20

「みんな昨日のことみたい」


 瞼の裏でその光景を見ているように、美空が呟いた。

 漣と幸も加わって、イエティ倶楽部の思い出話に花が咲いていた。もちろん、キャンプから季節は移ろい、三年生に進級してからこれまでも様々なことがあった。だが美空の言うように、彼女と出会ってからまだ間もない頃のこともまた、昨日のことのように憶えているのだ。それだけ濃密な日々だった。

「きたね、メインディッシュ!」

 幸が待ってましたと拍手する。オードブルもほぼ片付いたところで、澤井がケーキを切り分けて運んでくれたのだ。

「お前、結局、全然俺の話聞いてなかっただろ!?」

 なれそめなんて色気づいたものではないが、美空と出会ったときのことを話しはじめたのが懐古するきっかけだった。にも関わらず、催促してきた当の本人である幸は、すぐに他の面子と勝手に違う話題を繰り広げたりして、ほとんど耳を向けていなかった。

「惚気話に興味なんてないわ!」

「そっちが訊いてきたんじゃねーか! んで別に惚気てなんかない!」

「そんなことより、早くケーキ食べよう!」

 美空は早くも切り替えてスプーンを握りしめていた。場の関心は、あっとうまにケーキに持ってかれていた。

「ったく……」

 ――まあ、いいか。

 改めて、幸せな時間を噛みしめてこれたのだということを知ったのだ。それだけで十分だった。


 卒業後アメは、浪越町内のデイサービス施設に就職することが決まっていた。いずれは医療センターで働くことを念頭に置いた進路選択だった。今は少しでも早く祖父母の役に立てるようになるのが目標だ。

 漣は県内の国立大学へ進学する。自然と両立した街づくりへ貢献するという元来の夢を前進させるため、環境や造園を学ぶそうだ。卒業後は、場合によっては海外での経験や実績も視野に入れつつ、いずれは浪越でも何か仕事ができたらとのことだった。イエティ倶楽部の活動が、いつの日か役に立ってくれたらいい。

 幸も当初からの宣言通り、地質学の研究者という志は変わっていなかった。そのため、祖父が教鞭をふるう大学へ進学する――予定だったのだが、残念ながら落第していた。学校の勉強を疎かにしていたツケがまわってきたかたちだ。それでも浪人してまた挑戦するとのことだった。その折れない心があれば、いつかは合格できるだろう。


 そして美空は――ロンドンへ留学する。


「やっぱり野崎さんのつくったケーキおいしいね」

 ボー・シエルのケーキを食べるのはもしかしたらこれが最後かもしれない。だからか、美空はじっくりと味わっているようだった。

「ボー・シエルにケーキ頼もうって提案したの、実はアメくんなんだよ。メッセージプレ―ト載せたりしようっていうのも」

 わざわざ言わなくてもいいのに、幸が明かしてしまう。

「えー本当? アメがそんなこと思いつく?」

「疑うんだったら食べなくていいぞ」

 アメが美空の皿を取り上げようとする。

「じょうだーん、食べる食べる」

「やれやれ、見せつけてくれるね」

 ケッと言わんばかりに山河はお猪口を呷った。顔をほんのり赤くして、相変わらずひとり黙々と酒を嗜んでいた。ワインにはじまりビールときて、いつのまにか日本酒に変わっていた。

「そういえば、山河先生ってご結婚は?」

 幸が訊いてはいけないことを口にしてしまう。

「何か言ったかい?」

 気持ち悪いくらいにっこりと笑う山河の背後に、般若のような面が見えた。

「なんでもないです……」


「おい、ケーキ食ってる間にあれやっちまおうぜ」

 不穏な空気をかき消すようにアメは声を張った。

「まだ何かあるの?」

 スプーンをくわえた美空が小首を傾げる。

「そうだね、じゃあまず僕から」

 我先にと漣が、カバンから紙袋を取り出して美空に手渡す。

「あ、ありがとう……?」

「あ、漣くんずるい。あたしが最初に渡そうと思ってたのに!」

 美空が驚きつつ遠慮がちに受け取っていると、幸が文句を挟んだ。

「中身、見ていいの?」

「どうぞ、ご自由に」

美空が紙袋を開封すると、出てきたのは花飾りのついたフォトフレームだった。いかにも漣らしいチョイスだ。

「キャンプのときの!」

 そこに収められていた写真は、君ヶ浦で撮影したものだった。海と月見岩を背景に、水着姿の四人が揃って笑顔を向けている。こうして改めて見ると、美空は懐かしそうに目を奪われていた。

