12
「美空、気を付けろよ?」
「わかってるよ!」
辟易したように美空が言い返す。アメから何度も同じ注意喚起をされて少し拗ねているようだった。
二回目のイエティ倶楽部の活動として、四人は理想郷の断崖を訪れていた。幸が今回は自分がガイドすると申し出てくれたのだ。
幸が先導して入り江から
黙々と歩く途中、ときおり幸が明るい声を発した。
「でも今日、晴れてよかったね。アメくんは間違いなく雨男だろうから、普通に降ると思ってたけど」
「勝手に決めつけんなよ。……まあ、違うとは言えねーけど」
割と当たっているので、強く言い返せないのが腹立たしい。
時節はすでに梅雨だったが、この日はいわゆる谷間というものなのか、珍しく好天に恵まれた。イエティ倶楽部の性質上、外に出られないことには基本的に何もできないので、それが休日だったのは幸運だった。
「きっと美空ちゃんが晴れ女なんだね」
たまたまだよ、と美空は謙遜したが、あながち間違っていないのでは、とアメは思う。彼女の、神様に対する礼儀や祈りが通じているのかもしれない。
慎重に岩場を踏みしめていくと、ようやく目指していたらしい露頭の見えやすい場所に到着した。一息ついてから、幸が地層の解説をしてくれた。
「専門家の話を聞けるなんてありがたいなあ」
しみじみと言いながら、漣は何度もカメラのシャッターを切っていた。
「専門家なんてまだ全然ほど遠いよ。ただの受け売りだし……この露頭も、もしかしたらいつか見られなくなっちゃうかもしれないから、写真は貴重になるかもね」
「なんで見られなくなるんだ?」
「海岸線って、雨風とか打ち寄せる波とかでどんどん浸食されていってるの。この辺も、昔はもっと沖の方まで陸地だったってことが古い地図とかでわかってるんだよ」
「雨や風まではどうにもならないだろうけど、海の波だったら、
漣が補足した。
剥き出しになった岩壁にアメが改めて自然の成行を感じていると、「きゃっ」という悲鳴が真横から聞こえた。見ると何かに驚いた美空が、足を滑らせて尻餅をつきそうになっていたので、すぐさま反応して腰に手を添えて支えてやった。軽く抱きかかえるような体勢となる。
「だから気を付けろって言っただろ?」
「あ、ありがとう……ちっちゃいカニがいたから……」
「あら、あたしたちお邪魔だった?」
それを見た幸がにやりと口元に手を当ていやらしい笑みを浮かべた。アメと美空は、かっと頬を染め距離をとる。
「あ、幸の足にでっかいフナムシがついてるぞ!」
アメがさも本当のように指を差すと、幸は盛大に慌てて飛び退いた。いい気味だ。
「ちょっとやめてよ、最低!」
これには美空も同情の余地なしと思ったのか、笑いをこらえていた。
「それじゃあ、長居するのも危険そうだし、早いとこ『君ヶ浦』に行こうか」
漣が部長として宣言する。
部室で行き先の候補地をいくつかピックアップしているときに、漣の口から出たのが君ヶ浦だった。理想郷にあるプライベートビーチのような入り江であり、知る人ぞ知るパワースポットなのだそうだ。浪越市民なら一度は行くべきだと声高に言った。そこに幸も『月見岩』は一度は見ておくべきだと言い放った。
二人がそこまで言うのならと、理想郷の断崖を見学するついでに寄ることになったのだ。
林道を抜けた先の光景に、アメと美空は目を奪われた。
岩壁に阻まれた入り江は、隠れ家みたいで男心をくすぐる。青空のもとの砂浜は、白っぽく映えている。そして極めつけは――
「あたしは何回も来てるけど、いつ見てもあれは見事だと思うわ」
幸の視線の先にあるのは『月見岩』だ。本当にどういう力がはたらいたら、あんな見事に穴の空いた岩ができあがるのか見当もつかない。
「あれが月見岩・・・・・・」
美空も自然の神秘に恍惚の表情を浮かべていた。
さらに漣が、君ヶ浦や月見岩の別名を教えてくれた。幽霊浜や輪廻岩という少し恐ろしい別名に若干美空が引いていたが、それだけでなく、ロマンチックな伝承もあるという。
