19

 海パン姿となったアメは、ビーチサンダル越しに砂の質感を確かめながら、膝まである海水をかき分けていた。手にした熊手の爪が黒く光る。ときおり屈んでは、その熊手で砂底をさらっていた。

 他の三人も同じようにその作業を繰り返していた。女性陣はセパレートの水着に、美空はポニーテール、幸はお団子に髪をまとめている。

「全然見つかんねえな。本当にアサリなんているのか?」

 はじめてまださほど経っていないが、早くもアメがぼやいた。

「やっぱり、もうあんまりいないのかな……」

 美空が額の汗を拭いながら、残念そうに言った。

 潮干狩りは彼女の希望だった。何をして遊ぼうかと事前に打ち合わせたときに、やったことがないというので、このタイミングで挑戦してみることにしたのだ。


 暦上は秋口だが、旺盛な日差しに残暑がくすぶる。キャンプには申し分ない日和だ。反面、潮干狩りの時期には遅かった。この君ヶ浦は穴場なのだと漣が事前に言っていたが、すでにあらかた獲られてしまったのかもしれない。浪越では、他のビーチでも以前は潮干狩りができたそうだが、現在では乱獲で数が減って禁止されているところがほとんどだということだった。必然的に禁止されていない場所に人が流れてきていてもおかしくない。ただでさえ君ヶ浦は狭小な浜辺だ。もとから期待しない方が無難ではあるのだろう。

「あっ、あったかも!」

 嬉しそうな声を上げて幸がつまみ上げたのは、ただの石ころだったようだ。

「石と貝の違いくらい、見なくてもわかるだろ!」

 バカにして大笑いするアメに、幸はその石ころを投げつけた。

 それでも根気よく探していると、次第にアサリを発見できるようになった。小ぶりのものを海に返すといくらも残らなかったが、採捕できただけでありがたい。

 ところが唯一、言い出しっぺの美空がいつまで経っても見つけられなかった。途中からアメは、自分たちはもういいから彼女が獲れるようにと願っていた。

 それが通じたのか、根気よく待っていると美空が手をお椀にして近づいてきた。

「これ、アサリかな?」

「おっ、見つけたか……でけーな!」

 それは間違いなく貝だったが、捕れていたアサリの倍以上の大きさがあった。

 どことなくほっとした表情で幸と漣もやってくる。

「それホンビノスじゃない? ホンビノス!」

 ホンビノス貝は近年増えているらしい外来種の貝だ。ただ言いたいだけであろう幸を無視して、漣に確認してもらう。

「これ『ハマグリ』だよ。アサリより貴重だ」

 しかもこれだけ大きいのは珍しいとのことだ。ずっと引き締められていた美空の口元がようやく緩んだ。結局この日、彼女が見つけたのはそれだけだったが、一番の大物だった。


 いったん海から上がった四人は、軽く昼食をとったあとで、砂遊びやビーチボールをしたり、月見岩の輪の中をくぐってみたりして過ごした。潮干狩りの結果はイエティ倶楽部の活動として記録することにしていたが、基本的に今日と明日は精一杯遊ぶことに決めていた。


 空が赤みを帯びてきたのをきっかけに、軽装に着替え、コンロをセットする。事前に買ってきた食材を女性陣に切り分けてもらい、男性陣で火をおこした。網の上にトングで肉や野菜を載せていく。焼けたものからレディファーストで食べてもらい、そのあとでアメも肉を自分の口に放った。

「うんまっ!」

 はふはふと火傷しそうになりながらも味わう。肉だけでなく、炭で燻されたナスやカボチャといった秋の恵みも、また格別だった。

 ある程度食材を消費したところで、満を持して海水に浸けておいたアサリとハマグリをクーラーボックスから登場させた。

「まだ完全に砂が抜けきってないかもしれないから、そこは気を付けてね」

 漣が注意を促す。もっと長時間砂抜きしたほうが万全とのことだが、そればかりは仕方ない。

 ハマグリを中心に据えてしばらく焼いていると、殻がぱかりと開いてその身を露出させた。旨味を含んだ汁が沸騰しているところに醤油を垂らすと、ジュッという音がして、倒錯しそうになるほどのこうばしい香りが立ち昇った。

 さらに少し汁が蒸発したタイミングで、アメは焼き上がったハマグリを皿に載せて「ほらよ」と美空に渡した。

「わたしだけハマグリって、なんか申し訳ない……」

「遠慮しなくていいよ。美空ちゃんが自分で捕ったんだから、がぶりといっちゃって!」

 幸が言って、美空は緊張したような面持ちで器用に箸で身を殻から外した。そして何度か息を吹きかけてから、大ぶりの身を一口に頬張る。三人がなぜか固唾を呑んで見守る中、ゆっくりと咀嚼した。

「そんなに見られると恥ずかしいんだけど……」

「ああ、わりい」とアメ、「なんか気になっちゃうよね」と幸が笑った。

「でもおいしい……わたし、貝ってそんなに好きじゃなかったんだけど、はじめておいしいって思ったかも」

「いや、貝好きじゃなかったんかい!」

「うわっ、アメくん、さむっ!」

「いや、ダジャレじゃねえよ!」

「砂噛まなかった?」

 アメと幸のやりとりなど意に介さず漣が尋ねると、美空は首を縦にふった。

 三人も一斉にアサリを頬張った。口いっぱいに、焦げた醤油と出汁の風味が広がる。うまいのはもちろんのこと、歯ごたえが新鮮そのものだった。もっとも、アメのものにはいらない歯ごたえも混じっていたが――

