真下の大移動 前半

 

 「――――!」


 無機質な電子音ではなく、生々しい肉声が瞼をこじ開けた。


 途端、飛び起きて、飛びつくように柵へと走った。


 しかし、寝起きでいきなり動いたためか体の動きがおぼつかず、すぐさま体は地面に落ちて、高ぶる焦燥感は情けない気分に沈んだ。


 傍から一部始終を見れば、きっと犬笛を鳴らされたときの犬のよう見えるだろう。


 冷えていく頭の中、自分を嘲笑しているとふとパブロフの犬という言葉がよぎった。

 犬に餌をあげる度にベルを鳴らし続けると、いつの間にかベルを鳴らしただけで涎を垂らすという話である。ならば、音一つで飛び起き転ぶまでの一連の動きはそれの賜物なのだろう。


 「来たか……」


 今もなお真下で鳴らされる「ベル」。パブロフの犬と唯一違う事とすればはベルの元にあるのがご褒美のようなものではなく災難。


 生物の声にしては温かみがなく、無機物な音としては生々しい不規則な不協和音。先日車の下で聞いたそれとは比較にならないほどの大きな圧。


 一声、屋上へと上がってくる度、鼓膜を通り抜けて心臓を撫でまわされているような気がして身が逆立つ。


 一度深呼吸して心臓の鼓動を整える。肢体全てを床へと張り付けミノムシのように体を這わせて『あれ』の大移動が見えやすいところへと移動した。


 手元に双眼鏡を忍ばせ、手すりの下から慎重に下を覗きこんだ。


 錆びた車の列に混じって、土色の巨大な物体。そんなものに擬態するかのように大量の『あれ』が蠢いている。

 身を大の字に張り付けても端まで届くことのない床を擁する4階建ての雑居ビルを倒してもきっとこの道の端には届かない。


 そんな長大広大に続く道路を埋め尽くし列は続いていく。その始点と終点は一体どこにあるというのだろう。


 以前どこかの神話の本で見た大きな蛇のようにさえ見える。決して隣同士ぶつかることなく同じ方向――中心部へと這っていく。

 

 天気は快晴。霜の冷たさが残る朝。


 そんな状況の中では、『あれ』が出勤するサラリーマンのように見えてくれたかもしれないが、彼らの疲れ切った顔から到底出ることはない呻き喘ぐ声がそうさせてはくれなかった。


 目が腐るほどこの光景を目の当たりにしてきたこちらでさえも体中が強張ってしまう。それほどの警鐘を鳴らすのは経験のものか本能的なものかどこからか分かりそうにない。


 結局、逃げてもいつかはゴールにたどり着く。高速道路を使って半ば威力偵察のようなことをしていたのはこれを避けるためだったのだが、それが今になって目の前に現れて過敏なほどの恐怖心を呼び起こすことになるとはなんとも笑えないオチだ。


 平静を取り戻すために『あれ』から視界を切り、月見里達のいる中央へと這って移動してから荷物からメモ帳を取り出し腕時計を確認した。


 「第一波か……ああ」


 酷いものだ。本来鳴ったはずのアラームは後30分後に鳴ってくれるらしい。メモと照らし合わせれば確かにその時刻になっていた。どうやらこいつの消費期限はとっくに切れたようである。


 まったく、5年という歳月はここまで感覚を鈍らせ、感情を鋭くさせるものだろうか。


 きっと、この後のタイミングも外れることだろう。アラームを解除して眠る彼女たちに視界を変えて心の平穏を取り戻す。

 微かとは言えどこれほどまでに延々と呻き声が聞こえてくる中、寝続けられるとはそれほどまでに疲労感が溜まっている証拠なのだろう。


 経験者の月見里は寝顔や寝方がいつもと変わらず穏やかなもので慣れ切ったものだが、推定初心者の東台は大きく口を開けて涎を垂らしてこれでいびきをかかないのが不思議なくらい豪快な眠り方をしていて彼女のそれよりも遥かに余裕を感じさせてくれるものだ。


 それほどまでに呑気な東台。だが、呆れというものを感じさせることはなかった。


 むしろ、湖岸でキャンプをしているなか、どこからか流れてくるギターの音を聞いているような穏やかな感情を覚えてしまう。

 当然そんなものは実際聞こえてくるわけはなく、耳の中では断続的に月見里達の寝息と『あれ』の呻き声が延々と交互に響き渡っている。


 『あれ』の声色自体はまだ穏やかなものはあった。それは自身の姿を見らていない証拠で、死体を見られていない証でもある。それだけは、どうにか不幸中の幸いだと言えるだろう。


