11
一心不乱にアメは視線を足下へ注いでいた。砂を蹴りながら歩きまわり、ときおり屈んで拾い上げたものを太陽にかざしたりして吟味する。
この日四人は鏨山からほど近い海水浴場へと赴いていた。海と砂浜が初夏の日差しを照り返している。あたたかい砂の感触がビーチサンダル越しに伝わってくる。海水浴客もすでに現れはじめていて喚声が聞こえていた。
アメたちも他人からすれば遊んでいるようにしか見えないだろう。実際、半分は遊びのような感覚だったが、ちゃんとした部活動だった。
この日は絶好の〝ビーチコーミング〟日和だった。
ビーチコーミングとは、浜辺に打ち上げられた貝殻や人工物の破片といった漂着物を収集する行為をいうのだそうだ。きれいなものはコレクションしたり、工作物の装飾に利用できるのだという。
最近は全員、山の方へ行くことが多かったので、ならば最初の活動は海へ、という流れになり、それならばと漣が発案したものだ。宝探しみたいでおもしろそうだと満場一致で決まったのだった。
よさそうな貝殻を見つけては、肩から提げた虫かごに入れていく。事前に適当な容れ物を持参するよう、ということだったので、アメは家の物置で埃を被っていた虫かごを引っ張り出してきたのだ。
美空は澤井に借りてきたというガラス製のシュガーポットを。漣は何度もビーチコーミングをやっているそうで、ザルやバケツ、ポリ袋といった実用性重視の道具をいくつも持ってきていた。幸はといえば、ランチでも入っていそうなかご編みのバスケットだった。「ピクニックかよ」とアメが呆れると「女の子らしくていいでしょ」と特に気にしていない様子だった。汚れても大丈夫なのかと美空が心配する。
「へーきへーき。キャンプしてたときは、普段から木の実とか食べられる雑草とか入れてたから」
見た目にそぐわず、なかなかのサバイバーだった。
「どうだ美空、ケガとかしてないか?」
夏仕様なのか、被り物をベレー帽から麦わら帽子に変えていた美空に声をかけた。稀に角が残っている瓶の破片などもあるそうで、気をつけるよう、漣が最初に注意を促していたのだ。それに加えて、体調を崩していないか確認する意図もあった。
「うん、大丈夫」
「どうだ、なんかいいのあったか?」
言いながら美空のシュガーポットをのぞきこむ。やはり貝殻が一番多いが、他にも丸みを帯びたシーグラスが複数あって、パステルカラーのように光っていた。
「すげーじゃん! もうそんなにシーグラス見つけたのか。俺なんてまだほとんど貝殻ばっかだぞ」
「貝殻だけでも十分だと思うよ。種類も模様もみんな違うし」
たしかに、タカラガイやサクラガイのような色鮮やかな貝殻は、一瞬見惚れるほどきれいだ。どの貝殻もよく観察すると、模様が複雑で幾何学的だったりして、一つたりとも同じものがないのに気付いた。ビーチコーミングをやってみたからこそ知り得た発見だった。
太陽が中天を越えた辺りで、切り上げて集合することとなった。レジャーシートを広げて、一同昼食をとる。アメは来る途中にコンビニで買ったパンに齧りついた。美空は木目が麗しいわっぱに小さなおむすびやおかずを詰めてきていた。玉子焼きや小松菜の白和え、きんぴらなど手のこんだ品々が並んでいる。アメが思わず見入っていると、よほど羨ましそうだったのかタコさんウィンナーを分けてくれた。
「気にしたことなかったけど、貝殻とかシーグラスってこんなに落ちてるもんなんだな」
食べ終えたパンの袋を丸めながら、アメは意外そうに言った。
「砂の中にも粉々になった生き物の死骸とか、貝殻の破片がたくさん混じってるよ。そういうのが、遠い未来に地層になって歴史を教えてくれるのよね」
サンドウィッチを手にした幸が言う。
「そういえば前に本で読んだんだけど、〝ブダイ〟っていう魚の生態なんておもしろいよ。よく南の島なんかに真っ白な砂浜があるだろう? あれって、実はそのブダイの糞で形成されているんだってさ。彼らは主食でサンゴを食べているから、その破片が――」
「ちょっと漣くん、ご飯食べてるときに糞の話しないでくれる……」
喜色満面で語りはじめた漣を、呆れ顔で幸が制した。
そんな話をしつつ全員昼食をとり終えると、各々成果を披露し合うこととなった。
アメと幸は、貝殻を中心にシーグラスや陶器片がわずかばかり混じっているという結果だった。美空は二人に比べて明らかにシーグラスが多く、色も豊富だった。ビーチコーミングの才能があると漣が褒め、くすぐったそうに彼女は笑っていた。
「美空ちゃんのはそのまま飾っておけそうだね」
幸の言う通り、シュガーポットに入っているだけでこじゃれているので、そのまま置いておくだけでもインテリアになりそうだった。
「雑菌がついているから、そうするにしても一回洗って干した方がいいと思うけどね……それにしても紫色のシーグラスはよく見つけたね」
漣の言葉には感嘆の色がこもっていた。
