青年と幼女と肉塊と


 落雷のような弾ける音。目を白黒させるような眩い閃光。

 

 それが死んだあとも、人生は終わらないのだと思い知らされる。


 地獄の一丁目は、田舎の片隅。どこにでもあるようなコテージ。サイズもデザインも寸分も違わず道の両脇に立ち並ぶログハウスがずっと奥まで並んでいる。

 

 いったい何年前から無人になったのか。地面に散らばるのがガラスだけかと思えば、屋根だったものに埋もれ、その上から名前も知らない草が埋没させるかのごとくびっしりと生えて地層のようなものが出来ていた。


 きっと本来なら、エグいほどの草の匂いが充満しているはずだ。だが、今だけはその色は薄く、目の前のものに覆い被さられている。


 深い赤色。生臭い鉄の臭いと、吐き気をもよおすほどの硝煙の臭い――


 自分の手元を見やると見慣れた黒い拳銃がはまりこんでいる。


 銃口から小さな白煙がとぐろを巻いて浮き上がり、それが鼻腔の粘膜を焼き焦がしている。


「――っ」


 悪臭に顔を歪め、元在るべき腰のホルスターにしまった。


 足元を見れば馴染みある姿、その成れの果て。


 体のあちこちに大きな穴を開けて、零れそうな目を空へと向ける人の形をしたもの。

 その目が虚ろなのは元々なのか、事切れてからなのか。


 「ああ、クソ……もっと考えて行動するべきだった」


 舌打ちをして、腰のホルスターを叩いた。自分が作り出した惨状に責任は取るべなんだろうなあと思いつつも、目を逸らした。


 道とも呼べなくなった道の両隣に引き続き団地のように立ち並ぶコテージ。

 その単調さを埋めるように一つ花壇があったが、手入れも糞もない雑草が無尽蔵に生えている。

 

 やはり、ここには人の痕しかない。かつて人だった者が地面に転がるばかり。

 

 銃声の余韻は冷め、静寂に包まれていた森は元の音を取り戻していく。

 相も変わらず木々が風で擦れ合い野鳥が呑気そうに鳴いている。飽きることはないのだろうか。


「なんで、こんな辺鄙なところを彷徨ってるんだ……くそったれ」


 悪態をついて体に残った怒りを吐き出して、花壇だったものに腰を落とした。

 背中にリュックサックを背負ったままだが、今はその異物感を気にするほど余裕がない。


 顔を手で覆い隠し、外の景色を遮断する。


 どうやったら、終われるのだろうか。


 キツイ硝煙の臭いが手に残っているようで、落ち着かない。この臭いは本当に慣れない、臆病者の手はひっきりなしに震えている。


 本当に、地獄だったらいつかは終わってくれるのだろうか。


 自分が感じているものは絶望なのか、諦観なのか。最近は、その見分け方が分からなくなった。

 


 「――――」


 声ともつかない掠れた声が足元から聞こえてくる。塞いだ手に隙間を作ると血まみれの塊の口が僅かながらに動いているのが見えた。


 上しか向けない白んだ目を端に映るこちらに向けて、なけなしの毛細血管を浮かび上がらせ睨み付けてくる。


こういう時、まともな人だったならどうするのだろう。撃ち尽くすまで発砲するのか逃げるのか。


 自分もまだその範疇に入っているのとは思うけれども、頭の中にはおぞましさより畏怖の感情が占められているような気もする。


 このままでは死ぬことはないだろうなと思い、それに近づいて、


 「……お前らはどこか知らぬ街で――彷徨い歩いててくれ」


 懺悔にもならない言葉を吐き捨て、首を掴み上げてへし折った。


 手に掴んだ時の首の生温かさに、乾いた枝の折れる音をバケツの中で鳴らしたような生々しい音に未だ慣れることはない。


 しぶとく足掻いていたそれはピンと体を膨らませ、萎むように全ての動きを止めた。


 「これ以上、何も出てくれるなよ……」


 目礼して、収めた銃をもう一度取り出し、空に一発撃ち込んだ。


 湿気深い空気を切るように音が割れ、鳥の羽ばたく音の後に一時の静寂があって音が帰ってくる。


 「残っている『あれ』はこいつだけだったか」


 こちらは肺に溜まっていた空気を全て吐き出して、花壇へと腰を落ち着け空を見上げた。

 だが、鬱蒼とした樹木が邪魔をして、ほんの少ししか青い空が見えない。

 

 入口にあった看板を見ると青空広がる写真があったのに、これでは詐欺もいいところである。


 「月見里」


 そうして落ち着きを取り戻したこちらは、相棒――否、向こうにしてみては腐れ縁である彼女の名を呼んだ。


 しかし、誰の返答もなかった。辺りを見回して目に見えるコテージの一つ残さず見てみても、誰か出てくる気配もない。


 「おい、月見里。もう安全だ」


 もう一度呼ぶが、何の返答もない。

 

