(小話)矢小間神社
都市部から拠点までの距離は(高速道路を使うのもあるが)2時間も越えないうちに着くことが出来る。
否、それは昔の思い出。定石のルートが崩落してからは迂回を余儀なくされて今では倍以上の時間がかかってしまう。
それでも、予定ならば明るいうちに帰ることが出来たのだが――人間なので予定通りにはいかない。
長い非常階段を登ってバイクに辿り着くも、その頃には緊張の糸が一気にブチ切れて、しばらく動きたくない気分に陥って小休憩。
その時に、月見里が飯を食べたいと言っていたのを思い出して、なし崩し的に夕ご飯を食べようということとなって――紆余曲折の今がある。
具体的には、文字通り古ぼけた山道を回って、今は山中の神社。
まだ虫が本格的に鳴く時期ではないが、代わりに野鳥のさえずりが時折侘しく響いていた。
西の空はまだ朱く、東方の空は眠るように黒くなり、真上の空は東西の色を交わらせるように透き通った海のような色に混ざって、毛布のような雲を漂わせている。
時計を見れば、夕方から夜の境目あたりであった。頂上から一合二合下にあるので、頂上にある拠点に着くころには完全に夜中になってしまっていることだろう。
深夜じゃないだけまだマシだろうと、神社の鈴を揺らす。黄昏時にある虫の音も風の音も殆ど聞こえない不気味なほどの静寂。
よく音が響くだろうと思ったが、錆びた本坪鈴からは空気を棒で叩いたようなスカした音しか聞こえてこない。
そういえば、お金を入れてなかったなと、賽銭箱に見慣れた観覧車と農園がプリントされたチケットを投げ入れ、手を合わせた。
しかし、『あれ』が満ちてほぼ死にかけた人生の中に、何か願い事が生まれるわけも無く――。空っぽの頭の中は、沈黙。
月見里は何を考えているか分からないが、しびれを切らして出てきた声音はどこか気怠そうであった。
「ねぇ」
「なんだ?」
「ずっと思ってたんだけど、これって何で手を合わせてるの?」
「さぁな、分からん」
「え?今までよく分からないのに毎回拝んでんの?」
「そうだな」
「なんで?その理由は?」
「……」
月見里にそう言っても、不満顔になるだけで納得はしない。子供特有のなぜなにの興味を持った幼女に何か答えられる知識も好奇心もこちらは持ち合わせていなかった。
鈴は抜け殻のような音を出して、賽銭箱は撓んで中身の薄っぺらい硬貨を晒しながら、苔に侵食されて周りにある木々と変らない見た目になる最中。
そして、入れる賽銭はまるでガキの悪戯のような冗談か何か。そんな状況の中でもうそれを知ることに意味があるのかと思えてくる。
水の代わりに石や木の枝が貯められた手水場。
文字が擦り切れて唯の木の板になった案内板。
道端の煙草のようにへし折れた鳥居。
どれもこれもが苔に覆われている。殆どが岩か木みたいなもので出来ているというのに。
しかしながらも、鳥居の隣に立つ石柱は他のそれ以上に苔に覆われているというのに、未だ矢小間神社という建物の名前を主張していて、それがどこか物悲しい。
案内板にかつて書かれていた神様の名前と同じく、どうせこれも消えていくのだ
それでは消えないものとは何なのかと思うと、鳥居をくぐった先のちょうどのところにひと際巨大な木がそびえ立っているのできっとこれなのだろうか。
その足下には千切れたしめ縄が落ちていたので、きっと神木として奉られていたのだろう。
今の方がずっと神聖な木としての役割を果たしているようにも見えて、皮肉っぽい。
「砂の城か」
「どちらかっていうと苔の城じゃない?」
「確かに」
ぽっと自分の口から出てきた言葉が月見里のツッコミに遭った。正直、苔も砂も元の状態を壊してしまうものである。否、戻しつつあると言った方がいいのだろう。
人間の文化なぞ砂の城に過ぎない――幾度となくコンクリートやアスファルトで固めて叩かなければすぐに崩れ去ってしまう。
そう何者かに煽られているいるような気がして、もはや乾いた笑みも出てこない。
しかし、そんな建造物がどんな役割を果たしていたのか知らなくとも、頭の悪い人間は最後の悪足掻きをやってしまう。
手水場からゴミをかき出して、賽銭箱に絡みついた草木を取り払い、鳥居以外の他の場所を可能な限り元の状態へと戻していった。そして、また草木に埋もれての繰り返し。否、悪化している。
「また掃除するの?」
なんとも不満げそうに尋ねる月見里。だが、こちらはそうだと頷くしかない。
選択を曲げないこちらに月見里は不服そうに分かったと答えるのが自分たちの一般常識である。
別に信者というわけではない。昔、図書館で全国の神社写真集なるものを見つけて学校の休み時間の間にひたすら読んでいた記憶があるが、それでも俺はここに祭られているものを知らない。
こんなことを考えていると決まって小さな祠のようなものが頭の中に浮かんでくるが、それもすぐに消え去ってしまう。
どうせ消え去るものを意識していても仕方がない。
俺は多分、お祓いや葬式などの儀式は信じている方である。いや、信じておきたい方って言った方が正しいのか。
少なくとも、こういった類の儀礼であるとか儀式といったものが実際に超常現象的な何かを齎さなかったとしても、それを行った本人の気が晴れるのは事実だ。
いわゆる、自己満足。互いにとって、それで留めておいた方が幾分マシである。
一体、互いというのは何だろうか、きっと、それはあの救いを求めて眺めた写真集の中のもの。
だからこそ、神社を参拝するのだろう。お金を入れて鐘を鳴らし、空っぽな手を合わす。
そして、その体制を保たせるために掃除する。そんなことに過ぎない。
月見里もこちらの真似をし始めて掃除をするようになったが、賽銭箱周りにある小石程度のものを取り払うだけで、後は地面にいる蟻の行列を頬杖ついてつまらなさそうに眺めているだけだ。
「なあ、月見里」
「なに?」
「別にお前は拝まなくていいんだぞ」
「……別にいいじゃん、減るもんじゃないし」
そうして作業をしている時に、ふと彼女の方を見ると時折ずっと古い過去を思い出す。彼女の仕草や、瞳や――あの表情が。
そういえば、あれから、何年経つのだろうか――。
俺自身の中でどれだけ時間が経ったのだろうか。
堂々巡りの追憶を巡り。また巡り。
何巡目か分からなくなったところで、一時しのぎの掃除が終わった。
こちらに眉を落とす月見里を見つけて、矢小間神社を後にした。
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