日常の非日常的な朝食
朝は大抵埃の臭いとこちらを起こそうとする月見里の怒鳴り声で始まる。
朝といっても正午にささるかどうかぐらいの朝とはいえない時間で、テント越しでも眩しいと思えるほど強い光も一緒になってやっと目が覚める。
しかし、今日はその光が無かった。薄暗い光の中で、埃のような冷たい臭いではなく、温かな匂いの中で目覚めた。
早朝特有の透き通るような爽やかさな風が吹いている。
それが朝である最もたる証拠であるのだが、温かな匂いの正体は分からなかった。
それは一般的な家庭の朝のリビングで漂うものであることは記憶に留めているが、こんなところでこんな状態でそんなものが匂ってくることに困惑を覚えてしまう。
「あいつらは――?」
一度辺りを見回して状況を確認すると視界の端に月見里の姿が映った。
彼女は安らかな顔をして寝息を立てて、昨日の携帯食料の包装紙を握りしめている。
よく見れば口元にチョコレートクッキーの欠片がくっついており、昨日必死にほおばっていた彼女をふと思い出した。
そんな子供らしい間の抜けた姿をしていることに安堵感を覚えてしまうが、もう片方の、彼女と同じく間の抜けた格好をして寝ていた東台の姿がどこにもなかった。
『あれ』が入って来たのでは――と疑念がよぎるが、地産地消。寝ぼけた自分の頭の中でもすぐに否定される。
もし入ってきているのなら声か足音で気づいているはずで、そもそものところ『あれ』がこれほど上等な匂いをさせることなんてない。
「東台か」
その一言を口にすると、頭の中のごちゃごちゃが纏る。
明日の朝は私特製の味噌汁を振る舞う――とかどうとかいう東台たちの話声が傍から聞こえて五月蠅いと背を向けたのがおぼろげながらも残っていた。
ああ、どうりで嗅いだことがあると思えばみそ汁である。
朝っぱらから抱いたおかしな焦燥感を叩き落とすようにして頬を叩き、こちらの手が触れないようにして月見里の手にある包装紙をそっと抜き取った後、朝焼けで見えなくなったランタンの灯を消してテントの外へと出た。
初夏に近いのにもかかわらず長い廊下を出てしまえば肌を少しピリつかせるほど冷たい霜が纏わりつく。
しかし、においの元に近づいていくと徐々に火の温もりのようなものに包みこまれていった。
「あ、おはよー」
たどり着くとやはり東台がいる。
無地の白シャツの上に無地のクリーム色のエプロンを着て台所に立っていた。
彼女の髪は寝ぐせ一つなかったが、その身なりとは裏腹に欠伸混じりのだらしない声で挨拶をして鍋をかき回していた。
「あ、ごめんね。コンロ、なのかな?よくわかんないけど勝手に借りちゃった」
「いや、別に」
「ゆいちゃんはまだおねんね?」
「ああ、そうだ……何か手伝うべきかもしれないが……」
携帯コンロ、湯気の出ている鍋とそこに突っ込まれているオタマ、白々とした食器。いろいろなものが並べられているが、干し芋ばかり齧る自分にとって何をどうすれば手伝いになるのか分からない。
「ううん。気にしないでいいよ。ありがとう。それに、もうすぐ出来上がるからね。椅子に座って待ってて」
「分かった……それにしても、これ全部、東台がやったのか?」
「ムフフ、すごいでしょ。でも、新聞は準備できなかったけどね。朝に見る4コマほど安心するものはないでしょ?」
「なるほど」
そう言って、「えっへん」と胸を張る東台。あいにく新聞を読む習慣は今も昔もない。
あったとしても見出しをちらりと見るぐらいのものだろう。
しかしながら、周りを見回せば何かを手伝うスキは確かにない。
埃まみれだった床は綺麗な木目色を取り戻し、黒く