 だが、あの声が1オクターブあがれば、もうおしまい。退路はある程度確保できているが、あの数ではもはや意味が薄い。手足をもいで食わせても到底逃げられるものだろうか――。


 そんな情景がフラッシュバックのように脳裏に思い起こされて、胸がキリキリと痛む。

 呻く声が鼓膜を撫でつけるたびに悪寒が走り、何もないと言うのに目を塞いでしまう。自分ではどうにも押さえつけられない、いわば衝動的なものに苛まれる。


 今この姿を月見里に見られたらどう思われるだろうか。情けない限りだ。なんだか、見られているような気がして目を逸らした。その先は高層ビルが山脈のように聳え立つ中心部があった。 

 

 そういえば、中心部に行ったことがあっただろうか?いや、一度もない。昔あの辺りに映画館やアミューズメント施設などの娯楽施設があったが、友人のいない俺には無縁の場所だったのだ。


 5年前の手記を見るに『あれ』の徘徊経路や行動は多少変わってしまっていることが窺える。


 正確な情報はあればあるだけいい。だが、荷物に入っている地図や資料にに中心地の情報などは何一つない。このあたり資料を見つかりはしたもののリュックサックの奥の奥に数年塩漬け状態になったそれは赤茶けに焼けて文字もぼやけ見る影も無い。


 遊園地のあの老紳士や門番や東台には何度も『あれ』と上手く渡り歩いている手練れの冒険者のように思われているかもしれないが、そんなのは全くの見当違い。 確かな知識もなく、確かな経験も心もとない。そんな自分は一体どうすればいいのだろうか。


 「クソ。あそこには戻りたくはなかったが……」


 頭を抱えて一人、溜息を吐いた。


 それには自分の物を管理能力がないことに後の祭りと嘆く気持ちも含まれているだが、主たるものは自分が細い綱を渡っているようなギリギリの状態であることの言い知れぬ焦燥感がこの重く怠い息を占めていることだろう。


 それほどまでに重苦しいものを吐いても、相変わらず安らかな寝息と呻き声が返ってくる。


 溜め息をついて何か問題が解決したことはあったか。それは無い。溜め息というのはただ鬱屈した感情を息で表現するためだけのものだ。


 しかしながら、次のステージへと行くための目途はついている。


 昔、取った杵柄。昔籠っていた建物の一室に『あれ』の徘徊経路を集めた情報をため込んでいた。

 中心部の情報は当然ないだろうがこれから通るだろう地域の情報は書きこんでいたはずで、建物の位置はそのルートに多少近い。


 もしそれがなくとも、脱出の際に持ち切れなかった保存食糧やらがまだたくさんあったはずで一時拠点として使うことは出来るだろう。いい考えではあるのだが


 「クソ、死ね」


 吐きだせる溜め息はもうない。発破をかけるように自分の頬をぴしゃりと叩いた。そして、再び柵へと戻り見下ろした。


 『あれ』の行進は一波から三波まで数時間続く、それまでここで缶詰状態になるしかない。仮眠するには打って付けの時間だ。下手に動いても仕方がない。特に東台を含めれば死は確実だろう。

 とりあえず、今は『あれ』の一挙手一投足を観察するしかない。

 

 運のいいことに『あれ』の一匹も上を見上げることなく、白濁として死に切ったその目を漫然と自分の正面へと向けていた。

 徐々に徐々に数は増えていく。散らばっていたものが収斂していく。

 

 広大に広がっていたのっぺりとしたコンクリートの色と錆の色を未だ煩雑とした土色が覆う、まるで干上がったところから再び水が噴き出て川が流れだしているように。


 それならば、きっと遮るように置かれている数多の車はさながら水面に突き出た岩というものだろうか、その岩たちは全て中心部の反対側へと続く道の方へと向いているが、『あれ』はそれを遡るように中心部へと歩き続ける。

 

 断続することなくそれはあったが、時計のアラームが鳴った何分か後にそれは途切れて嘘のように呻き声は遠のいて、もはや何もなかったかのように地面は元の色を取り戻していった。