シーグラスは比較的多く見つかる色とそうでない色があって、紫は珍しい部類なのだという。「そうなんだ」と美空は嬉しそうにそれを取り出した。曇った紫のシーグラスが鈍い光沢を放つ。
その光を受けると、アメの頭に記憶が呼び起こされた。
「そういえばアメジストってあるじゃん? 紫色の宝石の。ばあちゃんがいつもその首飾りしてるんだけど、俺の名前の由来の一つなんだって聞いたの思い出した。誕生石っつうの? それがアメジストは二月らしくて、俺、二月生まれだから」
一朗の雨乞いのエピソード以外にも由来があったのだ。祖母の首飾りは、いつしか見慣れすぎていて意識することもなくなっていた。
「へえ、性格の割に意外とロマンチックじゃない」
余計な一言をつけ加えた幸にアメがつっこもうとしたが、その前に漣が口を開いた。
「アメジストっておもしろい性質を持ってて、熱を加えると『シトリン』っていう黄色い水晶に変わったりするんだよ」
「色が変わんのか!?」
「そう、光の通し方が変わって紫の補色である黄色に見えるんだ。自然の神秘だよね。ちなみにシトリンも誕生石になってて、たしか十一月だったはずだよ」
「わたし、十一月生まれ……」
「あら、運命かしら」
ぽつりと美空がこぼして、幸が口の端を歪めた。
「た、たまたまだろ……それより漣は結局、流木ばっかり集めたのか」
気恥ずかしくなって、アメは漣の拾得物へと話題を変えた。大きめのポリ袋に大小も太さもまちまちの、角のとれた流木が収められている。彼は貝殻やシーグラスはもう持っているとのことで、そちらには目もくれず流木だけを探し求めていた。
「流木はアクアリウムに入れたりアートに利用されたりするから、ものによっては価値がついたりするんだ。集めておけば、いつか財布の足しにでもなるんじゃないかと思ってね」
「そうなの? それ早く言ってよー、あたしも集めればよかった」
幸が露骨に残念がるので、現金なやつだと笑い合った。
「でも流木は神社の御神体にもなっているくらいだから、あまりお金のことは言わない方がいいのかもしれないけどね」
「御神体?」アメが疑問を呈する。
「そう。鏨山の向こうに龍海神社ってあるの知ってるかな? そこの御神体が流木なんだよ」
ちょっとしたパワースポットでもあり、漣にとってはお気に入りの神社だそうだ。
「へえ、おもしろそうじゃん。美空、今度行ってみようぜ」
「それなら今度と言わず、このあと案内しようか?」
しかし流木が荷物だろうとアメが言うと、置いていって明日にでも回収するとのことだった。まあたしかに、わざわざ流木を盗むような輩はそうそういまい。
それなら、と美空が前を向いて、アメと幸も賛同した。
龍海神社というその神社があるのは、かつての別荘地で理想郷と呼ばれているらしい。漣が先導して鏨山をまわりこんでいくと、素掘りの隧道が現れた。
「こういうトンネルってワクワクするよな」
過去の遺物のような抜け道に、アメは探究心が刺激された。
「でも夜になると本当にちょっと怖そうだね……」
「大丈夫だよ美空ちゃん、あたしも何度かここ通ったことあるけど、幽霊的なのなんて見たことも感じたこともないから。所詮ただの噂よ」
幸は断崖を見に何度も訪れているらしい。心霊的な噂もあるのだと聞いておびえる美空の腕を、安心させるようにとってやっていた。
「もっと内陸の山に行って、こういう味のあるトンネルとか、廃道林道とか調査する活動もやってみたいと思ってたんだけど、どうかな?」
「いいな。で、夜になったら肝試しとかするんだろ?」
漣が言ってアメが悪のりすると、
『絶対に嫌!』
美空のこの日一番大きな声が隧道内に反響した。
アメと美空は理想郷に踏み入るのははじめてだった。道中、なぜ理想郷と呼ばれているのかを漣が説明してくれた。
「おい、あれ!」
神社の近くまで来たところで、アメが唐突に声のボリュームを落として指を差した。道の先の茂みの前に、何か動くものを見つけたのだ。それは茶褐色の動物のようだった。
「どうせキョンでしょ」
「キョン?」
幸がつまらなそうに言って美空が首を傾げた。
「ちっちゃい鹿みたいなの。けっこうこの辺の山にいるのよ。キャンプしてたとき、たまに見かけてた。かわいいけど、外来動物だし、農作物とか荒らしちゃうからたいへんみたい」
「いや違う、あれは……野ウサギだ」
いつのまに取り出したのか、漣が小型の双眼鏡をのぞいていた。
「ウサギは警戒心が強いから、人前に出てくることはほとんどないよ」
運がいい、と漣は双眼鏡をカメラに切り替えてシャッターをきった。幸もウサギなら見たことがないと感心する。美空も「よく見つけたね」と声を弾ませるので、アメは鼻を高くしたのだった。
しかしいざ鳥居の前まで来ると、そんなほっこりした空気は一度霧散してしまった。
鳥居は一部が崩れ落ちてしまっていて、無残にも真っ二つになった額束という表札が〝龍海〟と〝神社〟に分かれて傍に置かれていた。