ぼろきれになったカーテンから差し込まれる日差しがそれらを誇張するように照らして、ある種の優雅さが垣間見えるほど清潔感で満たされていた。
それと相まって東台の白肌がやけに彼女の存在を誇張して神々しくも――いや、そう感じられるにしてもなかなかどうして彼女は幼なすぎだ。
不敵な笑みを浮かべて子供っぽく振る舞う彼女が鍋にぶち込まれた芋のようにふにゃふにゃの気の抜けたような感じを受けてしまう。
「みそ汁か」
「うん、お芋さん入りのみそ汁だよ」
と言って、小皿にみそ汁を入れ、小鳥が水を食むように口に運ぶ東台。
「味噌なんてあったんだな」
「うん、インスタントだけどね。粟田さんから貰ったの。いつかは、本物を食べてみたいけどねぇ。あさげとかゆうげとかじゃなくて」
「あっ、これひるげっていうのもあったっけ?あれ?」と独り言を言って記憶を辿る東台。
鍋をかき回す手が止まるほどで、これはあまり邪魔してはいけないと席について、荷物から本を取り出した。
その時、「あっ、そうだった」と思い出したかのようにその場で小さく跳ねるようにして、
「コンロ以外にも、昨日の干し芋使わせてもらったけど大丈夫だった?」
東台はこちらの方へ振り返り、「具がないから使っちゃった」と舌を出してはにかんだ。
先ほど芋が入りという言葉に多少反応はしたが、純粋な驚きだけで、当然怒りも無い。
「問題ない。どうせ、昨日か今日で食べておくつもりだったからな」
「え?そうだったの?」
「ああ、痛みかけていたからな、一気に食べておくんだ」
加えて、連日干し芋にすると嫌そうな顔をする幼女がいるため、一日干し芋ばかりにして後は缶詰を挟んだりして彼女の小さな舌を誤魔化したりしている。どちらかといえば、これが芋を大半の目的で理由、なのかもしれない。
「へぇー、まるで謝肉祭みたいだね」
「謝肉祭?」
「うん、昔のヨーロッパは保存技術が発達してなくて、冬に貯めておいた豚のお肉が春には痛んじゃうからその前に全部食べちゃおうっていう祭りなんだって」
「奇妙な祭りだ」
「そうだね。でも、これじゃあ謝肉祭じゃなくて謝いもみそしる祭だね」
フフフと小さく笑う東台。なんとも不格好でおかしなその呼び方に下らなさを感じて思わず笑みがこぼれそうになった。
「んん、なに笑ってるの?」
「あ、ゆいちゃん。おはよー」
月見里はウサギのぬいぐるみを抱いて部屋に入って来た。
半目で未だ眠たそうに目を擦るが、それでも寝ぐせを整えた姿であるのが、彼女の「変」ともいえる几帳面なところが見える。
「ん……」
月見里はこちらを見て少しばかり眉をあげるが、にこやかに挨拶をする東台を一瞥すると不機嫌そうに眉を落として早々とこちらの隣に座る。
「ん、じゃあ、ゆいちゃんも来たから、食事にしよっか」
そう言って、東台がこちらと月見里の前にみそ汁を出していった。
文字通り干し芋を全部使ったらしく、インスタントに含まれている申し訳程度の昆布が見えないほど干し芋が山のように入っていた。
「なんでそんな前かがみになってるの?」
「え?」
月見里はこちらが舌を巻くほどの東台お手製のみそ汁の出来栄えには一切触れず東台に少々冷淡な声色でそう尋ねていた。
東台を見ると彼女は手を可能な限り前の方に伸ばし、丁度お盆を突き出すようにして持っており、傍から見ると傾くヤジロベエのような奇怪なポーズを取っていた。
「ん、ああ、これね。こうしないと胸で――えいとやると、こんな感じで落としそうになっちゃうから。いやぁ、困りもんだよね」
豊満な胸をお盆の上にある自分の椀に押し付けてそう言った。押し付けられた初期はぐらぐら揺れていたので、確かに注意が必要なのだろう。