 しかし、こちらが視界を外して小さく息を吐いて気を落ち着かせた数分程度の時間が過ぎると第二波を知らせるアラームが鳴って、道が再び茶色で埋め尽くされる。


 そうしたことを繰り返して、視線も行き先も変わらず中心地へと向けて、続いていった。

 こちら側にとっては変わらずそのように振る舞ってくれれば都合がいいのだが、何度見てもその姿は不気味だ。


 そして、第2波も第3波も終わりを告げる――。


 道には隅っこにひっそりとある草がくっきりと見えるぐらいにぽっかりとモーセの海割りのように道が拓かれた。


 時々、手すりを通り抜ける風の音がはっきりと聞こえるぐらいに静寂に包まれる。


 「とにかくは……問題なかったか」


 とりあえずのところ、第3波で終わった。


 だが、アラームがズレてしまったことは気がかりだ。

 自分の感覚が鈍ったと片づけるには、第2波と第3波が来る間隔が5年前よりも数十分離れていた。


 記憶の中で探ってみても一度も『あれ』がその規則から外れたことが無い。

 例え、1匹、2匹がいなくなってもズレはなく、こちらの腕時計よりも遥かに優秀である。


 それではズレるほどまでに大量の『あれ』がどこかで勝手に死んでくれたということだろうか。

 だが、5年間人を喰っていないはずにも拘わらずやせ細った姿にどれもなっていない。

 それに先日の襲われた時に見たあの荒れ狂うほどに駆け回る姿は餓死しようとする生物の姿なのだろうか、というよりあれは生物なのだろうか。寿命というのがあるかどうかさえ定かではない。


 ならば、何らかの事故で死んだのだろうか。

 それならば合点いく、橋にまだ白骨化していない『あれ』の肉片が転がっていた。それに崩落した高速道路のちょうど下には住宅街があったからそれで巻き込まれたのかもしれない。


 確かにそういう『あれ』はよく見る。もしそうだとするなら、なんと願ったり叶ったりなことだ――。


 「いや……」

 

 そんな事はない。


 道が何かの理由で塞がってしまえば『あれ』の行動パターンも変わる。今回の高速道路の崩落ならばそれほど多くの『あれ』が行動を変えてしまっても不思議はない。


 では、その『あれ』がどこに徘徊しているのか。しかし、それさえも分からない。

 道中でもそれらしいものは見なかった。予想外の行動をすることもなかった。

 それならば、きっと――。


 「いいや、違う。クソ、何故いつも俺はこうなんだ」

 

 死んでいるはず。死は必ずどんなモノにも来る。当たり前だが、『あれ』がいることがもはや当たり前になってしまえばそんな定めのようなものにはまり込んでいるようには見えない。

 

 これほどまでに長い思案に暮れながら、とどのつまりそんな自分の都合の良い答えに持っていこうとする。なんとも悪い癖だ。

 ただ今回はどちらにも確証がない。どちらかが正しいのかもしれないし、もしくは両方間違いなのかもしれない。


 「……とにかく、細心の。注意を払うしかないか」


 細心とは口に出したものの、どのようなことをすれば細心の注意の払うことになるのか、分からない。


 言うは安しだと自分自身を小ばかにして、柵にもたれかかって今度はぼんやりと下を眺めていた。

 先ほどまではうめき声が鳴り響いていたのに、今は穏やかな風が頬を撫でるだけでひどく空虚な気分に陥る。 


 そんな自分に見えるのは自分たちが来た道で「避難所」がある山脈。実際は今見えている山のもっと奥の方にあるのだが、きっとそう近くないぐらいには他の山と変わらなくなってしまうのだろうか――

 

 「おはよう」


 もはや性分というべきか、職業病というべきか、いきなり隣から声がすると体がびくりと過剰な反応を取ってしまう。


 しかし、そちらを振り向くと同じように柵にもたれかかる月見里がいた。もっとも彼女の場合は身長が足らず、柵を手につかんでもたれかかっているというさながら囚人のよう恰好であったが。


 「まだ時間はあるぞ」


 「もう大丈夫」


 とは言ってはいるもののその声にはいつものような張りはなく、彼女は眠そうに目を擦っていた。

 彼女にそう投げかけたのは優しくしようとかそういった意味はなく、後一時間は身動きが取りたくないからだ。


 理由はいろいろあるが、予測程度で根拠の確かめようはない。

 今から動いても多少リスグ高まるかどうかだが、時間を優先するよりも睡眠不足で行動される方が危険極まりない。


 月見里は「ぶーぶー」と文句を言ってはくるが忍耐強い方だ。だが、まだ遊びたがりの小学生程度の子供に過ぎないのだ。

 体力も大人より格段に劣る、歩幅も小さいから同じ距離でも大人の倍ほどの距離を歩くことになる。


 「寝れる時は寝ておけ。前も言わなかったか」


 「うん。でも、もう寝たくない」


 そうこちらは投げかけるが、月見里は下を眺めたままそう呟いてこちらを見ることはなかった。

 