 いよいよ不安になってきて、すぐさま立ち上がり辺りを見回す。

 しかし、何も見えない。


 「ばぁ!」


 甲高い少女の声が下に一つ、顔面に巨大な牙が晒された。


 思いもよらなかった光景に体をのけぞらせ、そのまま花壇へと尻餅をついてしまう。

 これでは、殺されてしまうと、体勢をもとに戻そうとするが襲い掛かってくる様子は――当たり前だが無い。

  

 目の先にあったのは巨大なサメのぬいぐるみ。そこからひょいと幼女が顔を出す。


 「あっ、ごめん。大丈夫?」


 「月見里」


 「うん、ほら、鮫。でしょ? がおー……驚かせて、ごめんなさい」


 そうやって、ロングヘアを揺らし無邪気に笑う見慣れた幼女。月見里 結実やまなし ゆい


 腰に付けたランタンをせわしなく揺らしながら、見慣れた橙色の柔らかな長い髪をそよ風になびかせ瑞々しいブラッドオレンジの色を蓄えた瞳を歪めて、こちらに苦く笑いかけている。


 この子を見て、俺はここが地獄ではなく、現実なのだと思い知らされる。


 「クソガキ。あれを見ろ。今、ふざけていい時間だと思ってるのか」


 「……ごめんなさい」


 こちらはまだ温かな死体に指をさして声を荒げると、月見里は高らかに上げていたサメのぬいぐるみを胸に落とし、それと同じように頭を俯かせた。

 

 ああ、またやってしまった。バツの悪さを感じてしまい、彼女の目から視線を落とし胸の中にあるぬいぐるみを見る。


 「それどこにあったんだ」


 「隠れてたコテージの中にあった」


 月見里はそう言って、意気揚々とサメを掲げて揺らすが、舞い出た埃に鼻がむずむずする。

 

 汚れと日焼けで本来の色を失い、片目のボタンが取れかけて、ところどころ綿が飛び出ている。

 どうやら、先ほど見たそれはサメではなく、ゾンビザメであったようだ。それにサイズもそれほど巨大ではなかった。


 「そうか。それで……サメの方は傷だらけみたいだが。お前はどうなんだ?」


 「――うん、言われた通りその辺に隠れてたから大丈夫」

 

 こちらの言葉に、こちらに恐る恐る視線を合わせてほんのりとした笑みを見せる。


 最近、そういう所作から子供らしい可愛げな顔から睫毛が黒く濃く鼻筋のすっと伸びた容姿端麗な少女の顔に変貌していくのを感じて、どうしてか複雑な心持になっているときがある。


 「……そうか。とりあえず、バイクのところに戻って、出る準備をしてこい。それも欲しかったら、バイクのパニアに突っ込んでおけよ」

 

 「鮫は苦手だからいいや。私も一緒に行く」


 大事そうに抱えていたサメをコテージの窓に置いて、こちらの隣へとダッシュ。


 その切り替わりように色々思うところはあったが、まだまだワガママ期真っ盛りの子供というのはこんなものなのだろう。


 「そうか。わかった」


 そう言って、再び道を見る。コテージが立ち並ぶ道にひとつ分かれ道。その先は坂で上っていけば、大きな建造物。

 皮を剥がした丸太で家を組んだようなコテージとは違い、木材で組まれた平べったい長屋のようなデザインであまり特徴的には思えない。


 しかし、それでも目立つのはここの環境のせいなのか、それとも褪せた青色がぼったりと光るせいなのか。


 「まさか、『あれ』がいたとわな」


 「先に花火でも飛ばせば良かったね」


 「……バイクの音で十分だろうと思ったんだがな」


 「これほど高低差あって奥まってたら、あんまり聞こえないのかも」


 「確かに、気を付けるしかないな」 


 そんな反省会をしつつ、坂を上る。階段もなくアスファルトも剥げて盛り上がった土と草に足を取られつつ、上った先に、その建物の前へと赴く。


 建物に近づいていった。ドアはなく、ドアの形をした穴が壁に鎮座している。


 「ランタンオイルの残量は確認しておけ」


 「うん」


 返事すると月見里は腰に付けたランタンをカラカラと揺らして明かりをともす。オレンジ色に光るそれを確認した後に、こちらは建物の中へと入った。

 

 カビにも似た土埃の匂いにむせ返り、ガラスを踏み潰す音がやけに響く。


 照らすとようこそと手作りの看板が付けられたドアが横たわり、靴底にガラスの破片の感触を覚えた。

 外から見たときに何個かガラスが割れている窓があったので、多分それの破片だろう。


 かろうじて「以前」の形でとどまっているその一室は、予想通りのカビ臭さを取り巻きながらを薄っすらと光っている。

 窓から入る埃混じりの光を頼りに事務机と椅子が当時のまま整然と並べられて映し出され、なんだか重苦しい開放感という矛盾した印象を覚えてしまう。


 しかしながら、机には乗っているはずのパソコンだとか、筆記用具とかそんなものはなく、当時の面影みたいなものはもう残っていない。

 