彼女はきっとデメリットがあるのだと伝えたいのだろうが、こちらはその一シーンを反芻したくなるほど煽情的なものを覚えてしまってバツが悪い。
こちらが顔を逸らすと、机に盆を置く音が聞こえる。続けざまに、東台の「あーあ」という言葉が聞こえ、
「これだけ大きくて邪魔なんだからミルクの一つや二つ出てくれたらいいのに」
と言って悔しそうに自分の胸を鷲掴みしていた。ただ自分の不満を言いたいのだと分かるが、たわむそれに釘付けになった自分が嫌になる。
「ああ、やめてくれ」
そう自分の口から出る言葉には、どんなものが詰まっているのだろうか。誰も気にしないほどの滑稽なものだ。
その姿は何時ぞやで見た耳にかかる髪を邪魔だと頭を振る月見里を連想させるが、それに勝るほどの彼女のスタイルが艶やかが故に彼女の裸体を連想させてしまい思わず目を伏した挙句に出た言葉だ。誰の耳にも入らない。
こちらのそんな無様たる反応とは裏腹に月見里は「ふぅーん」と興味を失い無関心そうにして、目の前のみそ汁をじっと見つめていた。
「まぁ、朝ミルクはないんだけど、朝みそ汁も最高だよ」
「口に合えばいいんだけど」と言って、向かい側の席に座った。
「じゃあ、いただきます」
と東台が手を合わせた後にこちらも続いて、そして月見里も続いて手を合わせて椀を手に取った。
「あっ、おいし――」
月見里から声が漏れる。
口につけた瞬間、味噌の香りで鼻腔が満たされた。口の中でほぐれる芋が味噌の塩味と合わさって独特の甘みが舌に広がる。
――と高説を垂れてみたが、彼女のインスタントなお手製みそ汁は舌がうなる。というほどの美味しさというわけではない。
「どう、おいしい?」
「ああ」
しかし、そう感じさせるのは、久しぶりに浴びる乾いた朝の日差しと、初めて味わう「家庭の味」と、それを美味しそうに頬張る月見里に、それをにこやかに見つめる東台にほのかな温もりを帯びているせいだろう。
「ゆいちゃん、食べ方綺麗だね」
「んんんふ」
と言って、微笑む東台。月見里は多少の気まずさを含んではいるものの相変わらず「五月蠅い」と彼女を煙たがっていた。
口を開けずにはいるものの頬張りながら喋ることはともかく、箸の持ち方は大人顔負けというぐらい整ったもので、口に運ぶ仕草にも「気品」というものが垣間見えた。
「俺とは……作りが違う」
「確かに!」
東台はこちらの自嘲めいた冗談に溌剌な笑みをこぼした。
こちらの食事マナーは冗談でもなく月見里とは文字通り正反対だった。
箸の持ち方は子供顔負けのクロス箸で、クチャクチャと音を立てずに食べないことだけがマシと言えるほど食べ方も汚いものである。
「ご馳走様」
「ん、お粗末様でした」
しかしながら、食べる速さの時間はそれに反比例するかのごとく誰よりも先に食事を終えることが出来る。これは『あれ』がいつ出てくるか分からない現況から生まれた生活上のテクニックとと言えるものだろうか。いや、昔から汚い食べ方を指摘されていたのでそれはない。
ただ、比較的食べるのが遅い月見里と二人だけの食卓が当たり前であるこちらにとっては、時間が圧倒的に余るのは常日頃で手持ち無沙汰になってしまうのが常である。
「それ何の本?」
「ああ、」
大抵暇つぶし程度の事をしているが、本を読むのはこれが初めての事だ。
東台はこちらが取り出した本を見つめていた。きっと、いつも渡している本と全く毛色の違うものなので彼女の釣り針に引っかかったらしい。
「へぇー、それでどんな内容?」
「……タイトルみたいな内容が書いているんだろう」
こちらは東台にかざすようにして本を見せた。
「うーん、何か辞書みたいなタイトルだね」
罪と罰。
それが嫌というほど脅迫的にタイトルとして書かれている。