 「まぁ、いい。後一時間はここで待機だ」


 「分かった」


 と返事はするものの彼女はその場を動くことは無かった。

 ただいつの間にか柵におでこをくっ付けてもたれかかり真下を見始めたところは変わった点と言っていいだろうか。

 

 「もうどっか行っちゃったんだね」


 「ああ」


 月見里はそうポツリと呟き、大きな欠伸。


 あの声が気になって眠りが浅くなっていたのだろうか。それが聞こえようが聞こえまいが構わず寝袋を取っ散らかして眠り続けている東台を見てしまうとそういう感覚は鈍ってしまうがどうなのだろうか。


 こちらは『あれ』に食われることを想像すると先ほどのように酷く緊張感は覚えるが、あの中身に人間はいないと理解してからは『あれ』を殺すこと自体にもはや何も感じることはない。


 慣れと言うのは嫌いだ。何もかも引き起こされる記憶もその時の感情も鈍く淡くさせる。

 これが言うところの住めば都。もしくは、ブスは三日で慣れるという類の慣れというものだろうが、彼女は一体どうなのだろうか。


 ある一つのことを除いては怖がって泣きだすような事を見たことがなく、どこか大人びた――子供離れた表情をすることもあった。



 だが、それでも、未だぬいぐるみを抱えて眠っているような幼女だ。そんな事を、意識しなければ忘れてしまう。

 

 「見つからなければ……食われることはない」


 「別にそんなことは心配してないもん」


 至極当然のことを言っているかのように、ぶっきらぼうに返事する月見里。


 そこまで想定外の返しではなかったが、その言葉とは雰囲気の違った彼女に少しだけ違和感があった。不機嫌であることには間違いないが怒りというには彼女の態度は酷く落ち着いていた。頭の中に諦観という2文字が出たがきっとそれでもない。


 「それじゃあ、何がそんなに不安なんだ?今は明るいんだぞ」


 しかしながら、月見里はこちらが寝ているときと遊園地で売り子をしているとき以外は殆どこちらの傍にいる。


 昔はそれほどでもなかった。ただ――唯一、暗闇の中にいるときはランタンの光がどれほど明るくともこちらの傍を離れようとはしなかったぐらいで、それ以外はどれだけ離れていても気にすることはなかった。


 だが、最近では悪化していく一方。

 今なんて彼女が眠っているときでもこちらがどれほど音を立てずに起き上がってその場を離れてしまってもいつの間にか彼女はこちらの横か後ろかに張り付いてしまう有様である。


 「え?それは……」


 月見里は体を少しびくつかせ、こちらの方へ向き直った。その表情はなんとも不安げだった。

 また自分の語気が荒くなっていたのだと気づいて、急激に怒りは収まり後は罪悪感だけが残る。


 「いや、いい。忘れろ」


 「うん」


 そう頷き、また下の景色を眺める月見里の表情は少し穏やかになったが、その声色からは明るさがない。


 そして、言葉がなくなり気まずい沈黙。何か言葉に出して話したいが最終的にはこんな感じに落ちてしまう。


 当たり前のことだ。月見里の瞳が少し揺れるだけで、酷く感情が高ぶってしまう。

 子供っぽい悪い癖。というより、こちら自身が未だ子供なのだ。


 今年おそらく成人を迎えたというのに自分が大人になったという気にはならずただただ学生時代の感覚がただひたすらとなし崩し的に、続いているように思える。


 高校、大学と上がっていけば大人というものになれるのだろうか。


 最も全科目赤点ギリギリの点数を取り続けていた自分は行けたとしても三流高校、フリーボーダの大学が関の山だ。勉強に身も入らなかった自分を鑑みるとどちらにしろロクな大人にならなかったような気がする。


 ただ、不幸中の幸いと言っていいのか、餓鬼みたいな感情をぶつけた後の罪悪感は歳をとるごとに重くのしかかってはきていた――だからといって、自分自身の言動が何か変わった試しはないが。


 この後は決められたように沈黙で、こちらがどこかへ去るか、一緒に目前に広がる景色をただ眺めるという奇妙な時間が小一時間繰り広げられる。月見里の場合は必ず後者になってしまうので実質結末は一つに塗り固められる。


 だから、そういう事がなくともふとした時に景色を見る癖がついたのかもしれない。ただ、昔から景色をぼんやりと眺めていた時はあったのでそれの延長線のような気もする。


 「おはよう。あれ?二人とももう起きたの?出発の時間だった?」


 しかし、今回は小一時間ではなく数分で東台に崩された。

 今回もと言った方が正しいだろうか、東台と共にしてからはこのパターンが新しく追加されたようだ。


 東台は気の抜けた声でそういうと、口蓋垂が見えるぐらい大きな欠伸。だが、口が閉じるとこちらの返答を待つこともなくテキパキとした所作で寝袋を片していた。

 

