り替わりの早い行動である。
「これのやつ、お願い……」
「はいはい、ゆい隊長どの」
月見里が取り出したCDを掲げるようにして渡すと、東台はピースサインを額に当てて敬礼みたいな仕草をするとそそくさとパッケージへとしまう。
しかし、2人とも裏面にベットリと指紋のつくような持ち方を見るにあまりCDを触ったことがないのだろう。
おそらく、ストリーミング配信で見ていたのだろうとジェネレーションギャップを一人感じてしまう。
「よし、じゃあ見よっか。あっ、ユイちゃん特等席だね」
しかし、そのぎこちなさとは裏腹に、月見里は滑らかな動きでこちらの隣へと座った。
その様子を見た東台にまたからかわれながらも、今度の月見里は何ともないという表情でこちらを一瞥するとそのまま無言でテレビの方へと視線を向き直した。
そうなれば、東台もリモコンを手にとり再生ボタンを押すと「よっこいしょ」という効果音付きでソファへと飛び込んだ後は早速テレビ画面に興味を移している。
耳にタコが出来るほど聞いたファンファーレが流れる。それが終わって織りなされるは子ども向けの冒険アニメだった。
そういえば、こんなものが好きだった。ここに転がり込んでからも縋るようにして近場のビデオレンタルショップから盗み集め、貪るように眺めていた記憶はある。
だが、今はあまり興味が湧かない。
今、こうして昔と同じ映像も見ても、その時あったはずの熱い何かがそっくりそのまま取り除かれたように虚無感が胸の中にあった。
ある意味それはあの気分を感じることのない喜ぶべき状態なのだが、辛く苦い酒をおいしく飲めて甘いチョコレートを食えなくなったとかいう大人の性質だけは出来上がったのかと思うと滑稽な気分になる。
そんな沈んだ気持ちを無視するかのように映像は色あせることなく流れ続ける。
映し出されるは黄金色の小麦畑の中に佇む口髭を蓄えた人の良さそうな中年男性。ちょうど仕事を頼んできた老紳士が10か20ぐらい若返ればこれぐらいになるだろうか。
そして、フレーム外から駆けてきて、男性に飛びつく小さな少女。ちょうど月見里ぐらいの年齢だろう。
中年男性は少女の名前を呼び、大事そうに自分の足にしがみつく彼女を大事そうに抱きしめていた。
言うまでもなく、二人は親子なのだろう。「家族」向けの映画なのだから家族が中心の物語でも不思議でもない。
だが、母親らしき人物が一向に登場しないところを鑑みるに父子家庭らしく、そのことで不穏な雰囲気はなく仲睦まじいそうにしているのはなかなか見ないシチュエーションだ。
起承転結。だが、そこだけで話は終わらない。
おしどり夫婦の親子版と言える親子だが、ある日父親の方が不治の病で倒れてしまい医者も匙を投げ、泣き暮れた娘はどんな病でも癒せるという薬草を探す旅に出る――。要するに王道というやつだ。
「なんだ、この展開」
だが、珍しくもない展開だと言うのに妙な胸騒ぎを覚え、それを無視するかのように流れ続ける映像に微かながらも思わず声を漏らした。
それは文句ではなく困惑で。それに気づくと見慣れているはずの映像は見慣れない映像へと変わった。
見たことあっただろうか、こんな話。そもそも、こんなものを持ってきただろうか。
ここにある全ての作品を何十何百も腐っていくほど見ていたはずなのに何故だか思い出せず、どうでもいいとも思えず腑に落ちない。
それでも、増すばかりの胸騒ぎを抑えたいと席を立とうとするが、その時「あっ」と月見里は声を漏らした。
反射的に月見里へ目を向けるが、彼女の表情に焦りの色も不安の色もなく声を漏らした痕跡すらない。
むしろ、その表情は先ほどよりも、いつにもまして真剣な表情でまるで目を逸らしたら死んでしまうと言わんばかりにテレビを見ている。
そんな鬼気迫るものを見させられると、ここで動いて彼女の気を逸らすのは気がひける。
騒いでいたはずの東台も鳴りを潜めておる分、雰囲気的にも身じろぎひとつも許されそうにない。
「仕方ない。適当に見ているか」
小さく声を漏らすがうるさいという文句の言葉も無い。先ほどの女の子が詠唱とともに閃光を放つ音がただ流れてくるのみである。
そうして、手持ち無沙汰になったこちらは目の焦点をテレビに当てた。時間でいうと2時間ぐらいだろうか。
その間に少女は様々な人と出会ったり別れを繰り返し、苦難と喜びを取っ替え引っ替えして最終的には大団円。ついに薬草を見つけ、少女は冒頭で見た小麦畑で完治した父親と抱擁を交わして幕を閉じた。
「いやぁ、よかったね」
「……そうだな」
荘厳な音楽流れるエンドロール。
それを止めるように感嘆の声をあげたのは東台だった。鑑賞中は声を出していなかったためか、いつもよりその声が大きく聞こえる。
「ユイちゃんはどうだった?」
「…………」
しかし、それに応じる月見里の声はない。
視線はテレビに向いたままで、ながれ続ける文字の羅列に釘付け状態であった。
月見里がこれまでテレビを見たことがあるのか定かではないが、ただただ見知らぬ人の名前が見知らぬ肩書きと共に流れていくだけなのに何をそんなに真剣に見れるのだろうか。
「もしかして、ユイちゃん。エンドロールの後のおまけ映像を待ってるの?」
何を言われてもダンマリを決め込むかのように思われたが、今度は小さく頷いた。
「そっかぁ、私も結構あれ好きなんだよね。ほら、大抵の人はエンドロールが流れたら帰るじゃん?そその人たちの分特にしているような気がして」
月見里はその言葉にふぅーんと左から右へと受け流す。
ただテレビの映像に全神経を向けているようで、彼女に取っては未知との遭遇というぐらいの衝撃だったのだろう。
「八雲はどう?」
「あまり見ようとは思わないな。その記憶もない。見たとしても大抵は続編匂わせものだろう」
「あーね。確かに、おまけ映像なくてエンドロール終わって、明かりがついちゃった時とか何か悔しいと思っちゃうんだよね。なんか一気に現実へ戻っちゃうような気がするから。ほら、帰り際にもう一回ポップコーン買って余韻に浸りたいことってあるじゃん?」
「それは……ないな」
「え!?これ続きないの?」
先ほどまでうんともすんとも言わなかった月見里が東台の言葉にえっ?と驚愕の声をあげ不安げな表情を浮かべて東台とこちらの顔に向きやった。
それだけ必死に聞かれても見たことが無いので分からない。東台も「さぁ、どうかなぁ」と意味ありげに言葉を返すが当然彼女も分かってないので月見里は舌打ち代わりの無視で応じる。
だが、どれだけ長くても物語は当然のように終わりがある。どちらにしろ、最後まで見れば答えは分かるものだ――。
「あれ?切れちゃった」
しかし、それを見る前にテレビは無情にも黒い画面にプツリと変わった。
東台がリモコンを手にとってつけようとするが何の反応なく、後ろのバッテリーを確認してみるとテレビと同じ黒い画面が映し出されていた。
「悪いが電池切れだな」
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