「以前あった地震で被害を受けたらしくてね。修復しようにも、浪越神社みたいな街なかの神社と違って、なかなか資金を工面するのが難しいみたいだ」
参道に踏み入る前に、アメは美空が鳥居に礼をしているのに気付いた。
「そういうの、やった方がいいのか?」
「わたしは一応、するようにしてる」
浪越神社でも行なったという。あのときアメは唐獅子を見ていて気付かなかったようだ。それを見てしまうと自分もやらなきゃいけない気がして、ぎこちなく一礼した。
「お参りにもけっこうマナーみたいなのあるんだな」
「そうみたい。わたしも詳しいわけじゃないけど、たとえば参道の真ん中は神様が通る道だから、人は歩くべきじゃないとか」
たしかに美空は参道の端に寄っていた。単に性格的なものかと思っていたが、そういう言い伝えを知っていたからなのだ。
参道に立つ灯籠も一度倒れたのか、割れたりしているものもあった。狛犬は無事なようだったが、灯籠ともどもかなり年季を感じさせる。
その代わり、圧倒するような濃緑が境内を異界じみた空間に仕立てていた。美空はまるで星空を見上げるように陶酔していた。龍海神社の鎮守の杜は少々特殊らしく、漣が興奮気味にその素晴らしさを語った。
社殿の前には左右に龍がとぐろを巻いたような甕があった。苔生したその様相が、うまい具合に竜の体表のようになっている。
四人は社殿の前に立って、ひとまず賽銭を入れてお参りした。最後まで手を合わせていた美空が礼をし終えたのを待って、厳かな静寂を幸が破った。
「美空ちゃんは何をお願いしたの?」
「願い事はしてないよ。わたしは神様に毎日の感謝を伝えただけ」
「そうなの!? お願いとかないの?」
「そういうわけじゃないけど……」
訊けば美空は、本当に困ったり助けてほしいときや叶えてほしいことがない限りは願い事をしないという。日々生きていけているだけで、神様が見守ってくれている証左だと。浪越神社に参拝したときも同じようにしたそうだ。
すると、漣が理解を示した。
「そういう心がまえの人も珍しくないよ。宗派だったり個人の考えにもよるんだろうけど、神様や仏様は願い事をするんじゃなくて、日頃の感謝を伝えるものだってね。もしかしたら、そういうスタンスの方がいざというとき神様も救けてくれるかもしれないね」
「マジかよ。俺なんて十個くらいお願いしたけどな」
「十個は多すぎるよ……」
呆れる美空だったが、強い想いはそれだけで自分を奮起させる材料にもなるので、願い事するのを否定するわけではないとのことだった。
「それで、肝心の流木の御神体? ってどこにあるんだ?」
「御神体は見れないよ」
あっけらかんと漣が答えて、思わずアメはずっこけそうになった。
「それを拝みに来たんじゃなかったのか?」とアメが訊くと、「見れるとは言ってないけどね」と漣は苦笑した。
「龍海神社の御神体は、基本的にはここのお祭の日か、年始くらいしか拝観できないはずだよ」
そもそも御神体は神社やその性質にもよるが、拝観できないところも多々ある。人目に触れないようにしておくことで、その威厳を保つのだ。これが仏像だと、座禅を組んだり印を結んでいる姿勢を含めて尊崇の対象なので衆目を集めるように配置されているが、御神体はあくまで、そこにあるという事実こそが重要なのだという。
「まあ、龍海神社の場合は単純にセキュリティからだろうけどね。田舎の神社は人目が少ないから、開放していて荒らされたりでもしたらたいへんだし」
なーんだ、とアメは残念がった。
「浪越神社の御神体は見られるようになってたよね。あの鏡」
「鏡? ……ああ、そういえばあったな。そうか、あっちはあの鏡が御神体だったんだな」
美空が言うので記憶をたぐると、たしかに浪越神社の拝殿の奥に鏡があった。さらには、家の神棚や近所の神社にも鏡があったのを思い出し、アメははじめてそれが御神体だったのだと知る。
「鏡は一番ポピュラーだよね。御神体として鏡が多い理由は諸説あるんだけど、鏡に祈ることで『
自分はけっこう好きな説なのだと漣は言った。
「人が神になんのか!?」
「そういうと大袈裟だけど、神様に近づきたいって思想は世界中にあるから、それに近いのかも」
「でもそれって、捉え方によっては結局自分の力でなんとかしなさいってことみたいだよね」
珍しく美空が意見した。
「そうだね、さっき美空さんが言っていたように、強い願いで自分自身の奮起を促すようなものなのかも」
「うーん……要は、あたしは将来、地層の研究者になれますようにっていつも祈ってるんだけど、まずは自分がちゃんと頑張んなさいってこと?」
「そりゃそうだろ!」至極当然だ。
「お願いしてるだけじゃやっぱダメかあ……」
幸は額に手を当てて大げさに落胆するので、境内はいっとき笑いに包まれていた。
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