彼女は依然とぽかんと口を開けた顔をしてそれを見ていた。
説明が面倒くさいというわけではなく、本当に知らない。ただ、辞書みたいな堅そうな本だというのは同意見だ。
この世界辞書みたいなものが必要かと言われれば誰しも首を縦に振らないだろう。こちらもその言葉に返事するならば余分な荷物。いや、完全な「お荷物」であることは否めない。
正直なところ、自分で言っててなにかもしれないが、成人向けの本を拾い集めているからそれを公私混同読んでしまえばいいのだが、そういった類のものは仕事以外の時は読むことは無い。仕事の時も一目程度だ。精神衛生上、それぐらいの付き合いがいい。
紺屋の白袴と言えばいいのだろうか、もう一段階、コーヒー香る意識の高い表現を用いるならば仕事とプライベートは分けるということだろうか。それは違う、そんな高尚なものではない。
「なんとも……理解しがたいものだ」
見せつけられた東台は未だポカンとした顔をしていた。こちらもあまり話すことでもない話題であったために、そう言って本を隠すように荷物の中にいれて話を切り上げた。
東台もこちらの行動を見て諦めたらしく「そうなんだ。読み終わったらあとで教えてね」と枕詞を入れると、
「話は変わるんだけどね、今日はどういう感じになっていくの?」
と彼女は手を動かしながらそう言っていた。
東台の手元の方に目を向けると彼女はいつの間にかキッチンペーパーを石鹸で濡らし自分の食器を拭いていた。
「とにかく、今は見晴らしのいいところを見つけたい」
「そっか、一寸先は真っ暗だもんね……あっ、ゆいちゃん、そんなに急がなくてもいいのに」
東台もそれに気づいたらしく、笑みを浮かべながら月見里に言っていた。彼女は閉じた口をもごもごと動かして東台に文句を言っていた。
こちらに自分の頬張る姿を見せないように背中を向けて残りの具を一気に口へと押し込み、ハムスターさながらに頬をいっぱいに膨らませていた。
「じゃあ、ゆいちゃん食べ終わるまで八雲の分も洗っておくね」
と言いながらこちらのお椀に手を伸ばしているの気づいて、掻っ攫うようそれを取りあげた。
「自分のだけをやってくれ」
「えー、別にいいのに」
東台は少し頬を膨らませ眉をひそめていた。しかし、こちらが視線を合わさずに椀を拭いているのを見て諦めてまた自分の椀を拭き始めて、
「まぁ、先の事を考えてもしょうがないよね」
小さく呟いた。行きがけのときにも聞いたその淡泊な声色に目を見開いて彼女の方へと見やったが、彼女は先ほどと同じように月見里の方を見て笑みをこぼしている。
こちらは何事もなかったのように視線を椀に戻した。
※ ※ ※
朝日の薄暗さは消え、徐々に初夏らしい暑い日差しに汗ばむのを袖で拭きながら、郊外の少し外れたところにある公園の遊具で地図を眺めていている。
子供のいない公園は褪せて錆色に変わっていく、遊具は聞こえてくるはずの子供の喧噪を待ちわびるかのごとく物悲しげに揺れるなか、高台の滑り台にある3つの人影は2対1で違った表情を浮かる。
「なるほど。この道がここに繋がって、これがここで、いや、これは塀か?万が一はここを潜り抜けて迂回か」
月見里が地図に穴が開くほど覗きこんでいるなか、地図をなぞりながら呪文のように呟いていた。
「ねぇ、ゆいちゃん。なんで八雲はゲームのコマンドみたいなのを呟いてるの?」
「コマンドじゃないもん。黙っといて、ください」
月見里は不思議そうに見つめて尋ねる東台を足蹴りして再び地図を見つめる。
「黙っといては、お姉ちゃん傷つくなぁ、ちょっとだけ教えてよ」
「いーや!暗記してるんだから邪魔しないでよ」