 月見里も何も言葉を発することのないまま、拡げっぱなしにしていた寝袋とランタンを東台と競うこともなく自分のペースでゆっくりとリュックサックの中に詰め込み始めていた。

 こちらも時計を確認して、自分の荷物のところへと戻り片し始める。


 「いや、違う。先ほどまで『あれ』の大移動があった」


 「あー、あれかぁ。おとといはじめて見たけど、すごかったよね。途中で寝ちゃったけど」


 「そうか――。はじめて見たのか?」


 「うん、そうだよ。でも、あれって結構ヒトみたいなんだね。みーんな、あれあれいうからもっとかけはなれたザ・モンスターみたいなの想像しちゃってた」


 東台がそう言ってニハハと歯を見せ笑う。ふと隣にいる月見里の方を見るが彼女は自分の小さな口と大きな目を同じく丸くして東台を見ていた。もしこちらも目と口をさらけ出していたらきっと同じような表情だろう。

 

 月見里の反応は当然だ。

 街にいたから『あれ』を一度くらい見ているのだろうと思ってはいたがまさか見ていないとは初耳だった。


 遊園地のものは皆過去の事を話したがらないから、それに詮索してもどうしようもないから聞いてこなかったこちらも悪いが――。


 確かに、東台も芯の強い方だとは思う。

 しかし、なぜ、初めて『あれ』を見たというのに、それも血肉求める無数の『あれ』から逃げ回った後にどうしてそんなに平然といられているのか。無知と説明するには、あまりにも能天気過ぎだ。


 彼女がそれほど精神力が強いということなのか、もしくはただテレビ画面を見ているような現実逃避をしているのか。それとも――


 「怖くないのか?」


 「んー。というより、実感が湧かないかな。それに八雲いるから大丈夫でしょ?」


 「なんだって?」


 「だ、か、ら、八雲がいるから安心だって」


 「だから、そういう意味じゃない」。と続けて発されるはずの言葉が口から出てこなかった。


 目的があるのは分かっているが、彼女に覚悟があるのか――それが分からない。


 出発前に錆びたカギを見せつけてきた時の表情は今までに見たことがないほどの真剣な表情で、どこか人を食ったような浮世離れした雰囲気を漂わせていたことが酷く印象に残り続けていた。


 しかしながら、その表情の中にこちらがいるからというものが入っているのなら大問題だ。幼女一人、自分一人さえ満足に看れないこちらに対して、それは過剰な評価である。


 「それで、あとどれくらいで出発するの?」


 こちらが押し黙ったせいか、東台はすぐに別の話へと切り替えた。

 月見里ももはや興味をなくしたと寝袋を片し始めたりして出発の準備に取り掛かっていた。


 それでも、まだ何故こちらをそんなに期待するのか気になってもう一度口を開こうとするも、彼女がこちらに向ける満面の笑みが、もうこれ以上話を聞けそうにないと話題を切り替える。

 

 「あ、ああ――まだ少し時間がある。多少ゆっくりしても構わない」


 「分かった。だいたい何時頃?」


 そう言って、こちらの腕時計を覗きこむ東台。

 何の躊躇もなく髪が腕に触れるぐらい近づいてきたことに驚いてしまい身をのけぞらせた。


 「もう!いじわる」


 「いや、アラームがなるから時計を見る必要はない」


 「ええ、でも後何分あるのかな?って気になるよ」


 「後30分だ。どうしても見たかったら……月見里のを見せてもらえ」


 言ってこちらは東台から遠ざかる。


 しかし、これではまるで彼女を嫌忌したかのように避けたように見えてしまい罪責感を覚えたこちらは彼女の視線から離れるように周りを見回して帳尻を合わせようと意味も無く周りをみまわすと、自分の時計を先ほどからチラチラと見る月見里を見つけたのでそう言った。


 言われた月見里は不機嫌そうに眉を顰める。

 

 一方、東台も頬を膨らませてこちらを見るが、彼女の目元がキリッと切り目とは程遠いぱっちりとした丸目であるためにその印象は怖いどころか月見里とはまた違った愛らしさを覚えてしまう。


 人間の印象は外見で決まると聞いたことがあるので、そういう部分も呑気そうに見える一因なのかもしれない。 

 

 月見里は心なしかその場から遠ざかる素振りを見せるが、それをする暇もなく東台が「見せて見せて」と飛び掛かるような形で近づき、また2人で何やらワーワーと言っている様子だった。

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