「うわっ、砂噛んだ」

 ついていなかった。


 締めのデザートとしてマシュマロを焼きながら、全員で水平線を眺めていた。夕焼け空に千々の紫雲が揺蕩っている。

「幻みたい」

「本当にそうなのかもね」

 美空が呟いた言葉に漣が反応した。

「ひょっとすると、ハマグリが見せているのかも」

 唐突に意味不明なことを言い出して、他の三人が困惑する。

「『蜃気楼』っていう言葉があるでしょ? 温度差とかで物体が宙に投影される現象だけど、その昔は、巨大なハマグリが氣を吐くと現れるって考えられていたんだ。〝蜃〟っていう字は、その大ハマグリのことを指しているんだよ」

「そんなでかいハマグリがいんのか!?」

「あくまで妖怪みたいな空想上の話だけどね」

「なんだ」つまらない、とアメは密かに落胆した。美空の手前、口が裂けても言えないが、それだけ大きいハマグリなら、捕れれば全員で分けても腹が膨れそうだと思った。

 代わりに別の考えを述べる。

「それって食われたハマグリが化けて出て、変なもん見せたとかなんじゃないか?」

「もしくは、あたっちゃって悪夢にうなされただけかも」

 便乗して幸も不穏なことを言う。

「わたし、ハマグリ食べて大丈夫だったの……」

 漣の一言から思わぬ話になって、美空が戸惑っていた。

 マシュマロがまっ黒になっているのも気付かずに、四人はしばし笑い合っていた。



 暗夜にローソクの炎が一つ揺らめいていた。そこへ先端を近づけると、一呼吸置いて閃光がほとばしった。赤や緑、青といった色の火花が砂の上に落ちていく。

 手当り次第に花火に火を点けていった。手持ちのものをはじめ、筒状のもの、ヘビ花火。

 途中、美空がネズミ花火に追いかけまわされたり、幸がロケット花火に驚いて尻餅をつくというハプニングもあったが、時が経てばきっとすべていい思い出になるだろう。

 最後に線香花火が残った。四人で勝負することにしていたのだ。一斉にローソクから火を灯す。ちりちりと儚い火花が散りはじめる。

 アメはあえて花火を斜めに持っていた。少ない脳みそを動かして思いついたのだ。マッチの炎が上に向けると長持ちするように、線香花火も極力先端を持ち上げてやれば消えにくいのではないかと。

「あっ、落ちた……」

 長持ちするどころか真っ先に落ちた。砂に転がった火球は、アメの無念を代弁するように一、二度明滅して燃え尽きた。

「アメくんはやっ、日頃のおこないが悪いんじゃない?」

 恨みがましくまた余計なことを言ってきた幸を睨んでいると、次に落ちたのは彼女だった。

「お互い様だな」

 美空と漣の一騎打ちとなる。勝負は拮抗し、二人の火花はもはやアメと幸がまったくたどり着けなかった形になっていた。最後はどちらも寿命をまっとうしたように落ちたが、僅差で漣が勝利した。

 風でローソクはいつのまにか消えていた。ただ月と星の明かりが照らす砂浜で、花火の残り香だけが漂っていた。



 幸が持ちこんだランタンを囲んでいた。すでに話題は尽き、炎のような電球色をぼうっと眺めている。子どもたちが遊び疲れて微睡んでいるような、心地のいい沈黙に包まれていた。

「そろそろだね」

 そう言って漣がランタンの灯を落とす。

「月の階段!」

 美空が歓声を上げた。この日のクライマックスだ。

 深更に潮が引き、浜辺がエリアを拡大した。月見岩までも濡れずに行ける道ができあがる。潮溜りタイドプールがあちこちにあって、その海水や凹凸に月光が反射していた。なるほど、言われてみればたしかに段差に見える。

 人魚はこの階段を、愛するものとともに昇っていったのだろうか。


「また美空のピアノが聴きたくなるな。たしか月の曲もなかったっけ?」

 静かに月夜を味わうのもいいが、音楽でもあればいっそう趣を感じられるに違いない。アメはいつのまにか、こういった場面で音を求めるようになっていた。

「ベートーヴェンとドビュッシーの『月光』ね。ベートーヴェンはすごく幻想的で物語性があって、楽章ごとに違う月の表現をしているみたいでおもしろいの。ドビュッシーの方は神秘的で儚い音色だから、しっとり感傷に浸れて、今日みたいな夜にぴったりかも」

 美空が月を見上げながら教えてくれる。

「月は印象的な題材として取り上げられることが多いよね。アメくん、こういう夜に、美空さんみたいな女性になんていうか知ってる?」

「あん? ……なんていうんだ?」

 どうせ考えたところでわからないので、即座に漣に問い返した。

「『月がきれいですね』だよ」

「は? そのまんまじゃん!」

「ちょ、ちょっと漣くん……」

 なぜか美空が焦ったように顔を背けた。訊いても答えてくれず、意味のわからないアメはただ首を傾げた。

「あたしも月は好きよ。月ってね、地球と違って水も大気もほとんどないし、生き物もいないでしょ? だから浸食するものがなくて、大昔からずっと変わってないんだって。でも、そのおかげでわかった地球のこともたくさんあるんだ。月と地球ってほぼ同い年だから、比較できるの」

 なんとも幸らしい視点だった。

「そっか、僕らも地球も変わり続ける存在だから、人は変わらない月に憧れるのかもね」

 しみじみと漣が言う。

 また部室で美空に〝月光〟を弾いてもらおうとアメは心に決めた。この夜のことを確固としたものにするために。この思い出もまた、永遠のものとするために。


 やがて階段が消えてしまうまで、四人の意識は月へと昇っていた。

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