白うさぎがモフモフとした毛並みを振るって威嚇しているような迫力のない怒号を上げ、東台めがけて腕を振り回す月見里。
「あはは、くすぐったいよ」と当然のごとく気にしない様子で月見里を可愛がるように接していた。
「月見里」
くどいと言わんばかりのこちらの言葉に「ぶっー」とむくれる月見里だが、自分の目をこちらの目に合わせるとぶつぶつと呟いて東台の方へと向き直す。
「道の暗記をしてるの」
「え、どういうこと?」
この都市部まで通っていた東台は街の方を指差して、「道ならたくさんあるじゃん」と言いたげなますます困惑めいた表情をしていた。
なんとも理解しない東台の間の抜けた顔に月見里は苛立ちを覚え悶え声を上げて、その余熱を地面に叩きつけるように足蹴りした。
「狭い道を避けるためだ。『あれ』に挟み撃ちになったらシャレにならない」
癇癪が口から吹き上がりそうになっている月見里を遮るようにそう言って街の方を見た。
「ふーん、そうなんだ」と東台は声をあげるが、言った自分はあまり納得していない。
いつもなら道の広さ関係なく『あれ』が通ることの少ない道を選択して通っているのだが、高速道路の崩落というイレギュラーで『あれ』の行動経路がぐちゃぐちゃになってしまっている可能性が高い。
ならば、逃走経路が確保できる道がもっとも良い――のだが、それが確実に安全とは決して言えない。だが、それ以上の策は思いつかない。
「ともかく。あそこの橋まで行く必要がある」
「ふーん、あの橋行くならもっと近いところが……って、あれ?」
名案を思い付いたように目を見開いて別の方向を向くと、途端に東台の顔は曇る。
「経年劣化で、橋があれしかない」
彼女の反応は無理もない。昔はもっと橋がかけられていて交通の便は円滑だったが、経年劣化とた度重なる増水のせいで数年たたないうちに流されてしまった。
このあたりは昔から水害が多かったらしいので無理はない。
ただ、今も浮かんでいる橋が、コンクリートで厚く塗られていた現代的な橋ではなく、昔からあるような剥き出しの鉄骨で組まれた近現代的な橋なのが不思議で仕方ないが。
「えー、本当に。ロンドン橋みたいなことがあるんだねぇ」
「ロンドン橋?ああ、まぁいい。そういうことだ、あれ一つしかない……『あれ』と鉢合わせば一巻の終わりだ」
火を噴いたビル群。その下で流れる川に浮かぶのは浮袋になった死体、それが様々なゴミと一緒になって流れていく、そういった光景が今でも古いシネマフィルムのように脳裏に焼き付きひどくこびりついている。
むろん、今でもあの橋は安全というわけではない、むしろ危険極まりない。
郊外の『あれ』は昔と同じようにこの橋を使って都市部へと移動して、また都市部から郊外へと戻ってくるのである、当然『あれ』の数は昔にもまして多い。
「厄介なことに『あれ』のなかにはあのあたりの道一帯に徘徊しているやつもいる」
そう言ってまた郊外の方を指差して睨み付けて、苛立ち混じりの陰惨たるため息をつき、
「しかし、狭い道で出くわすとそれこそ死ぬしかないから可能な限り広い道を通らなければならない」
と多少小馬鹿にしたような、自棄的な口調で言った、
東台は茶々を入れることなくこちらの話を静かに聞いていた、月見里もお役目ごめんだと地図に齧りつくようにして見ていた。
「声だけはあげるな、『あれ』が蠅のように群がってくるぞ」
こちらはわざとらしい感じで酷くドス黒い声色で脅すように彼女を睨み付けた。
東台はびくりと体を震わすことなく、静かに頷いた。
「月見里、地図をしまえ。出発だ。悪いが、東台も早く荷物を背負ってくれ」
あたりをもう一度見回して何もいないことを確認するとそう言って荷物を背負った。