 それでも、辛うじて当時の喧騒がうかがえるのは、中央部分には錆びついた灯油ストーブと、奥の窓近くにある掲示板ぐらいだろうか。

 

 こちらはどうしても掲示板に目が行ってしまう。殺風景な景色の中で、何かの書類がびっしりと張り付けられていることにどうして人間臭さを感じてしまえるのだろう。


 「なぁ、あれいつのだか分かるか?」


 「……さぁ?」


 月見里は肩をすくめた。今年で大人になった自分が分からなければ、11歳になったばかりの彼女を捕まえても分かるわけもない。


 しかし、好奇心はいつの時代も沸き起こるように、何だか気になって近づいてみる。だが、期待というのはいつだって裏切られるものである。


 安全ピンで無造作に張り付けられたそれは字が擦り減って解読不可能であった。


 辛うじて見られるものもあるが、昔起きた災害の話と新たな感染症の注意喚起と所定避難所の経路という下らない情報しか読み取ることが出来なかった。


 「新型のウィルスが流行しています。感染経路は不明――――」


 内容は「手洗いうがいをしましょう」という定型文で締めくくらられた感染症情報の書類。本当にたったのそれだけ。


 「見る価値もなかったな」


 「この狂犬病にの後にある漢字って何て読むの?」

 

 「こくじ――だな。狂犬病を読めるとは、すごいな」


 「うん。おじいちゃんたちに教えてもらってるからね」


 「そうか、いろいろ勉強して、俺みたいな大人にはなるなよ」


 「……」


 月見里は黙り込んだ。


 何か違うことが書いているかもしれないという淡い好奇心を持った自分にやるせなさを覚え、舌打ち代わりに紙を剥がし丸めて近くに転がるゴミ箱に投げ捨てておいた。


 「何にもないね」


 「……いつも通りだな」


 再び溜め息をついて、ぼやきながら宙を見る。


 比較的綺麗な建物だったので、好きなものは最後に食べる的な姿勢で探索してみたけれど、手にしたものは薬莢数発と『あれ』の死体ぐらいで踏んだり蹴ったりである。


 「そろそろバイクのところに戻るか」


 「うん」


 外へと出て、こちらは駐車場へと向かう。出て左手の方に剥げた手すりの中に階段があり、それを下っていく亀の甲羅のように割れたコンクリート地面が広がる。


 その中心に年季の入った黒色のバイクが両端凸のエンジンを傾けて佇ずんでいた。


 テイルのステーには月見里に被れとせがまれた白無地の工場用ヘルメット。それと並んでいるうさぎのシールが所々に貼られているのが特徴的なピンク色の子供用フルフェイスヘルメット。

 

 そんなものが自分の体にかけられているのに、文句という名の故障一つ言わせないのは忠犬ハチ公のようである。


 バイクの下に戻ると餌やりとばかりにタンクのフタを開いて見ると、半分以下に減ってしまっている。


 「ガソリンも心もとないな」


 リュックの中を探ってみるが、ガソリンを詰めていたはずのペットボトルは既に空となっていた。

 

 仕方なく、両端に掛けられたパニアケースから予備のガソリン入りペットボトルを取り出しタンク内に全てを注ぐ。

 それでも、1リットルにも満たないガソリンでは、目分量で分かるほどの違いは見られない。


 「これでガソリン最後だね」


 「ああ」


 「また、お仕事ついでに、あそこに寄るの?」


 「そうだ、ただ――」


 「ただ?」


 月見里は少し眉をひそめて、こちらを覗き込む。


 「いや、いい気にするな。ヘルメットの紐は閉めろよ」


 「うん、安全第一ね」


 そういって、こちらのヘルメットに指差して小さな笑みを浮かべた。彼女は自分のヘルメットを取ってバイクの後ろシートにステーに足をかけて座り込む。


 相変わらず背がピンと張っていて、今にでもハンドルを掴み、運転しそうな雰囲気を醸し出している。残念ながら、それを掴むための腕も足も発展途上である。


 化石になりかけたバイクは未だ現役だと言わんばかりに、すぐさまモータ音を鳴らしてエンジンが始動し、車体もエンジンに合わせ横揺れする。


 一体どれくらいガソリンを食い荒らしてくれることだろう。


「まだガソリン残っているといいが……」


 そんな悲壮感混じりに出た溜め息に期待の籠めようがない。それをかき消すがごとくアクセルを回して道を抜け元の国道へと戻った。



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