「漣くん、めっちゃいいプレゼントじゃん! だからあたしが先がよかったのに……あんまり期待しないでね?」


 続いて、自信のなさを口にしながら幸が差し出したのは、包装された細長い小箱だった。美空が丁寧にラッピングを解き、ぱかりと蓋を取り外す。中に入っていたのはネックレスのようだった。革紐にビーズを嵌めこみ、その間に貝殻やシーグラスが通されていた。

「美空ちゃんのスワッグとかリースに比べたら、全然へたっぴだけど……」

「そんなことないよ、すっごいよくできてる!」

 美空はさっそく首にかけた。触れるだけで、ビーチコーミングをしたことや浪越の海を感じられそうだ。このときのために頑張って作ったのだろう。そこに上手とか下手なんて関係ない。

「ぐす……ありがとう、大事にするよ」

 それぞれの思いを受け取って、美空の声が早くも湿っていた。


 残るはアメだけとなった。「ほらよ」と素っ気なく、ギフトバッグを彼女の前に置く。

「アメもあったの?」

 意外、という表情の美空に「そりゃあるだろ」と言い返す。購入してからアパートの部屋の、彼女の目につかない場所に隠しておいたのだ。鏨山を下りたあと一度別れたのは、これを取ってくるためだった。

 そもそも、このプレゼント企画を提案したのもアメだった。向こうに行って、もし寂しくなるときがあっても、何か思い出の品でもあれば気分を紛らわせられるだろうと。

 美空がバッグから手を引き抜くと、リボンのついた透明のプラケースが現れた。

「これ、もしかしてハーバリウム?」

「まあな」

 お洒落な丸っこい瓶の中にタンポポが浮いていた。着想を得たのは、楽園のイエティのラストからだ。


 都会まで行って雑貨店を何軒もはしごした。他に鮮やかな花もあったものの、彼女のイメージにそぐわない気がして、最後にたどり着いた店にあったのがこのタンポポのハーバリウムだった。一目見た瞬間、これだと思った。

「アメ、よく知ってたね。しかも綿毛まで入ってるハーバリウムなんてはじめて見た」

 タンポポは黄色い花だけでなく、綿毛になったものも入っていた。ふわふわした綿毛が今にも飛んでいきそうでおもしろい。なんとなくその綿毛がイエティみたいに見えた、というのも決め手だった。

「へえ、可愛い。アメくん、やっぱ美空ちゃんのこととなると、センスとか発想が冴え渡るよね」

「べ、別に美空のときだけじゃないだろ!」

「みんな、本当にありがとう。全部大切に持っていくね」

 贈り物に囲まれた美空の涙腺は、すでに崩壊しかけていた。

「でも僕はてっきり、アメくんはアメジスト――いや『シトリン』の方か、を渡すものだとばかり思っていたけど」

 珍しく漣が茶化すと、幸も「そういえば」と言って意地の悪い笑みを浮かべる。二人ともアメが祖母からアメジストを受け継いだことをとっくに知っていた。

「アメジスト? シトリン? なんの話だい?」

 一方で、何も知らない澤井が頭上に疑問符を浮かべた。

「お、伯父さんは知らなくてもいいよ!」

 実は、プレゼントをハーバリウムに決める前それも考えたが、いくらなんでも時期尚早だった。

「まあ、それはいつか帰ってきたときにな」

 誰にも聞こえないくらいの小声で言ったつもりなのに、美空が頷いた気がした。


 閉じた彼女の目から、ついに雫がこぼれ落ちた。

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