月見里もてきぱきと地図をしまい、歩きだしたこちらへと近寄ってこちらの顔を見上げた。
しかし、その目はいつものような指示を待っているときのものではなく、眉をひそめて不安げな目をしていた。
「その時はその時だ」
諭すように月見里に言った。
きょとんとして「え?」と聞き返してくる東台とむくれる月見里を横目に公園を離れて吸い込まれるように道なき「道」の中へと入っていった――
可能な限り広い道。とは先ほど東台に言ったけれども主幹道路は『あれ』に出くわすことは少なくないし、車両も氾濫しているため、取るべき道はバイクがすれ違うことが出来るぐらいの道ただ一つだ。
この辺りは土地の権利関係で道路整備があまり行われておらず、元農地という二重苦もあって入り組んだ道は多い。
路地裏よりかはマシかという程度の道を身を屈めて行く様は、ギリシャ神話に出てきたラビリンスの迷宮へと投げ込まれ怯える生贄のようだった。毛糸はなく、道筋は自分の頭の中にしかない。一度入ったら二度と出られない迷路でミノタウロスという半人半牛の怪物が待ち構えているという話である。
そして、この迷路を通るはそんな「非現実的」なものではなく――
「――――」
別の「非現実的」なものが当然のごとく佇んでいる。
向かう先の丁字路の先に4匹の『あれ』が円を囲んで直立していた。傍から見ると井戸端会議のような日常的な光景に見えたかもしれないが、『あれ』は身振り手振りをして言葉を発することなく代わりに相槌を打っているかのように不自然に首を揺らしていた。
こちらは「止まれ」と後ろの彼女たちに合図を送った。
「な――むぐぅ」
「声を出さないでくれ」
東台が立ち止まったこちらに声を発そうとした瞬間、月見里が彼女の口元を抑えた。それに東台が気づくと「ごめんね」と苦笑いを浮かべて態勢を戻した。しかしながら、月見里は不平不満を訴えかけるような目をしてこちらを睨み付ける――ような感じをしていた。
「この時間の方向に4匹程度の『あれ』がいる。あの穴から抜けて迂回する。移動は可能な限り素早く、音は最小限に留めろ」
荒い呼吸程度の声量で呟き、と月見里に荷物の底から引っ張り出した腕時計を方位磁石に見立てて、家屋の塀に穿たれている穴を指差した。『あれ』から見えるかどうかのところにある絶妙な位置にあり、遠目で見ても荷物を降ろして最大限に身を屈めば辛うじて通れるほどの大きさのものであった。
「だが、あの中が安全とは限らない。先に入るから、荷物は合図を送り次第渡せ。その後に入ってこい」
しかし――時間的に家屋の中にいる『あれ』はいない可能性が高くも油断は許されない。
こちらは腰につけてあったナイフを東台と月見里に見せつけながら言った。
彼女たちは唾を飲み込みこくりと小さく頷いた。月見里の方はすでに荷物を降ろして匍匐前進の態勢を取っていた。
それを確認してから『あれ』の方を睨み付けながら穴の方へと這ってそこまでたどり着くとまず額から漏れ出て眉を濡らす冷えた汗を拭い、その側に静かに荷物を落としてから、彼女たちの方を少しの間確認して、塀の中へと侵入した――
無人。
塀の中は草木と家屋の建材か何かの破片が散らばっているという半ばパターン化された光景が目の前に広がっていた。
「ひとまず安全か――」
と安堵の息を漏らしかけ、ふと左の方へと向きやった刹那――
「――――――――」
声ともつかない、かすれた音を発する。
それは紛れもなく『あれ』の呻く声で、目の前には丁字路のそれと同じ体躯があった。
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