「この君ヶ浦には、人魚伝説が残っていてね」
その昔、近くに若い漁師の男が住んでいた。ある日、男が君ヶ浦から漁に出ようとすると砂浜に見たこともない美しい女が倒れていた。家に連れ帰って寝かせていると、やがて女は目を覚ました。驚くべきことに、女には記憶がなく、自分の名前もどこから来たのかもわからないと言った。仕方なく男は女を家に住まわせてやることにした。
歳月を経て、ともに暮らす内にいつしか二人の心には恋情が芽生えていた。
男は幸せだったが、いつの頃からか女は、夜ごと砂浜の岩に腰かけて、月を仰いでは泣くようになった。訊けば女は、故郷のことを思い出したようで恋しいという。だが、男を想う気持ちもあって、板挟みになっていたのだった。
ならば男は、一度二人で里帰りしようと言ってやった。ところが、女が言うには、故郷へ帰るには〝月の階段〟が出なければならないという。それがなんなのか男は知らず、女に訊いても要領を得なかった。
それからこの一帯は大きな災害があって騒がしくなった。落ち着いてから村人たちが二人の様子をたしかめに行くと、男の家がなくなっていた。手分けして辺りを探すも姿はない。日も完全に暮れて君ヶ浦に集まっていると、ひとりの村人が海の様子に気付いた。潮が引いた砂浜に月明かりが反射し、階段のようになっていたのだ。
それ以来、女は人魚だったのだと囁かれるようになった。男は人魚に海の底へ連れていかれたのだと――
ロマンチックかどうかは感性次第だが、いかにも昔話らしいすっきりしない話だった。実際にその人魚が腰かけていたという岩がかつてはあったらしいが、今では失われてしまったそうだ。
「なんだか、『かぐや姫』みたいなお話だね」と美空が指摘した。
「そうだね。竹取物語は日本最古の物語っていわれてるくらいだし、もしかしたらベースになったのかもしれないね」
「はーん……それより『月の階段』なんて本当にあるのか?」
アメは物語の内容よりそちらの方が気になった。
「夜に干潟になる季節になって晴れていれば、実際に起こるよ。厳密には、月がまだ出たばかりの時間がベストというか、そのときの状態をいうらしいけど、完全に昇っちゃっててもそれっぽいのは見られる」
もっとも、君ヶ浦に限らず、他の浪越のビーチでも見ることはできると漣は言った。
「へえ……でも、どうせ拝むなら俺はここの方がいいな。みんなでキャンプでもして」
アメは何気なく言ったつもりだったが、
「いいね。イエティ倶楽部の活動実績にもなりそうだし」
漣が前のめりになって同意した。
「キャンプ? だったらあたしに任せてよ!」
それを聞いてキャンプ熟練者の幸が胸を張った。いつになく頼もしい。
「美空はキャンプとかどうだ?」
「うん、やりたい。楽しそう」
あっさりとアメの提案が受け入れられた。一泊するとなると美空の体調が気かかりだが、ひとまず楽しみが一つ増えた。仲間とともに海水浴にバーベキュー……期待が膨らむ。以前は、自分には関係ないと思っていたようなことが実現に向かっていく。
内心小躍りするような気分に浸っていると、美空が海に向かって指を差した。
「ねえあれって医療センターだよね? ここからも見えるんだね」
「おっ、ほんとだ。こっからだと海に浮かんでるみたいだな」
岬の上に建つ医療センターは朧気で、まるで蜃気楼みたいだった。月見岩や漣の話に夢中になっていて気が付かなかった。
「そうだ、今度美空がカウンセリング受ける日に俺も一緒に行っていいか? ばあちゃんの見舞いのついでに、山河先生と話したいし」
山河には現状の報告も兼ねて、軽く礼くらい言っておきたかった。
美空は相変わらず月に一度はカウンセリングを受けているそうだ。彼女を通じれば、少しくらい時間をとってもらうことはできるだろう。
「いいよ。じゃあ、そのときが近づいたら言うね」
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